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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

今個展 魔法植物園についての説明 

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この作品を制作する前はモノクロ作品展を5~6年で4回ほど精力的に行っていた。
人脈のない僕にしては毎回まあまあの盛況ぶりだった、でも毎回個展が終わる度に空虚な気持ちをどこかで感じていた。 それは個展目的の作品の物足らなさに限界を感じ始め、今後はもっとテーマ性のしっかりした作品を作りたいと思いはじめた。
しかし果たして自分にそれが作れる能力が本当にあるのか、ないのか、自分の能力を見極めたかったし、それくらいにしないともう納得できないところまで来ていたんじゃないか。
そこで考えたのは写真表現とは一体何なのか?もう一度、根本的に考え直した、写真表現とは言葉を使わない分、コンセプトが曖昧でもなんとか通用する、今回はその曖昧な表現はしない、また個展が最終目的ではなく写真集を最終目的にしたいとした。
僕にとってこの違いは制作スタイル、撮影の質量、時間、エネルギーのかけ方など、根本的に違うと思う。写真展は言ってみれば会場空間をなんとか埋められ雰囲気さえ作ってしまえばなんとかなる、でも写真集はその考えはまったく通用しない。仮にそんな考えで作れば粗はすぐに露わになる。
まずストーリーに沿った作品にしたいと思い、浮上したのは「魔女たちが薬草園を営んでいた、いつしか品種が増え、やがてそこは広大な魔法がかかった植物園になっていた」そんな植物園を想定し、写真でそれを表現したい構想で作品制作はスタートした。

始めて数ヶ月経って感じたのは、個々の写真はまあ順調に撮れている、、、しかしずらりと一堂に並べ冷静な目で見ると、期待した魔法は少しも感じない、魔法はもっとカンタンに描けるとタカを括っていたが現実はそうではなかった。気を取り直してまた植物園通いを続ける、新しく撮り直し作品を入れ替え、仮の作品集を作って再び眺めるが、どうも期待した作品集には一向になる兆しがない。
魔法世界を写真で描きたいと軽く考えて始めてしまったが、現実は思うようにならず、ずいぶん厄介な作品に手を出してしまったなと思った。始めた以上は僕にはできませんでしたと、気楽に止めるのは気が引けるからやるしかない。
でもその一方で、所詮はこの企画自体、そもそもが荒唐無稽な試みで、実現不可能なのかと始めたことを多少後悔し始めた。
でもそのうちにやっていればなんらかの形で魔法表現はできるんじゃないかと気を取り直し植物園通いを続けた、しかし何度も通い慣れた同じ植物園は徐々に鮮度を失い始め、足が重くなった、捉え方を換えながら試行錯誤し、新たな表現法を見つけ出したころ、植物園の聖地イギリスに渡って、植物園巡り、名庭園巡りをして新たな気分で流れを変えた。
一度は鮮度を取り戻したが、また足が重くなったりの繰り返しが続いたが、やはりこのテーマはもう止めようかと2年近く制作は止まった。
作品作りから少し離れた、ある時ビール片手に長い散歩に出て、今後の作品作りについてこれからどうしようか考えた、その時、どこからともなく魔法植物園は再開すべし、と言う思いが心の奥から響いた、それはちょっとした「お告げ」みたいなものだった。
気がつけば開始して5年の歳月が経った、今年は気を取り直して再び動き始めようと思っていた矢先にコロナ自粛でまた動けなくなった、仕方がない、今まで撮った膨大な作品をもう一度、洗い直しをしをし、拾い出した作品を新たに色彩表現をやり直した。すると今まで見向きもしなかった作品たちに異変が起きた、色を変えたら見え方がガラッと生まれ変わった作品が次々に現れた、まさにここに来て僕自身が魔法にかかったようなハプニングが起きた。
今まで何を見ていたんだろう?自分の選別眼がいかにアテにならないものか実感した。

出会って出会えず、答えがないことを探す行為 

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6月に作品「魔法植物園」について何回に分けて所感を書きました、そして来月の8月1日から10日まで急遽、個展を開くことになりました。
でもここまで来るまでには、あれこれいろんな障害がありどうしたらこの壁は越えられるのか分からなくなり、いっ時は撮りに行っても、そこに鮮度がなく何も撮れなくなり、この作品を今後どう展開していいのかが見えなくなって1年半くらい休み期間もありましたが、ふっとしか思いつきから再び動き出しました。
その時、この作品はまた新たに撮り直さなくてはならないと思った、まず手始めに心残りの大島の椿撮影の仕上げのために大島から始めた。
撮影は過去撮った画像を見て、そこから撮り直す考えはしないことにした、過去は過去、今は今、過去したことは良いにしろ、悪しきにしろ、できるだけ忘れて今は今の感覚で撮りたい、その思いで椿の森に立った、新しい場所も視野に入れていろいろ候補地を探したがやはり2回目撮った場所が最も優れていると判断し、そこでもう一度撮り直すことにした。
今回、浮上した撮り方は、広く大胆に突き抜けることを心に撮った、撒き散らした椿の数は前回よりはるかに多く、広く、奥の奥まで散らし、密度も増やし中途半端ではなく徹底して椿を拾い集めてはバラ撒き、その作業に数時間かけて椿環境を作った、撮影ポイントはやや引いてやや高台からカメラを構えた、さらに画面は左右も振って撮っておいたが、最終画面はその通り左右振った画面を足して広く仕上げた。
撮ったものを後日見ると、前回撮ったものとは比較にならない、絵の力が写り込んでいた、それを左右繋げてカメラ画角より広くして仕上げたところ僕が描きたかった魔法植物園はこのわずか1枚だけですべて語られたと感じた。

それを見た時、5年間に同じ場所で何度も撮ったけど4度目でやっと満足なカットが撮れた、その理由は一体どうしてか考えた、その理由は、その時はこれで十分撮れたと思って持ち帰るが、撮った物を額装をして冷静に時間をかけて何度も見るとやはり何かが足らない不足感を徐々に感じ始めた、花の数がまだ足らないのか、撮る時、突き抜けた気持ちが不十分だったのか、でも現場ではそれに気かつかなかった。
でも実を言えば、たしかにその場では気が付かなかったのかも知れないが、実は現場でも薄々とそれに気がついてはいたが、まあなんとかやり過ごせるんじゃないか、何とかゴマカセるんじゃないかと思っていた、と思う、それは本当に何かを作りたいなら、結局は通用はしないんだと最近感じる、もし本気で何かを撮りたいなら、肝心なのは上手くなるよりも、ゴマカしたがる自分の心との戦いじゃないかと思う。

さらに今回の作品セレクトで感じたことでは、まだ納得するとこまで撮れていない、また撮り直し、と思っていたが、コロナ自粛で、過去これまで撮った作品をもう一度見直した、それらをもう一度色彩の調整をし直して見直したところ今まで感じていた印象が意外なくらいガラリと姿を変え作品は新しい世界に生まれ変わった。これは不思議だった、これは一体何なんだ?と思った。
ただしこれはどれにも通用はしない、ハイレベルな撮り方ですが、撮影時に色彩階調を意識した色彩ラチチュード幅のある撮り方がされていなければ、このやり方は通用しない、作品のすべてをその調子で点検し直し、それらを新しく調整し直してみると、今まで拾えなかった作品、素通りだった作品が、次々に新しい命が吹き込まれ、新しい作品がジャンジャン登場し始めた。まるでもう使い物にならなくなったガラクタたちが、ある日突然新たな命が吹き込まれ、次々に甦ったみたいな摩訶不思議な体験だった。

モノに出会い、そこに魅力を感じ、その人の感性で上手く切り取って、画像に仕上げる行為。
それが僕らが行っている写真を撮る行為です、でも第一の段階で、モノに出会う、ですが、多くはモノに出会えないで、その魅力が分からないでその場を素通りして終わる、出会っても見えないから出会えないまま終わる。
ある文化人がこれを「出会って出会えず」と言ったけど、僕は自分が撮った作品すら、それに出会えず、そこを拾えず、また撮り直しだとマジメに思い込んでいた、たまたまコロナ自粛のおかげで植物園は閉園、電車の遠出もダメ、仕方ない、過去撮った作品に向き合った、考えとやり方を変えたところ、まさかそれは宝の山だった。
今回のコロナ自粛のおかげでこの作品はできたようなモノ、もし自粛がなかったら今もムダに走り回っていたかも知れない、出会って出会えず、だったかも知れない。
作品を作る行為とは、このように日常生活であまり使わない感覚神経を駆使すること、今回のように5年も歳月をかけると、これまで知らなかった新境地に出会えます、これは誰もができるわけではなく、限られた人にしかできないことかも知れない、心を全開にする作業に興味のある方は是非やってみると良い、深みへと誘われるので心にとって非常に良い。それで新境地を体験できるかできないかは、その人次第ですが、、、、。

時間を忘れる天然の感覚、 

僕たちの子供時代はプラモデル作りが流行っていた、特に流行ったのはサンダーバードとかスポーツカーのプラモデル作り、それにモーターを入れて動かせるようにする、要するにキットではあるが自分で組み立てられるオリジナルのオモチャ作り。
これにハマった子供たちは大体は飯を食べることなんかもうどうでも良く、そっちのけ、ずーっと組み立て作業にハマって夜遅くまで手が止まらないヤツらがたくさんいた、みんながそうだったかは分からないけど、そう言う子は僕の周りにはパラパラいた。今の子たちにとってはゲームにハマるのが今風なのかな?
それが大人になると、もうそう言う時間を忘れて、夢中になって、何かにハマる、そこから卒業して、受験勉強をして、目指す大学に入って、会社に入って大人になる。これはある意味では大事なことなんだけど、みんながみんなそうであるよりも、その中の1〜2割くらいは、大人になっても、まだ子供と変わらずご飯を忘れてハマり続けられるヤツがいても良いと思うが、、、、そう言うヤツは絶滅危惧種みたいにこの世からいなくなる。多くは大人になるに従って受験勉強か、会社に入る時か、大人になるための教育を受け「時間を忘れてハマる感覚」もどこかに置き忘れる。
僕の周りの何人かのカメラマンたちはそう言う大人世界の感覚が嫌で会社員ではなく自由なカメラマンを選ぶけど、彼らの作品を見ると、描く世界観はやはり現実の大人たちの世界観に汚染されているのをしっかり見て感じる。見た目はスキルが高い分だけキレイで、しかも印刷に金を掛けて凝るから見栄えだけはめちゃくちゃ素晴らしいが、肝心な中身となるとどうも失格なのが大半で、何かを描いたと言うより、描くべき命は始めから存在しない、世界観も乏しい、それらは見た目が良いただの営業ツールでしかない。驚くべきはその空虚さ、その実態を見抜けないプロたちが殊の外多いことだ。
彼らの作品を見て思うのは、夢タイトルを掲げてはいるけど、その実、夢の本質なんかちっとも描けていない、その入り口すら入り込んでいない、それっぽく描くだけで彼らの目的は十分に果たしている、表現スキルが高い分だけデザイン的には素晴らしいから、深読みなどしない方々にはそれで十分に通用するんだと思う。でもこんな空虚な作品にこんな大変なお金をかけるって一体どんな気分だろうか?僕にはそんな気前のいいことはとてもできない。
でも普段の大人生活の習慣からすれば遥か昔に置き忘れた世界観など、もう描けないんだろうな、、、、時間的にも忙しすぎてそれを引き出す時間もエネルギーもないだろう、描くべき入り口すらもう見つけられないんだろうって思う。まあ仕方がないことだ、大人世界を生きるってことはそれくらい厳しいことだ。
もちろん僕だって大人への洗礼は一通り受けた、その矛盾の厳しさは僕にも分かる、ただ受けたにもかかわらず、天然はどこまで行っても天然でしかない、多分この世界でその心をピュアーに持ち続けられるのは、強くて立派だから持ち続けられるのではなく生まれつきの天然でないとズレを維持することなど不可能じゃないかと僕は思う。
しかし現実問題、そんなズレた感覚を生まれつき持っている者ですらズレた感覚を描くことは並大抵では描けない、相当に覚悟を決めて集中して作らないと描けない、でも苦労を経てズレ世界がなんとか描けたならこんな面白いことはない、もう営業ツールなんかどうでも良いと思う、さて次はまた何をしようか、、、、次の天然のズレ世界を考えている。

インクジェットプリントは設定さえやれば色はわりと良い線まで出せる 

連日、アルバム作りに精を出していて、ブログを書くヒマがなかなか作れなかった、しかし物質的なヒマの不足よりそれを書こうと言う気分がなかなか湧かなかった、二つのことを同時にこなす器用なことはできない。
さて、気分を変えてまたブログを今日は書きます、相変わらず作品話題ですが、今日はインクジェットプリントの色調整についての話題です。

今回の僕の作品の重要なキーワードはなんと言っても色です、ここで何度も書いて来ましたが今回の作品の主役は花です、花をモチーフにする人は殊の外多く、その中で月並みじゃない表現をするには色彩表現は群を抜いて美しいとかどこかで突出していないと相手の心に飛び込んで行きません、今回、作業を始めたころ、モニター画面上では極めて微妙なギリギリの色を出しても、狙った色が思うようにプリントに出てくれない、それであれこれやっても出ない場合、最後はセレクトから外さざるを得なかった作品は何点かあった。
なんとか微妙な色がモニター画面で表現ができてもプリントには出ないならば、どんなに作品が良かろうがセレクトから外すしかない、狙った色を出すために散々試行錯誤しました、今回それに費やした時間とエネルギー、そして消費したインクと用紙はどれほどだろうか?すでに費やした金額はアルバム代込みで10万円は楽に超えています。
2年くらい前に前哨戦として魔法植物園はプレ展示をした、あの時、色出しにこんな苦労はしただろうか?あの時どうやって色を出せたのか、ハッキリ覚えていないが、今思うとどうやって色出しをしたのか首を傾げてしまう、今回は色出しに苦労しています。理由の一つは前回は色出しにあまり苦労しないわりとストレートでシンプルな色で展示していたけど、今回はそうではない、非常に微妙で複雑な色が多い。
どうやら出力とは、あっさり苦もなく色が出せるデーターと、色が微妙なせいかカンタンに出せないデーターがあるんじゃないかと思う、あるデーターは微妙な中間色が命だけどまったくそのカケラすら出ない色がやはりある。
パソコンでなんとか考えられる色調整して何度も出力し直しても、まったく狙った色に近付かない、そんな出口のない袋小路にずーっとハマっていた。でもキーを見つけたら色は必ず出せると僕は確信していた。

フィルムカメラからデジタルカメラに移行した時、多くのフィルム派は「デジタルの色はフィルムに比べて色が好きになれない」多くは口を揃えてそう言った、確かに一つの言い分ではある、でもデジタルプリントはフィルムでは到底出せない色域と調整幅がデジタルにはある、これは確かです。
しかし問題の本質はインクジェットプリントは設定が多すぎてフィルムプリントのようにはカンタンに扱えない、要所を理解して抑えないと色はチグハグになる、しかしどこから手をつけて良いのかわからない、思う色が自由にサクサクと出せない、やってもやってもイメージした色とは程遠い、特に緑の葉っぱはエグい緑色に転びやすい、デジタルを嫌う大方の理由はここじゃないのか、、、と今回思った。
僕も今回やってもやっても理想とは程遠い色しか出なくて苦労したけど、あくまでも思ったのは、これは設定ミスだからこんな色になるんだと解釈していた、そこで腰を据えてこの問題に向き合いたいと考え、色調整に関する情報を調べて出力して、気に入らなかったらまた調整して出力した、その繰り返しをした結果、ここがポイントと思う調整を見つけた。
とにかく設定個所はいくらでもある、しかしどうやら重要な設定とどうでも良い設定がある、とにかく片端からまず設定して出力して比較して重要な設定個所をなんとか見つけた、これが設定されていないと色はチグハグになる、それ以後の作業は安定した、多少のズレはあっても微調整ですぐ修正できる範囲内、もう根本的に色が外れることはなくなった。
確かにまだ出力独特の色のエグ味は消滅したとは言えないが、調整法を一つ見つけただけで、インクジェットプリントの価値基準が一気に変わったのは大きな収穫だった。
前回の魔法植物園の展示の時、来てくれた多くが口を揃えて「インクジェット出力がこんなにキレイな色が出せるのはちょっとびっくりした」と多くに言われた、しかしあの時はまだ調整法はよく分かっていなかったけど、今回はやっと分かった。
今回の話の結論は色出しのカギはある程度のインク種のある高級プリンターなら色設定次第で狙った色はだいたいは出せる確信を持てた、またフィルムの方が色風合いが優れている、これはたしかに一理はある、でもインクジェットの色の問題の大半は設定認識の不足ではないかと僕は思った。

「魔法植物園」の現状 その10 

魔法植物園は総数37枚で一度完成させた、しかしこれまではただのバーチャルな画面だった作品は、今は物に変わった、この先は画面で見えていた感じではなく物になった、モニターで見た印象はもはや通用しなくなった、それで出来た実物を見てすごくガッカリする場合もある、狂気することだってある。 
今回はアルバムを海外から取り寄せたり気合いが入ってるせいか酷いガッカリはない、でもモニター画面で慎重にセレクトし作品を組んだ、物になった作品を見ると今までモニターと向き合っていた時の慎重さはあまり役には立っていない、むしろその慎重さが物を見えなくさせ足を引っ張ることすらある、大胆な大雑把な気持ちの方が返って大事で、大胆な気持ちで選ばないと肝心なものが見えないことだってある。
モノを作ったり表現する場合、繊細な感性が必要とよく聞くが、繊細な感性なんて細まやかな表現の場合に役に立つが、そうじゃない時には、返って足を引っ張る事だってある、要はそこら辺を読み取って、その時その時はどうするかの判断力があることの方がずーっと役に立つ。
前置きが長くなったが、今回の場合アルバムは散々の苦労の末に出来た、しかしモノになって作品を見ると、モニターで感じた高揚気分、達成感はすっかり消えて、なんだか、、、どこか物足らない気がした、作品の雰囲気を壊さないように壊さないように厳選して選んでアルバムを作ったけど、あらためてモノとしてそれを見た時、もっとページ数はあったほうが良いんじゃないのかな?って感じ始めた。
十分に見応えがあるセレクトかなって思い選んだつもりだけど、モノになって見たら物足らないと言うよりも、もっと行けそうなのに慎重になりすぎてどこかで変に小さくまとめ上げてしまったような気がしてきた。またセレクトを一からし始めた、すべて見るのに2〜3日はかかると思う、イヤもっとかかるだろう、、、また時間をかけて選ばなくてはならない。
この作品の選び方は通常のセレクトとはやや違って拾い出しは手間がかかる、パッと見た感じでは分からない、良さそうだなって感じた作品はあらゆる色に変えて見て判断する、今までの色では気がつかなかったけど色を変えた途端、さっと雰囲気が変わる写真も出るので、色調整がカギだ、それで出力されたモノをアルバムに貼って並べて判断する、やれやれ出来たと喜んでいたが、それもつかの間だった。