アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

モノ作り悦楽指南 

昨日日曜日、渋谷のスペイン坂で友人が個展をしてるので見に行ったついでに東急ハンズに立ち寄りました、ハンズに来るのは本当に久しぶりのことで多分20年ぶりくらいじゃないかと思います、考えてみればあれから僕は家一軒を自分で大工と一緒に作った体験もしたり、、、モノ作りはあれもこれも一通りさせてもらい僕も年を取ったわけです。
ハンズに立ち寄った目的は具体的用件でインチ規格のネジを探していました、大船のホームセンターに行けば手に入るのは分かっていますが、渋谷に来たついでですし、久しぶりにハンズを見たくなりました。
ハンズと僕の関わりは以前僕らがまだ東京に住んでいたころ、時代はまだ90年代ですが東急ハンズはモノ造りの聖地のような場で、何かを作る、素材を探す、モノ造りの気分になりたければ、まずは東急ハンズに足が向かったモノでした、ハンズに行けばあらゆる素材マテリアルが揃った場所で、そこでモノを見てると1日が終わるくらい当時の僕らには時間が潰れる場でした。
また当時のクリエーターたち、スタイリストさん、美術さん、そこで必要な撮影小物素材探しはみんな東急ハンズの紙袋に入っていたものです、東急ハンズは私たちクリエーティブ関係の人たち御用達で大きな影響力があり、その名は全国に知られ支店もあちこちにありました。
とどのつまりはあのころはモノを作るとはハンズにお世話にならなければ何も話が始まらなかった時代だったのかもしれません。
昨日久しぶりに行ったその印象は確かに一店舗にあらゆるカテゴリーの素材と用品が一堂に揃ってるのは魅力で相変わらずの集客数だったけど、ハンズは一時のあのハンズではもうなくなった噂は耳にしていました、もうこの時代、何かが欲しければなんだって通販で翌日送られて来ます、わざわざハンズに行かなくたって素材はカンタンに揃う時代です。
さらにハンズは基本的に価格が量販店にくらべて高く、それはどうなのかな、、、現状は渋谷本店では相変わらずの客数でしたが、各支店は片端から閉店撤退しています。
たしかに店に一歩入るとモノ造りできそうなイメージにまで引き上げてくれるから眠っていた物作りの感性を刺激します、この素材はこんな風に使ってこう考えればこんなことができる、イメージ見本が店内の至るところでディスプレー展開され見本は満載です、それは見てるだけでも楽しいし、普段モノを作らないビギナーでも作ってみたい不思議な気にさせてしまう雰囲気と説得力はやはりそこにはあると思いました、これはビギナーにとってはたまらないでしょうね、、、、。
ただここからハンズの抱える欠陥部分の話になりますが、まず強く感じたのは普段モノ造りはしない人たち相手、作る場所と環境を持たない人たち相手、マンション暮らしの都会の人たち相手には、モノ作り入り口として手っ取り早くて良いかも知れないが、本当に何かを普段から作る人にとってはこれでは非現実的であまり役に立たない場に感じました。
実際、ネジのコーナーではそのストックアイテム数が少なく、そこで感じたのはほんの入り口程度でしかなく僕が探していたカメラの3脚に挿すインチ規格ネジ在庫はなくネットで探すことにしました。
また木材コーナーもそうですがあれでは同じ板を1〜2枚買う程度しか在庫数はなく本当にモノを作る人にとってはハンズは間に合わないのが実態でもっと大きなホームセンターに必然的に足は向くしか手がなく、品目数、在庫量があまりにも少なすぎたり、価格設定も高すぎたり、そこは単なるショールームで作り方イメージを見せる場であって、現実的モノを作るノウハウを持った人は多分誰もそこで買わず、仮にそこで見つけたとしても通販でもっと安く買う人が多いと思う
都会の真ん中でこれがやって行ける時代はもう終わった感じがしました、でもその一方ではこんな風にも感じます、今の日本、自分の手でモノを作らない人で溢れた国になって、何でもかんでも量産されたモノばかり世の中に溢れた時代、モノを作らない人にとってはそこは良いショールームであり便利は店なのかもしれない。
今や日本では人が自分の手でモノを作らない風潮、主婦の料理も手っ取り早い簡素化されたモノが多く、職人の工房が街から消え、日本はモノ作り文化が深刻なほど消えた気がします、その点、ヨーロッパではモノ作りの風潮、職人は日本よりまだ健在のようです、鍛冶職人、看板職人の絵看板を店の入り口に掲げる店は今でも珍しい光景ではない、家のフェンスや窓枠も職人モノはまだまだ健在のようです、でも悲しいかな日本ではモノは効率的な安い量産物に支配される一方になりました。
この時代、自分の家を自分で直すとか壁のペンキ塗りを自分でするとか、モノ造りがあまりにもしない大人たちが増えすぎた時代です、東急ハンズはそんな初心者向けに打って付けな隙間産業なのかも知れない、でも通販でいくらでも買える時代ですからハンズはどこまで存続できるのかと感じます。
ちなみにアメリカに行けばまずレンタカーを調達します、車さえあればどこだって走れます、郊外にある大型のホームディポ(アメリカ屈指のホームセンター)を見つけその度に足を止め店内見学します、そこで目の当たりにするのは家一軒分丸ごと買って、そのパーツを小分けに運んで家が建てられるくらいシステムは徹底しています、実際それで建てた人はいくらでもいるでしょう。
ヨーロッパでもそうです、自分の家その周辺の雑事は自分でなんだってやってしまう人は日本に比べて格段に多く、その背景はホームセンターは結構充実しているんですが、残念ですがいつの間に日本人はモノを作らない国民性になりました、世の中は中国製の安物ばかりで間に合わせの風潮になりました、文部省は偏差値教育ばかりするんではなく、もっとそんなゆとりの生き方が指南できる人材をもっと揃えるべきではないかと僕は憤りを強く感じます。

国外遊学の悦楽指南 

僕は海外に行くことが凄く好きです、昔から海外に行く度、空港では気分がワクワクします、でも実はその目的とは旅行に出るとはつまり外に気分を変えに行くことなんだと思います、本当はそれが好きで定期的に日本を出るんだと思います。
国内の旅行は前にも書いたんですが、ここ昨今、わざわざ九州、北海道に行こうが、そこで国道を車で走っても、そこでの印象は関東とあまり変わらない見慣れた風景ばかりが目に飛び込んで来ます、量販店、ファーストフード店、コンビニが相変らず立ち並ぶ風景、これは見る度に心底愕然とし、遠くまでやって来た気分を萎えさせます、またテレビをつけても見慣れたものばかりで国外に出ないと気分は変わらないですね。
日々の生活で見慣れた風景で、同じ場所、同じ思考、同じ目線、同じ感覚で止まった感覚が僕は耐えられないです、それがとにかく好きじゃないんです、でも日本の外に行く度に日々の生活で停止状態になった思考は外の空気を浴び風通しを受け物事の尺度はヒックリ変えさせられます、この尺度の激変体験が僕は基本的に好きなんです、それについて書き出せば、延々に話すネタはありますが今日はその一端、初めてそれを体験した話しを書きます。

まず外に行くとしてもどこに向かうのか?アジアなのか欧米なのかで感じる気分は大きく違いますが、例えば初めてフランスに行ったことついてです、最初にパリに行った時は僕がまだ二十歳でした、中学生の半ばからフランスの独特な文化感覚にハマってマジにフランス語を勉強し始めました、その後もあきずに何年も何年も勉強を続け二十歳で念願のパリに行きました。
フランス語なんか誰もが話せない中、少しでも話せればもう羽が生えて空が飛べるような特権を僕は持ったような優越感を感じつつパリに行ったようなものです、さてそのみんなが憧れる花の都のパリのハズですが、現実はそうではありません、 行ってまず最初に感じたのは日本人印象のパリ、目の前にあるパリでは大きなズレがありました、最初に感じたパリはキレイでヤワなパリなんて超幻想でしかなくメチャクチャワイルドな凄まじく、汚いパリでしかなかった印象でした。
汚くて凄まじいパリ、、、それは僕としては意外でした、花のパリであって欲しかったけど、現実はそうじゃない、女の子も雑誌に出てくるようなみんながモデルさんみたいなパリかと思ったけど、現実のパリはダサいおばさんおっさん、ダサいオネーチャンでいっぱい溢れています。
街は不潔で汚いと言うより、これまで知らなかった汚れ感覚です、地下鉄の駅は使い終わった黄色いキップが線路に投げ捨てられていていました、これは汚いんではなく言葉にならない凄まじさを伴った汚なさに感じました、これまでの自分の人生概念の尺度では計り知れない汚れの美学とい言うか、、、、日本では考えられない美醜観でした、こればかりは体験して慣れるしかない不可思議な感覚ですかね?
またパリに着いてすぐに乗ったタクシーでは運転手は話し好きなのか、必死に話す僕のフランス語を彼は運転の半分くらい後方座席の僕を見ながら運転しています、時々目の前を車が飛び込んで急ブレーキを踏んだり、危ないというか、ハチャメチャというか、これで物事がよく成立してるな、、、と呆れるやら、怖いやら、底知れずな街に感じました。
街を歩けば1日に一回は犬のウンコを踏むし、信号は決死の覚悟で渡るし、愛想の良いやつと愛想の悪いやつのコントラストがあまりにも激しいし、、、、いったい自分はどこに来ちゃったのか?と思うほど気が変になった印象があります。まあ二十歳の少年がいきなり着いた海外の印象がこれでした。
今パリに行っても、もうそんなハチャメチャな気にはまったくなりません、それは自分があれ以来いろんな国に行って物事に慣れたのか?パリが少しはマトモになったのか?多分その両方ではないかと思いますが、とにかく初めて行った外国が当時のパリでしたが、日本を一歩出ると尺度と価値観はここまで変わるのか?または変わらざるを得ないものなのか?とこれが地球なのかと感じた出会いでした。
日本には侘び寂びの美学、陰翳礼讃の美学の概念が伝統的にありますが、パリの街で観た美学はあの手の雅な品の美学ではなく、もっと退廃的な美醜の美学とでも言えば良いのか、まだ二十歳の少年の美意識には手に負える美学ではないんですが、あやはりあの当時のヨーロッパ生活体験がその後の僕の美意識を大きく育てたのは間違いはないと思います、つまり美とは美醜のバランスによって際立つんだと言うことでしょう。

子供の時、大人たちから押しつけられるように教えられた生きる訓示「世の中とはこういうものですよ、、、」こんなもの、一歩外に出たらなんの根拠も役にも立たないじゃんか!そんな憤りを僕は感じつつ、大人たちに押し付けられた尺度なんてものは、土地が変われば、泡みたいに役に立たないもの、そもそも尺度なんてものは自分の目で見たものを信じるしかない、つまりは自分の感じるまま好きに生きるしかない、それで良いんだ、、、と自分の生き方に出会った体験でした。

遊び心のステーショナリー指南 

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日本はしっかりした文化のある国に間違いはないけど、やはりステーショナリーつまり文具用品に関しては欧米のステーショナリー文化に触れてしまうと日本の文具用品の底の浅さをやはり痛感せざるを得ないです、でもここで日本の文化の足らなさの文句が言いたいんではないんですが、本場はやはりステーショナリーの歴史文化が日本とは比較にならないくらい違うんだな〜と感じます、今日は僕が感じる一端をお話します。
昨年の12月22日に「万年筆にハマる」で万年筆とノートにハマった経緯を書きました、興味ある方はバックナンバーを読んでいただけたらと思います、だいたい僕は勉強なんかしなかったからステーショナリーについて偉そうに書けないんですが、英語勉強から実感したことです、やはり何か勉強を楽しんでするからにはステーショナリーはいいものを持つのはいいことだと思います。

その前に少し触れたいのは高校生のころフランス語を真剣に勉強していました、ひょんな経緯でフランスの女子高生とフランス語で文通していました、はるばるフランスから送られた手紙、その文化の大きな差にまだ若かった僕にとってかなりショックを受けました。
あの当時はまだ70年代半ばです、日本円も強くなり始め日本はやっと豊かになり始めたころでした、でもまだ日本で便箋に手紙を書くことで、当時どこでも普通に買えた便箋とはコクヨのデザインもへったくれもないジジくさい便箋かファンシーショップに売ってたガキっぽいイラストの便箋、このどちらかしか選択肢がなかった時代、フランスから来た手紙は圧倒的シックな紙質の便箋にセピアインクの美しいフランス語の筆記文字、これには天地がひっくり返るほどのカルチャーショックを感じました。
毎回送られて来る度にインク色が違ったりいろんな紙質の便箋だったり、圧倒的に手紙文化の違いとそこに漂う空気の違いにやられていました、、、、、そもそも英文字筆記体は学校で習ったものだけがすべてかと思っていたら、そこに書かれた文字はこれまで見たことがないアメリカ様式ではないヨーロッパ様式でそれ自体がショックでした。
あのころ日本の女子高生が書いていた文字は今では多分もう見られない可愛い丸文字体が主流で末尾にハートが書かれたりで、使う言葉も甘ったるい世界観だった時代にフランスの女子高生が書き送った手紙はもうIQ数が基本的に違うのか、日本とフランスの圧倒的文化レベルの差を感じ、文化って大事なんだな、、、、と感じた出来事でした。
この手のカルチャーショック体験は日本語で上手くぴったりと上手くハマる言葉って何かないですかね?ズバリ言い当てた言葉が見つからず言葉にならない思いですが、あのころの僕にとってはそれは衝撃的でした、そんなカルチャーショックが新鮮で僕はフランス語を勉強していたんです、、、、、多分幕末の志士たちはどこかそれに似た気分で海外文化を吸収していたのかなと思います。

さて前置きはこれくらいにして、、、、昨年アメリカに撮影に行った帰りに、わざわざロスアンゼルスに現像出しに立ち寄り、そこで余った時間、みやげ物探しに雑貨物スーパーにスタッフで行きました、1時間後にこの場所に集合という約束で各自自由時間の買い物散策を始めました、店内をクルクル回りますが、大半は食料品とか生活用品ばかりの店です、今回は食品類はみやげに買う気になれず、僕の足が向かったのはステーショナリー(文具用品)コーナーでした。
特にこれと言ったみやげ物は見つからなかったけど、ふと目が行ったのは革の厚いノートでした。サイズは25x17,5センチ、B5サイズくらいです、特に欲しいものが見つからず仕方なくというか、、、何気に数冊、自分と家族用に買いました。
この手の革の厚手ノートは日本ではちょっとした文具専門店でも見かけません、ちなみに伊東屋、アマゾンのホームページで丹念に探しましたが、意外にこの手のノートって日本人は買う習慣がないのか、、、滅多に見かけません、でもアメリカでは、大きな食品スーパーの片隅の文具コーナーにだって売っていました、日本と欧米では趣向の違いがここにありました。
その時、買いたいものが他になかったし、探す時間をたっぷりかけられなかったし、まあこれでいいや、、、、、と革ノートを手にしたんですが、持ち帰った当初は特にアテもなく放置していました、でも中を開いてしげしげ見ると紙質が厚めで英語学習にいい感じだなと使い始めました。
僕は学校時代、学校で学ぶ勉強は少しも興味が湧かず、ノートは書かないと先生に怒られるから仕方がなく書いていただけです、ノートに愛情を持って書く考えはなかった、その発想すらなかった、だから当然書く文字は乱雑だった、あとで見直したところで自分で何が書いてあるのか分からなかった、見る気もしなかったし、ただ白い空白を鉛筆で書き埋めていただけでしかなかった。
ところがこの歳になって再び英語勉強を始めて実感したのは思うようにアタマに入らない現実を痛感します、今の僕にとって学ぶとはアタマに入らない現実との戦いです、90%はアタマに入らずどこかに消えます、いかにしてそれを80%以下にするか、またはその現実とどう付き合えるか、日々あれこれ工夫しながら考えます。
当然、学んだことのノート記録は必須です、電車に乗った時、待ち合わせで時間が余った時、ノートを広げ繰り返し復習します、毎回毎回が繰り返しですが、そのうちに英文字を書くことが楽しくなりました、書くならボールペンではなく万年筆で書きたくなりました、いろんな万年筆で書きたくなりました、それで万年筆を片っ端から探し買い漁りました。
好奇心はさらに膨らみます、毎回、同じ色のインクで書くのはつまらなくなりました、何本かある万年筆にそれぞれ違うインク色を詰めて書いたり、色を調合したり好みのインク色を作って書いたりします、もし学校でこれをやったら先生から怒られるかもしれないけど、ここは学校じゃないから自由な色で書いたりできます。

革ノートに英文字を書くことがとても楽しくなりました、日本語の文字より僕にはアルファベット筆記体の方が肌に合っていて楽しいです、今や僕にとってノートを広げペンで英文字を書くことは至福の時の一つです、なかなか覚えられない英語フレーズですが、書きながらアタマに押し込んでいます、ややもすると書くことが目的になりがちですが、それは本末転倒で慎重になりながら文字を書くことを楽しんでいます。
この時代、ペンを手にして文字を書く習慣が少なくなった時代かも知れませんが、僕にとっては楽しいことです、せっかくですからやはり薄い数百円のノートにボールペンで書くんではなく高級ノートにお気に入り万年筆で好きなインクで楽しんで書くことだと感じました、それらの革ノートは日本でも買えるのか、いろんなサイトを調べましたが意外にないですね、日本ではあっても選択肢がほとんどない、また価格が海外に比べて首をかしげるくらいバカみたいに高いのが現実です。
妥協して高い価格で買うなら海外から直接、買った方が選択肢も広く送料を払ってもまだ安い、ちなみに海外サイトを調べる場合、noteではなくbound journal で検索した方がすぐ探せます。
僕は何かをする度に同じ轍にハマります、集中すると必ず国内で入手できる素材に限界を感じます、結局海外から調達するしかなくなり海外サイトに行き着きます、そんな訳で英語力は好きだけではなく必須としてやっています。
日本という国は現実的で物は豊かな国です、パリにはビックカメラのような店はなく街の片隅の小さな店に頼るしかないようです、日本は常識的なものばかり豊富ですが遊び性の文化、その非現実的な余白部分が浅いというか、多分国民性から言って永遠にこのまま変わらない気がします、そんなメンタルな文化性は残念ですが文化後進国とあまり変わらないレベルなんだな、、、、、少なくとも洋式ステーショナリー文化はそうだと僕は思います。

またノートにハマったついでに万年筆についても書きますと、自分の好奇心を刺激する万年筆、書いていて楽しい万年筆を探すうちに感じたことですが、確かにペンは書き味は大事です、多分日本製万年筆の品質は海外でどこにも負けない物作りだと思います、でも革ノートと同じで、どうでも良い説明の付けられない不可解な余白部分とでも言えば良いのでしょうか、意味不明な嗜みは日本全般には何かが物足らない気がします。
万年筆の代表格は誰もが知るモンブラン、ペリカン、パーカーですが、どうもそれらにあまり興味はそそられず、目下、手ごろな好みは、ウォーターマン、シェーファー、クロスに興味は集まります、僕はこれらのデザインの美しいスタイリッシュな万年筆が好きです、今のとこ目を付けているのは高価ですが、ヤード、オ、レッドの銀のペンが欲しいと思っています、まだ一般に知られていない余白部分の魅力を感じる万年筆はまだ他にもたくさんあります。
ロスアンゼルスで何気に手にした革のノートから万年筆にハマるまで僕のステーショナリー文化はひょんなことから始まってしまいました。
さらについでに言えば、そういう意味不明な余白部分はとても大事です、この説明がつけられない余白部分がその人のメンタルな作品をカタチ作るんだと思います、逆にそういうメンタルな余白部分がなければ作品はいつまでも理屈の感覚から抜けられないんではないかと思います。

これからの魔法植物園 

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昨年6月魔法植物園は初回の個展発表しましたが、まだ完成ではなく今後どうするかあれこれ考え思案しました。
そもそも作品作りというのはアタマで考えてそれでどうにかなるものではないと僕は思います、こればかりは閃く思いか前々から心に強く感じている情動的なものかどちらかでしょう、そもそも表現はアタマで作るものではなく心にある感情を素材にすべきでその官能的情動に拠るものであって、アタマの思考、表層域で作られた作品ほど退屈なものないと僕は思っています。
しかしいざ作るとなればなかなか思うがままに閃きや官能的情動は動き出してはくれず自分の心の奥に隠された気まぐれな創作欲は気長に湧き上がるのを待つしかないのが現実です、または自分にそうなるよう仕向ける以外に手だてはない、とにかく湧き上がらないからといってアタマで作ってはならないのが鉄則です、それはどんなに美味しい料理を口にしたところで食欲がない時はアタマを全開にしたところで料理は美味しく味わうことは出来ないと同じことです。
さて前置きはこれくらいにして、魔法植物園という作品はやって感じるのは面白いテーマではありますがなかなか一筋縄では行かない難しい作品です、なんせありふれた植物に魔法をかけるように隠された世界を引き出し撮るわけですから、、、、、、始めはなかなか自分の思うように植物に魔法はかからず制作は苦労しました。
しかし撮り進むうちに少しづつ少しづつ怪しげな魔法雰囲気が写り始めました、その怪しげな目線から過去撮った作品を改めて振り返るとそれはやはりどこか現実的な空気が写った写真に感じます、やはり今後、自分が撮りたい魔法植物園の作風はもっと非現実的な世界に持って行きたいと感じています。

作品作りは必要以上に手法に拠っていてはつまらなくなると思います、もちろん手法の不足はお話しにならないんですが、手法はあるのは当たり前が前提です、理想は手法は盛り沢山でもそう感じさせないことです、要は自分が描くべき世界ビジョンがどれだけクリアーに見えているのか、、、、ここが決め手です、これが見えていないと無駄が多すぎて僕なら相当消耗させられ疲れます、しかし世界が見えてくると勝手にモノがおもしろいように写って来ます。
昔、ある宗教家が話した言葉ですが、これは僕の心を捉えた言葉です、正確には覚えていませんが、その意味は、「世界とは自分が深めた分だけ実相を私たちに見せてくれる」この場合の世界とは世界各国の世界ではなく意識世界の世界を意味しています、しかしこのニュアンスはまるで世界はなんらかの神のような意思を持ったような印象を感じさせられます。
ここに隠されたその意味はつまり人間は現象界と意識界、この双方の矛盾した世界を共に生きる存在です、まさに般若心経の極意で、色即是空、空即是色です、しかし人は世の中の現状は目に見える現象界ばかりに重点を置いています、特に今はそれがより顕著な時代です、スマフォがもてはやされるのは、その効率的物質情報がもてはやされるのはまさにそれを意味しています。
「描こうとする世界がクリアーに見えれば必要以上に手法に頼らなくとも描くべき世界は勝手に表に出ます」これは僕は30年くらいの創作経験から強く感じます。
しかし現状、駆け出し作家に多く感じることは、メンタルな世界観が見えていないと不足分を手法に過剰依存し作品制作してることを感じます、手法はかなり上手いんだけど、そこに中味がほんとんど感じられないことが多く、逆に世界が明確に見えている人の作品は特に仕掛けは感じがないんだけど強いメッセージが伝わってくる、この作品は見る側の心を捉えます。
まあ理屈話はここらで置くとして過去2年くらい前の椿カットと今年撮った椿カットを見比べれば、ここで言いたいことが少しは伝わるかと思いますが、この2点の世界観をどう感じるかは見た人次第です、、、、、、、、、。

三原山フライト体験記 

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まず冒頭に注釈します、この画像のサイズ感がはっきりしない、枯れ草が一体どれだけ大きなものなのかが分からないと思いますが、最も小さな枯れ草ですら人間の腰までかそれ以上の大きさがあります。
大島三原山でドローンフライトテスト飛行のために4日間、準備したけど、その4日間全て強風に遭って手も足も出なかった、部屋で何もしないでただ指をくわえて風が止むのを待ってるのもなんだと、、、実際に三原山中腹までロケハンに行った、でも行ってみるととてもドローンが飛ばさられる状態じゃない、上げられるかもしれないけどあまりにもリスキーなのは間違いない、上げた途端、機体は飛ばされっぱなしで帰ってこないことや墜落は十分考えられる。
ドローンは程度のいい空を飛ぶオモチャのような印象が僕には最初はありました、実際手にして感じたのは、その入り口はフライトスキルと諸々の知識がないと危険で飛ばせられない、一つ間違えば法律に触れたり大きな責任問題にもなり得る危険なものでもあります。
でも難しい話はさておき取り敢えず飛ばすだけならGPS環境さえあれば未熟者でも飛ばせます、ドローン自体がロボットだから自己制御すべてしてくれるし目視範囲を飛ばすだけならさほど問題はないと思う、でも動画が撮りたいなら本当のスキル問題、操作能力はここから始まるんだと痛感しました、まあそれを認識するための大島フライト旅行だったと思います。
ドローンで動画撮影の場合の最初の難関は画像センスをあれこれ問う以前にドローン飛行の操作能力です、滑かな旋回、上昇、スピード、すべてがスムーズな操作力が必要です、そのため送信機スティック操作がスムーズにできないと動画として見苦しい完成度の低いカメラワークになります。また撮影とドローン操作を一人でこなす、これも相当なスキルが要求されることにもあらためて気がつきました。
普通はカメラでプロの仕事をする場合は何かをするにつけ本番でカメラ操作に手こずったり撮影ミスは絶対に許されないので事前のカメラテスト撮りを十分にします、そして本番でそのテスト結果が発揮できるようにテスト撮りを繰り返します、現場で撮影が雑にならないように事前のテスト練習は無意識に手がスムーズに動くまで自分に教え込みを繰り返しが求められます。
それには普通まず身近な環境で本番想定してテストを繰り返します、もちろん僕もそうなんですが、僕の場合はわりとテストであろうがわざわざ三原山まで足を運んで飛ばさないと、カラダとココロが今ひとつ乗って来ないし緊張感が本気モードじゃないからテストであろうが気持ちが高揚する場所を選びます、そうじゃないと気持ちのどこかで気の緩みが出ます。
もちろんすべてそれをやっていたらお金が持たないからほどほどにしますが三原山で実感したのはドローンが見せる風景はやはり想像通りあまりにもすごかった、近場でテスト飛行したとしても風景が物足らないと、ああすればよかった、こうすればよかった、本番並みの切迫した緊張感のある課題がそこでは多分見えなかった気がします。
今回大島に5日間いて飛ばせられたのは最後の半日だけで手持ち電池と時間都合でわずか4フライトのみでしたが、そこで感じたのはこれでは本番では十分なフライトは期待できないな、、、と多くの課題露出と悔しい思いを知った大島フライト旅行でしたが、まあこの課題と悔しさを次に繋げます。
でも帰って来て撮った動画をパソコンで見るとやっぱり風景がすごいのは気分が高まります、さらに思うのはドローン は撮影ツールとして静止画より動画の方がずーっと効果的で面白い、、、、なと思いました、そんなわけで想像してた以上のスムーズな操作性が求められていることを痛感しました。