アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

何かが壊れた(2) 

僕らが子供時代はこんな現象はなかったことだけど、とはいえずいぶん昔、何十年か前から日本の国道沿線は見慣れた看板のファストフード店、CD店、量販店が立ち並ぶようになった、店が出来たかと思ったらいつの間にか店を閉めたり、パッと出てパッと消える、昔を思うとその入れ替えサイクルが異常に早いのがいささか気になる。
このタイプの店は新興住宅街に多く地に足がつかない感じがする、だいたいはチェーンファーストフード店が多くちょっと街全体が廃れるとそれらは大げさに言えば街全体が廃墟に感じることすらある、これが今風のお店のスタイル。
時々広い敷地を持つ工場が的から郊外に移転し跡地に大型のショッピングモールが出来るのはよくあるケース、これも他にまた新型モールができると古いモールは新しいモールに客足を取られ、出来た当時はキラキラしていた店は失速しその輝きを失うケースを何度も見た、この繰り返しは今の感覚、もう避けようのないことなのかしれない。
でもどういうわけかヨーロッパの郊外を車で走っても日本みたいに国道沿線にファーストフードチェエーン店がずらりと並ぶ沿線風景なんか見たことがない、今も変わらず昔のままの姿が保たれている、少なくともあの猥雑なチェーン店がずらり並ぶ風景はヨーロッパでは見たことがない、ロンドンにはユニクロが街中にドーンとあるが郊外にそれはない、パリではファミレスすら見たことがない、あるのはマクドナルドか個人経営のファーストフード店くらい、ただ僕が見たことがないだけなのか本当のところは分からないけどとにかく僕はヨーロッパでこれらの店は見たことがない。
これはただないのではなく、彼らは町の美観を守りたいから作らせないようにしてるのか、そういう流通システムじゃないのかは分からないけど、とにかく道路沿線の美観が壊れていないことに感心する、ひょっとして彼らは古いシステムを上手く取り入れ、いいところを残すことに長けているのか、新しいシステムは秩序を壊しやすい体質をよく分かっているから,敢えてそうしているのだろうか?
トランプさんは就任演説では雇用を取り戻す!モノ造りはメキシコや中国の国外生産から国内生産を復活させると言っていた、でも外で作るのはコストが安いから外に出すんであって、いくら雇用を増やすと言って国内生産ではコストが上がり商品は値上げし結果的に価格バランスが壊れる、果たして本当にやっていけるんでしょうか?
話は変わって山梨県の清里はどこか死んだ街です、今から30年くらい前、清里はブームにわき返って観光客相手のお土産屋が並んだ一大観光地でした、一時期は大変な活況で街じゅうが観光客の車でごったかえし小さな街でも車渋滞するくらい、まるでそこは竹下通りのようにごった返していたけど、今ではブームは跡形もなく火が消えたようになりゴーストタウン化し街が死んだ気がします。
清里だってレタス農家だけではなく観光客とか別荘とかペンションを誘致して稼がないとやっていけないからそういう道を選んだと思うけど今の清里はとにかく見るに忍びない、特に一時は異常な時代があったが故にその落差が目立つ、清里を思うと軽井沢の街は奇跡と言っていいかも知れないくらい街や商店街が上手く行ってる。
昨日書いた、企業が節操がなくなった話の続きですが、こうやって今の世の中の傾向を見ると携帯会社だけが節操がなくなったんではなくて、世の中全体が節操を失った気がします、誰が悪いとか、政策が悪いとか言う気はしませんが、ただ何かの歯車が狂って物事の流れがこうなった気はします。
でも、この流れはどこかスマフォの普及、ネットの普及、ファーストフードの普及、ファーストクローズの普及、デフレの蔓延、とにかく早い安い美味い、この流れが人の感覚を変えた気はします。人は多少不便なくらいの方がいいのかなと思う次第です。

何かが壊れた。 

最近、携帯電話会社をそろそろ替えようかと、、、、ガラケー旧型機種が劣化し新しい機種導入にあたって、僕も時代に抗えずスマフォについにしようかと思い始めている、安いスマフォ契約はいくらでもあるしこれまでの会社にこだわる必要もない、番号だって継続できるし、、、、。
それに既存の携帯会社は場所によっては、ちょっとした用事を済ませに行っても待ち時間が異常に長くあまりメリットもなく、これなら通販型の携帯電話でも間に合うんじゃないか思い始めたから、、、、。
僕は何か契約する時、あれこれ細かい条件を検討して比較検討するタイプではなく、さっと見てさっと契約してしまう、理由はそんな細かい契約内容を検討する根気がないから。
これまで使ってきた携帯会社をいざ解約しようとしたら、家内が解約月を調べた方がいいよ、じゃないと無駄なお金を払う羽目になるよ、一瞬耳を疑った、まさかそんな話が本当にあるのかと調べたら、やっぱり解約月以外の解約は一万二千円払う仕組み契約をしていた。
それを聞いた瞬間驚いた、始めからそんなことを知ってたらそんな契約はしないつもりだけど、仮にそれを知っていたとしても、それ以外の選択は、それしか選びようのないようなカラクリが最初から仕組んであると思う、多分。
それにしてもその携帯会社は全国に名の知れた企業です、このやり方はそんな名の通った企業のすることではない、こんなやり方は場末の飲み屋のこの時間なら飲み放題とかと書いておいて、ちゃっかり相手の手口にハマるやり口に似た姑息な発想だと思う。
もし本当に僕が思った通りの姑息な発想だとしたら、携帯会社っていうのはいつの間にかずいぶん節操のない会社にまで落ち込んだものだと思う、元々そういう体質だったのかもしれないし、日本社会って昔に比べて品がなくなったというか節操のない社会に落ち込んだ気がする。
10年以上昔、僕も大手の携帯会社の広告を担当したことがあって、ショップに行くと僕が撮ったポスターが貼ってあるのを見てちょっと誇らしげな気分だったけど自分がやってきたことの誇りがどこか失望に変わった。
話は大げさかも知れないが、世の中はIT時代になって確実に何かが昔に比べて変わった気がする、もう昔感覚が通用する時代じゃなくなったことを痛感する。
僕はあまり世の中全体がスマフォ化すること、この流れはどうなのかな?と懐疑的に見ている、確かに便利なのは分かってるし、この時代、これしか選びようがないのも分かるし、おかげで世の中、良くなったことだってあるんだと思う。でも何か素朴な価値観が同時に崩壊してる方向を感じることも確か。
これまで当たり前だった感覚が今はもう通用しなくなったことがあれこれやたら増えた気がする、ひょとしたら僕が子供時代も「年寄り」たちはそんな思いを感じながら居場所を失っていく寂しさの感情を抱えていたのだろうか?そう思うといつの時代も年寄りは新しい時代感覚を抵抗しながら生きているのか?でも今の時代の移り変わりはこれまでの変わり方レベルではないのも確かだと思う。
ちょっと前にこんなニュースを聞いた、全国の学校が一斉にパソコンを購入した、ところが学校授業で使うパソコンなんて使用頻度はたかが知れている、一度買ったものをいつまでも時間をかけて使い倒すのが学校、ところがパソコンはそんな悠長なモノじゃなくもっとめまぐるしい。
時間が経てばソフトもOSもアップグレードする、時間が経てば諸々のサポートは終了しまだ機械としては十分使えるはずがネット環境としては使えなくなる。そんな些細なトラブルをニュースで聞いた。
仮にこれが車だとしたら、ちょっとおかしな話だ、まだ十分に走れる車がサポートが終了して走れない車が出たとしたらこれはもう笑い話じゃない。でもカメラとかパソコン周辺機器はまだ使えても使えなくて廃棄される機種が年々増えている。
まだサポートが終了の話くらいならまだいいとしても、冒頭に書いたかつての一流企業と呼ばれた企業品位が落ちた話は、社会全体の問題で、これは個々の人間性にまで及ぼす、ちょっと笑えないモラル崩壊の原因な気がする。
企業が絶対的存在ではないのは分かるがまさかここまで品位を失ってしまったとは思ってもいなかった、これまで東証一部上場企業ってどこか「腐っても鯛」って目で見てたけど、もうそんな時代じゃなくなったのかなと思うとなんだか寂しい気はします。
ネット時代はある意味でものすごく便利になったのは確かです、その恩恵をたくさん受けているのは確かです、でもこれまで普通に通用して来たものがあちこちで崩壊した気もします。それはちょっと笑えないところにまで来た気もします。

古いカメラの賛否論 

ここ最近、これまで持っていた機材、フィルムカメラのレンズとかボディーとかフィルムホルダーとか使用頻度がないものは多少躊躇もありましたけど処分しました、持っていても場所も取るしレンズはカビも生えるし、まだ売れるうちに売っておいたほうがまだマシと判断しヤフオクでいっせいに売り払いました。そしてちょっとしたポケットマネーになりました。
昔は僕でも大きなデアドルフの8x10カメラを持っていました、それに伴う大きな三脚も持っていました、一風変わった古い2眼レフカメラも何台か持っていました、ブローニーカメラは645から6x7まで一通り持っていましたが結局のところいま僕の手元に残ったのはハッセルボディー1台とレンズ2本マガジン2個、あとすべて売り払いました。
手元にあったところで結構場所を取るし、管理もできないし、今後レギュラーカメラとして再び使わないことも分かったし、もし万が一また欲しくなったらヤフオクでまた買えばいいだけの話です、フィルムカメラはハッセル1台あれば十分というのが分かったし、第一僕はあまりカメラやレンズに必要以上に執着はしないからです。
そういうのは写真を撮ることに重要とみなさん思うけど、実はみんなが思ってるほどカメラやレンズはたいした関係はないと僕は思っています、古いカメラは一見味がある写りが期待できそうですが、むしろ扱いは悪いし、露出はメーターで別に取らなくてはならないし、はっきり言って機動性の悪さに神経を奪われます、つまり機動性があるカメラのほうが純粋に撮るには絶対良いと思っています。
カメラに凝ったり風変わりなカメラを持ってることで満足する人って世の中には殊の外多いです、写真が好きな人の大半はカメラが好きです、もちろん僕だってカメラは好きですよ、でもこれまで写真をずーっとやってきてレンズはコダックのコマーシャルエクター(これについては後で書きます)以外に気に入ったレンズはありませんでしませんでした、知らないだけかもしれないけど、良い写真を撮るのが目的ならば必要以上にカメラマニアになるのはつまらないことだと僕は思っています。
そんなことより良い写真を撮るために自分は何をするべきか、どんな光が良いのか、どんな条件で撮れば良いのか、そのことをいつも考えています、突き詰めてそれを考えていると結局はカメラなんて性能も扱いも良くて、自分の目的が一致していればそれで十分と思っています。
カメラは基本的には35タイプじゃなく中盤サイズが好きです、デジタルでも中盤を使っています、画素数が多いのもさることながら高級機ですから、やはり受光盤の発色も良いし長細い35フォーマットより正方形に近い画角が好きです、また大きなフォーマットは覗いた時にファインダーが見やすいしピントも取りやすいし、フレーミングの隅々まで目が行き届くし、開放置で撮ればボケ足もきれいですし、あのAPSサイズは扱いが悪くてイヤです。
フィルム時代から使って来たレンズでおもしろいと思ったのは先に挙げたコダックのコマーシャルエクター、これだけです、300mmで8x10カメラで標準です、シャッターと絞りが付いた大型カメラ用のレンズです、4x5カメラでも望遠として使えますが普通のカメラには付けられません、大きなジャバラの8x10ではその個性がはっきり出て都合がいいです。
写り方がボヤ〜んと写ります、色もクリアーではなく独特なややくすんだ色が出ます、その当時の光学ガラス技術がまだ甘かった時代なのでガラス内に気泡があったり緩い時代でした、結局性能が未完成なモノってどこかにユルさが良い味になって作品に出てくるんです。
このレンズは好きなんですが8x10は普通に持ち歩けるカメラではないです、重量のある三脚も要りますし、フィルム20枚用意するためフォルダーを10枚用意するとか、8x10カメラは重量と扱いリスクがありすぎます、スタジオならまだしも気軽に持ち歩けるカメラではなくうちの引き伸ばし機では引き伸ばすこともできず現実問題、使い勝手が悪く、そこまでして8x10カメラに必要性を感じないので数回使用した後、売り払いました。

レンズは写真にとって重要なカギのように言われていますが、果たして本当にそうなのかな、、、と写真家の僕ですら疑問に思います、絵柄はレンズより光の方がはるかに影響があります。
今のレンズは昔のレンズにくらべて確かにクリアーに写りすぎてつまらないです、昔のレンズは確かにポヤ〜ンと写りますがそんなのは今風のレンズにフィルターを付けて軽くワセリンを塗ればクリアーすぎるのはなんとか解消します。
古いものより使いやすいカメラを使ったほうが僕は良いと思います、昔のカメラはとにかく使いにくい、ピント合わせがしにくいし、露出もメーターを使わなくてはならないし、ハッセルくらいまでならなんとか使えますが、昔の2眼レフなんかはもう使いにくいです。
スタジオならまだ使えますが、外は扱いにくすぎです、古いものをきちんと使いこなして結果が出せて、レンズ個性が作品に反映できるなら尊敬モノですが、大半はただ機材に憧れているだけで終わってる人が多いです、これは明らかにナンセンスです。
世の中ではとにかくレンズのことをあれこれ言う人が多いけど、では写真をグチャクグチャにシャッフルして、どの写真がどのレンズなのか、レンズの違いをみなさん本当に見分けられますか?僕はプロですがそんなの見分けられません。

直感の力(2) 

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直感とは多分僕らが想像している以上に説明不能な不思議な力があります、この概念は日常の感覚を超えています、現実的な感覚とはあまりにも違いすぎて現実感覚と比較して判断はできないものです、そもそも次元が違いすぎます、現代人はこの力とはあまりに日常馴染みのない生き方をし過ぎて、その自覚的な使い方を人は知らないと思います。
ただ誤解されたくないのはここで話している内容はおかしなオカルトでも超能力でもありません、現代人はあまりも即物的な考えに偏り過ぎているのを痛感していることを書いています、でもここで僕があれこれ書いたところで、ただの物珍しい面白い話で終わるだけで虚しいものです、なんの具体的証明もここでは出来ません。
言えることは僕ら表現で生活している者にとって、これを体で知っていないと本物の表現は出来ません。そして今僕はこの直感をテーマに作品作りがしたい衝動に立っています。なぜならばこの表現がもし本当に出来たならこんな面白いことはないだろうと思うからです。

もし誰かが、医者になりたい、工学博士になりたい、建築家になりたい、それを志すならまずその大学に行ってその方面の学問を勉強しないことには道は開けられません、その方面の大学に行かなかった人がその道で成功することは、まずあり得ません、どうしても専門知識とその資格が不可欠です。
では学校教育を受けなかったエジソンがあれだけの業績を残せたのはどうしてなのか?エジソンについて書かれた本を読めば書かれていますが下手な学校より高度な教育をエジソンは母親から受けました、あまりにも無軌道な性格、規格外れな行動で学校では手に負えずエジソンは学校から追い出されました、仕方なく母親が学校教育以上の教育を家庭で施され彼は学校に行かずとも教育が受けられたんです、むしろそのまま普通に学校に行っていたら、あの発明王のエジソンがこの世に出たでしょうか?僕にはエジソンは退学処分になったが故にあのエジソンになれた気がしますが、なにか皮肉なものです。

ここで表現世界の話をします、学校では美術的感性は学ぶことはできません、せいぜい人との出会いによって自分が引き出されることくらいです、美術的感性は自分で自分を教育し自分から引き出すしか最終的には道はないんです、学校でできることは課題をこなして経験を積め、課題を通して自分を発見し自分を開くしか道はないんです。
この世界は美大に無縁の人が有名美大卒者より結果を出すことはごく当たり前のことです、高卒者が美大の教授に就任する例も珍しくもないと思います、これはまさに美術的直感の優位の証です、美術は権威あるものから学ぶものではなく個々の内から引き出す根拠です。
村上春樹氏について話します、彼は今や押しも押されぬ世界的な小説家です、でも彼は始めから小説家になろうとして早稲田の文学部に行ってなったんではなく、もともと彼は少年時代から誰よりもコアーな読書愛好家でした、彼は高校時代から英語原文でアメリカの小説を読んでいたそうです、神戸育ちの彼は船員が古本屋に置いていった本をダンボール箱ごと買って読んでいたそうです。
大学は早稲田の文学部に行ったそうですが、あの当時は学生運動真っ盛りの時代で大学は機能しなく勉強するにも授業は成立しない状態だったそうです、村上氏の話によれば大学授業は今の執筆活動にはほんとんど関係はなく、ある日、神宮球場に野球試合を見に行った時、外人バッターがパコーんと打った大きなフライ放物線を見て「あっ、オレ小説を書こう」と思いたち、すぐに万年筆と原稿用紙を買い、当時経営していた店の閉店後に毎晩書き始めたのがきっかけだったそうです。
彼のエッセー本を読んで、彼がもっとも小説を学んだのは大学ではなく、誰よりも深く読書を愛し、物語の力を誰よりも深く理解していたことが彼を村上春樹に育てたんだと思いますし、彼自身もエッセー本で自身をそう語っていました。
僕らが慣れ親しんだ既成概念は、自分を育て能力を高めることのカギは外にあるものを吸収し学んで成長する、つまり学ぶとは外から吸収する以外に方法はない、この考えにあまりにも縛られすぎています、もちろん外からの学びは不可欠ですが、自分でゼロから作ったり、考えたり、観察したり、自分の感性で発見して学ぶ、この発想があまりにも死んでいます、これでは人間が本来持っていた大きな可能性をどこかで封印している気はします。
美大の授業は学んでアタマに叩き込むんではなく、課題を通して自分の感性で創作し教授からアドバイスをもらって成長する授業です、学ぶよりも教授とのコミュニケーションを通して表現力を学ぶ、これはある意味で徒弟制度に似ていて師匠の仕事を見て学ぶことと同じです。この根底にあるものはやはり「直感」以外に何ものでもないわけです。
つまりこの世界にいおては大学で物理学を学ぶ思考回路は通用しないわけです。
ではこういう能力はどうやって開発するかといえば、外から吸収する感覚ではなく、自分のうちに眠っている感覚を引き出すしか道はないと思います、師匠から学べるのはあくまできっかけでしかないんです、もし仮に何から何まですべて師匠ばかりで、自分から引き出したものがないなら、その人の能力は限度があります、究極は自分から引き出すしかないんです。
物事の価値観を外ではなく自分の内側から引き出す感覚を身につけること、そこに想像以上の力が眠っていることに気がつくと思います、その実態は何かと何かのネットワークに繋がっている感覚を持つと思います、それに気がついたときにその直感はさらに力を増すと思います。
僕は魔法植物園作品を始めた時は、実はあまりそこまで深く物事を考えていませんでした、作品を始めるときは毎回そうですが撮り進むうちに、「もっと自分は描きたいことがあるんではないか?それはなんだろう?」と自問を繰り返すうちに、始めた当初に見えなかった世界が徐々に現し始めそれを見てさらに「まだまだ自分は描き切っていない、それはなんだろう?」とまた自問自答を繰り返します、また何かが見えてきます、その繰り返しです。
僕は思うんです、こういう思考回路は現代人がもっとも日常で使っていない思考回路ではないかと思います、でもこればかりやってると現実離れして自分を隅っこに追い込んでしまうことも事実でそこが自練魔でもあります。

スピリチュアルな光景 

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今から多分25年以上前のこと、韓国に撮影旅行に行こうと思っていた直前、不思議な印象深い夢を見ました。
内容は韓国の山奥に入って大型カメラで森の写真を撮ろうとしていた時です、日が落ち始め辺りはやや暗くなりかけたころ、ふと辺りを見回すと森中の花がいつの間にかいっせいにキラキラ光っているんです、いったい何が起きたのかが分からずただ呆然と見ていました。
その時、ちょっと粗末な作業着を着た老人がこちらに向かって歩いてきました、僕は老人を見てその方は仙人であることがすぐわかりました、仙人はニヤリとした目で僕を見て「あなたはこれを見たね、、、、、」と言わんばかりの意味ありげな表情です、僕は「仙人、ここはすごいところですね」と言うと仙人は「そうだよ、ここはすごいところなんだよ、みんなにここはすごいから、おいでと私は言うけど、誰も私に話しには耳を傾けないんだ、」と言いながら仙人はそのまま去って終わった、それだけの夢でした。
その夢はそれだけの話ですが、何年もずーっと僕の心の中では気になっていました、いつかこの夢で見たものを作品にできないものかと薄々思っていましたが、多分それがきっかけで20年経った今、魔法植物園に繋がったと思います、また他にもこんな体験しました、これはインドで実際に体験した出来事です。
インドを夫婦で旅していた時のことです、北西部インドラジャスタン州(パキスタン国境辺りの乾いた土地ばかりの砂漠地帯)の田舎を鈍行列車で長い時間ゆっくり走っていた時のことです。
まさかこんな乾燥した砂漠地帯である時、突然、激しいスコールが降ってきました、砂漠のど真ん中で突然バケツをひっくり返したような激しい雨です、数十メートル先の視界がほんとんど見えなったくらいです。
列車は野原にある小さな集落の駅に数分停まりました、そこにサリー姿の数人の女の子が雨宿りに逃げ込むように列車にすべり込んできました、彼女たちは全身ずぶ濡れ状態でムチムチした肌にサリーはぴったり貼り付き下着と肌が透けて露出しインドでは珍しくエロチックな光景でした、彼女たちは連結器あたりでそんなのちっとも気にしない様子です、むしろ久しぶりに雨に濡れたことが彼女たちにはよほど嬉しかったのか、笑ったり、歌ったり、キャーキャー大声でみんなで騒いでいました。
列車は再びゆっくり動き出しラジャスタンの荒れ地をのろのろと走り続けました、1時間くらい走ったころ、雨はやっと止んで平原に大きな虹のアーチが現れました、彼女たちはそれを見てまたキャーキャー騒ぎ始めました。
日が落ちて辺りが暗くなり始めたころです、彼女たちはもうどこかの駅で降り、列車内は静かなって落ち着きを取り戻したころ、遠くの木がかすかにキラキラ光って見えました。<br> あれっ、あの光は何だろう?と思ってじーっと見ていた時、他の木もまた同じように光っていました、気がつくとあちらこちらの木々がまるでクリスマスツリーのようにキラキラと光っていました、これないったい何だろうと木をよく見るとキラキラした光は動いています。
どうやら光の正体はホタルです、ホタルが木の枝にいっぱい群がっていたんです、一本の木には数え切れないほどのホタルが群がっていました、まさかこんな乾燥した土地にもホタルがいるとは意外でしたが日本では見たことがない光景で鳥肌が立つような、なんとも幻想的な光景でした。
これ以降いつか植物が光るこの光景の作品を撮ってみたいと20年以上前から思い続けていました。
旅ではこんなファンタジーに出会うことがよくありました。