アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

8x10カメラの久しぶりの出会い 

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先日のロケは8x10カメラで久しぶりに撮りました。
今後8x10カメラはもう二度と使うことはないと思っていましたから今回のロケで8x10が指定された時は青天の霹靂でしたし、最初その話を聞いた時は「できればそれは勘弁してください」一度断りました。
理由は日本からカメラ周りの助手なしでデジカメ一式と8x10カメラ一式を一人で運ぶなんて考えただけでゾッとします、かつては自前の8x10を持っていたのでコンパクトに荷作りしてなんとか運び込みました、でもレンズやホルダーの不足分は現地調達して荷物はそんなに多くなかった記憶です、今はもうカメラもないし体力的にもかつてのように出来ませんし。
でも話を聞くうちにこれは断れない話だと感じ、「では機材一式すべてアメリカ現地調達ができるならやります」とお願いしてこの話は実現しました。

このカメラについて知らない方もいるので軽く説明します、8x10カメラとは画像にあるように大きなフィルムカメラでフィルムは1枚1枚がシート状になっていて各フィルムサイズが20x25cmもあります、そのためのフォルダーも必要です、フィルムサイズは大きい、レンズも大きい、3脚は普通と比較にならない重量があります、従ってカメラ、3脚、ホルダー(20枚)、その機材一式は重量があります。
これを担いであっちこっちは歩けないからフットワークは良くありませんし、フィルム枚数が限られますから、撮ることの考え方もデジタルで気軽に撮る考えとは違ってきます、フィルム自体がA4くらいの大きさがありますので物理的にも独特なボケ感の描写力を持っています、さらにそこには圧倒的な迫力と言葉に表せない何かが写ります、またカメラ自体にも存在感がありますから威圧感というか大げさ感があり、独特の演出効果もあって8X10カメラでポートレートを撮る写真家は今でもいます。
この時代どんな小さなカメラでもまあまあの画質映像が気軽に撮れます、それにくらべて8x10は対極で気軽さは無縁です、たかが写真を撮るのに10枚くらいフィルムを用意すれば20〜30キロの荷物になります、その撮影ぶりはちょっとしたイベントです。
今時8x10カメラを使う写真家は粒状性メリットより大げさなカメラのパフォーマンス効果の方が圧倒的に多い気がします、どこか場が盛り上りのネタのしてるような、アドバンテージを稼いでいるような、本来の目的とズレて8x10を使うこと自体が目的になっているような、それ自体が見世物になっている風潮を感じ僕には良い印象はなかった。
また自分の暗室では引き伸ばし機の問題から暗室作業できなかった、確かに独特な描写は好きでしたが足を引っ張られる要素の多いカメラですし、以前は所有していましたが、それらの理由で早々に見切りをつけ手離しました、今後もう二度と使うことはないだろう、、、、それが僕の8x10カメラとの付き合いでした。

それから10年ちょっとして、今回の撮影は8x10カメラ指定が出ました、始めは耳を疑ったけど相手はどうやら本気です、やるしかないです、それでアメリカで探してもらいニューヨークで調達が出来ました、アメリカのロケ地のホテルでニューヨークから到着した品々を見たら、大げさなバック3個と大げさな3脚1本がありました。こんなの日本から持ち込めないなと思いながら検品開始です。
レンズシャッターはきちんと作動するか、カメラにきちんと装着できるか、カメラは問題なく使えるか、ホルダーは問題ないか、カメラを組み立て3脚に設置して問題がないか検品しましたところ、カメラの蛇腹の角に小さな穴が無数発見しました。そこは十分考えられる場所でしたがやっぱり出ました、これを補修しないまま撮影すると穴から差し込む微妙な光がフィルムに悪影響させます。
ブラックテープで一個一個、穴埋め作業をしました、念のために撮影時は黒布を蛇腹にかぶせて撮影しましたが、過去の経験からアメリカの機材屋さん日本と違って結構適当で信用はしていませんから機材チェックは欠かせません、問題があれば自分で直せないと使えません、構造原理が単純なだけにそれが可能ですがそれがアナログの良いところです、もしこれがデジタルカメラならならもう手が出ません。
さて、いよいよ撮影です、午前と昼に数枚ずつ撮りましたが、本番は夕方のマジックタイム狙いです、フィルム感度はわずかISO100のポジフィルムです、今時ISO100で夕方撮ること自体滅多にないことです、しかも8x10カメラは絞りが必要です、使ったのはワイドレンズですがやはりf16ほしいとこでしたが、夕方はもうそんな光量はありません。
シャッター速度はもう1秒シャッターです、弱い風が吹き始めました、止んだ瞬間を見計らって風上に自分が立って風よけをしてシャッターを切ります。
撮影は1枚1枚が大げさです、カメラのすべてのネジが締まっているか確認します、どこか一カ所でも緩んでいると、撮影中にあれこれ支障が出ます。撮る前は必ずレンズを一度開放にしてファインダー内の映像隅々確認してピントをしっかり確認して、カメラの各ネジの締まりをしっかり確認してレンズを閉じてシャッターをチャージして絞り設定してホルダーをカメラに仕込んで引きフタを抜いてシャッターを切る、引きフタを黒にし元に戻し、ホルダーをカメラから取り出して、裏側に返してまたカメラに仕込み直して、シャッターをチャージしてまた切る。
この一連の作業を光が刻々と消えていく中、冷静にミスなく露出判断して露出を決めて撮る、すべてのこときちんとミスなくやってノートにホルダーナンバーのデーター記入して撮影はそこで終り、さて上りは現像しないことにはなにがどう写ってるか分からない、現像するまで問題なくきちんと写ってるのか上りを見るまでずーっと心の片隅でハラハラし続けている、これはデジタルでは絶対に味わえないフィルム撮影の怖さと緊張感です。
正確にきちんと撮影すること、つまりネジがしっかり締まってるか、ピントは合っているか、露出ミスはないか、風でブレていないか、一連の行為は正確に怠ることなく、正確に出来ているか、その判断と一連の行動の重さとでも言えば良いのか、上手くは言えないけど久しぶりに8x10で味わった、現像しないと一体何が写っているのか、無事に写ってるのか分からない肢も言われぬ緊張感でした。
ロスの現像所で無事に上がりを確認した時は言葉にならない思いがこみ上げましたが、すべての仕事が終わってロスから機内でララランドを見た瞬間、(行く時、何回か見た)その瞬間、涙が出て止まらなかった、ここでは書かなかったけど、アリゾナの撮影環境があまりにも精神的に奈落の底に叩き落された心境だったから、無事8x10の上りがそう言う気にさせたと思います、とにかく意味もなく涙が出て止まらなかった、こんな思いは過去したことがっただろうか?
言えることは、デジタルで写真がさっと撮れる、写真を撮ることなんか、たかが写真を撮れる時代に、あの環境とあの条件で大げさな8x10を無事に問題なく扱ったことは意味不明の思い、それは誇りに近い感情があった気はします。

ロスアンジェルスで感じたこと 

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先日、アメリカのロケの帰りにロスに立ち寄った街の印象を書きます。
久しぶりのロスアンジェルスはちょっと不思議な街だったと感じました。
僕が感動したのはハリウッド市の住宅の街並みですが、どの家もダサい家がない、みんなが素晴らしい家作りなんです、 どうしてこんなことがあり得るのでしょう、世の中なんてセンスのいい人、よくない人がいます、住宅街なんてダサい家もあれば、カッコ良い家があっても不思議じゃないんですが、ここはどの家もみんな素晴らしいんですね、、、ちょっと日本では考えられないことです。
どうしてか、これを見ちゃうと日本の住宅は本当にダサいです、ちょっと首をかしげるくらいダサいです、でもここで見た家並みはみんな素晴らしいです、逆にどうしてこんなことが成り立つのかその訳が知りたく思いました。
ハリウッドは映画のセレブなイメージがありますが、みんなが映画スターとか映画関係の人だけが住む街ではありません、大半は普通の人が暮らす街です、確かに少しくらいここは平均所得は高いかも知れないけど、所得が高くたってダサい人はダサいです。
まあカンタンに言えばこれがそこに根付いた文化の違い、土地の価値観と認識の違い、としか言いようがないと思います、その土地の文化というものは目には見えないけどこういうところでカタチに現れるのかな?と思います。

ロスアンジェルスについて少し説明します、一般にロスアンジェルスと呼ばれているのはロスアンジェルスカウンティー(郡)です、その中にロスアンジェルス市もあるし、ハリウッド市もあるし、サンタモニカ市もある、その集合体がロスアンジェルスカウンティーです。なのでハリウッドとはハリウッド市ですがロスカウンティーの中の一つの市です。まあ東京で言えば世田谷区とか杉並区、または町田市、立川市みたいなものなのかな?

今から10年ちょっと前、西海岸まではフライト代が安く車で旅するには何かと楽で便利なところでハワイみたいに気軽に行けるところ、太平洋を飛行機でひょいと越えればそこは西海岸です、しかもフライト代がたった4万円程度で往復できるんですから決して贅沢ではありません、暇を見つけてちょこちょこ行っていました。
でもいきなり海外でクルマを運転するには壁があります、不慣れな右側通行のアメリカのクルマ社会を自由に走るにはそう楽ではありません、特にロスから郊外に出る時、高速道路の分岐点で行き先に悩みます、しかも着いた直後は時差ぼけがまだ残る状態、そこをいきなり環境の違うアメリカで運転するのは、ちょっとパニックになりますが、でもそこをなんとか突破すれば、アメリカの自動車旅行は楽しみがたくさんありますので時間とお金と好奇心さえあれば一度は挑戦する価値はあります。
まず、レンタカー代が日本に比べて非常に安い、車だって乗り慣れた日本車が多いですし保険はフルカバーで1週間借りて250〜300ドルで借りられます、その中でもアラモレンタカーは最も安かった、さらにjcbカード払いならまた安く借りられました。
借りる時は日本からインターネット予約の方が現地調達より安いことも明記しておきます。
さらに、アメリカは高速道路代が掛かりません、仮に行き先を間違えても、一度外に出て引き返してまた入り直せば問題はないし、日本みたいに高速道路内にドライブインとかの店がなく何かあれば一旦降りて用を済ませてまた入って再び走る。
またさらにガソリン代は日本よりずーっと安くモーテルが選び放題にあって、特に「6モーテル」は値段が安くでも設備もまあまあでオススメです。カップルで泊まっても確か5〜60ドルで泊まれたと思います。もちろん場所によって値段が違うのでその場その場で対処するしかないですが安いには変わりはないです。
ちなみに日本ではモーテルはラブホテルですがアメリカではそうではありません、家族連れでも問題はないので安心を、、、。
そんなアメリカドライブの旅は好条件揃いなので気がつけば走りすぎてしまい、毎日1000キロくらい楽に走ります。
例えばロスからラスベガスの沿線風景は西部劇の荒地風景、草木の生えない乾燥した風景が連続します、ラスベガス到着寸前、発電用のたくさんの風車群が見られます。でも西海岸から西に向かえば、大体はみんなどこも同じ乾いた土地の連続でそのうちに見飽きてうんざりするくらいです、そんな風景を見ながら3時間から4時間クルマで走ってラスベガスに到着します。
僕はそんな旅を渡米しては何度も走りました、気がつけばワインで有名なソノマ、ナパバレーからサンフランシスコ、モントレー、ロスアンジェルス、メキシコ国境のサンディエゴまで、カリフォルニアを縦に縦断するように走りました、ただアメリカの自動車旅行の欠点はクルマでただひたすら走るばかりで彼らと触れ合いがない寂しい旅で終わります、アジアの旅みたいに土地の人と触れ合ったり、話したりがないのが難点です。
とにかくひたすらクルマを運転するばかりで街で現地の人と話す機会がほとんどないのは驚きます、話すのはせいぜいレンタカーの店員か、ガソリンスタンドか、(これもセルフが多いから話さない)コンビニのレジの人かモーテルの受付くらいでアメリカに来ても英語を話す機会が意外にないのに驚きます、でもこのドライブの旅は1度はやってみる価値はあります。
さてそんなわけで、まず西海岸に行く時、最初にエントリーする街がロスアンジェルスです、僕にとってそこは何度も行くうちにうちに勝手知ったる街になり主要路なら地図がなくても走れる街になりました。
でも最近ヨーロッパに行くことが多くパリやロンドンに見慣れるとアメリカ西海岸は新しい街で、つまらなくなってもう西海岸に行く気はなくなってしまいました、ところが先日ロケで久しぶりにアリゾナに行った帰り、フィルム現像でロスアンジェルスに立ち寄りました、10年ぶりにロスの街を見て、ここはなんと美しい街なんだろうかと思いました。
僕はかつて若かったころロンドンのウインブルドンの住宅街に住み込みした経験があります、まだ何も知らなかった当時の僕にはそこはすごいハイソな街に感じました。
数年前、久しぶりにロンドンに立ち寄りかつて住んだウインブルドンの住宅街を見に行きました、正直言って若いころ感じていたウインブルドンの圧倒感は感じませんでした、むしろこんなものだったのか、、、、と感じたくらいでした。
今回久しぶりのロスのハリウッドの街並みには感動しました、ハッキリ言ってアリゾナのロケがあまりに精神的にも身体的にもしんどくてロスの住宅街の風景にはどうしてか心が癒されました。
もしあのままアリゾナからまっすぐ日本に帰っていたら、もうアメリカなんか二度と来たくない国になったかも知れません、じゃあロスの何がすごかったんでしょう?とにかく家並みが美しかった、街が美しかった、住宅街に塀がないのが驚きました、そうか、、アメリカの家は塀がないんだ、、、と、これにはあらためて驚きました。
でも彼らは住宅街を美しい街にしたいという気持ちがあると思いますが、日本人にはこの感覚が彼らに比べて乏しい気がします。これが文化の差なんですかね、、、?

アメリカで感じた英語学習の在り方、 

また英語学習について書きます。
イギリスに滞在経験があったので、英語でカンタンな雑事を済ませる、日常で使う言い回し、決まり文句は最低限は言えるようになり多少英語が話せるようになったと自負心を持っていました。
確かに自分の英語力が如何に陳腐であろうが、まあまあのことが英語で切り抜けられるようになったわけですから全く出来なかったことを思えば自分の英語力にどこか自惚れていました、でも自分の語学力の実態を知ればそれはただの無知でこんな英語力なんか本当に話せる人からすれば話にならないレベルであることを痛感します。
英語力というのは話せる幅が信じがたいくらい広く、なんとか話せるには話せても、僕らの会話力では踏み込んだ会話はできないし、彼らの話はほとんど聞き取れないし、また英文を読める人に比べたら単語数は少ないし、これじゃあダメだなと一念奮起して再び勉強し始めました。

これまで現地で覚えてきたから、日本でテキスト中心の英語勉強はどうも苦手で不慣れです、それは英語感覚が乏しく、料理に例えるなら研究室で料理を覚えるみたいな何かリアリティーがない。海外で英語を覚えるのは苦もなく吸い取り紙みたいに言い回しをどんどん覚えて行けたし勉強した感覚はなく気がついたら覚えていた、そんな感じで僕は英語を覚えました。
英語勉強を再び始めて1年以上は経ちました、毎日1時間くらいはやってたと思います、結構真面目にノートに書き取ったりしてるけど非常に効率が悪く学んだことの大半は脳が記憶してくれない、この1年の成果は一体何だったのか?と思うくらいこれまでの成果がまったく感じられない。
先日アメリカに数日いました、会話に使ったのは結局は過去に覚えたものばかりで新しく覚えた言い回しはなかなか口に出なく、まだ自分の物になっていません、勉強したことがなかなか上手く脳に貼り付いてくれないんです、何でこうなっちゃうのだろうか自分のアタマの弱さには情けなく思います。
でも現地にいても日本人に囲まれ日本語生活ばかりならほとんど話せないまま終わります、やはり自分から覚える意欲があって覚えるんだけど、その気さえあればやはりそこは英語環境だから心に深く英語が食い込んで来てスラスラ覚えます、でも机の上の学習はなかなか心に食い込んで来てはくれない、とでも言えばいいのかな?とにかく使える英語は信じがたいほど覚えません、、、、。
でも現地で1日中、英語に囲まれるのと日本で毎日1時間くらいでは、そもそも勉強量は比較にならなく単純に時間数の問題なのかな?と思います。

日本で今現在、学習してる内容ですが、日常会話ですっと入ってくる単語とそうではない解釈が難しい単語があります、それで後者の単語は記憶だけではなく概念も同時に叩き込まないと使いこなせられない単語を言います。
例えばeitherという単語がありますが、自由に使いこなせるまで結構大変です。
Sit on either side. どちら側にでも着席なさい。この場合eitherは両方という意味になります
Did you see either boy? どちらかの少年に会ったか。この場合のeitherは片方一人になります、ちょっと使いこなしがややこしく踏み込んで覚える気がないと使いこなせないと思います。
またもう一つ厄介な単語でevenがあります、英語に慣れている人にとってそう難解な単語ではないと言いますが、evenは使い方次第ではいろんな意味があるのでそれを自分のものにするまでにはそう楽ではありません。
Even now it's not too late. 今でも遅くはない。
この場合は今でも、、、という使い方ですが、
This novel is even better than his first. この小説は彼の処女作よりさらによい。
と使った場合、もっと良いを強調する使い方ですが、日本語発想から考えると同じ単語としては受け入れがたい気はします。
さらに、I went even though she didn't. 彼女は行かなかったが私は行った。
この場合は〜だけど彼女は行かなかった、組み合わせ次第で使い方が変わります、evenは他にも得点やポイントが同じ五分五分の意味にも使います、また他の単語を絡ませるとまたガラッと違う意味になり、日本語概念のままではどうして同じ単語でこんなに意味幅を持つのかちょっと疑問です。
ある域に来ると日本語をそのまま英語にして解釈するやり方はもう通用しません、アタマを英語脳に切り替え英語発想で解釈して覚えるしか対処できないです。
踏み込んだ英語学習は I go to the park,私は公園に行きます、この延長線ではなく英語感覚を身につけないと先に進めないです、でも現地にいれば無意識に英語感覚になるので英語はスルスル入ってきます。
やはり日本ではいくら頑張ったところで基本的にはアタマが日本語感覚で、英語脳にはなっていないので学習効果がないのかな?とアメリカに来てつくづく感じました。

ユーミン「雨の街を」そのみずみずしい世界観 

数年前、宮崎駿監督の作品「風立ちぬ」で使われたユーミンの「ひこうき雲」で久々にユーミンの初期アルバムが脚光をあびました、今から40年以上前に出されたこのアルバムが今も輝き続けられるこの普遍的なアルバムはまさにレジェンドだと思います。
このアルバムがいったいどれだけの人の心を動かし夢を与え影響を与えたかと思うとすごいことだと思うし、そんな作品を世に送り出せたことが、物を表現する世界に生きる者として本当に羨ましい限りです。
僕にとって彼女の初期の曲を思うと、アルバム、「ひこうき雲」の「雨の街を」「ミスリム」の「海を見ていた午後」これらは僕にとって初期のユーミンの才能と世界観は圧倒的に突き抜けていたとしか言いようがない作品です。
日本のミュージック界を引っ張って来た人2人をあげれば、やはりユーミンと桑田佳祐さんじゃないかと思います、僕は音楽のことはよくわからないけど、ご両方を見ると桑田さんはあくまで音楽の世界観が根底にあって桑田さんの音楽はあると思うけど、ユーミンの場合はちょっとそうではない気がします。
ユーミンは根底には彼女のおとぎ話のような世界とその情景があって曲がある、彼女の世界は音楽というより情景がまず先で、その情景を表現するために音楽がある気がどこかします、言うならば彼女すなわち音楽の人ではない気がします、でも桑田さんは音楽がすべてで、音楽があって情景がある、そんな気がしますが、そんなこと、そのままご本人たちに言ったら、どう思われるか分からない、、、、ひょっとしたら本人には良い気がしないかも知れないし、、。
さて、久しぶりにユーミンの「雨の街を」聞きました、この曲のピアノのイントロから広がる世界感はなんとも言えません、詩の内容をまじまじ読むとそんなに奥深い中身が描かれているわけでもないんですが、曲から伝わってくる世界観とその波長は言葉にならない圧倒的な思いにやられてしまいます、あのころの彼女はまさに魔法使いです。
あの曲を書いたころ、多分ユーミンはまだ多摩美の大学生だったと思いますが、彼女の十代の瑞々しい感性が存分に表現されています、歌声をよく耳を澄まして聞くとまだあどけない自信がなかった感情が伝わってきます、またそれがよけいに研ぎ澄まされた感性をみずみずしく感じさせます、それは初期にしか聞けなかったユーミンを感じますが、でもこのピアノのイントロはご主人の松任谷正隆氏によるものではないかと思います。
そう思うと夫婦でユーミンブランドを作り上げたことを感じます、それからユーミンは無数のアルバムを出し80年台半ばには初期の初々しさはもう失ってしまい、それらの歌声から自信に溢れた声が聞こえてきます、まあそれも人生です、いつまでも少女のままでは困りますから。
僕はこの曲を一体何度聞いただろうかと思います?時々この曲を聴いて自分の作品を振り返ると才能について、世界観について考えさせられます、何度聞いても彼女の圧倒的な世界観を感じさせられ、この人の世界観には僕は足元にも及ばないな〜、やはりユーミンは何十年に一人出るか出ないかの稀な才能を持った方だと思います。

気持ちがとても唆られる風景 

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また台湾の話に戻ります、台湾映画で台湾の古い風景を見て刺激され台湾を撮ってみようとそのまま台湾で写真を撮り始めましたが、今日はそこで感じたり発見した話をします。
前にも書きましたが、写真作品でいいものが撮れる、撮れない、この分かれ道は、いくら理屈を並べたところで最後の最後は集中力と撮りたい気持ち、これが本当の気持ちか、どうかに尽きます。もし本当に撮りたいわけではないけどシャッターを切ったならそれは写真に写ります。
だから、もしそれがないならいかにして自分をその気にさせられるかです、上達の秘訣はその何かを見つけられるかどうかです、これがなくて写真を上達させることは無理です、仮に上達したところで表面的です、すごく撮ってみたいテーマ、素材、これに出会って、集中力が湧き上ります、その動機は研究させるし考えさせます、納得しなければ探しているものに出会うまで探すし、その気持ち、本当に自分が何かを感じて撮ったものか、そうでないかは写真に必ず写ります。ゴマカシは効きません。
僕が台湾の風景に惹かれたのは、多分、日本の風景に失ったものが台湾にまだ感じたからでしょう、それ以前、僕はインド、中国、タイ、インドネシア、アジアを旅しましたが、台湾の風景にはどこか日本のメンタリティーに通じる哀愁を感じたからだと思います。
ここに挙げた風景写真はどこか日本人のメンタリティーが秘められています、僕が撮ったからそう写ったのかも知れませんが、インドでこれを撮るのはちょっと難しいです、中国でもインドネシアでもこんな風景は多分撮れないと思います。
これは個人的な主観かもしれませんが、80年代以降日本の風景はそれ以前にくらべて街の風景が何から何まで変わった気がします、家のドアー、窓、外壁、屋根、家を囲むフェンス、すべて既製品パーツの家に変わり、街にはペンキ塗りされた看板や塀がなくなって、どこにでもあるブロック塀かアルミのフェンスになりました、どこに行ってもこの風景なら変わりばえはしなく知らない街を歩いても見馴れた風景でしかなく散策する面白みなんかありません。
特に関東はこの傾向が顕著です、街に特徴がなくどの街に行っても駅前の街は見なれた看板の店ばかりで大して変わり映えのしない街の風景、何から何までが既製品で出来た、判で押したような街になりました。
街に職人が作ったものがない、人が物を作らなくなった街、人がものを作れなくなった街、ほとんどが工場で量産されたものばかりで街は出来上がっています、これは単に目に映る風景が変わったでは片付けられない息苦しい気がしていました。世の中の流れが自分たちに生産性の高い効率的な生き方をしなさいと強要させられているような圧迫感が僕には感じますが、ほとんどの人はそれに気にしないで受け入れてきました、でもそれはどこか失った風景を感じ、そんな違和感を感じていました。
でも現実、台湾でも日本と変わらず僕が探す風景は探しても探してもなかなか思うように見つからなかった。
ある時、九份の宿の主人に僕が探している風景の話をしたら、主人はその風景は平渓線という鉄道沿線を探しなさい、きっと見つかるよと言われ、侯孝賢監督の「恋恋風塵」で撮られたロケ地を偶然に見つけました。
僕が台湾で探した風景、言葉ではなんと表現すればいいのかな、、、そこに遠い思いを想起させるような空間があります、日本ではこんな風景はもう探してもない、少なくとも関東では滅多に探せない。
なんと言えばいいのか、、、、連日ファミレスばかりで飽き飽きした時、たこ焼きやお好み焼きや屋台の食べ物に出会ったような、当時の僕には台湾のしみのある風景は何としても撮りたい風景でした、そこまで気持ちが唆られたことはほとんどなかった。