アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

ユーロスターでパリからロンドンに入った、 

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さてアルルからパリに戻って翌日ロンドンに向けて出発、前日パリ北駅に行って下見に行った、国際列車だから空港と同じように早めに行ってイミグレ手続きをする、列車はどこから出るのか、どれくらい前に着くべきなのか、事前に知っておかないと当日万が一間に合わなかったらアウト。
駅の係員に手元のe-チケットを見せて乗車手続きに関することを聞いた、1時間前に来て、、、そこに並んで、、、、と聞いた、よしこれで当日あたふたはないな、、、と確認してその場を出た。
翌日再びここに来ると、、、、、すごい人がイミグレの前に並んでいた、、、そうかパリでイギリスのイミグレ手続きをする、しかしそのイギリスのイミグレ手続きはなかなか前に進まない、前にイギリス入国の時もそうだった、なかなか進まなかった記憶が甦ってきた、そう言えばイギリス入国手続きは世界で最も厳しいイミグレだと聞いている。
時計とにらめっこする、、、、出発時間が迫っている、、、、列は一向に前に進まない、だんだん冷や汗ものになった、相変わらず列はゆったりしか進まない、、、、、、、結構待ってやっと自分の番が来た、だいたいお決まりの質問責めをいくつかされて、、、、それに応えて、、、、さてやっと終わった、これで列車ギリギリで滑り込みで走り込むつもりでいたら、、、おい、待て、待て、と言われた。
えっ?なんですか、、、、と聞くと、この人は(日本人女性)英語がまったくできないんだよ、あんたこの人に質問要件を伝えてくれ、、、、それでそれをこっちに伝えてくれと言った、つまり通訳しろと命じられた え?こっちは列車に急いでいるんです、、、、、と答えると、そんなのは構わんからこっちをやってくれ、と相手は言った。
一瞬、冗談じゃない、、と思ったけどまあ仕方がない、、初めてイギリスに来た時、自分がまったく何も話せなくて同じ立場だった、相手に呆れた顔されてなんとか通過した記憶が甦って来た。
さて終わってその場を走った、電車の出発にあと10分くらいだった、、走ればまだ間に合うと必死に走った、でも残念なことにホーム入り口で止められた、次の列車にしてください、、、、あっちに行って次の列車のシート手続きをしてください、と言われた。この列車に乗り遅れたらもうチケットは無効かと思ったら、意外にあっさりしていた、次のシート手続きをするだけ、こんなことはいつもあることという感じだった、乗り遅れは思っていたほど厄介じゃなかった。
さて、列車は新幹線並みでものすごいスピードで走った、窓からの風景を眺めている間、あれよあれよという間にすぐトンネルを潜った、フランスを出ていよいよ列車はイギリスに入る、昔はここを船で越えたが、今ではトンネルであっという間に越える、多分トンネル走行時間は20分くらいだったかと思う。
ついにイギリスに入った、これまで美しかった風景がイギリスに入った途端、急にグレーな風景に変った、倉庫とか工業的な風景になって気が重たくなった、、、、、、

いよいよロンドンに到着したけど、はてな?自分は今どこにいるのか、かつて知ったロンドンの駅名で知らない駅などはないハズだけど、、、、、セントパンクラスステーションなんて駅は知らないなぁ、、、、、さて、ここは一体どこだろう?道行く人に「すいません、ここはどこですか?」と聞くのもバカらしいし、、、
売店でまずはAtoZマップを買って自分の居場所を探した、なんとなく分かって来たのが、どうやらここはキングスクロス駅のようだな、、、、ユーロスターの発着駅がパンクラスステーションというのか、、、、気を直して地下鉄に向かうとどうやらそうだった、
久しぶりに乗ったロンドンの地下鉄車両は新型できれいだった、噂に聞いたロンドン地下鉄の料金はそんなに目の玉が飛び出るほど高くはなかった、35年ぶりのロンドン、、、、、、。

フランスマックのキーボードとの戦い 

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アルルで体験したこぼれ話をついでに書きます。
万が一、契約になるかも知れない、何が起きるか分からない、日程は10日くらい余裕を持って帰り便の日程を組んだ、でもこれといった大きな出会いは浮上しなかった、さて余った日程はどうするか、、、、?観光地に寄り道したい気分はさらさらない、行く気さえあればどこでも行けるけどそんな気分じゃない、それでふっと浮かんだのが、35年ぶりのロンドンに行きたいと思った、青春時代に過ごしたウインブルドン参りに行きたいと思った。
そう思ったら、話は決まりだ、まずネットでロンド行きのチケットを探した、レイルユーロップというサイトからクレジットカードですぐ買えた。パリーロンドンは1時間に一本くらい出ていた、でもどうしてか列車の出発時間によって値段にバラツキがある、じゃあ安い方に決めた、パリーロンドンはLCCフライトの方が列車より安いかも知れない、でもせっかくヨーロッパに来て現実的に飛んだってつまらない、車窓風景を見ることは楽しい、それにかつて若いころ通ったドーバー海峡を、今度はトンネルで通ってみたい気があった。
昔はパリから1日かかって鉄道ーホバークラフトー鉄道と乗り換えてやっとロンドンまで行った、でも今はわずか2時間ちょっとで行く、ネットでチケットを購入すると、QRコードのe-チケットを出力しなくてはならない、この電子チケットがないと乗せてもらえないかも知れない、それでホテル(小さなホテル)にノートパソコンの画面を見せて、これ出力してくれる?と聞いた。
相手は、ああわかった、という顔をしたから迷うことなく買った、そしてホテルの人に、このページ、プリントアウトお願いします、とノートパソコンを見せたら、そこからちょっとした悲劇が始まった、そもそも僕のパソコンにこのホテルのプリンターのドライブソフトは入っていない、、、、、じゃあどうやって出力するのか???
今ならこのプリンター(エプソン)の品番からネット上でドライブソフトを見つけインストールすれば、問題なく動くと思うし、まずはそうすると思うけどこの時はそんなことなんか思いつかなかった、、、、知らないってことは悲劇を味わうはめになる。
相手は、困ったな、、、どうしようか、、、、、オレだってパソコンはよく分からないし、、、、と言う顔した、普段絶対にこんな顔を見せないもっとニヒルなヤツだけど、困った時はみんな同じ困った顔になるのは世界共通だった、「じゃあ、このマックをアンタに渡すから、、、ここに座って自分でこのページを出して出力してくれ、と、相手は机にドーンと芸術的に置かれた大きなデスクトップのマックを指差した。
それを聞いて僕は、、、、、唖然とした、エ?これを自分でやるのか、、、インターネットすら繋げられない僕が海外マックを扱えるのか? ここに座って、、、おもしろいやら、悲惨なやら、一瞬僕もワケが分からなくなった、でもやるしかない、でもマックでまだ良かった、これがWindowsなら完全にお手上げだったに違いない。

さて打とうとした、、、、、? キーボードはすべてフランス語、なにがなにやらさっぱりワケがわからない、日本のとはキーボードの並び方が完全に違っているではないか、ドットの位置、コマンドの位置、シフトの使い方タイミング、すべてが違っている、さて困った、、、、、一瞬茫然とした。でもやれるヤツならさっさとやるんだろう、、、、けど僕には不慣れなパソコン作業は悲劇同然だった。
失敗を繰り返しながら、時間をかけてめげないで根気よく、、、、失敗を繰り返しながら、、、、落ち着いて、、、、打っていくと、、、だんだん分るものだ、ついにチケットサイトまで開けた、ログインして自分のチケットにまでたどり着いた。
さて今度は出力の番、またすべてがフランス語、、、ここの宿の人は英語を全く話さないから、細かいことの英語での質問ができない、彼らは英語が話せないんではなく僕が使わないから話さないだけなのか、、、困った、困った、プリンター指示の仕方がよく分からない、でもやってるうちに徐々に分かってきた。
宿のスタッフがやって来て「おい、、、、どうだ?上手く行ってるか?」「comme si comme ça まあなんとか、、、」また5分後くらいに来た「comment va tu ? どうだい?」「Oui j'arrive! 出来た!」と答えた。

アルルのフォトフェスティバルの思い出 

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赤く囲ったポスターはオフィシャルポスターでここも会場のひとつ。まるで中世に迷い込んだ気分だった。

5年くらい前のことだと思う、南フランスのアルルという街で毎年行われる国際的な写真フェスティバルがある、そこに参加してヨーロッパのギャラリーに自分の作品を売り込みに行った、結果的にロンドンの写真エージェントと契約するに至ったけど、わざわざ期待を背負って南フランスにまで売り込みに行ったわりに満足な結果ではなかった。
アルルフォトフェスティバルは権威あるイベントらしくパリの地下鉄駅にもイベントの大きな告知があったから、よほど大きなイベントなんだなと思った、満足のいく結果ではないにしても自分なりに、まあ、、、、、やや納得して終えた。
僕はポートフォリオレビューと言ってフランスのキューレ−ター(作品をプロデュースする人)とかギャラリストに自分の作品を見てもらいフランスのギャラリーと契約を取るのが目的だった。
やっぱり南フランスはパリと違ってラテンなんだなと実感する、イベントオフィスに事務用で行って感心したのはオフィスの女の子達はカラフルなファッションで洗練された子たちばかり揃えていた、しかも彼女たち笑顔が絶えず世界中から集まるだけあって英語だってみんな流暢に話す、オイフィシャルなやり取りはすべて英語で話したけど用が済めば、フランス語で「みんなきれいだね、、、」とか「その服は素敵だね、、、」こんな子たち相手にフランス語を話さないのはもったいないから冗談の一言二言を話して楽しんでいた。
それはつまり、それはステキな高級ワインがあってグラス一杯なら勝手に飲んでいいよ、と言われたら飲まないで帰るのはもったいない気分、それに近い感じかな、それ以上手出ししすぎるのはダメだけど、、、、、僕にとって英語とフランス語は用途が違う、もちろんフランス語だって実用レベルで話せたら現実的な言葉になるかも知れないけど、僕にとってのフランス語はなんというかやり取りではなく、ことばが「この世で一番美しい言語」として自分の中にあるからこんな子たち相手にひと言フランス語で冗談を言うのは至福のときだし話さなければもったいない。
それに対し英語は異文化のコミュニケーションツールであってそこに美しさとか官能を満たすように求めていない、でも最近は考えが変わって来た、きちんとしたきれいな英語を話さない、ジャンクなひどい英語を話すことは自分にストレスがたまるから英語の捉え方だって変わった。

さてアルルまで行った結果はほぼ空振りだったようなもので終わった、取るには取ったけどもっとしっかりした契約を取るつもりで行ったから複雑な気分が残る、でも海外写真界の現場空気を味わいに行くだけでもまあ悪くはないかもしれないし、、、。
フェスティバルのオフィシャルのレビュー数は僕は12人くらいだったかな?でも現地ではあちこちでポートフォリオレビュー(オフィシャル外)をやっていた、ヒマな時間、観光する気もないしプラプラしていても仕方がないし、毎回見せる度に参加費を払いチャンスはどこにあるかわからないし、やって見るか、、、、、と遊び感覚で参加した。
さすがにオフィシャルのポートフォリオレビュー会場では一切お酒は飲まなかったけど、このポートフォリオレビューは遥かに格下で気分も軽かった、待ち時間はサンドイッチでも齧りながらビール片手に自分の番まで待っていた。おかげで自分の番になった時はもう真っ赤な顔で作品を見せていた、これを日本でやったら追い返されてしまうから南フランスではそれなりに楽しんだんだろう、、、と納得している。
僕はアルルに行ったついでに近場の観光地の寄り道する気はまったくなかった、その手の観光地めぐりはもうほとんど興味はない、むしろこれから書くサンドイッチ屋との掛け合いの方がずーっと楽しい思い出になって好きだ。
あっちにはコンビニなんかなくてレビュー会場の横のサンドイッチ屋でビールを毎日調達に行っていた、ここは南フランスだからかすごく雑談好きな人たちだ、買い物に行ってちょっとフランス語を使うと必ず一言二言は返してくる。
馴染みになったサンドイッチ屋で赤文字のクローネンブルグを毎回買っていた、でもビール名を言わず、赤いビールください、Bier rouge s'il vous plait ,と言うと、どこが可笑しいのか相手はケラケラと笑って話しかけてくる。
それで、ある日、いつものようにサンドイッチとビールを買って帰ろうとしたら、待て 待て 待て、、、と言う、なんでフランス語を話すんだ?普通日本人はフランス語は話さないで英語を話すぞ、、、。
僕が?、、、シルビーバルタンがすごく好きだったから一生懸命勉強したんだ、、、と言って出ようとしたら、待て 待て 待て!と言って奥から男を連れてきて、こいつシルビーバルタンがすごく好きなんだぞ、、、と言った、そこで歌える歌を何か一曲歌ってくれと言われて、シルヴィーバルタンの知ってる歌を歌って店を出た。
それで翌日またビールを買いに行って、また何か歌え、、、、、と言われてまた別の曲を歌った、それが2日くらい続いて、しまいに歌えるネタが尽きた、記憶に曖昧な耳で覚えたメチャクチャなフランス語になっていない歌を出まかせに歌ったら彼らは、膝を叩いて笑い出した、よっぽど可笑しかったのか、ハラを抱えて笑って、それもう一回歌ってくれと懇願する、よほど可笑しかったのか、、、、。
こう言うバカバカしいやり取りは日本では少なくなったような気がするんだけど、、、、、アジアなんか旅すればどこだってこのノリなんだけどな、、、、日本を出る度にそれを思う、わざわざ南フランスまで行って大した結果はなかった、、、、、おかしなフランス人とのやり取りばかりが記憶に残った旅だったけど、これはこれでまあいいかな?しかしあっちの人たちはマジに明るいな、、、、、、フランス人の女子と恋したいなら南フランスの女子はとびきりいいよ、、、、、、、。

曖昧なものの中から確かさを見る。(2) 

先日、関西まで各駅停車の旅の最中に車中で読んだ「白洲正子」鋏本佳代著、この本は久しぶりに大人の品を感じ良い気持ちの刺激を味わいました。
白洲正子さんの能の世界観はつまりは宗教に対する視座と極めて近いのではないかと僕なりに感じました。
白洲正子さんは古い良い能面があると聞けばどこでも見に行くその感覚は、僕は能にはまったく造詣はないんですが、すごく分かる気がしましたし、能面に託された表情は作り手の能に対する世界観が凝縮されているんだなと感じました。
前にも書いたように、能という芸能は多分、僕が生で鑑賞したとてしても、今の概念では多分掴みどころのない「舞」なんだろうなと思います、解釈次第でどんな風にも解釈ができそうです、大人として目に見えない概念に対する感性が試される気がします、こういう目に見えない概念、形而上学的概念とでも言いますか、、、、、なんと言えば良いのでしょう、言葉には表せられない概念でして言うなれば最も近い概念は「境地」と言い表すしかないわけです。
僕の好きなことばの一つで、ある宗教家が言ったことばですが、「世界は自分が深めただけ実相を見せてくれる」 正しい言葉使いは覚えていませんがそんな意味で語られていました、つまり裏を返せば、深めていなければ世界は僕らに何も見せてはくれないとも受け取れます、逆にカタチのない世界に対してなんらかの造詣を得たなら、あえて何かをしなくたってモノは自然に見える、と言う意味にも受け取れます。
これは写真を撮る時も同じことで、内面世界を看破する能力が育っていない人の作品は小賢しい手法ばかりに凝ります、逆に内面世界感覚に対して感じ取り、そのアウトプット訓練が出来てる人は、わざわざ小賢しい手法に拠らなくても世界は自然に写るわけです。
写真を一瞬見ただけで写真家は内面世界をどこまで掘り下げたかすぐに分かります、写真は一瞬にしてカタチに出ます。
まあそんな掴みどころのない形而上学的な概念をビールを片手に鎌倉から関西までゆったり各駅停車に揺られながら、だらしなく延々とつらつらとほろ酔い加減で白洲正子さんの考えを読んでいたわけですが、やはりさすがに良い家柄に育った白洲正子さんですね、、、、幼い時から確かな人から能の手ほどきを受けて来られたんだなと感じます、いい家柄に生まれるのはこういう環境に恵まれるんですね、、、、久しぶりに良い時間をすごさせていただいた気がしました。
僕が白洲さんに対し特に感心したのは、相当に自由な考えをお持ちだったのが本から伝わってきました、骨董に関しては、青山二郎氏から手ほどきを受け小林秀雄氏とも交流があり、多分相当良いモノに出会い目利きなはずですが、にもかかわらず、彼女の発言がおもしろいのは「ニセモノだって良いじゃない、、、、そんな物だって長く使い使い続ければ愛着も湧くし応えてくれるものです、」とか、「むしろニセモノか本物か目利きですら惑わされる物の方がかえって面白いわよ」と本に書かれてありましたが、、、。
その発言はお見事で、すごく粋な方だと思いました、、、まさに僕もそう思います、多分僕が白洲正子さんに共感するのはそこです、僕が一番好感が持てないのは見た瞬間に明らかに安っぽいインチキそのもの、それをそれなりの本物顔してるニセモノ、これが一番気分が悪いです。
目利きですら騙されてしまうニセモノって逆に興味深いですね、それなりの品格だって魅力だって当然そこにあるはずです、それなりの表現力と技法表現力だって、すべて備わっているはずです、もしそうならば、もうそこから本物とかニセモノとかを区分けする必要っていったいどこにあるんでしょう?その区分けの定義って一体何なのか?になります、むしろそういう物はそういう現代アートとして成立するんじゃないかと思うわけです。
僕はニセモノだとか本物だとか白黒はっきりさせることにあまり興味はないです、番組としてはおもしろいけど、テレビ「なんでも鑑定団」みたいに本物を当てるのはあまり興味はないです、当たっていようが間違っていようが、私はこれをこう見た、、こう感じた、こう思った、それに対しての感覚の目があればそれでいいと思っています、白洲正子さんのその本のサブタイトル「ひたすら確かなものが見たい」はそれについて充分満喫しましたし考えさせられました。

僕はこの通りたいした者ではありません、でもこの世の著名な大御所には何人も出会って来ましたし中には交流させていただいています、大きな撮影舞台も経験させていただきました、でもそれに出会う度、ほとんどブレることなく浮つくこともなく自分の感性を信頼し普段通り接します、むしろそういう場の方がかえって気が楽になるくらいです、もし白洲正子さんが存命でお会いする機会があったとしても同じ気持ちで楽しんで話せると思います。
それはこれまで自分が感じたことに向き合い自分の感性に信頼があるからです、この本のタイトル通り、ひたすら確かなものが見たい、それは物事をどれだけ知ってるかではないんです、知らなくたって構わないと思います、何か能力があるからでもないんです、自分にどれだけ向き合って来たかなんです、それさえしっかりしていれば、どんな大御所に出会ったとしても臆することなく素直に自分の気持ちをそのまま話せます。
むしろこれまでの経験からすれば大御所の方が自分をそのまま自由に話せる人はかえって多いですね、、、、普通の人の方がかえって話すのが難しいくらいです、もちろんその方との相性は当然ありますが、、、、、。

鎌倉の浜に転がる石とカリフォルニアのワイナリーの繋がり 

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鎌倉の稲村の浜や七里ガ浜に散歩に行けば、浜にゴロゴロと転がっているこの石、どうしてこんなおかしな穴ぼこだらけの石が転がっているのかずーっと不思議だった。
ぱっと見た感じは京都のお寺にありそうな石だな、、、と思いつつ浜に行けば、いくらでも転がっているからあまりたいして気にもしなかった。とは言え、浜で見る度に、どうしてこんな風に無数の穴ができたんだろうか?やはり気になる石だと思っていた。
15年くらい前、稲村ガ崎の浜の前の高台に別荘物件を買った、家は頻繁に使われておらず野放し状態だったから買ったら即、家の手入れ、修繕、荒れ放題の雑草、竹、植栽の整理をチェーンソーで手入れを始めた、とにかく始めは一階から海などまったく見えない荒れ放題の物件を一個一個手を入れて自分たちの好みの家に作り変えて行った。
荒れた斜面の竹の伐採整理が終わったら、次は外階段の荒れ果てた竹垣を撤去しそこは石垣に作り直すことにした、石素材を選んだ理由は、竹よりも遥かに耐久力がありそうだし以前カリフォルニアのワイナリーで出会った体験から一度は石作りで何かをしたかったから。

以前、カリフォルニアワイン畑一面に咲く菜の花を撮って回る仕事をもらった、葡萄畑に菜の花の意味は菜の花があれば虫は葡萄苗には付かず菜の花に集まるそうだ、虫は栄養を取り終わって腹がいっぱいになるとどこかに行ってしまう、役目が終わった菜の花はそこで刈り取られそのままにしておけばそれが葡萄苗の肥料になる、農薬は使わず肥料にもなるという一石二鳥のすぐれた話、それをカバークラップと呼び、春になればカリフォルニアのワイン畑は黄色一色になりそれはカリフォルニアワイン畑の風物詩だと聞いた。
でももらった仕事はすべてを一人でしなくてはならない、不慣れな異国で車を運転して、きれいな黄色い葡萄畑を自分で探し、当然いい写真を撮らなくてはならい、あらゆるやり取りだって英語で自分でしなくてはならない、これは結構大変な仕事だったけど、わりと時間には拘束されず自由で気ままにゆったりと北カリフォルニアを旅が出来たからまあ楽しい仕事だったかな、、、と今は思う。
ここだ!と言えるほどのきれいな菜の花風景を探して車であちこち走り回っていた時、ふとあるワイナリーに目が止まった、そこで庭作り作業をやっている光景を目撃し何か気になって見学させてもらった、一人だからできることでこれがもしチーム仕事なら自分勝手な中断は当然できない。
カリフォルニアのワイナリーが集まるソノマ、ナパ地区はサンフランシスコから車で1時間くらい、ワイナリー巡りのバスツアーがいくつかあってそれぞれのワイナリーはツアー客にその場でワインを販売しているからどこもおしゃれな庭作りしている。
庭作りしていた男は20代の気の良いヤツだった、ピックアップトラックに無造作に積まれた直径20〜30センチくらいの石を一輪車に積んでこっちに運んで並べて散歩道を作っている最中だった、作業を見たところ、、、どう見ても本職には見えなかった、彼はあれこれ考えながら楽しんで作業をしていた。
石を一個、積んで、立ち止まってじーっと眺めて、、、何か考て、、、また石を並べて、、、また考えて、、いや違うな、、、ひとりごとをぶつぶつ言いながら、、、This stone should be here,,,,,,,and this one could be there,,,,,,and this is not here,,,,this stone also should be here,,,,,,
カタチの違う石、サイズの違う石を並べ直したり、時々ハンマーで叩いて割ってサイズを変えたり、どう積んだら崩れないか、セメントはどう使うか、彼なりに試行錯誤が伝わってこっちも一緒に考えてしまうくらいの作業だった。テキパキ急ぐ作業ではないのはすぐわかった。
彼に話しかけると作業を中断して手を休めて気さくに話し相手になってくれた、彼はワイナリーの従業員で庭作りもヒマな時の重要な仕事だと説明してくれた、僕らはそこで多分1時間くらいおしゃべりをした、彼の話は、こんな感じに石を並べ積んで、この石はこんな風にセメントを使ってこう並べる、、、と話してくれた、僕はトラックに積まれた石を指し「あの石はどこから調達するのか?」と聞くと、車で10分くらい行った山の崖から拾って来る、崖に行けばゴロゴロ転がっているから好き勝手に拾えるんだと話した、近場で石をタダで拾い集めて、それで庭作りをするって羨ましい良い話だな、、、、と思って聞いていた。
その話が僕にとって心に残った、僕もそれに習っていつかはそんなことがしたいと思っていた、「そんなものは浜とか裏の崖から拾って作るんだよ、、、、」いつかは言ってみたいことばだった、今の日本はそういうことはあまりしない風潮になった、昔はそうでもなかったけど今はなんだって買ったモノで片付け自分たちは何もしなくなった、石積みは当然しないし壁のペンキ塗りもしない、家作りを自分で考えないし自分の手でしない、だからつまらない家が多い。

さてわが家の石垣に話を戻そう、カリフォルニアの体験はいつかしたいとずーっと心の中で思っていた、石垣の素材の大半は裏の崖下に散らばっている石で賄ったけど同じ石だけで作ってもつまらない、アクセントに浜から穴ぼこの石を入れて作った、少なくとも2〜30個はいる、浜から石を30個くらい持ち帰るのは結構しんどい、でも探す苦労はまったくない、いくらでも拾える、ただ重い石を30個も持って階段を上るほうがよほど苦行だ。
ついでに言うと、浜で拾って来た石は塩分が残っていて一度、水で洗い流さないとセメントにはよろしくないと聞いたから、雨ざらしにしたり、ホースで丁寧に水をかけたり少しは手間はかかっている。頻繁に浜に行ってカタチのいい石を物色していた、どうせ重い石を持ち帰るなら少しでも気に入った石がいい、浜であれこれ探して、やっと穴の秘密が解けた、なるほどそういうことだったのか。
つまり石に海藻が根を張った姿を見てこの穴の秘密がやっと分かった、穴の原因は海藻の根っ子が石に根を張って穴ができた、、、海藻の根が穴を作っていた、時には硬い石ですら穴を開けてしまうから凄まじい力を持っている。
この穴の石は石ではなく粘土が固まった石に近い土です、鎌倉の海の底は岩ではなく粘土質です、その粘土に海藻がへばり付き海藻は根を張ります、そして海が激しく荒れ、海藻は波に揺られ続けパカッと剥がれ、石は海底でコロコロ転がり続けるうちに、角が取れて丸い石になって海藻は腐って石だけ残ってこうなった。
それがある日、浜に打ち上げられた、そして僕らが「これは一体なんだろうか?」これが筋書きです。