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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

厄介な大国、その周辺国事情 

山ごもり生活も終わり普段の暮らしに戻って来ました、長くブログを空けるわけにもいかないし、さて何を書こうか?と考えた末、またウクライナ問題について最近の思いを書きます。
以前にも書きました、今回のウクライナ問題を通して国の安全保障(防衛)問題について、こんなに考えたのは初めてです、逆に今までここまで考えたことがないくらい平和に生きてこられたと思います。

2月の末、ロシアが侵攻したウクライナ戦争は、始まった頃にくらべて最近は真新しいニュースが減った、戦いが終わったとか小康化したわけではない、むしろウクライナ南東部、黒海沿岸では、戦いは以前よりも激化していると聞きます、ロシアはこの戦いの言い訳、大義名分を正当化するため戦利品もなく手ぶらでは引き下がるには、何としてでもあり得ない、またウクライナも国土の一部をミスミス明け渡すワケには行かない、この際クリミア半島までも取り戻したいと必死で、以前より戦いは激化したかも知れない、ただ報道する側は真新しいニュースがないせいか、報道は沈静化しただけなのかも知れない。
この戦争が始まった時、僕がこれまで感じたことがない激しい怒り感情をロシアに対して感じた、こんな野蛮な侵略行為がこの21世紀に白昼堂々と行われることに怒りを感じ、こんな感情は過去にはなかった。
ロシアとウクライナは長い歴史の中でどんな関わりをして今日に至るのか、その過去の話までは僕は知らない、ただ90年前、スターリン時代にウクライナ人はスターリンの政策で食糧不足で1千万人以上が死んだと言われています、この国の歴史はロシアには散々な目に遭いひどく苦しめられた歴史のようです、ウクライナはずーっとロシアの一地方の立場だった、今から40年くらい前、世界を震撼させたチェリノブイリ原発事故、それはソ連で起きた事故でウクライナで起きた事故とは誰も認識していない。
やがてソ連が崩壊しソビエト連邦を構成していた小さな国々がこぞって独立した、バルト3国も独立しウクライナも独立し、ワルシャワ条約の国々、その多くはNATOに加盟しソ連支配から晴れて自由の身、ロシアから干渉されない独立主権国家になれたと思っていたけど、世界の仕組み・国と国との関係とはそんなカンタンなものじゃない、僕らには解らない複雑な関わりで国と国は存在している事実を今回を機に知りました。
ロシアから見れば、かつての支配国が独立して主権国家になろうが、ウクライナのロシア離れがプーチンさんには生意気な態度に映り気に入らなかった、プーチンさんにしたら自分の手に負えないゼレンスキー政権を潰してやろうと思ったわけです。
世界、周辺の国々から見たウクライナはロシアに支配されるスジ合いがない独立した主権国家ですが、ロシアにしたら、今でもウクライナはロシアの一部でしかない領土のような国です、それがロシアの枠外の国になるなんて絶対に許せないだろうし、ましてNATOに加盟して、そこにアメリカ軍の基地なんかできたら絶対に冗談じゃない、そう考えるのがプーチンさんの思考なワケです、そこには世界が感じる思考とロシアが感じている思考には大きな温度差があって、この隔たりは話し合いなんかではどうにも埋まるモノじゃない。こんな時代でも中世のような考えでいる大国が立派に存在すること自体が驚きでした、しかもそこには数え切れない数の核爆弾を持っている。
今回の戦争、ロシアのクリミヤ半島占領、これら一連の紛争から感じるのは、戦争、侵略というのはこうやって始まるんだ、、と感じた、そして今、危惧されている台湾と中国の問題にしてもどこかこれと共通するものがあります、 中国にしてみれば、台湾問題は自国内の問題であって、欧米や日本が口出しすべき問題じゃない、でもそこに台湾の民意はまったくない、国と国との紛争とはこうして双方の言い分と考え方にズレがあって溝は埋まらず紛争に発展していくんだなって思います。
ロシアの言い分を聞けば、ロシア側にはロシアの言い分はあるけど、世界がそれをすんなり受け入れるとは誰も思わない、その言い分を強引に押し通すロシアに問題があると世界は受け止める、そんな論理がまかり通ると考えるロシアはやはり世界にとっては孤立しても仕方がない国だなって思う。
また、ロシアと国境を接する北欧の国々バルト3国に然りこんな野蛮な国を隣に持つと、どんな目に遭うかは過去の歴史からイヤってほど学んでいる、やっぱりそれらの国々の発言内容、選択には切迫詰まった中身があると思った次第です。
これらの現実を思うと私たちの憲法9条についても日本人はもう少し向き合う時が来たのかなって思います。

現実とファンタジー 

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延、1ヶ月以上の時間を費やした手取川の撮影、20日目くらいで、もうそろそろネタが尽きたというか、大まかな構想はほぼ撮り切った、(湧水地は辿り着けなかった)そこからあとどうするか、、、、、、は、今はもう見えない、ここを一回離れて、作品を少し寝かす時間がないともうどうにもならない。
自分を振り返って思うのは、自分の限界と視野の狭さをイヤってほど感じさせられた、始める前は、意気揚揚と始めたものの、冬が終わりこれまで雪で立入れなかった場所が開かれ、やれることはいくらでもあると気楽に感じていたけど、実際に始めると限られた条件の中でなんとかするしかない、それが現実だった。
森に関して言えば、これだけ広い山岳地帯の裾野であれば、森なんかいくらでもあるかと思っていたけど、実際に撮影に適した場所はそうはない、急斜面ばかりでゆったりと散策できそうな条件に合った森なんて滅多にない、実際に見つけた森は林道沿いに何ヶ所か、うまく撮ればなとかなる程度だった、そこは藪が深く人が気楽に入れる環境じゃない、ドローンを使って良さそうな場所から撮影した。もしドローンがなかったらどうにもならなかっただろう。
立ち入れる森にも数ヶ所入ったが、案外に撮影素材の宝庫かと思いきや、案外そうでもなく、意外に使いづからい環境だったり、川にしても奥に行けばゆったりしたせせらぎのような癒し空間に出会えるかと思いきや、手取川はどこまで行こうが穏やかな川というより流れが強く荒々しい川でしかなく、入れば入るほど現実と自分の描いていた理想とのギャップに四苦八苦するばかりだった。
始める前から薄々感じていたこと、あるがままの手取川を受け入れ、主観は一切入れない写真にして行くべきなのか、自分で写真集のストーリー、ファンタジーを描いて、それに合った風景を探しつつ撮って行くべきなのか、、、、本来であれば前者の方が正しいのかも知れないけど、僕は後者を選んだ、選んだというより、そうしか自分にはできない自分に出会った。
あるがままの川をそのまま撮って、それで写真集ができたとしてして果たして見る側の気持ちを掴むことが出来るのか、内容のある作品に僕ができるか、と言えばその見通しはない。このまま手取川だけ執着しても仕方がない、ならば自分の描きたい世界を探すことに切り替えた、もちろん手取川から離れて撮るわけにはいかないけど、手取川の支流なら手取川の範囲と解釈し、自分の足で行ける川に沿った林道を片端から潰すように歩き始めた、結果は上上で、表情豊かな小川に何ヶ所か出会えた、それに森の写真と組み合わせれば森の写真は清らかなせせらぎが流れる森に姿を変える。
結局は僕らの映像制作の思考構造は「ない世界をあるようにする」広告写真の思考でしか物を描いたり考えることができないのかもしれない、、、、その思考壁の現実に出会った気がする。
できたものを新ためて振り返って見ると、それが良いのか、良くないのか、今はなんとも言えない、それは横においても、あるがままの現実をそのまま撮ったところで、それが一体何なんだろう、、、まして僕は川の研究をしているわけでもないし、実体報告をしてるわけでもない、手取川を通してファンタジー(大人の絵本)が描けたら良いって思って始めたことだけど、果たしてファンタジーとして今回の作品はどうだったか?もっと描けるものがあったんでは?と自分に問うても今の自分ではこれ以上は限界でしかない、今はなんとも言えない。

川をどう描くか 

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白山から流れる手取川を撮る仕事をいただいた。
それで白山の麓の村、白峰に空き家を借りて1ヶ月近く滞在して作品を撮ることになった。
コンセプトは手取川を通して、森から育まれる水を描くこと、さてどう表現するか?
注意深く撮らないと、陥りがちな落とし穴にハマる、理科、社会の教科書的な説明写真になってしまう、または上流から下流までを克明に観測視点で撮り歩くか、僕がそれをことしたところで楽しくない、それは始めから分かっているし、それだけはしたくない、できるだけ官能的に表現したい。
それをどうやったら出来るのか、、、、撮ったものを並べて見るが、なかなか思うようにはならない、やっぱり説明的な方向に引っ張っぱられて行く、なんとかしてそうさせないようにアタマを使う、川を撮ることは同じ風景の川ばかり追っかけても描けることは限られている。
作品作りの面白さは、難題をいかにしてクリアーできるのか、そこに尽きると思う。
まず、官能的な森を探すことから始めた、自分の足で行けそうなところ、考えられそうなところは片端から潰すように歩いた、持ち歩く機材は、中判カメラ、レンズ2本、ドローン、予備バッテリー5個、これだけで結構重い、これを担いで斜面を登るのはかなりキツイ、まして雨日なんかは、動きが取れないから最後は軽いコンデジに変えた。。
でも森を官能的に撮るには雨の方が好都合だ、晴れの日の森、乾いた森よりも、鬱蒼とした森、出来たら霧の森の方が打ってつけだ、散々歩いてイメージに合った森になんとか出会えた、でも森が深く入って行けない、そんな時はドローンが活躍する、人が入れないとこをドローンに行ってもらう、そんなことを繰り返し撮り進むうちに自分が進むべき方向性が徐々に見えてきた。
森を官能的に表現できたら、懸念していた説明的になる心配から徐々に解放された。要点はここじゃないかと思う、川を描くとは目に見える川ばかり撮り進めていても描いたことにはならない、川は撮れているが何かが撮れていない、もっと水にまつわる余韻のような素材を撮り固めて、川を描く方が官能的になると確信した。
やってる時は毎日が必死で、今やってることを楽しんでるような余裕はないけど、これが終わって日常生活に戻った時、 ポカ〜ンとするだろうなって思う。

毎晩、訪れる夢劇場 

今、北陸の過疎の村の空き家を借りて暮らしています。
目的は白山の手取川を撮りまとめ冊子にする試みです、これは個人的な遊びではなく依頼された仕事です、だからやってることは遊びみたいだけどただの遊びとは何もかもが違う。
村は過疎と言ったら言い過ぎかも知れないけどコンビニやスーパーまで25キロ車で降りるから正真正銘の過疎かも知れない。2〜3日に一回くらい食材を買いに降ります。また海抜が高いのでもう関東では初夏の気温と聞いているけどここは夜には軽くストーブを点けます。
さてそんな村にいて、昼はもちろん川とか森を集中して撮り、1日15000〜20000歩、機材を背負って歩きます、機材は水中カメラ、中判カメラとレンズ2本、ドローンと予備バッテリー、それらをカメラバックに詰めて背負って山道を歩く、カメラ以外は小型だからたいした重量ではないがやはり重すぎる、また雨の中でバックを開けたり、カメラレンズを替えたり、機動力に問題がある、最近は軽装備に小さなバック1個だけで歩くようにした、山の雨の中での中判カメラは扱いは悪く、カメラにも良くないし、、画質より機動力を優先し高性能なコンデジに変えた。
それに思うのは、こう言うワイルドな環境の写真は画質より多少画質の劣るカメラの方がリアリティーがあって返って良い。

山の話はまた後日に書くとして、山の中の静かな夜は何もすることのない、ましてテレビもない一軒家の一人暮らし、頼れるのは持参したノートパソコンとネット環境とDVD映画、(それだけあれば十分だけど)日々の暮らしは孤独だけど、撮ったものを見てどうすべきか、、、日常生活よりアタマの中はフル活用の毎日だからか、、、、ここでの生活で奇妙な現象が起きている、それは「毎日欠かすことなく必ず夢を見る」下界ではここまで毎日夢は見ない、ここではちゃんと皆勤賞レベルでしっかり毎晩、夢を見る。
30年くらい前も同じことを体験した、フィリピンのある小さな島に滞在した時、面白いくらい毎日毎日夢を見ていた、寝る時に、さて今晩はどんな夢を見るのか楽しみにして眠りに入り、期待通り必ず何らかの夢を見る、そこまで続くともう「毎晩の夢劇場」でしかない。
そして今ここでまた同じ現象が毎晩起きている、夢を見ること、夢を見ないこと、山の暮らしと都会暮らしに何らかの因果関係があるのかな?

いくつか見た夢の中で一つ印象深い夢の話をします、こちらから持参したDVD映画でブリジットバルドが出る古いフランス映画を見た、古いせいか日本語字幕がない、仕方がない、フランス語に集中しブリジットバルドを見て楽しむしかない。
その晩、夢を見た、僕がシルビーバルタン(今は歳を取ったけど1960年代は美貌のフランスの国民的ポップス歌手)にフランス語で手紙を書いた、手紙の内容まではわからない。
僕が中学、高校生のころ、シルビーバルタンは日本でも大人気で知られた曲はいくつかある、地元名古屋でライブがあれば毎回最前列で見るくらい、シルビーバルタンにはすごく影響を受けた青春期だった。
彼女はその手紙に感心して日本まで会いに来てくれた、また日本にはちょっとした用事もあって来てくれたが、彼女のその気さくさにびっくりした。シルビーバルタンにフランス語であれこれ話し、彼女の歌の一節を歌ったり、彼女の影響でフランス語を勉強したことなど、自分でも意外なくらい正確なフランス語を僕は彼女に話していた。
不思議なことに夢の中であっても、現実とは変わらないレベルで正確なフランス語を話している自分に、自分がこんなにフランス語力があったなんて、、、、夢の中でただただ驚いていた.。
そこで感じたのは夢の中の出来事、やり取りは意外に曖昧、適当ではない、細部の部分やちょっとした違いにも「細かい神経がそこにある」キチンと正確なフランス語を僕はシルビーバルタン相手に話している自分に驚いた。
夢の中での出来事にすごく元気をもらったり、夢の中の出来事にガッカリしたり、、、空想の出来事にしてはあまりにもリアルすぎるなぁって思った。

ルートを決める走り方と感覚頼りの走り方、その違い考察 

GWとあって昨日も丹沢方面にサイクリングに出かけました。
サイクリングで最近感じたことです、ルートを決めないで行った先々で自由気ままに走る考え方と、予めルート設定しルート確認しながら設定したルートに沿って走る考え方、今までルート設定して走っていましたが、最近もっと自由気ままに走っても良いって思い始めました。
ルート設定の考え方ではサイクリング中、スマフォ地図と自分の位置確認を頻繁にします、間違った場合は引き返したり、どこかで帳尻を合わせるとか、決められたルートに沿って走る考えですが、この考えは果たしてどうなんだろう?もっと自由に気ままに、スマフォやルートに縛らることなく、もっと行きたい方へ気ままに走っても良いんじゃないのかなってある日思った。
昨日、それを実行した、厚木の西側、愛甲、清川エリアはそれが出来そうな気がした、鎌倉から現地までJR相模線で輪行、下車駅は車窓風景から判断して相模線門沢橋に下車、そこからサイクリング開始。
まず丹沢方面に向かおうとしたけどまず開始早々、相模川沿に良さそうな自転車道を見つけた、そのまま川に沿って北上する、気分はなかなかよろしい自転車散歩で始まった、これは地図上では判断ができない、現場判断の醍醐味と、出だしは悪くない。
相模川に沿ってそのまま1日中走っていたかったけど、自転車道はたいして距離はなく程なく終了、物足らない気分で別ルートを探すためスマフォから行く先を模索するが、、、、当分は車の多い道路を走らなくてはならい、車の多い道は自転車にとってストレスが多くなるべく走りたくない選択肢。
交通量の多いルートを少し走ってやっと抜けたが、そこは過去何度も走ったルートで期待したほど自由なルートの選択肢がない現実を知った、その日の「自由気ままに走る」コンセプトではなく、勝手知ったルートを走って、だいたい3時くらいに適当な駅を見つけサイクリングは終了した。
「まったくルートを決めない気ままに走る」実際にやってみた感想は案外自由に走れるルートは限られそんなに選択肢はない現実を感じた、でもまったく走ったことがない初めての土地で同じことをしたらどう感じるかはまだ未知数でこの考え方の結論はまだ出せない。
一つ走って感じたこととして、これはちょっとした発見、人生哲学にも通じる普遍的発見だと思ったことです、あらかじめ走るルートを設定する走り方と、一切設定しない、その場、その場で、行きたいルート、感じた道、発見したことに適応し気ままに走ることは、自由で、おおらかで、発見に満ちているように感じがちだけど、そこにはちょっとした落とし穴があることに気がついた。
予めルートを決めて走る場合、道中ちょっとした坂に出くわそうがが、それは事前に承知の上でルート設定しているから、嫌にならず少々しんどくても迷いはなく走れる、これが自由気ままに走る場合はそうではない、ちょっとした坂でも走る気力はルート設定に比べて半分以下になってしまうことに気がついた。
これは人間のモチベーションとは予めここを越えるんだと決めて越える坂と、まったく予期しない坂、気ままに行きたい道を選んで走る考えでは、障害を越える精神力、忍耐力、メンタルがまったく違うことに昨日、気がついた、自由に走るのは気ままで良さそうだけど、実は、その分、障害に対する能力は案外低く、その結果、走れる条件範囲は限られる事に気がついた。
以前、箱根越えサイクリングを頻繁に挑んでいた、あの頃は箱根を越えられることにちょっとした喜びを感じていたけど、最近そんなキツいサイクリングをわざわざするモチベーションは以前より薄れた、それは体力的な理由ではなくストイックな走り方に楽しみは薄れたからと自覚している。
生き方としても、これはそのまま当てハマると思う、自由気ままに生きるだけでは人生の坂道、難所に出会った時に越えられる精神力が不足しがちになりやすい、予め走るルートを決めて、坂や難所がある前提でルート設定し自分の立ち位置を確認しながら走るストイックな走り方も人生にとって大事なんだと自覚した時だった。
逆に言えば、これが自覚できただけで、何かを始める時に、目的を予め決めてそれをするか、目的は決めないでその場その場で感覚的に臨機応変に対処するかでは考え方が違う、予め枠組みを決めてそれに沿って何かをすることと、予め枠組みは何も決めない、一切は感覚を頼りに何かをすること、双方の考えが臨機応変に自由に選択できることが重要なんだと思った。