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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

ロンドン セルフキッチン事情 

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ロンドンとかパリの安宿に2週間くらい泊まって何かすることがありますが、そんな時は迷わずキッチン付きの宿を探します。観光で来たわけじゃないし特にレストランで何か食べたいとか、、、、は思わないし、まずは予算は可能な限り少なく抑えたいです、それさえ上手くやれば旅費はそんなに高くかからないです。
ロンドンやパリの場合、日本と違って外食は安くないです、ちょっとまともに食べればすぐ2000円くらいは楽に行きます、しかもファミレスとか吉野家みたいなファーストフードはマックしかないから気軽に外では食べられない。
せいぜい持ち帰りのtake away(イギリスではそう言う)の食べ物に頼らざるを得ないけど毎日フィッシュアンドチップスやマックばかりはイヤだし近くにtake awayのチャイニーズがあればまだしも、、、思うようにはならない。
海外滞在で何と言っても経費がかかるのがやっぱり食費と宿代です、何の目的で滞在するのかで経費は違ってくるけど僕の場合、何か用があって滞在するわけで観光で来たわけじゃないからガイドブックに載ってるとこに行きたい感覚はない、ただ中華街があれば日本の中華街にはない焼鴨飯は必ず食べに行来ます、あれだけは絶対外せない。
旅の経費のほとんどは宿代、食費、交通が経費のほとんどだから、宿はユースホステルを選ぶ、だいたいセルフキッチンも付いていることが多いからユースホステルは助かる。
せっかく現地に来たから現地のものを食べたい考えもあるけど僕はそう言う気はない、こっちでスーパーに行って買い物して作る方がはるかに好きだし、そもそもこっちの食材自体が日本と違って何かが作れるのがむしろ興味深いしかかる経費が全然違ってくる、こっちにはこっちにしか手に入らない食材がたくさんあるからそれなりに楽しい。
一般に海外に行くことは贅沢な印象が今でもまだあるけどもうそんな時代じゃない、エアーチケットも安くなったし、安宿に泊まって、自分で料理したら、お金なんかたいしてかからない、要はやり方次第だと思う。あとはそれをする必然があるかないかだと思う。

ところで話はガラッと変わって、昔僕がロンドンにいたころは、40年も昔のことで、イギリス経済がどん底だった時代だからなのか、、、あの当時はイギリスの食べ物がマズイで有名でろくな食べ物はなかった気がする。とにかくイギリス人の食べ物は不味そうなものばかり食べてる気がした、それともう一つはイギリス人はティーばかり飲んでいてコーヒーなんかほとんど飲まない習慣だった。
それが時代が変わったんだと思うのは当時とは比較にならないくらいコーヒーを飲むようになった、当然スターバックスはあるし、そこらでコーヒーを飲んでるし、食べ物が前みたいに不味そうな感じがしない、スーパーに入っても食べ物が変わったな、、、、、って思った、僕がいた当時はスーパーもロクなものが売っていなかったような、、、、、、
イギリスからフランスに渡ってびっくりしたのはフランスは何を食べても美味しく感じた、僕一人がそう見えたのかも知れないけど、やっぱりあのころとはイギリスはいろんなことが変わったし、生活レベルも上がった気がするしスーパーに行くと食べたくなるものが豊富に売っている、だから余計にスーパーで食材の買い物して自分で作ってみたくなる。

なにが撮りたいのかそこははっきりさせる、そうじゃないとボヤける。 

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さてロンドン庭園めぐりの旅に来て、3分の1の日程はすぎた。
これまでに行ったのはロンドン王立キュー植物園、ベスチャトーガーデン、チェルシー薬草園、ウイズレーガーデン、行かなかった日はたった1日だけだから、まあまあ良しとした成果と言って良いと思う。やはり以前、住んでいたからか、初めての知らないとこだろうが、現地の交通事情も知らなくたって行けば何とでもなると心配しないでどこだって行っちゃう行動力に我ながら感心する。
こんな感じで同じテーマを繰り返し繰り返し追い求めるといつの間にかまさかの穴にハマってしまうことがよくある、例えば少数民族を撮っていた時に感じた葛藤だけど、いろんな民族を撮り集めたいと動き出すと、、、、知らぬ間にたくさんの民族を撮ることに心が奪われてしまう、、、、それがさらに進むと、自分はそもそも何が撮りたかったのか、自分でも分からなくなってしまう。
自分は民族のカタログが撮りたかったわけでもないし、、、、、何かを感じさせる民族を撮りたかったのが目的だったと気がついた。
そう言う話って、なんだかアホみたいな話に聞こえるけど、ずーっとそこにと留まって出られないことが意外に多いのにはびっくりするけどこれは笑えないことです、ほとんどの初歩カメラマンなら、だいたい自分のしたいことをしっかり見つけきれず、カタチばかり撮り集めることに終始してしまう、そこから自分が何が撮りたいのかしっかり見極めきれないから写真がしっかり捉えきれなくなる、逆にそこがしっかりしてたら的が絞れて写真はしっかりしてくる。
だから写真を撮ることとは、カメラが上手に扱えることよりも自分の心をしっかり撮れるようにしないと心象テーマは話にならない。
今回日本からあんなに期待していた今回の最大目玉のベスチャトーガーデンに行って感じたことは、園内に入って撮ろうとしても何か期待したほどワクワクしなくしっくり来ない、、、、どうしてしてなんだろうか考えた、、、、、、、、、そこで気がついた、ここは花を育てる達人ではあるけど、庭園美学が必ずしも優れていて自分の心を満足させるものではないと気がついた。
また王立のキュー植物園に行って、、、そこでも肩透かしを食らった、キュー植物園は世界遺産の植物園で言うなれば聖地みたいなものだと思うんだけど、入って感じたのは、やたら広い敷地の大半は森で庭園としては素晴らしいけど自分が撮りたい世界を探しに来た者にはどうも掴みどころがなくて、、、、、、自分は一体なにを求めてここに来たんだろうか?って考えてしまう。
前にもここで書いたけど、自分は花が好きで花をきれいに撮りたいわけではない、また植物学をしているわけでもないし、花愛好家御用達の見事なガーデニング写真が撮りたいわけでもないし、、、、、、じゃあ自分は一体なにが撮りたいんだろうか?そう言うところはしっかりさせておかないと終いに自分はなにが撮りたいのか分からなくなって収拾がつかなくなって違う方向に知らぬ間に行って写真はボヤける。
乱暴な言い方をすれば写真なんてピントが合ってる、ブレずに止まってる、そんなのもうどうでも良い、自分の心のフォーカスさえしっかり合っていたら、写真なんかブレようが、ピントが狂っていようが、そんなのどうだっていいような気さえする。逆に、、、それを探すためにわざわざイギリスまで来たのかもしれないけど、写真を作品として目的意識を持って撮り続けるとはそう言うことだと思う。

ロンドン、タワーブリッジ見学 

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昔、イギリスに10ヶ月くらい暮らした時、今にして思うと行動範囲がとにかく狭かった、、、。
当時はまだハタチだったからそういうものなのかも知れないけど、でもやっぱり行動範囲が恐ろしく狭かった、もう少し いろんな関心があって、いろんな行動ができたらもっと違うロンドン体験になった思う。
ロンドンの中心はオックスフォードサーカスと言って日本でいえば銀座4丁目の交差点って感じ。そのオックスフォードサーカスを境に西側と東側って感じになるんだけど、僕は西側ばかりに拠点を構えたからか、西側の地下鉄駅の名前はだいたいなんとなく分かるけど、東側はさっぱり分からないし、それがどこにあるのかピンと来ない。東側の名所は何も知らないし、行ったこともないし、見たこともない。
でも、このロンドンのタワーブリッジくらいは見て帰りたかったけど、結局見ずじまいであの時は帰国した、でも今回ばかりは何があっても見に行くぞ、と言う気でいた、、、、、、でもやっぱり今回も西側のアールスコートに宿を取ってそこを起点に動くと東側ってやっぱり重い腰を上げないと行くことがない、それは今でもやっぱり変わらない。多分行ったところでそこで何をすればいいのか?想像がつかないからだと思う。
それでたまたま、東側の駅に行った帰りに、、、、「よし、ここからならタワーブリッジにいけるぞ」と思って行き方を探し地下鉄に乗って、最寄りの下車駅を探し、、、、そこから歩く、、、、、、でも意外に駅からすぐそこだった。

目の前に登場したタワーブリッジは僕の想像をはるかに超えて、デカイ、とにかくデカイ、、、、ただ呆然とするくらいデカイ、一体何を考えてこんなデカイ建物を橋の上に建てたのか、、その意味がわからない。
ロンドンはパリに比べて建造物で驚くことなんてこれまで一度もなかったけど、パリの凱旋門を初めて見たときよりびっくりした。すぐ横に城があったから何か威厳みたいなものをこの橋に託したかったんだろうと想像できるけど、やっぱり中世のヨーロッパ貴族たちのすることは現代人に比べてスケールがデカくておもしろい、現代はたしかにパソコンの出現やらジェット機の出現で地球の裏側まで安く瞬時に行けるし連絡だって瞬時に取れる、でもこういうバカらしさがなくなった。
それと感じたのは、、、建物のデザインとか装飾がやはりイギリス人だな、、、、て感じる、フランスに比べるとやっぱり武骨だな、、、、って感じる、フランス人ならもっとオシャレにするだろう、、、って感じた。パリでみる建造物はどれも女性的な美意識があるんだよね、、、、、。
それにしても、、、思うんだけど、ロンドンもパリも共通して大きな川が街の真ん中を流れている、パリのセーヌとロンドンのテムズは比べ物にならないくらい風情が違う。パリのセーヌだって決してきれいとは言えない汚れた川だけど、なんだかロマンチックな気になるけど、ここテムズは川沿いは工場地帯だったせいか、なんだか産業廃棄物が垂れ流しになったような印象があって決してロマンチックな気分になれないし、川沿いを散歩したい気にならない。

どこにでも行きたい子 

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子供の頃からどこかに行くのが好きだった。
逆にどこにも行かないでじっとしてるのがイヤだった、夏休みになれば母の実家の田舎に何日も泊まってしっかり田舎の子になっていたし、学校の授業がとにかくイヤだったから遠足とか修学旅行なんかはすごく嬉しくて特別な日だった。
もちろん子供は誰だって遠足は好きだ、僕だけじゃない、でもどう言うわけかあんなに遠足が好きでも大人になるとどこか遠くに行くことはもうしなくなる、本当は好きで好きで行きたくても、休みが取れなく行けないから諦めるんだと思う。
僕は大人になっても、子供の時に好きだったどこか知らないところに行く好奇心は止まらない、大人になろうが好きなものは好きだ、子供の時に病的に好きだったものは大人になってもそんなに変わらない。
僕は会社員にならなかったのは、どんなになりたくてもなれなかったけど、やっぱり思えばならなくて良かった、生活は保証されるけど、会社員になると長い休みが取れず旅に出られない、それが僕にはあり得ない。
会社員は10日くらいの旅すら自由に気ままにできない、仮にできたとしてもGWとかじゃないとできない、ああ言う時はどこも混雑してゆったり気ままに行けない。
そう思うとやっぱり会社員にならないで良かったと思う、会社員はたしかに生活の保証はされるし、老後のお金の心配もすることはない、でもそう言うのは保証のしっかりした良い会社の話で中小企業ではどうなんだろう?それにしたいことは大幅にできなくなるし、生き方が自由人とはまったく違う、さてどっちが良いんだろう?これはマジ老後になって年金のありがたさを身にしみないと答えはまだ出ない。

そんな僕の好奇心で、ハタチの時、イギリスに渡り10ヶ月くらい居た、でもイギリスで具体的にすることがないと10ヶ月もそこにじっとブラブラしているのは結構大変だ、行けばなんとかなるかと思っていたけど、そうじゃない、ただ毎日ブラブラして終わるだけ、、、、結構つらい。
英語だってイギリスに行けば覚えるように思われているけど、そうじゃない、イギリスで生活しながらちっとも英語を覚えない日本人にはたくさん会って来た、要はあっちでどんなことをするのかで結構分かれる、英語学校だって考えてみれば周りは英語ができなヤツばかりの集まりだしお金も使うし決して良い環境とは言えない気がする、一番良いのは英語しか使えない環境にいるのが一番良い。
僕の場合、2ヶ月くらいでロンドンでブラブラする生活に飽き飽きした、もうそれ以上居るのが苦痛というか限界で思い切って自転車を買ってイギリスを回る旅に出た、ロンドンから延々と北上してスコットランドの果てまで自転車で行った。
もうこれ以上イギリス滞在する気力を失って、イギリスを回ってロンドンに戻ったらさっさと諦めて帰ろうか、、、、と思ったら、逆にイギリスが好きになってもっと英語も覚えたくなってロンドンに帰ってそのまま居続ける気になって上流イギリス人の家で住み込み下働きのチャンスを得た。今思うとそれが大変な財産になった、運命なんてどこでどう変わるか分かったものじゃない、まずはやってみるしかない。
あれ以来、最低限の英語は話せるようになって言葉の壁が相当取り払われ、どこに行くのも気負わず気軽に出られるようになった、もしあのまま何も吸収しないまま帰っていたら、その後の僕の人生は違ったものになったと思う。
あの時、イギリスに行った目的はまず海外に行っても気軽に自由に行動ができる自分を作っておきたいと思ったから、、、、今思うと、、、つまりそう言うことだった。
若いころ、そう言うことをやっておいたおかげで今久しぶりにロンドンに来ても、あの当時とは事情は変わったとは言え、ロンドンに一人で右往左往することはない、初日から行きたい場所に自由な行動ができる、それに仕事で海外ロケも助かる、あの当時、海外遊学をやっておいてとても良かった、下手な大学行くより海外遊学を1年くらいやっておくと良い。

母との最後の別れで考えたこと 

つい最近、母が亡くなりました、連絡をもらった時、訃報の悲しみよりも、ちょうど今アートフェスティバルでアトリエをカフェ開放をいてる最中、まして葬式当日は友人の田中福男氏のガラス展最中で、彼にアトリエを任せて行くしかないな、、、と思いながらカフェを閉めて家族で葬儀に参列しに鎌倉を後にしました。
僕の母は息子の自分が言うのもなんですが、とても人柄が良い人で、自分のことより家族のことをいつも思う人柄、誰からも好かれる人柄、またなかなかの勉強家でもありました、苦労を苦労してるとも思わない、息子としてはちょっと勿体無いような出来すぎた母親でした、しかし年が年で大正生まれの母は93歳まで生きた人、今回の訃報は予定通りで覚悟はもう3〜4年くらい前からしっかり準備はできていました。
毎月、母の顔を見に名古屋に行っていましたが、母は今年の1月くらいからついに意識がなくなって話もできない状態でした、鼻に管を差し栄養を注入し続け、かろうじて命を維持する状態。それを見てここまでして生きなくてはならないのかな、、、、って思いました、死ぬのも簡単じゃないな、、、、。
母はかれこれ4年くらい前から家で暮らせなくなり老人ホームに入居しましたが、そこから徐々に目に見えて老化は始まりました、会うたびに、今回、これが最後かも知れないな、、、、と行く度に毎回思っていました、、、でもなんだかんだと長い時間をもらいました。
昨年あたりから痴呆が入り始めたかな、、、、と感じ、だんだん無口になって、さらに動きも鈍くなって、その衰えは本当にゆっくりゆっくりと時間をかけて死への過程をすべて見せていただきました、その度に覚悟をより心に刻んで、今回が母との最後かなって思いながら名古屋をあとにしました。
姉から訃報をもらった時、ちょうどその数日前、顔を見に行ったばかりだったから、心が揺れたり、悲しむとか、涙が止まらないとか、、、それよりも、ついに予定の日が来たな、、、、って感じで受け止められました、さてこのアートフェスティバル期間中どう乗り越えるのか、、、、その方が僕にはずーっと心配ごとでした。
むしろ自分の母親の死に対して、こんなにカラッとあっけらかんとしてる自分に我ながらちょっと呆れたりもしました、あんなにまでお世話になった母に対する最後の感情ってこんなものなのかな、、、自分ってなんという薄情なんだ、、、と思ったくらいです。

さて今回ブログを書きたい動機は、、、、冠婚葬祭の考えを書いてみたいと思います、ちょっと長くなるかもしれませんが、、、、率直に思うことを書きます。
まず、仏教についてですが、いまの世の中、仏教と聞けば、仏壇、お墓、お盆、葬式、そんなイメージが先にきますが、そもそも仏教とはそう言うものではないはずです、釈迦はそんなことを仏教で教えたわけではありません、釈迦は生きている人間に対してこそ人生の矛盾をどう受け止めるのか、人生とはどう生きるのか、物事の理を説いた教えが仏教です、少なくとも僕が知る範囲で釈迦が、先祖供養、墓参り、仏壇信仰について語った、、、そんな記憶なんかないと思います。
ただ例外として弟子の一人が亡き母があの世で苦しんでる話を聞いて、それは供養してあげなさいと、そこでお盆が始まった話は聞いていますが、仏教はもともと先祖供養、墓参りが仏教ではない、それが、どこかの経緯でおかしくなって、今の日本の冠婚葬祭仏教になったわけです、でもそれは仏教の本筋じゃない。
東南アジアに行けば、まだ仏教本来の風習がそこかしこに残っていてそれを見るとホッとするんですが、、、、僕は今の日本の仏教、お寺が檀家を抱え先祖供養で収入源にする仏教には強い違和感を持っています。言えることは、京都の金閣寺と檀家を抱えるお寺では全く体質も寺のあり方も違うはずです、多分金閣寺や法隆寺では檀家なんかいないんじゃないかな?
早い話がこう考えれば話がスムーズじゃないですか、お寺は墓守りが本来の使命ではなかった、しかし昔の寺とは寺が民衆の一切の心のよりどころであって寺は集会所だった、寺は各家の戸籍の管理所であり、読み書きそろばんの学校であって、旅の宿であり、民衆の雑事、一切すべて、戸籍管理から墓まで、全てを引き受けてくれたコミュニティセンター的存在、それが寺だった、でも今では墓守り風習だけが残った、それで納得できると思うんですが、、、、。

時代が進んで、教育は学校に変わった、戸籍管理は役所に変わった、集会は公民館、集会所になった、かつて寺で機能したものが機能しなくなってお坊さんの役割は単なる葬式のお経を上げる人になった、墓の管理者になった、お寺本来の役割がまったく違うものになった。
戒名にいくら、位牌にいくら、お布施にいくら、永代供養にいくら、墓にいくら、お寺は何から何まで冠婚葬祭ビジネスになって、かつてのようなコミニュティの中心ではなくなった、何でもかんでもお金の時代になった、、、、まあ仕方がない、お寺だけを責められない、お寺だって存続に厳しい時代でそうなっても責められない、世の中のシステムが変われば人の気持ちも変わって当然。
さて、母の葬式の時、僕はそんなたわ言、妄想を考えていながら会場を見回した、こんな祭壇は、、、僕ならいらない、こんな花、僕ならいらない、こんなお経もいらない、、、お墓もいらない、、、永代供養もいらない、、、すべていらないものだらけ、、、、そもそもヒンズー教徒は墓はもたない、遺灰はすべて聖なる川に流す、、、それで良い、僕も墓なんか作らないで遺骨は海に流してほしい。
喪主は兄貴が仕切ったので葬式にいくらかかったのか、細かい金額は知らない、、、確か300万円はしたような、、、すべて母が生前に残したお金で賄っているから僕らに一切の負担はなく香典、花輪など一切辞退した。
しかし、どう冷静に考えても、こんな実態のない戯言に300万円もしくは400万円?本当につまらないお金の使い方だと思う、そんな大金はもっとまともな使い道があるし、もっとまともに使われるべきだと思う。
ここ昨今、日本の生産業は一円でも安くコストダウンするために外国人労働者に頼らざるを得ないのが実情で大きな工場がある街では南米アジア系の住民をたくさん見かける。日本で物を作ればコストが高くなって海外生産しないとやって行けない。
企業は一円でも安く作るように躍起になって、気がつけば国内の生産業はどんどん空洞化し弱体化しおかしな方向に向かっている、かつて当たり前だったMADE IN JAPANが当たり前じゃなくなった、そして中国から激安品が大量に入ってきて100ショップ、ドンキホーテはバカみたい儲ける。
そんな時代でも相変わらず冠婚葬祭業の体質は昔のまま実態のない高額プライスがなんとかまだ通用している、それに誰も異議を唱えない、多分、そんなことが成り立つのは冠婚葬祭業者間で談合し合い価格統合しているんだろうか、、、、激安葬儀業者はまだ出現しない、だから私たちは値段の比較のしようがない、でもそのうちに中国から葬儀業者が入り込んで激安葬式、10分葬儀屋が登場するのは時間の問題だろう。母の葬儀の間そんな妄想を考えていたけどバカらしくて涙も出ない。