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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

必要とされるのは宗教的感性ではないか。 

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長崎の島々で2週間も毎日、毎日、教会を訪ねて礼拝堂で祈りの日々を送って、日常生活に戻るとやはり行く前にくらべて心境に変化があったように思います。
特に救いを求めたり心境の変化を期待して巡礼の旅に出たわけではない、また何らかの功徳の期待もまったくなかった、ただいつか行こうと思いながらずーっと行かず終いがイヤだから行った。
今までこのブログでは宗教について踏み込んで書きたくなかったけど、今日は少し踏み込んで書きたいと思う。
宗教と一言で言っても、各人それぞれ宗教観はあります、仏教とキリスト教でも宗教観が違うんじゃないかと思う。
そもそも日本の檀家制度とは、あれは純粋な意味で宗教なんだろうか?果たしてあれを宗教と呼べるんだろうか?子供の時からずーっと腑に落ちない思いでいました。
檀家制度とは、江戸時代、幕府がキリスト教禁止を目的に作られた制度だそうです、江戸時代、役所制度がなく「結いの文化」つまり村制度で、お寺が役所の代わりに各檀家の戸籍を管理し、今で言う戸籍課の役割だった、お寺は学校でもあり、地域文化センターでもあり、さらに京都、奈良の名だたる寺院は武士や役人たちの宿泊所の存在だった。
また檀家になることでキリスト教徒ではない証明を寺が行っていた、改めてお寺とは釈迦が開いた仏教とは遠い物になってしまい、檀家に属すればすなわち仏教徒である、これはどうもおかしいんじゃないか?とずーっと感じていたし、歴史上、宗教は時の権力に都合よく利用され、時には迫害を受け、おかしな物に変えられた歴史だったと思う。
こんな話があります、周知の通り長崎の隠れキリシタンは激しい弾圧の目を盗んで信仰を守っていました、見つかれば厳しい拷問が待っています、それに見かねたある寺の住職はキリスト教徒たちを守るため檀家信者さんに偽装させた、住職の心使いに感激したキリシタンの中にはそのまま寺の檀家に転じた人もいたらしい、でも住職は見て見ぬふりはできないが故の行いだった。

今回の長崎教会巡礼の旅では教会に足を運んで礼拝堂をただ見て終わるのではなく、その場で祈りの時間を持ち場の空気に同化するよう心がけた。
心がけていたのは、「変えられないことは受け入れる心を、変えられることは変える勇気と意思を、また受け入れたくないこと、強く嫌悪する思いに支配されるなら、それはあることとして無理に変えようとせず、自分の思いとして受け入れ、その思いに対し祈り続けること。」
特に聖人になりたいとか救いを求めて巡礼をするではなく、身に付けた価値観、習慣に振り回されて生きるだけの人生ではなく、宗教的感性に少しでも近づこうとする行為が、祈りであり、巡礼であり、それが宗教ではないかと思います。
今回の旅で感じたのは宗教とは理解するものではなく、自らが歩み寄るものと思いました、また今のような混迷の時代、最も必要とされる感性は宗教的感性、精神性、じゃないかと、、、、この心を持たずして、大きな意味においては何も為せないのではないかと思ったわけです。

巡礼の旅を終えて思うこと、 

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2週間の長崎巡礼の旅を終えて帰宅しました。
友人方々に帰宅の報告をすると長崎に旅の話を今度会った時にでも聞かせてくださいと言われる。
半分は社交辞令と聞き流す程度の話と思うけど、半分は本当に興味あっての言葉だと思う。
長崎、五島列島に教会がたくさんあることを今どき知らない人は多くいると思う、ましてキリスト教徒でもない僕が2週間も長崎の島々を教会巡りするとは?隠れキリシタン迫害の歴史があったことは多くが知るけど、どうして巡礼の旅に行くのか、その根拠はピンと来ない人が大半だろう、この旅はキリスト教に関わりがあるか、歴史好きじゃないとその縁に触れることすらない、まして2週間も旅をするなんて一般からすれば理解が及ばない話かも知れない。
僕自身、どうしてキリスト教徒でもない者がキリスト教巡礼の旅なんか(巡礼と呼ぶのはおこがましいけど敢えて呼ばせていただく)したのかは自分でも根拠はよくわからない。
でも冷静に考えたらこれはキリスト教だとか異教徒だからの問題じゃない、日本にこんな凄まじい歴史事実があった事、明治の禁教後に晴れて自由になったキリスト教たちは、すごい勢いで辺境の地に競うようにして島の生活水準からしたら 立派なレンガ作りの洋風教会を次々に建てた事、これは文化人なら知っておくべき出来事だと思う。
しかし世の中一般から思えば2週間巡礼にかけることはいささか長い期間だ、これは旅好きで会社勤めじゃない立場だから2週間もかけられた、でも実際に五島列島をじっくり各島を訪ねて歩く考えなら、フェリー事情から考えたらそれくらいの日程はどうしても要る、それに現地に立って行動を決めるくらいの余裕がないと物事は見えて来ない。
行く前からなぜわざわざ五島列島に行くのか、明確な意味合いは僕自身すら分からない、とにかく一度は行かなきゃならない場所だった、現地に立って知ろうと旅に出た、今はコロナで海外には行けないから長崎に足が向いたのは確かだと思う。
また今回の旅は、楽しそうだから行く、そうじゃないから行かない旅ではない、何だろうが周ろうと決めていた、五島列島の教会巡りはお伊勢様参りみたいなもと思えば話が早い、これは生きているうちに一度は行くしかない、僕にとって五島の教会はそんな場所だった。

さて行った結果はどうだったか、、、、、、?
答えなんかない、多分これから時間が経ってもその意味が見えるのか、このまま何も分からず終わるのかも知れない、これは「心の中の余白」じゃないか?でもそんな旅は僕は初めてだと思う。
思えば、今まで何かをする度に、どうしてそれをするのか、その目的と根拠をまず自分の中で意味をイメージして取り組んできたと思う、でも今回はそうじゃない、なぜ自分はわざわざそこに行ったのか、それを探す旅だった気がする。
歳も取ったからそう言う考えになったのか、または作品「魔法植物園」を時間をかけて制作し自分が精一杯やって描ける限界域を感じたからだと思います。今までの物事の組み立て方、描き方、感じ方、では見える範囲は、たかが知れていることを感じたからじゃないかと思います。

話がややこしくなりました、物事を始める前に、目的、根拠を考える思考「先知恵をする」これは重要です、これをやらないで無闇に動くと、動くことが目的になってしまい自分が何がしたかったのか、それを掴む前にただ動いて終わることが多々ある。
先知恵があって、本番で掴むことができる、でも反面、先知恵にこだわりすぎると先入観が出来上がりすぎて、本番の出会いは先入観が見えなくさせる。ある役者の印象的な発言で、台本にこだわりすぎる役作りはつまらない、 アドリブはやはり重要、でも先知恵も重要、このさじ加減を知った人が優れた人だと思う。

ある程度は、先知恵をする習慣が身に付くと、今度は先知恵は白紙にして実際に動くことに集中しま す、目的は後で考えることの方が物事が見える場合がある。下手に動く前から先知恵を考えてしまうと、本番は根拠確認だけの旅になってしまう。
今の段階で言えることは、長崎の過疎の島々にたくさんの教会が明治時代に一斉に建てられ、まだいくつかが現役で残っている事実、それは当時の人たちの生活水準にしては教会、キリスト教は大変大きな存在だった、ある意味では島の方々にとってはキリスト教とは宗教的な意味合いよりも教会自体が現実的にも文化的にも、その恩恵の方が大きかったんじゃないかと密かに思った次第です。
そこには語りきれない光と影が存在していたし、それをこの体を通して僅かながら感じた気がします、それが実際に何の役に立つのかは分からない、でもそれを知って何かを見るか、それを知らずして何かを見るのか、では見えるもの、感じるものは違うんじゃないかと、今のとこはそれくらいしか言えない。

Bucket list(バケツリスト) 

30代の頃はアジアを頻繁に旅をしていた、今から30年くらい昔、はじめはアジアに対してあまり良い印象は持っていなかった、アジアのイメージ自体がまだ良くないかった時代で、治安も衛生面でもイメージが悪そうであまり楽しそうな気がしなかったけど、いざ行ってみるとそんな適当な考えは吹っ飛んだ、アジアの旅がこんなに面白いとはびっくりした。
もちろん好きで旅をしていたが、もう一つの理由は、普段、日常生活をしていると知らぬ間に官能的な物の捉え方、官能的な感性が薄れ退化しているのを感じます、その官能的な思考をもっと身近にしたかった、、、、自分勝手な都合の良い話に聞こえるでしょうが、やはりそうなんです。
アジアを長く旅すると、どの国に行ってもすぐに耳に入ってきて覚える言葉は、No problemを意味する言葉、フィリピンはそのままノープロブレム、タイはマイペンラ〜イ、インドネシアはティダアパアパ、マレーシアも同じティダアパアパ、中国は没関係(メイグアンシー),その意味は、問題ないよ、気にしない、気にしない、大阪で言う、かまへん、かまへん、です。
これは日本だけの問題ではなく先進国はどこも同じような歪みを抱えているのかも知れないが、先進国社会の生活はどう言えば良いのか、、、それがすべてとは言わない、都市じゃなければできないことはあるし、それに生きがいを感じる人も当然いるのはわかった上で書いています、でも多くは自主的に働いているというよりも、どこかストレスを抱え抑圧的な環境で働いているような、仮にそこから逸脱したらドロップアウトするような競争社会、日本の生活はそんな息苦しさを僕は感じます。
あの頃、僕は日本で生活することは気が重かった、これは僕だけの問題かもしれないけどアジアに行くと。何かといろんなことが気が楽だったし肩の荷がおりた、物価は安いし、時間はゆったり流れてるし、人間はおおらかに生きているし、食べ物も美味しいし、アジアの果物は極上だし、探せば飛び切り極上のサンゴがある島はパラパラあったし、探せば生活費は5万円くらいでなんとか暮らせた。多分僕はアジアとは相性がよかったんだと思う。
それは異邦人が表面だけを見て感じるのかも知れないが、少なくともアジアの人は日本人よりよく笑うのが印象だった、でも日本人はあまり笑わない。
当時はアジアと日本の物価の格差があった、島に行けば南国の花は色彩がきれいだったり、南国の鳥の鳴き声はやはり南国らしい鳴き方をする、アジアは本当にゆったり官能的な暮らしができた、先に書いた通り官能的な思考を育むには持って来いの土地だった。
アジアの旅にはもう一つ良いオマケがある、アジアには欧米バックパッカーたちがたくさんいる、アジアの田舎なら宿で泊まる客同士、みんな目的は同じような物で、急ぐ旅じゃなく長期滞在が普通、旅人同士、一つ屋根の下の家族みたいな気分で付き合える、毎日が英会話になる、積極的に彼らと話せば間違いなく英語力はすごく上達する、もし日本の英語学校でやれば(1対1の会話)1時間4〜5000円払うことになる、つまりは英語学習目的だけでアジアを旅しに来ても十分な成果が得られる。
あのころ日本はアジアで最も外国人旅行者は少ない国だった、物価が高くて気軽な旅がやりづらかった、またバックパッカーに適した宿だってほとんどなかった、たまには日本を旅しても良いかなって思いながらする気にはなれなかった。日本を旅するくらいなら海外に出た方がまだ良いと国内の旅はどんどん遠ざかっていた。

話題は変えて、英語に一つ面白いことばあります、バケツリスト、その意味は「生きてるうちにぜひやっておきたいことのリスト」の意味だそうだ。
今回のコロナ騒動がきっかけで長年足が遠のいていた国内の旅のチャンスがついにやってきました、ずーっと前々から思っていた、長崎、五島列島教会巡りの旅、それについてなんと説明すれば良いのか、、、、書き出せば、延々と難しい話になりそうだからさておいて、一度は現地に足を運んで島々を転々と渡って教会やキリスト教にまつわる物に触れる旅がしたかった。
見てどうするわけでもない、何が目的でもない、この旅は海外に行くような楽しみとか官能目的ではない、どちらかと言えば「行きたかったより、、、、行かないわけにはいかない、」ちょっと違う気分です。
でも先に書いた通り国内は旅費は安くない、国内は日常と変わりがなく、物足らなく楽しくない、日本で旅するお金があれば迷わず海外に出る。話す言葉が違うから思考も変わる、環境が違う、知らないことだらけ、それが僕には楽しい、よほどの事情がない限り多分今後もずーっと日本の旅はしないだろうな、、、と思っていた矢先にコロナ騒動がおきた。コロナのおかげで国内旅行のバケツリストが一つ達成して巡礼の旅ができた。

巡礼の旅で思うこと 

五島の島に来て教会を訪ねる巡礼の旅に来て、そろそろ1週間が過ぎます。
なぜこんな旅を思いついたのか、、、、特に深くキリスト教に傾倒して毎日聖書に目を通しているわけでもなく、コロナで外に出られなかった、いつかは長崎に来たいと思っていたから、それがやっと実現したわけです。逆に言えばもしコロナがなかったら、果たしてここに来たか?と言えばいつかは来たいと思いながら、なんだかんだと言って海外に足が向いただろうと思う。
織田信長はポルトガル人がキリスト教を広げることは否定的ではなかった、むしろ彼らが持ち込む新しい流れを積極的に取り込んでいました、それが豊臣秀吉、徳川家康の時代になって、方針は一転して異国文化は厳しく排除された、理由はキリスト教自体に問題があったのではなく、キリスト教浸透をきっかけに植民地化しようとする考えは、神父たちにあったかは定かではないにしても、カトリック教会にはその思惑はあったようです。
国を彼らの思惑通りにさせないために、キリスト教をはじめ異国文化を一切禁止にした、秀吉、家康の判断は先見の明がある判断だったと思います。でもそこがどうにもならなさ、思惑のすれ違いと呼べばいいのか、人間であるが故の利害のズレとしか良いようがない、そして多くのキリスト宣教師、信者たちは厳しい迫害を受けたわけです。

僕は五島列島を旅をして、その事実について何か答えが知りたかったわけでもなく、この足で歩いて、この目で見て回って、本では感じられない何かを感じたかった、、、、それが旅なんだと思います。
今回、こちらに来て肌で感じたのは、貧しい環境の中で迫害を受けて尚キリスト教を信じ続けた人たちの壮絶な思い、明治以降、晴れて解禁になって信者たちに寄り添った神父たちの双方の壮絶な思いが肌で感じられた、要はこれに尽きるのかなと思います。
写真を撮っていて最も必要なものは、この肌で感じる感覚だと思います、都会暮らしの人たちは物は便利で情報は豊富だけど、写真を見て時々感じるのは肌で感じて撮っていない、スキルやアタマが先行して物を捉えるばかりで肌で感じて捉えられていない、でもこれは感性能力だと思います。
ずいぶん昔、ある人がこんなことを言ったことが記憶に残っています、「インドにこの前ふらっと1ヶ月くらい行って来ましてね、、、、すごいですね、あの国は、、、本を10冊くらい読んだほど中身がある旅でした」
僕はもうすでにその頃インドは行ってその話を聞いていましたが、それを本10冊読んだくらいと表現したのが、なんとも言えず奇妙な表現だなと思いましたが、それくらい内容の濃い旅だった、と言いたかったんでしょう。
宗教の概念、またこのように旅で感じる概念感覚は日常生活では感じられない、日常から離れた世界観に浸れるもので、僕が写真を撮る上で大事な栄養源だと思っています。

最近の、、、、(とは言えずーっと前からだと思いますが)世の中の、物事の移り変わりは止まることなくどんどん進化していきます、数年前のパソコン、スマフォはバージョンが古くて使えないと言われるほど物事は移り変わります。果たしてこれは必要なのかな?って思いながら、渋々受け入れるしか選択肢はないので、好きとか嫌いは横に置いて受け入れています。
使いこなせるようになると、確かになるほど、、、、と思いながら使っています。昨年、アイルランドを旅した時に持参したノートパソコンが壊れ、仕方なく一切の情報入手はスマフォだけに頼るしかなくなりました、普段はあまりスマフォはアテにしないんですが、この時ばかりは頼るしか手はなく、慣れてみるとなかな使い勝手のあるものだとやっとわかりました。
これ一本でアイルランドの島の道のはっきりしないナビゲーション、宿の検索と予約、日本とのやり取り、電話機能だけではなく様々な機能、もう無くてはあり得ないシステムです。
でもこれに浸っていると人間が本来持っていた、ある種の感知能力みたいな感じる能力が、少なくとも、育つとは言い難い 方向に向かってる気はします。とは言え今風の若い子たちを見てると間違いなく古い世代のおじさんおばさんたちより、 鋭い感覚を持ってるように感じます。
感じる人はどの世代も感じられるし、感じない人はどの世代も感じないし、、、、。
話をまとめると、都会の流れのなかに生活していると、パソコン感覚とは逆な、かつてここで激しい迫害と晴れて解禁になった時、凄まじい勢いで教会を建てた人たちが長崎の五島列島にはいたことを肌で感じる旅に来た、それはやはり迫害の歴史を肌で感じる巡礼の旅なんだと思う。

平凡な日本の家並みの中に建つ西洋式教会建造物。 

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昔、インドのゴアで海辺の小屋とバイクまで借りてそこでいっ時、生活をしたことがあります。
その生活体験があって今のように鎌倉の海辺に家を持つことになったと思う。
インドがイギリスから独立した後も、ゴアはずーっとポルトガル領だった土地で日本にキリスト教を最初に伝えたフランシスコザビエルの墓はここゴアにある。
ゴアがおもしろいのはインドであってもキリスト教の教会があちこちに点在している、また女性もサリーではなくスカート姿が圧倒的に多く、あのいわゆるヒンズー色の濃厚なインドではない、インドでありながらインドらしくないサラッとした雰囲気がゴアにはあってインドに疲れた旅人はゴアで疲れを癒す場として昔から人気がある。
その土地に紛れ込んだ異文化と共存する土地はおもしろい、例えば中華街もそう、横浜の一角に中国人街があるのはいわゆるエキゾチックな気分でちょっとした旅気分になれて僕は好きだ。
前置きはこれくらいにして、長崎の五島列島はやはり贔屓目に見てそこはただの過疎地の島だ、集落を見ても若い子たちが島を出て行くたくなるような典型的な過疎風景なんだけど、そこに忽然と立派な本物の煉瓦作りの教会がある。建物を外観から中まで目を凝らして見たが、実にしっかり手を抜かない建物にはよくここまで作ったものだ感心する。
こんな教会は本土では見られない、村人の経済力から見ても、ちょっと立派すぎる建造物だと思う。
周りの家並みは平凡な田舎の風景に忽然とドーンと教会は建っている、もしこれをヨーロッパの片田舎で見たとしたら特に何も感じないが、こんな日本の田舎で見るとグッと来る、過去の歴史を前提に想像すればおかしなことではない。
長い間、迫害された隠れキリシタンの方々は明治に変わりやっと念願の信仰の自由を手にした時、フランスから宣教師たちが続々と長崎にやって来た、そこで教会建築に熱を帯びた、ないお金をかき集め、そこまでしてでも立派な教会が建てたかったんだろう。そこに執念に似たものを感じる。
興味深いのは、その当時、日本に来た宣教師たちは教会建築技術まで持っていた、これはモノマネではなくフランス宣教師たちの指導のもとに神父自身が教会建物を設計して日本の大工たちに教会建築を指導して建てた。その第一人者が鉄川与助だった。
今回の巡礼は鉄川与助の教会建造物に重点を置いて回っている。建物の細部を注意深く見たが凝った作りが随所に見られ、鉄川与助の教会建築には情熱を感じる、でも鉄川与助は最後まで仏教徒だった不思議な話。