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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

旅の予算 

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ここ最近、旅の話が続きますが、今日は旅予算の話をします。
気軽に旅に出られる、長い旅が可能な理由は所持金がたくさんあるではなくお金を使わないからできるんです。
貧乏旅行って言葉が僕が若いころ流行りました、どうも貧乏旅行って言葉とその考え方は好きになれない、僕にとってみれば、旅にそんな不必要にお金なんかかけることはないって考えです。
僕にとって海外の旅は特別のことじゃない、勤め人じゃないから拘束はなく毎日が自由です、1ヶ月の時間を作ることはそんなにむずかしいことじゃない、逆にそれが自由にしたいからカメラマンを選んだわけですし、、、
でも自由時間が取れない人は、なかなか思うように行けない一回の短い海外旅行に、あれこれしたい、食べたいものにお金に糸目をつけず思う存分、食べ歩く旅は出費が僕らとは比較にならないくらいかかると思う、僕とは根本的に旅のスタイルが違うわけです。
僕があっちに行ってとにかくしたい目的は、何から何まで違う環境で、日本とは違う街の風景を散歩もしたいし、街をアテもなく散歩していれば日本にはないものが発見できます、例えば西洋社会に行く度に感じるのは、看板文字(レタリング)の観察が楽しい、ドアーに使われているステンドグラスを見るのが楽しい、日本とは感覚が違うわけです。
こんなのわざわざ観光地じゃなくたって普通の街にあることです、とにかく日本の日常で見られないこと、できないことをしたいし日本の生活とは違う気分を味わうのが目的なんです、たまには良いけど高級レストランに入って何か珍しいものが食べたいわけでもないし、リッチな宿に泊まりたいわけでもない。
それに珍しいものはスーパーに行けば結構見つけられます、そのためにも宿はキッチン設備のある宿を選びます。それをヨーロッパではホステルと言い、キッチン付きホステルは数多く充実しています。
一通りの調理器具、食器類、冷蔵庫、食品棚の設備が揃っていて、買い込んだ食品袋にルームナンバー、名前、出発予定日を書き込んでおきます。スーパーに行って珍しい食材を物色します、レンジでさっと温めて食べられるものもたくさんあるし、オーブン調理する食材もあります、チーズ、ハム類、何だって日本にはないものが豊富に売っているから、キッチンを使わない手はないし、そんな経済的な旅は家族旅行でもあっちでは普通にやっています。
ヨーロッパは日本と違って外食がとても高い、日本の吉野家みたいなファーストフード店はあまりない、コンビニも日本みたいにたくさんない、レストランでちょっと食べたらすぐ2〜3千円かかる、それを毎日食べるわけにはいかない、そもそもそれを食べたい気もない、それはお金を節約してるんではなく調理する方がカンタンに済ませられるし野菜類も多く取れるし、長旅はその方が絶対に楽です。
バブでもビールグラス一杯は800円するからスーパーで買って飲んでいる方が遥かに安く済むし、言うなれば日本での生活があっちに移動しただけのことで、これはそもそも旅と言えるかどうかです、ただ部屋に関してはシングル部屋も取れるがあっちではドミトリーが多く、田舎なら問題はないが都会のドミトリーは落ち着かない、でも昔から長旅はドミトリー生活をずーっとやって来たことで、なれている。
特にタクシーも乗らないで都市交通に乗る、入場料の高いところなんかそんなに行かない、いろんな場所にあっちこっち移動もしないし、言うなればお金の使うことがそんなにない、今回の旅でも結果的に1日に使った平均費用は交通費、宿代もも含めて1日7〜8千円くらいじゃないかな?それに往復のフライト代はかかる、でも3週間くらい旅してトータル30万円は切っています。
意外にかかったのはドローン2台の海外保険代、WIFIルーターとSIMカードには予想外にお金がかかった。これについて少し説明すると、ネットで調べると海外WIFIルーターは空港で借りて空港で返すレンタルが一般です、これはわずか1週間くらいならまだしも3週間になるとレンタルは安くはない、買った方がまだ安いかトントン。
要するに僕にとってこの手の旅は短期間の海外生活のようなものだから、現地で必要な物事はできるだけ現地調達したいし、それを覚えたい考えです、WIFIは今後のためにも自分でやった方が勉強になる、日本で探して買った、ところが現地でいざ試すと繋がらない、お店に行って現地SIMカードを買いに行ったが、設定に問題があるのか店員に助けてもらったがやはり繋がらない、店の人に聞いてルーターも買うからこのスマートフォンを繋げて欲しいって頼んで繋げてもらった。
現地でルーターSIMを買っても日本で借りるより遥かに安いが、でも日本から買ったものが無駄になったり、現地で買った物も現地しか使えなく、意外にこれらの費用が嵩むとバカにはできないが仕方がない。
それにしてもトータルの旅費なんかたかが知れている、つまり考え方としては旅は特別のことではなく、思い立ったらフラリと気軽に低予算で半月くらい旅ができることが、僕にとって理想な旅です。

洗濯物を他人に見せない感覚 

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ヨーロッパを旅するたびに毎回感心するのは、洗濯物とか布団、これらを外部から丸見えの場所に彼らは絶対に干さない。これはアメリカでも同じことを感じたんですが、洗濯物を人目につく場所に堂々と干している光景をこれまでに見たことがない、これはあちらの習慣なのか、外部から見えるところに干すのは恥ずかしいことと言う感覚があるのか、それらは絶対に干さない、確か前に聞いた話ではロンドンでは法律で禁じられているようなことを聞いた記憶がある。

都会ならたしかによろしくないけど、こんな島ですら洗濯物を干す光景を見ないのは、もうそう言う文化習慣としか言いようがない。それに対して日本は、晴れた団地なんか一目瞭然なんだけど、各ベランダには布団とか洗濯物はお構いないしに堂々と干されている、これが日本の当たり前の団地の風景。それをどう感じるかは各自の風致概念、その価値観によるモノだけど、、、、洗濯物くらい干したって良いじゃないかと言う考え、それはみっともないからダメだと言う考えもある、西洋文化ではそれはみっともないと感じるのが一般なんだなって思う。

ついでにもう一つ思うのが、中国人は結構人前で堂々と何だってやっちゃう傾向があるが、はっきり言ってあまり公然での行いに羞恥心を持たない中国人が、、、日本の銭湯文化を不思議がるらしい、人前でパンツを脱いでお風呂に入る習慣が受け入れられないらしい。
台湾にも温泉はたくさんあるけど温泉は水着着用になっている、(台湾人と中国人を一緒にできないけど)台北の北部にある新北投温泉の瀧之湯は日本人が開いた昔の銭湯式の温泉だから、日本の風習が残っていて昔のままパンツなしだけど、他は見た記憶がない。
洗濯物が家の前に干された光景は昭和のサザエさん時代の風景なら日本らしくてのどかで良いと言う言い方もあるが、これが今風のスタイルの家とか団地のベランダに布団がズラっと干された光景はあまりスマートとは言えない、どこか所帯くさすぎる気もする。
そうかと言えば、この島のようにかなり危険な崖周辺に何らかの規制、一切の柵を設けないが日本なら絶対に考えられない、国によってそこら辺の価値観はズレる。

旅と英語 

日本の日常生活から離れたら生活のシガラミから解放され気分がホッとするのはたしかです、このシガラミとは人間関係だけではなく自分自身の生活のシガラミだってあると思う、それが日常の生活環境を離れることで、一旦解放されれば見えてくる世界があります。
僕は海外に来たと感じるのは、目の前の風景も建物も街ゆく人も海外です、その時、ああ来たな、、、って思います、そこで話される言葉も当然異国言葉なわけです、正直、人が何を言ってるか分からないことが多いです、分かることもあれば、分かことの方が多いです、ただ旅で必要なやり取りなら困らない程度の会話力はあります。
会話とは、不思議なもので面と向かって話せば、ある程度突っ込んだ話が出来たとしても、誰かの話を横から聞くと途端に分からなくなります、その理解はえらく差が出ます、電話で要件を話す、テレビの話を理解する、これは本当にむずかしい。会話力と言うのは本当に奥が深く、最低限の会話がなんとかできることと、込み入った会話も出来るではそこにレベルにすごい幅があります。
今回アイルランドに来た理由の一つは自分の英語力をレベルアップさせたかった、これは日本でいくら机で勉強しても英語を日常で話す機会がなければなかなか上達しない、日本人の多くが誤解している、英語国に来たら英語は上手くなると思う人が多いがそれは間違いだ、まったく話せないなら最低限は話せるようになりますが、そこから先、進歩するか、進歩しないかはその人の問題意識次第です、覚えようとしなければ適当なところですぐに止まります。

アメリカに5~7年以上住んだ人でも、パッと見はすごく話せそうに見えますが、実はたいして話せない人をたくさん見ました、今回の旅で出会った日本人女性でワーキングホリデーで現地のカフェで1年働いた、カナダでもワーキングホリデーをした人が言うには、ある程度話せると同じフレーズを繰り返すだけで,その先に行こうとしなく上達はしないと話してくれたが、僕はそれはすごく分かる。
英語は自分から新しいフレーズを吸収しようという意欲で、自分に常に教え込んで行かないとその先にはなかなか行けない、今回、僕も旅でいやってほど痛感したのは正にそこです、バス電車の行き先、時刻を聞く、チケットを買う、宿での会話、街での買い物、大体交わされる会話はほぼ決まっていて、それをいくら繰り返したところで会話力の進化にはならない。
初歩学習はシンプルで勉強がとても楽です、I am a boy、これにむずかしい解釈はない、でも中級以降になると、同じ単語にもいろんな意味があってその使い方は簡単じゃない、その状況、前後関係から判断するしかなくなる、また英語を日本語訳の考え方は通用しなくなる、中級以上は英語をより深く理解しなくてはならなくなることが増え始める。
それには会話を重ねて、手応えを掴んだりして、英語的感覚を養いながら覚えるしかない、早い話が日本語をそのまま英訳すれば済む考えは限界がある、だから一つのフレーズニュアンスを使いこなせるまでに根気がいることが増え始める、だから中級以降の英語学習は初級とは明らかに変わる。
それを楽しいと感じるか、面倒と感じるかは、その人の英語に対する感性次第、僕も以前は話が通じれば良いくらいしか考えていなかったけど、今はそうじゃない、もっとしっかりした英語力を身につけたいと思い始めてから、とにかく勉強を始めた、でも日本ではなかなか思うようには進まない、今回の旅は英会話を楽しみに行く旅だったけどこれはとても楽しい旅だった。
帰国してから勉強法が変わった、役に立つ勉強法と役に立たない勉強法があるのもだいたい分かってきた、僕の場合、あれこれたくさんの単語を曖昧に覚えようとするのはもうヤメた、最近はこれを覚えようと狙いを定めるようにしている、狙いをつけたフレーズは(言い回し)確実に覚えるまでしっかり繰り返す、曖昧な勉強ではいくら勉強しても現地でさっと出てこないことに気がついた、結局今まで知ってる使い古した言い回ししか咄嗟の場合は出てこない、これが現実なのがわかった。
そんなわけで、外に出ると普段とは使う思考にアタマが変わって、気分がリフレッシュされて楽しい。
早い話、違う環境に行くことが好きなタチなんだろうと思う。

日本を出て見えるもの 

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前回の続きです。
日本を出て見えてくるものがたくさんあります、何かに行き詰まって先が見えなくなる事はよくある事です、そんな時は僕は環境から出て日本を一ヶ月くらいは離れます、旅に出て日々の暮らし感覚を忘れるくらい旅に浸ります、その時、見えるものがあります、帰国した時はさらに怒涛のように何かが押し寄せるように見えて来ます。時々それがものすごくキツいことすらあってしんどくなったりもします。
僕は助手生活を終えて、その先が見えなくなって旅に出た話を前回書きました、そこで気がついたのは、自分が日本での考えていたことに、ものすごいバカバカしさを感じました、そこで感じたことを一つ話します。
日本では大量の広告が毎日作られていますがメッセージなんて実は何もない、広告とかマスコミとか雑誌とかテレビではいろんな情報が大量に毎日発信していますが、実はどうでもいい情報ばかり、知ってタメになるより知らない方がマシな情報がとにかく多く、無意味な情報は日々大量生産されこっちにやってくる、受ける側もその無意味さに麻痺している、それが実態じゃないかと思いました。
みんな忙しく働いているけど、実はたいして意味があるとは言えないような事に消耗し日々を送っている、テレビをつければつまらないバラエティー番組ばかり、タレントが大食いをして番組盛り上げる、フェイスブックもほとんどはつまらないネタにいいねがいっぱい付く、またそこにつまらない書き込みがいっぱい並ぶ、SNSの書き込みのほとんどはアホになりそうな事ばかりで賑わっている、でも外にはもっとすごく面白いこと、もっと知っておくべき事はたくさんあります。
話は変わり、旅でそれまでの考えから写真を撮る事に対して注意すべきことを感じました、大きく分けると2つの考え方があると思います、これは被写体選びの基本的な心構えとしてあった方が写真の考え方が整理されると思います。
一つはモチーフ自体には特に強いメッセージ性はない、モチーフを撮り手が撮り方、表現法、スキルを駆使するなどして何らかのメッセージを表現する表現法。でもこれはスキルがなければモチーフに力がないから、結果的につまらない写真になりがち、または広告のプロカメラマンによく見るパターンで、見せ方に偏った写真が多く中身にモノ足らなさを感じさせるものがあまりにも多い。
もう一つの視点はモチーフ自体にはこれといった強いメッセージ、存在感があって、まずそこから撮り手は写真表現をする、もちろん、モチーフが強くて先に挙げたようにスキルを駆使して撮ればさらに存在感はアップするだろうし、逆に存在感に依存しすぎて撮り手の力不足になることもある、要はモチーフ自体に力があるか、ないか、それを自覚した上で、そこからどう表現して行くか、これだけで語れる話ではないんですがこれを念頭において考えを広げて行くことができます。
それで、日本で写真を撮る場合、大半がモチーフに存在感や実態がないものが多くスキルがなければどうしても、ある方向に偏ってしまう傾向があって、そこからどう考えて撮って行くかが自覚されておらず空白のままではよろしくないと僕はアジアの長い旅で感じた。
日本は物が豊富でなんでも揃っているけど、ある偏ったモノは吐いて捨てるほどある、でも肝心な物事は案外、何もない、この日本の偏ったモノや価値観の環境に長く浸たる生活を続けると、環境に考えは洗脳され、感覚は麻痺し考えが幼稚化し肝心な基準が次第に分からなくなって、物事を自分のアタマで物事を考えたり判断ができない大人が多くなる傾向がある。
これは何も日本だけの話ではなく、先進国ならそれぞれ社会にある偏りです、そこに、歪みがあって、その社会によって生じる歪んだ目線でしかものは考えられなくなる気がします、可能なら定期的に違う環境で違う価値観や気分を味わう事は思考がリフレッシュされます、特にマスコミに携わる人はそれを定期的にすべき気はしますが。

今回、旅をしたアイルランドはこれといった理由はなかった、ただかつてイギリス全土を旅したんでアイルランドも見たかった、英語国で英語漬け生活がしたかった、どうせ行くならゴチャゴチャした観光地じゃない、静かでヒマな島を選んだんですが、さらに絶壁があると知って、ドローン撮影に興味を持っただけの話です。
来て驚いたのは、こんな絶壁は日本にはない、やっぱり絶壁とは圧倒的な存在でそれ自体に驚きますけど、そこには一切の柵がない、そこに価値観の違いに驚きます。
先に行こうが、そこで何をしようが各自の自由、自己責任、そこが危ないけど、近寄るか、行って転落するか、各自で考えて自己責任でやってくれ、管理も、規制も、柵も、標識も、注意書きも、立ち入り禁止表示も、一切ない、日本なら厳重に管理されるが一切ない、ドローンで海側から先端の実態を撮影したが、先端は突き出しているがすぐ真下はえぐれた箇所が多く何もない危険な先端が想像以上に多かった。
先端に立てば、そこがいつ崩落するかは分からない、少なくとも先端から2〜3mは近寄らない方が身のためと僕は思うが、ツーリストたちはみんな例外なく先端から真下を見たり、そこで記念撮影をしていた、そこでは各自の自己責任がすべて、さらに台地はそれぞれ持ち主がいるが、勝手にあちこち歩き回っても特に問題はないとツーリストインフォメーションから聞いていた。
こんな感覚は日本なら絶対にあり得ない、通用はしない、間違いなく管理される、問題が起きれば必ず誰かが責任追及したがる、この国はそういう責任追及をしたがる国だ、よってどこかにつまらない展望台を設置し柵を張り巡らし厳重に管理したがる、その他は一切、近づけられないように立ち入り禁止にする、ここはそうではない、私有地だろうが崖に沿って延々に何キロも歩いても構わない。
この通り国によって物事の常識なんて様々です、たまには常識の違う環境に身を置くと普段の自分らはいかにつまらないことに管理され縛られているかに気がつく、僕は時々日本を出たくなるのはこの管理したがる日本の風潮にストレスを感じる。カメラマンならば、時々外に出て、びっくりしたり、感動したり、圧倒的なものに出会ったり、怖い思いをしたり、そういう時を持たないで部屋にばかり閉じこもっていたら感覚的によろしくないと思います。

旅を通して日常生活を振り返る 

昨日は旅について書いたので、今日はもっと突っ込んで掘り下げて書こうと思います。
僕はこの通り旅に出ることがすごく好きです、でも実は旅は好きですが、それ以上の本根は日常生活から出たくなる、これが本当の理由じゃないかと思います。だから日本国内ではダメなんです、日常からバッサリ切り離した環境に行くことが目的なんです。
昔、広告カメラマンを目指して上京し、スタジオアシスタントから始めて毎日入れ替わりやって来るいろんなカメラマンの撮影やライティング、現場の仕事を見て、撮影について学び、一通りの撮影手順を覚えたら次に大御所カメラマンの助手に就いた、撮影を通して師匠の写真の考え方、生き方などを学び、そこを卒業した時点でいよいよ自分で作品を撮り始めた時に僕は大きな壁にぶつかった。と言うよりそこに大きな壁が存在していた事実を撮り始めて初めて気がついた。
スタジオで作品を何度か自分なりに撮ってみたけど、撮っても撮っても、少しもピンと来ない、撮った手応えがない、そういう気持ちをなんと説明すれば良いのか?とにかくピント外れで、御門違いなことをやってるような、自分の写真を撮ってる実感がない、決められたことを必死になってなぞっているだけで自分でありながら自分じゃない感触と言えば良いのか?やっていて少しも楽しくない。
もちろん広告写真とは好きな写真を撮ってお金になるモノじゃない、広告主の要求に応える写真を撮ってお金がもらえることだからアマチュア時代のように自由に写真が撮れるモノじゃないくらいは分かって入るけど何をすれば良いのか、作品として何を撮るべきなのかそれがよく分からなかった。いくら何をしても所詮、誰かのモノマネでしかなく、やっていてもただ虚しくなるばかりだった。
それと、もう一つ大きな壁を感じたのは、この手の写真は「何もないところで、何かを設定して、キレイにカッコよく撮ること」です、でも日常身の回りを見回したところで、これと言った撮ってみたいものなんてほんとんどなかった、せいぜい考えられたのは女の子をキレイにカッコよく撮ることくらい、それくらいしか現状では考えらなかった。
つまり何だって良いから、まず決められた枠の中でカッコイイ写真が撮れること、それが広告として上手く成立すれば合格なワケです、手取り早いモチーフは女の子を上手く撮ることだけど周りにモデルになってくれる子はいない、ヘアーメイクをしてくれる人もいないし、そこで僕はどうすれば良いのか困った、これは僕だけでけの問題ではなくみんなそれぞれ同じような壁で行き詰まる、そこで考えて自分なりに壁を上手く越えられるか、越えられずに終わるかがカメラマンになれるか、なれないか、分かれ道じゃないかと思う。
さて自分はどうすべきか考えた末の結論は、アシスタント時代は広告業界に必死になってついて行こうとした、でももうこれからの行き先はその考えは終わりにして、これからは自分のアタマで考えて生きていかなきゃならない、このままの思考感覚じゃダメだ、もっと自分に向き合わなくては何も始まらない、でも今と同じ環境の延長線上にいたところで何も変わらないだろう、じゃあ、思い切って旅に出るしかないって思った。
この時の気持ちをどう説明すれば上手く話がつくだろうか?つまり自分はすでにその当時の環境にしっかり洗脳されていて、自分で物事を等身大に自由に見ることはもやはできないと判断し、その時の自分の思考力と環境にさっさと見切りを付けた、当時結婚したばかりだったけど、家内も同じように閉塞感を感じこのまま同じ生活を続けたところでどこにも行けないと判断し二人で思い切って、アパートは数ヶ月分の家賃を支払って荷物をまとめて僕らは長い旅に出た。
でもそこで注意しなくてはならないのは、旅に出たからどうにかなる甘いモノでもない、それは旅に出てまず最初に感じた事だった、ただ旅に出て浮かれて観光地を見て周るだけの旅なら多分何も収穫はないまま旅は終わるだろう、旅に出たならそこで自分は何を考えなくてはならないかを真剣に考えなければ、多分何も見つけられずに終わってしまうだろう、それを考えることから始まった。
まず始めたのは日本の写真業界で染み込んだ考え方、日常の常識の考え、日本の環境ですっかり自分に染み込んだ思考価値観を旅をきっかけに、旅で出会った人と話し合ったり、考え直したり、自分で自分について向き合うこと、時間はたっぷりある環境だった、自分に影響を与えるものは一切ない、すべては自由だった、日常とは違う環境でそんな時間を過ごすことって多分みんなが思ってる以上に必要なことだと僕は思う。これをやるかやらないかではその後の人生に違いが出るとさえ僕は思っている。
旅で新たな考えのきっかけを掴んだ事は確かだけど、僕の場合は1回目の旅で、物事がすべてが上手く行ったわけではなかった。それにただ考えて終わるだけなら、それはただの絵に描いたボタ餅のまま、そこから自分は実際に何をするのか、その模索が旅をきっかけに始まった。まあ今にして思うのはあの時があったから今がある、あのころいろいろ考えた事が今の思考の基礎になっている、若いころに崖っぷちに立たされて必死になって考える時期は必要じゃないかと思う。今思えば贅沢な時間だったなと思う。