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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

この時期によく耳にする「戦争反対のスローガン」について(後半) 

昨日は日本が明治に戦った日露、日清戦争の話でした、今日はその続きを書きます。
僕が感じていた明治維新とは、当時の世界の流れは海外進出、植民地支配、強い国が弱い国を支配し、もう徳川幕府では通用しなくなり日本は近代国家に生まれ変わらなければ列強に支配される危機感に陥り幕末志士たちが明治維新を起こしました、日本侵略を狙う諸国の中でもロシア脅威が最たるもので、明治維新の真意とはロシアに支配されない国作りだったと思います。
しかし、日本は最大の脅威ロシアに戦勝し、これまで脅かされ続けた脅威が消え去って、大陸進出に道筋がつき、台湾、南樺太を手に入れました、これは幕末から維新直後に比べたら日本は羽が生えたように飛躍的に国家体制は整い極東アジアでの主導権を手に入れたわけです、もし日本が戦争をしないでこれを手に入れるとしたら、一体どれだけの時間と投資が必要でしょうか?軍事力ほど手っ取り早い国家の発展は他にないと考えたとしても笑ってごまかせない国益があったのは紛れもない事実です。
「戦争反対」これは誰だって戦争なんかしたくないのは当然です、でも当時の日本には世界に売れる工業技術、工業生産力なんて何もなかったのです、あったのは絹製品とか陶器です、まして資源もない日本が列強に支配されない独立国家として生き延びて行くには、軍事力を傘に大陸進出するしか考えられなかった、これは現実を知れば誰も責められなかった、僕はナショナリストでも右翼でもありませんがそう思います。

さて、今日は日米開戦についてです、どうしてアメリカと戦争なんかしたのか、今考えると信じがたい話です、そもそも日本は日露戦争では英米に助けてもらって国難をなんとか切り抜け、日本は両国との関係はとても上手く行ってたハズだと思います、それがどう言うボタンのかけ違いで戦うことになったのか、、、、そこが不思議で自分なりに調べてみました。
調べるうちに見えてきたのは満州の利権争いでした、当時の中国は清王朝が崩壊し中華民国に生まれ変わりました、清王朝とは満州族出身です、しかし清王朝は崩壊し満州は支配者不在の空白地帯になります、そこに列強たちは満州支配を目論んでいましたが、ロシアは日本敗戦から体制崩壊しやがてロシア革命が起きます、世界は激動の時代で権力体制が入れ替わりの時代だったわけです。
日本は明治維新を経て近代国家となって日清、日露戦勝に勝利します、朝鮮半島の李王朝も崩壊し日本に併合されます、日本は戦勝を機に大陸進出に弾みをつけます、周辺国にとっては日本の台頭ぶりは新たな刺激であると同時に脅威でした、それは有色人種が白人国家に戦争を挑んで勝利し歴史常識を覆した大事件でした。
やがて時代は大正から昭和に変わり日本は中国大陸の侵略をさらに進めます、でもその辺りから日本は暗転の道を進み始めます、当初はさっと片がつくと甘く見た日中戦争は,あっさり片がつくどころか泥沼にハマり収拾がつかない状態に陥ります、国際連盟では常任理事国の立場を得た日本は世界中から非難集中し日本包囲網が出始めます。
日本関東軍は紫禁城を追放された清王朝の溥儀皇帝に近寄って溥儀を皇帝に仕立て満州国構想を持ち出しますが、その実態は日本の傀儡政府で満州は事実上日本の植民地になります、事実多くの日本人が夢と希望を抱いて満州開拓に移民しました。
国際的居場所を失なった日本はついに国際連盟を離脱しナチスドイツと同盟関係を結びますが、、、、、これが日本暗転の始まりのきっかけだったのは言うまでもなく、ナチスは当時ヨーロッパ全土を敵にしていましたが、ナチスと同盟を結んだ日本はもはやアメリカ、イギリスは容認できない立場になります、アメリカは日本に石油と鉄の輸出供給を全面禁止します。
僕がこれを書い「どうして日本は日米開戦に陥ったのか」その理由はこの辺りがピークでこれが太平洋戦争の経緯です、当時日本はアメリカに石油鉄の依存率がなんと70%もあったのです、考えてみれば70%も石油をアメリカに依存してたわけですから、それまでの両国関係は同盟関係に近いほど関係は良かった証拠です、それがどうしてそんな流れになったのか、日本は大陸侵略から手が引けない泥沼にすでにハマって後戻りはできないほど陸軍は暴走していたわけです。
陸軍の開戦論に対し海軍は冷静で開戦に反対立場でした、仮にやったとしても1年以上戦える余裕はないと海軍は主張します、意外だったのは同じ日本の軍でも、海軍と陸軍の関係は1枚岩ではなく考えも全く違っていて海軍には英米親派が占めていました、真珠湾奇襲の総指揮官の山本五十六はアメリカ留学経験者で開戦反対派でした、また2、26事件の青年将校に対し昭和天皇は激しく激怒されたそうで、天皇ご自身、日米開戦は反対でした、国の行く末を冷静に見ていた知識層は当時の流れに非常に危惧していたそうです。
でも時の流れというものは恐ろしいもので日本は泥沼に足を踏み入れ、もうどうすることも出来ず、まるでブレーキの利かない暴走列車のように日本はそのまま開戦へと突き進んだわけです、ここで感じたのは、日清、日露戦争で手にした戦利品の数々、これが日本の流れを変えた始まりだったように思えます。

この時期によく耳にする「戦争反対のスローガン」について(前半) 

8月の半ば、毎年この時期になると耳にするのは戦争についての話です。
戦争は絶対反対、平和のありがたさ、、、もう耳にタコができるほど聞いた言葉です、ちょっと不謹慎ですが、果たして繰り返えされるその言葉に実態があるのか、、、とすら思います、あまり無意味に反戦スローガンを使えばその言葉に込められた本来の肝心な心を失って、それは単なるカタチと化します、日本の近代史でもっとも重要な事件の形骸化を危惧しますが、果たしてどうなのかと僕は疑問に思います。
平和が大事なのは当たり前です、でも戦争がそんなに忌まわしいなら、、、どうして日本は愚かな戦争をしたのか、、、太平洋戦争はどうして起きたのか?そして戦争が終って、日本は敵国だったアメリカ一辺倒になりました、そもそも日米関係とは一体どういう関係なのか、と僕は思います。
もし、本当に日本人は戦争に懲りたならば、どうして明治から昭和にかけて日本は何度も戦争に明け暮れたのか?それはぜひとも知っておく必要があると思う、でも実は日本人はそこが意外にも無知で何も反省はしていない、事情を何も知らない大人があまりにも多すぎる、それをきちんと教えない風潮はおかしいと思います、でもこれが日本の現状です、これでどうして反戦スローガンを叫ぶのか?僕にはそれは虚しい話にしか聞こえない。
そう書く僕も実は数年前まで、どうして日米は決戦したのか、どうして泥沼の大陸侵略に日本はハマったのかを知らなくて、気になって数年前、自分なりに調べ、考えて見ました、そこで微かですが僕なりに見えてきたのは、なるほど、、、そういうことだったのか?どうして日本は戦争にハマったのか僕なりに見えてきました、今日はそれについて書きたいと思います。

それについて一言で言えば、それはまるで将棋倒しのような出来事でした、一つの出来事が、次の出来事をひき起こし、また次の出来事が、、、、またその次の出来事を起こした、負の連鎖の末に日本は日米開戦にまで転げ落ちて行った、まさかこんなことになるなんて、、、、時の政治家たちはまさかの最悪まで読めていなかったのかも知れない、そうするしか選択肢はなかったのかも知れない、もちろん時の陸軍の暴走はあったと思います、、、でも結局いろんな事情が重なって、最後は日米開戦にまで行ってその果ては広島、長崎に原爆が落とされ戦争は終わった。

日本は明治に日清戦争、日露戦争と2回戦争をしました、まず戦争は反対だと言う前に、その戦争は国防の戦いか、侵略の戦いか、そこを知るのは重要だと思います、この違いは同じ戦争でも大変な違いがあると僕は考えます、そして日露戦争はあの当時の日本では不可避の国防戦争だったと僕は思います。
世界はそんな日本の事情に対し同情的だった、特にイギリスは日英同盟で日本に対し後方支援しをてくれた、ロシア艦隊の本拠地、黒海から日本までの航海上の主要港はすべてイギリス支配下にありスエズ運河の通行を許さず南アフリカを迂回し、ケープタウン、インド、シンガポール、香港、これらの主要港はロシア艦隊の寄港も許さなかった、それはロシアにとって致命的な逆風で航海に必要な、水、食料、燃料、船員の休養は一切なく勝敗の運は日本に味方しロシアにとっては悪夢だった。
その結果、バルチック艦隊は黒海を出航以来無寄港で日本艦隊と決戦することになり、その結果はロシア艦隊は日本に完敗しました、もしイギリスの後押しがなかったら日本は日露戦争で果たして無事勝てたかは疑問です。ロシアは203高地で敗北し旅順を手離し、日本海海戦でも完敗しロシアこれ以上の戦争は続けられない状態に陥った、それは日本も同じで戦費は底を尽き果てこれ以上の戦争続行は不可能でアメリカの仲裁で何とかスレスレのところで助けられた。
しかし日本政府は国民に実態とかけ離れた「日露戦争大勝利」と国民に大々的に告知します、しかしポーツマス条約、講和でロシアからは戦争賠償も取れない、なんとか南樺太をもらっただけで、ほぼ手ぶらで帰国した外務大臣、小村寿太郎に対して戦争勝利の戦利品を期待下民衆から、小村寿太郎は国民から散々の非難を浴びせられ、無知な国民の感情と怒りは収まらず日比谷で暴徒化しました。しかし国民にも言い分はあります、家族に戦死者を出したり、日清戦争で台湾を獲得したり、国民にも大きな負担はあったから暴徒化する感情もわからないでも無い気がします。
話は少し前後しますが、その前に起きた日清戦争について話します、明治維新はそもそも先に書いたように、いつか攻めて来るロシア南下に対してやったようなもので、ロシアに対し富国強兵政策は急務でした、そして近代化と軍の整備は進み、来たる日露戦争のためにどうしても朝鮮半島を日本の支配下にしておくことは至上命令でそれが征韓論だったわけです。
もしあの時、朝鮮半島がロシアの支配下になっていたなら、日本にとってロシアは相当脅威は必至でした、何としても朝鮮半島はロシアに渡す前に手中に収めておかないと日本国防にとってそれは死活問題でした、そこで明治政府は朝鮮半島進出にでますが、清と朝鮮半島の利権争いで衝突しやがて日清戦争に発展します。
これは僕の憶測ですが、国の運命をかけて育てた軍隊は果たして近代戦にどこまで使い物になるのか、来たるロシア戦の前には何としても一度試運転がしたかった、日清戦争の経緯とはこれじゃないのかな、と思います。
それは不可避の戦争ではなく、言いがかりを付けてでも「とにかくロシア戦の前にやっておきたかった戦争」だった気がします、明治政府にとって列強に食い物にされ不甲斐なさを世界に晒し落ちぶれた清をやっつけることなんて、大した戦いにならずに済むと明治政府は考えていた気すらします、そしてその思惑通り日本は清をあっさり叩きました。
さて清に勝った日本はいろんなご褒美を手にしました、台湾をもらいました、朝鮮半島の利権ももらいました、満州進出の足がかりを得ました。これはどう考えても戦争に勝つとはこんなに美味しい話なのか、、、と味をしめたはずです、日本は列強たちが力で手にして来た「侵略の美味しさ」の味をしめたと思います。
土地が余った清にしてみれば、台湾なんてあげたところでほとんどどうでも良いような未開の島でしたが、国土の狭い日本にしたら、台湾が一個手に入るのは大変なことです、それが戦争を一個やったおかげで難なくさっと手に入ったんです、まず戦争反対と叫ぶ前にその事実を知ってほしいんです。
日本は荒れ放題に荒れた未開の台湾に対し莫大な予算をかけて投資整備しました、荒地だった島を農業が出来る島に灌漑整備し、島民を日本人として学校教育し、本土では採れないサトウキビを収穫しました。日本が台湾統治したおかげで台湾人の生活水準は確実に向上したでしょう、もともと台湾は大陸からほとんど相手にされなかった立場からすれば日本に併合され豊かになったのは紛れも無い事実です。
そして日本は日露戦争に突入しました、それは公正に見れば勝った戦争とは言えないしにしてもロシアにとりあえず侵略されずに済み、ロシア脅威は一旦なくなったわけです、また賠償金は取れなかったけど南樺太はもらったわけですし、日本はその戦争で少なくとも世界に先進国としての地位獲得したのは間違いないことです、もし明治政府は一切の戦いをしなかったなら、世界の一等国と肩を並べることが出来たか疑問です。
やはり国力とは悲しいかな軍事力あっての国力です、北朝鮮が核開発が止められない、中国が世界のバッシングを無視してでも南沙諸島に基地を作る、それが世界の実態だと思います。要するに、軍事力あることは主導権が取れるからみんな止められないんです、こんな話の早い、都合の良い外交はない、だから当時の日本軍部は戦争に走った、これが世界の常識で、あの時代はそれが今よりも露骨でした、「戦争反対」とキレイごとをみなさん言いますが、まずはこの事実を直視しない反戦スローガンはどうも非現実的で説得力がまったくない、、、これが僕の実感です。
次回は日米戦争について書きます。

木を狙う矢より太陽を狙う矢の方がよく飛ぶ、、、、これに対する疑問、 

中学の時、新しく生徒会長になった生徒がみんなの前で新任挨拶の言葉として、こんなことを言いました、「木を狙う矢より太陽を狙う矢の方がよく飛ぶ」それを聞いた時、さすがに生徒会長になるようなヤツは立派なこと人前で言うな、、、、と妙に感心して聞いていた、そしてそれは当分の間、僕の座右の銘にまでなった言葉でした。
物事が思うように行かない時、挫折して途方に暮れていた時にこの格言を思い出しては自分への励みにして、僕は競争の激しいカメラマンへの道を挫折を繰り返しながら模索し続けた。
この格言の説明はあえて要らないとは思うけど、、、、つまり志は小さいより大きく持つ方が大成する、と言う意味です、当分の間、その言葉は挫折の多かった僕の人生を何度も励ましてくれた、でも自分が成長にするにつけその格言の意味がどうもあやふやに感じ始め、やがてはその言葉の落とし穴さえ強く感じ始め、最後はその考え方は一理はあるけど、どこかで間違ってるとすら思い始めた。
言葉の始まりからしてこの格言の着地点は一体なんだったのか?と思ってしまう、そもそも「木を狙っていた」はずが、、、いつの間にか「よく飛ぶ矢」にすり変わっているではないか、、、、矢は木を狙っていたのだから、それ以上遠くに飛ぶ必要なんかどこにもない、目的は遠くではない、いかにして木に当てられるかが目的だったはずが、、、、、いつの間にか遠くまで飛ばせられることになっている、、、、ちょっと考えたらおかしな格言だなと思った。
さて、、、突っ込みは横におくとして、、、、とは言えこの格言にはやはり落とし穴を感じる、、、、それは自分が成長しながら痛感したのは、目標は大きい方が大きく成就する、、、それが言いたいのは分かるけど、、、、どうもこの考えは写真に関すれば、、、やはり賛成しかねる、もし誰かに写真の上達を伝授するならば僕は真逆な考えで教える、そうしないと写真の場合、ほとんどの人はまず結果が出ない。
これは僕が写真家になる過程で痛感したことですが、、、、大きな目標は方便であるのは分かっているけど現実的に見たら大きな目標はやはり漠然とした目標でしかない、現実的な行動として具体性に欠けるし到達点が少しも絞り切れていない、何かを目標にするとは、目標が漠然として何かを始めたとしてもよろしくない、、、一体何から手をつけていいのか収拾がつかなくなりやすく結果としてどこにも到達しない。
目標を立てるコツは、、、まず、これなら自分でも実現しそうだな、、、、とカンタンなところから設定する方がやはり現実的です、そしてまず実現してワンランク上がること味わうことです、それが実現したら次に何を考えるのかそこで考える、とにかく大事なのは結果が出づらい挑戦は自分からいたずらにしないことです。
まずは些細でいいから、確実に一段ランクを上げて、そこで見えるものを大事にする、そもそもゼロ段階で数歩先のことなんかイメージできるハズがない、仮にしたとしてもそんなイメージはあまり使い物にならない。とにかくまずは一歩前に出てそこで見えるものを体感するのが先決で、そこから目標水準を上げて行く、、、これがコツだと思います。
下手に漠然とした目標を掲げてしまうと、大半は上手く行かない、失敗は何度も味わうと終いにイヤになって精神的に鮮度を失い最後は収集がつかなくなる。
これは写真をワンランクアップさせたい人にも有効でまずは些細でいいから今よりちょっと上達させることです、そうすれば、見える世界が変わりアイディアだって変わります。そう言うことを修行時代に発見しました。

朝ドラ、半分、青い、これはスズメにも十分問題がある! 

NHKの朝ドラ、半分、青い、という番組について感想を書きます。
ドラマのお話は岐阜の田舎町の食堂を営む家庭で育ったスズメ(主人公)が漫画家を志して上京し、いっ時はコミックシリーズ本まで出す漫画家まで行った女性の話です。
大筋の話はネットで読めるのでここでは細部まで書きませんが、スズメは漫画家稼業の途中で自分の才能に限界を感じ、もうこれ以上漫画は描き続けられないと自分を見極め漫画家を挫折し100円ショップで働き始めます、そこで出会った映画監督志望の青年に恋をして二人は結婚し家庭を持ち一女が誕生します、しかし結婚した相手は映画監督の夢が諦めきれず家庭を捨て再び映画監督を選ぶ決心をし二人は別れスズメは郷里に帰ったところまでが今日の話でした。

話はやや過去に遡りますがスズメがまだ若く岐阜から上京して秋風先生(気鋭の漫画家)の下で修行しデビューして連載漫画が出るまでのあたりまでがこのドラマは歯切れや夢があってしかも登場人物のキャラが面白かった、秋風先生が弟子たちに漫画家稼業について語るところ、プロの漫画家としての厳しさや漫画を描く心構え、主人公が体験した自分の才能との葛藤、その心の葛藤と痛み、挫折感を秋風先生は「それを漫画に描くんだ、、、」そんなやりとりは実話にならではのリアリティーと凄みがあり楽しく番組を見ていました。
僕自身、カメラマンを志して上京し、ドラマに描かれた葛藤と似た境遇を通過して来たので場面とセリフの一つ一つが実感がこもって迫って来ます、特に秋風先生が弟子への叱咤激励はアタマで書いた脚本にはあり得ない実感と心の痛みに感心しながらドラマを見ていました。
もともと僕はあまりテレビドラマに夢中になる方ではないんですが、この番組はちょっと異質でした、プロになるとは「果たして自分にその才能があるのかないのか」これはプロを志す者が誰もが避けては通れない心の葛藤とその痛みがプロを志す者の人生ですが、この番組はそこが、感心するほどよく描けているな、、、、と見ていました。
ところが番組の半ばからスズメは自身の才能に枯渇を感じもうこれ以上漫画は描けないって限界を自覚をし漫画を諦め100円ショップで働き始めます、そこで先に書いた映画監督志望の青年と出会い二人はあっさり結ばれ家庭を持ちます。ボクにはこの辺りからスズメを見ていてワクワクするような面白味が消えたな、、、、て感じ始めました。
ストリーの時間経過が逆戻りしますがスズメには幼馴染みの律という恋人がいました、律からプロポーズまでされ二人はいつか結ばれるんではないのか、、、と思わせるシーンが何度もあったのですがスズメは律と結婚選択ができず漫画家人生を選び続けました。
スズメの人生選択とその生き方はそこまでは夢があってとても良かったのですが、、、、、彼女は漫画家を諦め、その果てに100円ショップで働き始めた辺りから人生の歯車がおかしくなった、、、彼女の人生のボタンのかけ違いはどうもそこから始まったな、、、とボクは見ていました、100円ショップではもう人生の輝きを失っていました、いっ時ならまだしもそこにずーっと甘んじて腰を落ち着けるのは単なる逃げでしかない。
彼女はやはりどこかで自分自身にきちんとケジメをつけなければならないし、ハラも括っていない曖昧な状態での結婚選択は往往にして人を幸せに導かない、同じ挫折するにしても「正しい挫折の仕方」があると過去経験から感じていたのでスズメのその後がどうなるのか、、、、ハラハラしながら見ていた。
ましてそこで出会ったリョウちゃんとあっさりと結婚するのは、、、、これが正しい選択なのか?スズメの人生はいい方向に向かっていない気がして見ていました、仮にそれが普通の女子ならばアリなんですが、スズメは大変なエネルギーを掛けて夢を追って漫画家としてコミック本まで出したキャラです、それだけのエネルギー行為には必ず精神的なリバウンド現象が自分に向かって跳ね返って来ます。
当分は上手く行ったように見えて、やがてリョウちゃんは映画監督の夢が諦め切れず幼い子を抱えたスズメに対して別れ話を持ち出します、周囲はリョウちゃんをなんてやつなんだ、、人でなし、、、無責任なヤツだ、、、、とネット上で彼を非難する書き込みがパラパラありましたが、、、、、でも僕はこれはリョウちゃんだけの責任には思えない。
スズメは漫画家としてやって行けないと自覚し漫画家を辞めた、100円ショップで働き始めた、それは食べていくために仕方がない、でも問題はその後のスズメの選択があまりにも愚かに思う、自分を何も振り返っていない、彼女の選択は今後のための大事な締め括りがまったくない、、、ただの勢いで結婚したとしか思えない結果とボクは感じた。

才能一本でやって行く生き方というのは挫折する人と、うまく行く人、勝ち負けはどうしても仕方がない世界です、負けたからと言ってスズメを責められないしそれは仕方がないこと、でも問題はその後から始まった、スズメはヤメた漫画家稼業をきちんと心の整理をしていないし心の空白状態はあったハズです、今後スズメは何を目標に生きて行くのか、、、、、そこが曖昧なままリョウちゃんとあっさり結婚してしまった。
スズメはリョウちゃんと最後に「私はリョウちゃんに今でも恋している、、、」と言ってたけど、そんなセリフなんか少しも説得力なんかない、スズメはリョウちゃんに恋したんじゃなく、精神的空白になってリョウちゃんに依存したんです、番組ではリョウちゃんの無責任さばかり一方的な悪者になっていますが、こんなのは双方の曖昧さと弱さの結果です。またリョウちゃんはそんなスズメの曖昧さを負担を感じて別れ話を切り出したような気がします。
このドラマはスズメが漫画家だったころまでは夢があって楽しかった、また秋風先生、ヒシモトさんボクテーたちが登場してすごく面白かったけど、100円ショップで働き出した辺りから一気につまらなくなった。この番組は心の弱さの描写にリアリティーありすぎてついつい感情的になって見てしまいます、今後はどうなることやら、、、、ボクはスズメの人生からは少しも希望が感じられないし、これは彼女自身が選んだことだし同情する気になれない。
結局スズメは漫画家人生の挫折から何か大事なことを学んだのではなく、そこから彼女は何も学べなかったし、スズメの離婚は漫画家挫折と繋がっています、彼女はそう言う選択しかできない子なんだな、、、、とボクは感じた。

才能のある人とはスルスルできる人ではなくスランプを自分の意志で越えられる人を言います、 

以前は定期的だったワークショップは最近は気が向かず中断しています、結局のところ表現とは教えるものではなく本人たちの気持ち次第で、できることはせいぜい、そのきっかけを作るくらいしかできない、、、、後は本人の気持ちの問題じゃないかと思います。
早い話が撮 れるヤツは誰かから手取り足取り教えられなくても自分自身で考え、失敗と試行錯誤を繰り返し撮れるようになるし、撮れないヤツはどれだけ教えたところで自分で物事を突っ込んで考えたり試行錯誤をしないから表面的にしかモノは考えられない、これでは何年やっても撮れないままです。
仮に資質を持っている人が壁に行き当ってスランプで動けない、でもその個性は、自分はどうして上手く行かないのか、どうして撮れないのか、何にどう向き合えばいいのか、何が合っているのか考え試行錯誤をします、才能のある人はスランプ知らずに思われていますが、これはとんでもない間違いで、歴史的に大きな結果を出した人は凡人では考えられない大きなスランプを例外なく通過していると聞きます。

とは言え出会いは大事です、僕は写真家を目指すために東京に出ました、故郷の名古屋では魅力ある写真家には出会えない現実を肌で感じ何もできないと判断し師匠と呼べる人に出会いたくて上京しましたが、そこに尽きると思います。やはりそういう生き方を現実にしてる人に出会わないとどうにも先に進まなかった気がします。
でも人は都合が良いもので僕は有田さんに出会い助手にしてもらいましたが、そこにいた時は存在の大きさ、出会いを日々褪せることなく感じ続けられなかった、そこを止めて自分で撮るようになって有田さんのセンスの凄さをあらためて実感しました、センスという言葉はああいう人のためにあると思いますが。
僕は有田さんの横に置いてもらって何を学んだのか、、、、たしかに有田さんの撮影現場とか有田さんが何気に撮った洒落た写真を何度も見せてもらった、でも結局は僕は有田さんに「出会いをいただいた」そんな気がしています、有田さんとの出会いによって僕の埋もれた思いを引き出してもらったけど自分でそれが引き出せたかは今でも疑問です。
この人に出会えたからこれがある、、、、出会いとはそういうものです、でも有田さんは人に何か教えることはほとんど関心がなかった方です、要は自分が有田さんに出会って触発されたわけですが、それが出会いの本質じゃないかと思います、でもそんな出会いは人生で何度あるのか、、、それくらい稀な出会いで多分そんな出会いの体験がない人の方が世の中では多いんじゃないですか?
人生とは皮肉でかつ面白いものです、僕にとっては有田さんは貴重な出会いでしが、当時の僕はそんな風に几帳面に受け取れなかったし、相手にとっても良い出会だったかは疑問です、少なくとも僕が止めてから付き合いが続いたわけではないし、渡米された有田さんにいつか会いに行きたいと思っていたけど、それも叶わず有田さんは数年前アメリカで他界された。

話は戻りますが、人に何かを教えることの限界は、自分が思うこと、感じることは、相手は同じように受け止められないわけです、他人の感じ方は何から何まで違うわけです、人生背景も違う、資質も違う、興味の対象も、描きたいことも、目的地と到着点、感性も違うわけです、受け皿が違う、生き方が違うから、何かを教えたくても教えようがない、これが現実です。
せいぜい出来ることはきっかけとか出会いを作ること、それと根気よく相手に関わることですが、残念なことに僕にはその関わり続ける根気は少しもないしです、そこまで人に何かを教える熱意はない。そんなわけでもし仮に人との出会いで人生が変わったり、何かを学べたなら、、、、それは稀な出会いだったと受け止めるべき確率かも知れない。
友人で陶芸作家がいます、元々その方は医学系の家系で、その方は数学を専攻して今は陶芸をやっています、どうして数学を学んで陶芸に来たのか?と聞くと、その方の言い分は大学に行った意味は「これは(大学で学んだこと)今後の人生の選択肢には絶対にない」それを知るためにわざわざ大学まで行ったようなものだ、、、と言っていますが、なんとももったいない話に聞こえますがどこか妙に納得して聞いていました。
少し難しい言葉で「邂逅(かいこう)」って言葉があります、ネットでは偶然に出会うことの意味に書かれてありますが、僕自身の解釈ではそれはどうも薄っぺらい説明にしか聞こえないです、邂逅とはそんな表面的な出会いを意味するのではなくもっと心の深い埋もれた記憶を呼び出すような根源的な出会い、または先に書いたように、この出会いは出会う前から予定されていた出会いで、出会うべくして出会った運命的な出会い、宗教的境地の出会いを意味してると僕は思っています。
世の中の格言に他にはこんな言葉があります「出会って出会えず」「木を見て森を見ず」それらの意味は出会っているけど心は出会えていない状態、出会っているけど個々の木しか見えておらず森としては見えていない状態、その違いが理解出来ない状態ですが人生なんて多くはそんなことばかりな気がします。
表現とはそんな疑問を解き明かし続ける行為です、それは誰かから手取り足取りで習うものではなく、明解な答えだってそもそもなく、自分で考え続け、表現する行為が表現活動であって、そこを自分で解き明かす熱意のない人には教えたくても何も教えられないのが現実で、それを最近痛感しています。