FC2ブログ

アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

その意味が今頃になってやっとわかり始めた。 

僕がまだ駆け出しだったころ、フォトジャポンと言う人気写真雑誌があった、ある大御所のコピーライターがその雑誌に書いたコラムが今もずーっと心に残っている、文の内容は確かじゃないけどだいたいこんな感じだったかな。
「写真は、写真家自身の生き方、価値観がそのまま写るものだ、写真家が今までどんなものを見て来たのか、どんなものを食って来たのか、どんなヤツらと付き合って来たのか、どんな旅をして来たのか、これらは写真家として重要なことだけどその重要さがまるで分かっていない、カタチだけで写真は撮れると真剣に思い込んでいる広告写真家が日本にはやたらに多い」とボヤいていた。
僕はそれを読んで、これは忘れてはいけない話だと心に刻んだ、それから僕は広告写真家になって30年近く経った、気がつけば無意識にその言葉を意識した写真家人生を生きて来たのかも知れない、でも果たして本当に重要な言葉だろうか、、、、、?
理想を言えば、今も変わらず大事な言葉だと思う、でも現実は必ずしもそうではない。それは広告界を見れば、そんな考えなんか大して役には立たない、そんなのあってもなくてもどうでも良い仕事が大半だから。
むしろそう言う考えに下手にカブれると返ってタチが悪くなる、少なくともそれを売りに仕事を取れないし、第一そんな考えは「これは大事な考えだから」って身に付くものじゃない、そう考えるヤツは誰がなんと言おうが勝手に考えるだろうし、考えないヤツは何を言っても考えないだろうし、それに今の日本全体の空気からすればそんな考えはあまり現実的じゃない風潮が今の世の中にはある。

僕が広告界に憧れていた時代、日本の経済、日本の消費、日本の文化は勢いがあった、ちょうど今の中国みたいに、出すもの出すものは次々に売れた、原宿ではみんながデザイナーズブランドと呼ばれたステキな服をみんなが着て歩いていたし、世の中は今よりはるかに活気があった気がする。
当時、西武デパート、パルコの広告はカッコ良かったしモノは売れていた、ダサそうな丸井ですらオシャレな服を売る店だった、また広告表現も元気があって、制作予算もふんだんにあったと聞く、広告のステータスは今よりもっとオシャレで立派で、時には高貴だった、贅沢な手の込んだ広告がたくさんあった、世の中で輝いていたのか、広告にパワーがあってカッコ良かったし、品も知性も今より遥かにあったと思う。
これは僕の個人的な考えか知れないが、メジャー広告とマイナー広告の間には絶対的な差があった、広告の写真家を目指すなら、、、自分の実力がなんであろうが挑戦するしかなかった、もしダメだったら他の仕事を探して出直すしかなくても、やっぱり無難な安全な道は選ぶ気にはなれず、目指すはメジャー広告写真家しか考えられなかった。
そして、、、僕は苦難の時期を経てなんとか写真家になった、あのころを思うと時代が変わり世の中も変わった、あの当時より日本経済は間違いなく元気を失なった、そして広告界も夢を失った、巷に溢れていたパワーのある広告は鳴りを潜めた、テレビCMはまだ健在だとしても現実的なものばかりになった、夢に溢れた紙媒体のグラフィック広告は世の中から消え、Web広告が主流になった。そもそも広告の目的とは夢を売るものではなくモノを売るためなんだから、あの時代が特殊だったんだと言えばそれまでだ。
それで話は冒頭に戻る、、、広告だろうが写真家は生き方の価値観、思想性、それは本当に必要か?これは答えがなかなか出ない難しい問題だな、、、、、、話し出したらキリのない話にまで行きそうだ。
要するに広告写真家はそんな意味のない価値観、思想性よりもっと現実的な物だ、先端技術を駆使して、あらゆるニーズを的確に効率よくテキパキとこなし、現場をスムーズに仕事をすることが最大の役割だ、それがあってコミニュケーションが成立すると考えるか、いやいや広告写真家はやはり文化人としての知性と品格と思想性は必須なんだと考えるか、そもそも広告のあり方なんて一つじゃなく人の数だけ答えはある、と考えるのが結局は妥当だろう。

それで僕はそれについてどう思うか、、、、。
正直言って僕も一般消費者向け広告を多くやっていたころはそんなことはもうアタマからきれいに消えていた、そんなことより仕事を無事に卒なくこなすことに必死だった。
しかし今は、僕も歳を取った、もうそう言う一般消費者向け(B to C )広告仕事は出なくなった、代わりにもっと特殊な企業広告(B to B )社会に対しなんらかのメッセージを含んだ社会派広告が今の仕事の中心に変わり、当然仕事の向き合い方、考え方、撮影の仕方は昔にくらべて変わった、若いころと同じ考え方は必然的に変わらざるを得なくなった。
作品作りだってそう、長い時間と手間ひまをかけて自分の心をあぶり出すように作品を作りたくなる、果たしてこんなに時間をかける必要なんて本当にあるのか、と自分ですら時々思う、でもそれくらい確かなものを作りたいと思うようになる、またそう言う考えになればなったで、若い子たちにない目線を持った者として仕事の需要は出る。
今、あるミュージシャンを撮る仕事があるが、その仕事の要求がカンタンではない、どう撮ろうか、その向き合い方の答えは、カンタンに出そうと思えばさっと答えを出して、さっと片付くだろう、それじゃあつまらないし、それではわざわざ僕に期待して仕事を出した意味がない。
僕だって、そんなカンタンに片付けるならやる意味がない、多分相手は僕に名回答を要求してるんではない、それだけは分かる、問題は答えの内容じゃない、僕なら何をするのか、そこを期待しているんだと思う、取り方次第では厄介な仕事とも言えるし、やりがいのある仕事とも言える。
今頃になってやっと少しは冒頭の意味が身を以て分かり始めた、写真家とは物事をどう言う目で見るか、それをどう捉え、どう撮るのか、今まで生きて来た人生の背景がそのまま写真に出る、旅をして来たこと、いろんな人に会って、いろんな職種を経て来た、人にはない経験をたくさんして来た、家具職人だった経験だってもちろん生きている、これらは本で読んだ話ではなく、僕が身を以って経験して来たことばかり、その意味をやっと感じられる時期になったのかなって最近思いはじめた。

JY PARKさんとnizi U 

韓国のポップスターにJYパークさんという方がいます、その前に前提としては僕はKーPOPについて何も知らない、ただ家族がHuluのある番組(KーPOPのオーディション番組)を食いついて見てた、おもしろそうだったから僕もつられて見るうちに僕までハマった番組があった。
内容はJYパークさんがプロデュースした日本人女子で構成するスーパーガールチームを育成する企画、10000人から12〜3人くらいまで厳選し、選ばれた女子たちは韓国合宿で共同生活をしながら特訓する、そこで最終選考で9人にまで絞られる、日本ではソニーミュージックが絡んでいるようです。
まず前提はここまでとして、、、、、オーディションから最終メンバーに選ばれそこから成長して行く過程もすごく面白いが、僕の感じた見どころは、パークさんについて外せないと思う、彼の人間性、懐の深さ、彼女たちを見る目、彼女たちの評価、良いところはすごく褒める、良くなければ厳しく指摘する、その指摘は公平で絶妙、根底に鋭い洞察力と愛情を感じる。
毎回、番組を通しての見どころは、、、彼女たちの高い表現力、歌唱力、ダンスのスキル、パフォーマンスは回を重ねるごとにどんどん成長して行く、そのモチベーションの高さ、なんとしても夢を叶えたい、その意志の強さにただただ驚く、その姿に圧倒させられる。今の日本の大人たちからこんな生き様なんか見たことがない。
若いからできる、歳を取ったからできない、そうは思わない、もう歳なんてどうだって良い、僕は今時の十代の女の子に、、、こんな優れた才能と高いモチベーション、直向きさ、があるのを知らなかった、まったく認識不足もはなはだしいと思った、また今風のあっけらかんとした純粋さと素直さも相まって、本当にこの子たちは魅力的な子たちだなって思った。これじゃあ、AKB、乃木坂、なんてただの可愛いだけの素人集団に見えてしまう。

でも、本当は、、、何がすごいっかって思ったのは、、、、なんと言ってもパークさん。この企画を機に日本中でパークファンは爆発的に増えたそうだ、、、、もちろんパークさんは現役の有名アーティストだけどプロデューサーとしてすごく、あのトワイスもパークさんが育てたユニットだと後で知った。
オーデションの時、女子たちはパークさんの前で歌ったり、踊ったり、能力を披露する、時にはパフォーマンスとはまったく関係のないテニスとか空手などの特技を披露する子たちもいた、その子たちに対して毎回毎回、きちんと自分の率直なコメントをするが、パークさんは日本語と韓国語を混ぜたり、とにかく日本語をわりと多く使うが、その語学力はただの片言レベルではない、できるだけ感じたことを自分の言葉で率直に話そうとしているのがよく伝わってくる。
驚くべきは、、、何と、、今回、日本人ガールズチームを作るにあたって日本語を勉強し始めたそうだ、相当な日本語会話力だから前々から勉強してたのかと思ったら日本語はごく最近のようだ、その語学センスのすごさと言ったらない、単語数も豊富だけど、微妙な単語を上手く使いこなしている。
語学はセンスが表に出るのは、言葉の並べ方とその繋ぎ方、接続詞の使い方だと僕は思う、パークさんの日本語は接続詞の使い方が上手いのに驚く。
韓国語と日本語は非常に近い言葉だから、漢字表記単語は韓国と日本語は共通語が多いからなのか、どうかは知らないが舌を巻く、また語学力だけに縮まらず、パークさんの話の内容はとても好感が持てる、先日、パークさんとマツコデラックスがテレビ番組上で遂に対談があったが内容のある対談だった、何度も繰り返し見たいくらいだ、昔はマツコが好きじゃなかったけど、今はそうじゃない、マツコのアタマの良さ、回転の鋭さには相当参っている、マツコがパークさんに幾つかおもしろい質問をしたが、パークさんが返す答えが素晴らしかった。
印象的なのはパークさんは台本のある番組って面白くない、と言った、だから台本のない企画番組を作りたかったと言っていたが、それがnizi Uオーディション番組と一致し、そのまま番組になったが、彼女たちはまだデビューはしていないにもかかわらず、その話題ぶりはそこらでデビューしたタレントよりよほど知名度は高くyou tube再生回数はすごいらしい。
今時、韓国と日本は政府間は上手く行っていない、聞くとこによれば世の中からパークさんはそれなりの風当たり、批判があるらしいが、パークさんは気にしていないみたいだ、こんな人がいてくれるおかげで日韓が本当に身近で親戚のような気になったし、日韓の未来を感じるし、僕はパークさんのおかげで韓国人の見方が変わった、多分、パークさんは今、日本で最も人気のある韓国人じゃないかな、、、、。

人は大なり小なりある時期に彷徨う 

昨日書いたように、若かれしころ、自分が抱えていた思いや感情、どうにもならない苛立ちや感情が自分のなかにここまで渦巻いていた、知らぬ間に忘れていたことに気がつき、やや愕然としています。
正しく言えば記憶は薄れてはいない、その記憶がそこまで重要だったことに気がついていなかっただけの話です、ひょっとして記憶が消える、消えないのカギは、重要なことなら忘れずにいつまでも覚えている、たいして重要ではないなら記憶の片隅に追いやっていつしか消える。物がなくなるのと大して変わらない。
十代から二十代の時期、みんな誰も大なり小なり、そんな葛藤を経て大人になると思った。
その葛藤のあり方次第で、その後どんな大人になれるのか、そこでほぼ固まる気がする、とても重要な時期じゃないかと思う。そんな時期にきちん悩んだり、反抗したり、きちんと正しく苦しんでおかないと、自分のアタマで物事が考えられる大人にはなれない、人はこの時にこそ人生で一番成長する時期じゃないかと思う、その葛藤をきちんと経ないと誰かが考えたこと、誰かが敷いたレールに頼るしかできない大人になる。

個人的でつまらない話かもしれないが、、、、これから僕の体験を書く、、、、これはあまり偉そうに誇らしげに書けない恥ずかしい話だけど出来るだけ着色はしない、そのままの事実を書きたいと思う、、、。
僕の家はわりと勉強家の家系だった、でも僕だけ勉強がまったくできない子だった、根っから知能指数が低いとか勉強嫌いだったわけではないのは薄々分かっていた、ただ学校と授業が嫌いだった、後で判明したのは僕は発達障害だった、障害と書くと語弊があるが、自分に興味がないこと、学校の授業にはまったく集中力が失せる精神障害、こう書くとずいぶん都合の良い話に聞こえるだろうが、事実そうで興味のないものにはまったく根気が続かない。これは今も変わらない。
授業がダメなら成績だって悪い、体育もダメだった、運動会はいつも片隅にいるタイプ、こう言う子供時代を送ると本人の意志ではどうにもならない重荷を抱えた人生になる、小児ADHDの子にはそれなりのケアーをしてあげないとその子が可愛そうだ、その精神的なダメージは一般人には多分想像がつかないほど心に傷を背負う。
障害自体にまったく問題も弊害もない、問題とは周りが普通にできることがその子にはできないか、苦手意識が強く出る、そうなら先生はその子に優しく接することが出来ない、周りもその子を認めない、やっぱり人と違う印を背負うと、まして成績が悪ければ、その後の人生はハンディーだ、不安定になる要素は十分揃っている。
実際にアメリカの統計によれば発達障害の犯罪率、離職率、離婚率、所得水準、社会適合能力はどれも水準以下だ、ただし代わりにある種の才能、能力を持ってることが多く、運良くそれに出会えた人は結果を出す、幸にして僕は高校生の時、SL写真にハマった、最初から良い写真が苦もなく撮れた、自分の父親が芸術家だったもあって(僕が6歳の時に他界した)十代の終わりころ、自分にもその血筋があると薄々思い始めた。
このようにハンディーばかり書き連ねると、なんだか暗い印象になったけど、その分、特殊な能力も持っていたから、僕の場合は天才的才能を持った友達たちに恵まれた、僕はその友達たちからずいぶんと影響を受けたのも事実だ。
僕は高校が夜間だったから早くからいろんな職場体験をしていた、でも正直な話、何をやっても学校と同じ、ダメな結果ばかり、職業は限られた職種しかないとすでに自覚し始めた、でもその時点ではまだカメラマンになろうと思わなかった。
今ならさほど突飛な考えではないが、あの時代、名古屋でそんな考えは現実離れで突飛な考えだった、僕にそれが達成できるなんて夢にも思わなかった、それを口にすれば、みんなから笑われた、それで周りは業を煮やし、親戚の縁で木工屋(家具製作)で働くことになって3年間修行するが結果は今までで最も辛く合わない職場だった。
自分に合わない職場にいたからこそ、返って写真家になろうと本気で思ったんだと思う、もし仮にそこそこに合う職場だったなら、そんな考えすら浮かばなかったと思うと、何が何になるのか分かったものじゃない。これが僕が経てきた十代から二十代にかけての話です。
もちろんもっともっと細かく正確に書こうと思えば書けるだろうが書き出せばキリがない、延々とつまらない話を書く羽目になる、、、今回のミュージシャンとの出会いから感じたのは、これは何も僕だけの話ではなく、彼も同じような気分を味わっているようだ、大なり小なりみんなそれぞれ形は違えどこれに似た、それぞれの歪みと迷いと確かな物事への憧れとか、世の中に対する不信感とか、その憤りとか、自分の居場所のなさ、世の中と自分の接点の不安感、答えのない苛立ちのトンネルは誰でも通過するんじゃないかと思う。
話は前後するが、どうしたものか中学校の時、フレンチポップスのフランス語がきっかけに、NHK番組でフランス語を独学で始めた、周りにはフランス語を教える塾や学校なんかなかった、フランス語の響きは英語にはないラテン独特の響きを感じた、僕にはフランス語自体にロマンがあった、それに家庭にそんな書籍もパラパラと父親が持っていたし、家に文化的雰囲気があったことも理由の一つだと思う、また同時に周りへの反骨心の現れもそこにあった。
そんな様々な思い,夢見がちな思い、歪みの思いも含めて、それが積もり積もって、僕は学校を卒業し晴れて自由の身になったら、いっそヨーロッパに行って短期間であろうが、そこで暮らしたいと夢見ていた、これは下手な大学に行くより必ず役に立つ日が来ると確信していた。
話をここで統合すると、自分の育った家庭環境と親の環境、周りの環境、その時代の環境と自分が背負った運命が合わさって僕の人間性は形成された、いつも余裕のない気持ち、選択肢のない気持ち、やるせない気持ちばかり抱えていた、当然その結果として自分の将来には慢性的な不安を感じていた、ちょっとしたことですぐに動揺してしまう不安定な心を抱えていた。
でも同時に好き勝手で自由奔放だった自分もいた、一見、相反する矛盾した話に聞こえるだろうけどそれらが事実だった、それが時間と共に熟成して今の人生がある、少なくともこうして写真家になってなんとかやっていられる自分、過去のやるせ無さの日々を思うとありがたいと思う。
人は、それぞれにことばにならない忸怩たる思い(なんとも言えない悔しさ憤りにも似た感情)を背負うんだって感じた次第です、それに対してある種の畏敬の思いでもって接しなくてはならない気が微かにします。

遠い記憶は知らぬ間にすり替わる 

あるミュージシャンを撮る案件があり、先日ライブに行った、ライブハウスの音は相変わらず狭い部屋に関わらず、ガンガン鳴る音が僕にはやや大きすぎる気がした、音楽を聴くより大きな音環境に浸りに行く感じがした。まあそれはそれでそれが好きな人もいるだろうが、、、、。
後で歌詞についてその内容がもう少し知りたいんだけどと言ったら、後日、メッセンジャーに歌詞の内容と噛み砕いた説明が丁寧にびっしりと書かれた内容が届いた。
たまたまその音楽ジャンルはポップスじゃなくプログレッシブロックだった、音楽に疎い僕はまったくの白紙、ゼロの段階から始めるしかないと思っていたが、、、、プログレなら何とか分かる気が楽だとアドバンテージをもらった気がした。
僕が高校生のころ、今とは比較にならないくらいロックが流行っていた、若者文化はロックが筆頭、友人たちの話題はロック一色だった、ロックに疎ければ友達環境について行けない、尻を叩くように頑張って聞いていたがロックはやはり好きになれなかった、でもプログレッシブロックだけは僕でもわりと聞けた、多分そこそこの知識もある、ロンドンにいた時いくつかの伝説ライブだって見ているからそこらのロックファンより貴重な体験をしているかもしれない。

今から40年以上前、二十歳のころの話、僕はロンドン暮らしをしていた、長くはないが上流家庭で住み込み下働きまで体験した、あの当時の生のロンドンの雰囲気、現地に立たないと伝わらない気怠い当時のロンドンの雰囲気、言葉にはならない生の空気にこの身で触れた、多分それが知りたくて日本を脱出したんだと思う。
当時の僕には自分の居場所がなかった、何をすれば良いのか、何ができるのか分からなかった、自分に自信がなく、この先どうすれば良いのか焦っていた、何を信じて良いのかわからなかった、それに苛々していた、でも確かな何かに出会いたかった、今にして思えばどうにもならない若さゆえの苛立ちが日本を脱出させて僕はロンドンに行った。
今回の出会いを機にその当時の生々しい情動、感情がどっと蘇って来た、正直なところ、そんな思いは何十年も思い出したことがなく、きれいさっぱり忘れていた、そんな感情を抱えていたことすら、ひょっとしたらこのまま記憶から消えていたのかも知れない、、、、イヤイヤ、そんな思いなんか絶対に忘れるわけはない、と思っていたけど微妙な細部の隅々の感情は、やはり何かのきっかけがなければ忘れるものなんだって心底今回思った。

ライブハウスで音が鳴った瞬間、音が醸し出す雰囲気がまさに40年前の思いを引き出した、完全に忘れていた感情まで含めてどっと蘇らせた。音とは不思議なものだ、日常生活でロックはまったく聞かない、だから余計にインパクトが強かったんだろう、、、久々に聞いた40年前の音の世界観は、埋もれていた気持ち、思い出したくない思いまでごちゃ混ぜになって心の中を揺さぶった。
プログレッシブロックとポップスの違いはプログレの方が内面的で心象風景的な音楽だ、ポップスは音楽を楽しむに対して、プログレは音を通して心に訴えかけて来る要素があると思う。だからそういうのがダメな人にはダメだろし、合う人はとことん合うんじゃないかな?
さて、前置きはこのくらいにして、その音とミュージシャンの書いた詩に触れて封印していた僕の記憶を蘇らせた、自分が抱えていた当時の思い、苛立ち、周りに対する劣等感をどっと思い出した。
その夜、夢に当時の友人が出て来たが、あまり思い出したい夢ではない、消し去りたいわけでもない、でもこんなことがなければずーっと思い出さなかったと思う、でもこのまま心から消えてなくなるのもいささか悲しい。

僕は自分の記憶を都合よく消したり、書き換えるヤツじゃないとこれまで思っていた、記憶が苦々しかろうが感情にフタをして、なかったことにするヤツじゃないと思っていた、過去の苦々しい出来事を、美しい思いにすり替え、それが事実と思いこむタイプではない、わりと自分を客観視できると思っていた、当時の記憶は少しも色褪せることなく記憶を引き出せると思っていたが、、、、、実はそうじゃなかった。
ミュージシャンの詩の無力感、やるせなさ、憤りみたいな感情を自分もそのまま抱えていたことをすっかり忘れていた、忘れていたんではなく、無意識に記憶の片隅に押し込んでいたことに気がついた。
僕は二十歳の時のロンドンの体験と記憶は良い思い出として今もはっきり残っている、あれがあって今があると思い込み当時の記憶を美化するばかりだった、でも実は美化された記憶の繰り返しは、やがて思い出したくないネガティブな記憶は、知らぬ間に、記憶の片隅、奥へ奥へと追いやって消えていく、残った記憶は都合の良い思いばかり。
実は僕がロンドンにいた時の生の思いは思い出したくない思いが大半だったような気がして来た、これは少なからずショッキングな出来事だった。

明らかに時代は変わった、(2) 

昨日書いた話は時代が本当に変わったという内容でした。
昭和30年代生まれの僕にとっての昭和から今日まで大きく変わったポイントを一点挙げるなら、社会が発展し豊かになったのは言うまでもないが、豊かさを達成させるためにあらゆる価値観、システムが均一化、効率化し、かつて普通だった価値観、常識、街の風景、人の個性、自由、そこにあった「ゆとり」は気がついたら新しい管理システムで根こそぎ、破壊され消えてしまった。
その管理については詳しくここで書けないが、果たして本当にそれが必要だったのかと首を傾げることも多い、その結論はどっちがどうなのかは安易に言えない、恩恵を受けた人もいるし、居場所を失った人もいるし、生きにくい国になったと思う人もいれば、便利な社会になったと思う人もいる。
効率化、、、、かつては手先の器用さ、職人仕事が重宝される時代だったが、機械化が進化すれば個々の器用さなんてたいして役に立たないシステムに変わった、人は単なるシステムの管理人になった、一個一個の考え職人技は形を潜め、人は生産マニュアルに従う管理人になった、それが社会に定着したのが平成だったと思う、確かに社会は進化はしたが、しかしその反面で人間社会は歪みが蔓り、生きづらい世の中になった気もする、今後社会はどうなるのかと思いきや、、、最近の変化を見るとどうやらまだその先に先に、さらに勢いをつけて行くようだ。
昭和から平成の変化なんてまだ生温い、、、、、今現在、中国が本気で進めようとしているのは、社会はIT化の下で管理されて働くように仕向けられている、早い話、どんどん社会はロボット化に向かっている、昭和が良かったとは言いたくはないが、この流れはため息が出そうな時代に向かっている。
今現在、あらゆる情報はパソコン、スマフォで一瞬に引き出せる、今は情報の渦に埋もれている、ただしポイントは、その情報の中味、その質こそが重要だと思う。

友人がこんなことを言った、人生で大きな失敗をした人の話には説得力がある、、、、、まさに同感。
僕は以前からこう思っている、きちんと自分自身のアタマを通してモノを見たり考えた上でそれを自分の考えとして人に話ができる人か、そうではなく受け売りであろうが、何であろうが、どこから仕入れた情報と自分の考えはゴチャ混ぜ話をする人なのか、、、その違いを僕は見てその人を判断している。当然後者は話半分にしか聞かないことが結果的に多い。でも自分の体を通した話をする人の話はきちんと聞く耳を持っている、その自負はある。
人と話をする時、話は自分自身の思考、体験から出た言葉なのか、単なる情報なのか、話を数分聞くうちにその違いはだいたい分かる、自分のアタマで考えた話には友人が言うように説得力、信憑性があるが、どこかから引き出した言葉、受け売り話には説得力がないし第一聞いていても面白味がない。
でも実態は自分の思考を語れる人は滅多にいない。大半は誰かが言ったこと、誰かがやったこと、どこかで見つけた情報、それをあちこちから仕入れ上手く組み合わせ、自分の考えのように仕上げる、その目の付け所、仕入れセンス、取り込みセンスに恐ろしく長けた人が世の中には多いのに驚く。間違いなくそれが世の中の主流だ、昭和世代と平成世代の思考体質の違いはそこかもしれない。

さて話をそろそろ締めくくろう。
世の中全体がどうなって行くのかはさっぱり分からない、言えるのはシステムの下で管理人として働くのか、システムでは片付かない余白の部分、ここで、発想、アイディア、表現力、想像力を必要とされる人材として扱ってもらえたら、決められたマニュアル労働をしなくて済むんじゃないかと思う、要はその余白人材になるか、ならないか、僕の場合で言えば、特にこれになりたかったわけではない、仮に当たり前の生き方をしたくても、それになれなかった、初級マニュアルすら上手くこなせなかった、そこが自覚できたから自分の表現力でお金を稼ぐ人生を必死で志し、なんとか成就できた、おかげで僕は「マニュアル通りにしなさい」を人生の中間あたりから解放された、でもそれがまた危い危機感を最近薄々感じ始めた。
これからどんな時代になるのか全く想像がつかない、僕の思考回路は今後、まだ通用するのか、もうしないのか、どうなのか、さっぱり分からない、そんな時代が来始めた気がする。