FC2ブログ

アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

コロナ自粛は社会の流れを変えるきっかけ 

コロナ自粛に解除宣言が出ました。
4月の半ば東京で感染者数が一気に上がった時、ひょっとして日本も欧米並みのパンデミックになるかもしれない、、、と僕は今後何が起きても驚かないとそれに対し緊張感と覚悟を決めた。しかしどうやら幸いにも日本はそこまで最悪の事態にはならずに済んだようです。一説には第2波はもっと大きな波かもしれないと言う説もあるがどうなんだろう?すでに一度、事態を学んでいるからそんな事にはならないと思うが、、、。
自粛によっていろんな弊害が出たのは周知の事実、お店は閉まり企業活動は止まり観光業は打撃を受けこれで倒産に追い込まれた企業、職を失った人ははたくさんいる、しかし一方で今回の自粛によってこれまでの働き方、そのあり方、社会のあり方にとって良い流れのきっかけになったんじゃないか。
話は少し変わる、僕らが若かった時、第3の波、アルビントフラー著が話題になりNHKではそれを解説した番組まで作ったほど、アルビントフラーの主張によれば、人類は過去2度の変革を迎え、それを機に生活ががらっと変わったと書いています、一つは狩猟生活から農耕生活になり定住生活を始めた、二つ目は産業革命によって工業製品が普及しそれによって社会のあり方、働き方が以前とはまったく違うものになって生活が一変した。
3つ目はまだ当時パソコンが一般になかった時代にこれからパソコンが各家庭に普及しインターネットの時代がやってくる、それは人類が過去経験した2つの変革以上大きな変革がやって来ると予言し、それが書き表された著作が「第3の波」です。今から40年以上前には世界中で話題を集めた、今まさにアルビントフラーが予言した時代の真っ只中ですが、それらはことごとく的中している、しかし、、、、ただ一つアルビントフラーは読み間違えた主張がある。
それはインターネット普及により在宅リモートワークが可能になり通勤が一気に減るだろうとアルビントフラーは主張していた、それを聞いた多くの人たちは果たして通勤が本当になくなる時代が来るのだろうか?と懐疑的な目でアルビントフラーの主張を見ていた。
あれから40年経って見ると、通勤はこの通り減っていない、海外を見ても通勤が目立って少ない、減った国はそんなにないはずと思うが、、、、やはりそこだけは読み違えたな、、、ネットコミニュケーションがここまで普及したにも関わらず毎日毎日相変わらず通勤電車は混んでいるし何も変わっていない。
本当に通勤は必要なのか?減らすことはできないのか?と首を傾げる、この非常に悪い習慣はインターネットが普及した、しないの問題ではないことが徐々に分かった、少なくとも日本社会で言うならば、これは人間の心の問題じゃないのか?と疑わざるを得ない、企業のトップが無用な通勤、無用な残業を減らす、その努力をする問題意識がないだけじゃないかと僕は思う、この流れは今回のようによっぽどのことが起きない限り変えられない習慣じゃないのか?
海外ではこの問題はどうなんだろうか?海外で街を見た限りでは日本ほどじゃないにしても通勤が目立って少ない国などは 見たことがない、、、。
今回のコロナ自粛で世の中は一斉に会社に行かなくなって家から出ないでじっとしていることになった、中には職を失った人、収入が全面ストップした人、止むなくお店を畳んだ人もいる。
でも今回の自粛によって会社で働くこと、通勤すること、会社と個人の関係、それらに良い意味で大きな流れを作ったんじゃないのか、これくらい大きなきっかけでも起きなければ、今後もこの流れは誰にも変えられなかったんじゃないか。これを機に在宅勤務者が増えて通勤と残業は減ればいい。
そうじゃなくてはダメだ、こんな無意味な労働をいつまでも続けても意味はないし体も心も持たなくなる、会社勤めであろうがやはり自分自身に向き合って自分のことをしないと心が持たない、自分は一体何なのかが分からなくなる、会社勤めに人生の大半を捧げた方々を見て時々感じるのは自分に向き合えない人がとにかく多いことに驚く、それでは定年後の生き方が分からなくなるのは当たり前だ。今回の自粛生活は、それぞれの生き方について波紋を投げかけたんではないか?これがきっかけで流れが良い方向に変わればこの国の働く環境は少しは変わるかも知れない。

純度の高い才能に触れる喜び 

先日、Facebook上で今、流行っているブックカバーリレーの誘いを受けた、自分勝手なルールでやらせてくれるなら参加します、と答えて参加させてもらった。
勝手なルールとは本の著者は村上春樹氏一本に絞る、(これしか書けないから)本の内容説明には触れない、触れるかもしれない、最後に終わった時点で誰かにバトンを渡す、渡さない、これで参加したが充実感を感じ楽しかった、でも反応は予想通り少なかった、やるからには一定の反応はやはり欲しいが無視して続けた、人気狙いでやる、これだけは絶対にイヤだし反応がなかろうがこれはこれで悪くはなかった。
やり始めて思ったのは7冊のセレクトについて、村上春樹作品でよく知られているのは、昨今話題になった長編ものばかりだと思う、世の中を賑やかにしたそんな本を僕が二番煎じで書いても仕方がない、書く意味がまったくない、仮に書いたなら僕なりに書くと思うが、そんな作品を選ぶより影に隠れた作品を選ぶ方が楽しい。
それで選んだ作品は、一回目 猫を棄てる 最新本 第2回目 回転木馬のデッドヒート 第3回目 職業としての小説家 第4回目 スプートニクの恋人 第5回目 村上さんのところ 第6回目 短編集 像の消滅 めくらやなぎと眠る女 第7回目 世界の終わりとハードボイルドワンダーランド。
結局最後まで内容に踏み込んだ書き込みはしなかった、自分が作品から特に心を惹かれたことを中心に書いたが、それがさらさらっとカンタンにかつ鋭い視点でズバッと一発で書くことに集中し、これはこれでみんなが反応しなかろうが、もうそんなの関係なく楽しんだ。
終わった感想は7冊セレクトしてそれぞれの所感を書くとは、ちょっとした記述まがいだなって思った、書いてボクは村上春樹作品が本当に好きなんだなって思った、それと村上春樹作品を読むとは物語性を楽しんでるのとはちょっと違って、一人の有能な才能の作品展開を楽しんでるんだなって感じた。
そしてもう一つ付け足しに、僕は作品から「研ぎ澄まされた視点と優れた洞察力」これが感じる作品が好きなんだと実感した。感覚表現を何十年も仕事して感じるのは、作り手が表現世界にどれだけ直感的に入り込んで表現しているか、その作家の集中力と才能の純度は大体は分かる、本当に優れた才能によって作られたものか、そうではないかの違いはただの個人的主観かもしれないが、やはり分かる、本当にすごい才能によって作られたものはごく僅かしかない、春樹氏の稀有な才能に触れるのは至極の喜びで、それについて集中して書いたので反応はなくても楽しかった。

ここから先の英語勉強法 

今の時代、英語が日常化しているので完璧ではなくても、ある程度の英語力の必需性は以前に比べて格段に上昇した。
僕自身仕事で海外に行くこと、個人的にも海外に行く機会が多く英語力はなくてはならないツールです、最低限の英語は話せるが英文がスラスラとは理解できないし、込み入った会話なら対処はできない、ちゃんと英語が話せる人にしたら僕の語学力はただの片言英語レベルに過ぎない。
こんな英語力で自分は話せる気になっても仕方がない、これじゃ話にならないな、と奮起して4年くらい前から毎日コツコツと英語勉強を続けている、でもこれは勉強してる感じがない、英語に触れてること自体が好きだから遊び感覚で毎日コツコツとやっている、でも僕の勉強法が悪いのかアタマが年なのかなかなかアタマに入ってはくれない。
4年も勉強したんだから新しいフレーズや単語が間違いなく増えた、進化はしてるはずだけど実際の会話となるとやったわりには期待外れ、結局会話は過去に覚えたフレーズばかり話す、新たに覚えたフレーズはなかなか会話では使えない、所詮、机で覚えた英語とはどれもうろ覚えで会話で流暢には出てこない、会話の大半はやはり使い慣れたフレーズばかりで勉強した実感がまるでない。

痛感するのは中級レベルのブラッシュアップ(勉強のやり直し)は初級学習にくらべて話は単純ではない、覚える単語やフレーズの使い方がやはり複雑になる、中級から先は単に日本語を英語に置き換える話し方と考え方はそろそろ通用はしなくなる、新しいフレーズ、ニュアンスはもはやアタマ自体を英語感覚に切り替えないと思うようにニュアンスが入ってこないし会話ではやはり使いものにならない。
英語には(日本語もそうだけど)同じ様な意味、似た様な意味の単語、フレーズはたくさんある、それらすべて覚えなくてはならない、例えば確認を意味する単語を一つ取っても、confairm, make sure, check,veirfy これだけあるが、でもそれぞれのニュアンスの違いを理解し使い分けは今ひとつわからない、ネイティブたちはどう使い分けするのか困惑するばかりで使いこなせない、これは日本語思考と英語思考のズレなんだろうけど、、、、、そこに壁を感じるが、こればかりは使って話して失敗して慣れるしかない。
そんな壁に立ち往生すると、今まで知り覚えた話し方でも会話では何とか成立する、敢えて新しいことを覚えなくても今まで良いと思うと、次のステップに行けず、同じところをグルグル回って悪循環にハマってしまう。
難解な話を書いているがうまく説明は伝わっているだろうか?ちょっとややこしい話で申し訳ない、、、、これは自分だけの問題かと思いきやそうでもない、先日アイルランドの宿で会った女の子もまったく同じことを言っていた。彼女はカナダとアイルランドでワーキングホリデーを1年づつやった、それだけ経験したら会話力はかなりついたでしょう?と聞くと、そうでもない、知ってるフレーズばかり繰り返すだけで新しいフレーズはなかなか覚えないし使いこなせなくて、経験年数のわりに同じところをクルクル回るばかりだと言ってた。
そうか、、、、やはりみな同じ壁にぶち当たるのか、、、上に行くのはそうたやすいことではないんだなって痛感した。
日常生活の身近にネイティブスピーカーがいて頻繁に話の相手になってくれたら良いんだけどそうではない、どうすれば、この壁を打破できるのかと考えた。とにかく少しでも日常生活の中で英語を使う機会を増やすしか手はないんだ、、と思った。
それで思いついたのは、毎日その日にあったこと、思ったこと、呟きだろうが、何だって構わない、とにかくそれらすべてを英文にして書き残す、つまり毎日それら日記を書くことにした、今まで知らなかったフレーズ、使ったことがないフレーズ、知らなかった単語をできるだけ使うようにすればいいだけの話だ。
僕が書く英語なんて、所詮、変な英語、間違った英語を書くに決まっている、でも間違っていようがそんなことはどうだって良い、提出するわけでもない、とにかく英語で文章とか呟きを書くことが大事だ。
会話ならばいちいち考えながら話してたら会話が詰まって前に進まない、使い慣れたフレーズに偏ってしまうのはどうしようもない、でも日記なら新たなフレーズがいくらでも使える、これを1年も続けたら結構進歩するはず、どうしてこんな単純なことにもっと早く思いつかなかったのだろうか、、、、僕は不思議でたまらない、でも物事なんて所詮はそんなものだ。

インドカレー指南 

昨日はインディカ米について書いたのでついでにインドカレー指南も書きます。
和風カレーとインドカレー、どっちに軍配が上がるかは、各自の味覚感性によるものだから 僕があれこれは言えない、でもやはり奥の深さで言えば間違いなくインドカレーに軍配が上がるでしょう。
ただ先日、S&Bのレトルトカレー「珊瑚礁のカレー」を食べた、これが信じられないくらい美味しい、まさに目から鱗物だった、何と言えばいいのか、美味しさのツボをしっかり抑えていて商品性がものすごく高いと思った、さらに言うとこれは僕の家の近所のカレー屋だけど、珊瑚礁のカレーがこんなに美味しかったかな?って思ったけど、レトルトカレーを侮れないと思った、これを機にインドとか西洋風とかカテゴリーにこだわらず、いろいろ挑戦したくなった、とは言えカレーの基本はインド式作り方がどうやら基礎のようで全てはここから出発しているらしく、インドカレーを知らずしてカレーは語るなかれらしい。

インドの旅は長かったけど美味しいカレーに出会ったことは本当に数えるほど、あとはどうしようもない酷いカレーばかり食べていたからインド旅行では食べ物のストレスは結構あった、でも10年くらい前からまともなインドカレーがまた食べたくなってカレー作りを始めた。
それともう一つ思うのが、巷にはたくさんのインド料理屋があるが本当に美味しいと思った店は滅多にない、どうしてか分からないけどそう思う、ならば美味しいカレーを自分で作ろうと始めたのがきっかけだった、昨日もインドカレーを作った、多分週に一回はインドカレーを作る、それは僕にとって一種の遊びなんだと思う、インドカレーはお金がかかりそうに思うが、ビーフ、シーフードを使わない、ひき肉かチキンで作れば間違いなく家計に優しい経済料理です。
インド料理は手抜きしないで本気で作るなら手間がかかる、毎日の食事感覚なら、あまりに手間と時間とエネルギーが必要でとても日常食として作れたものじゃない、さあ作るぞ!という覚悟を決めて料理との格闘とエネルギーが必要な料理です。
物事とはピンからキリまである、食べるにしてもそう、例えば料理にしても玉子焼きとソーセージをさっと炒めてキャベツでも添えれば立派な晩ご飯になる、4人分で時間にしてわずか30分くらいあれば出来る。
世の中一般のご飯とはだいたいそんな感覚さっと作ってさっと食べる、それにくらべたらインドカレーはまさに格闘料理です、作り方はいろいろある、香辛料もいろいろ配合があるからこれがインドカレーですと一概に言えないが代表的なキーマカレーの大雑把な作り方はこんな感じ。
5〜6人くらい、玉ねぎを4個くらい細かく刻む、フードプロセッサーがあればなお早い、油を敷きクミンシード、シナモンスティックを入れる、パチパチしたら次に刻んだ玉ねぎ入れてフライパンで延々に炒める、一般女子ならそこで腕がもたなくなるかも?だいたいはそこでうんざりする、僕の場合はお酒を飲みながら、鼻歌歌いながらタラタラ気長に延々と楽しく手を抜かないで精魂込めて玉ねぎを炒め続けられる。
玉ねぎがキツネ色になったら、刻んだンニクと生姜を入れる、いろんなやり方があるが僕はジューサーでジュース状にして鍋に入れる、水分が飛ぶまで炒め続ける、次にトマト缶を1〜2個、これも水分が飛ぶまで炒める、その時にトマトは潰しながら炒めた方が出来上がりの見た目が良い。水分が飛んで味噌状態になったら香辛料を入れてまた炒める、使う香辛料はだいたいクミン大さじ2〜3、コリアンダー大さじ2〜3、ターメリック大さじ1,5 〜2赤唐辛子、好み次第(全てパウダー)塩、(量に関しては各自で調べた方がいい)
次にひき肉を入れて赤みが取れるまで軽く炒める、最後に適当な量の湯を入れてグリーンピースを入れて煮込む、僕は食感が良いから枝豆を入れる、この時湯を入れ過ぎると苦労が無駄になるから要注意、これが大雑把な作り方、特に難しいこと、腕前を必要とするワザなどは一切ない、せいぜい玉ねぎを焦がさない様に炒めることが最大のワザ、世の中一般では香辛料からカレーを作ることを珍しがる風潮がある、どうしてそうか僕には分からないが、インドカレーとはそう言うものだと始めから思ってるから特にそれが難しいと思ったことはない、それを珍しがる方が返って違和感を感じる。
インド料理は、魚を裁くような腕前を必要とする難しさはまったくない、問題は玉ねぎの戦いだけだ、あとは香辛料さえ揃えたら家庭にある調理器具で十分作れる、最大の壁は作ろうとする意欲と根気とインドカレーに対する好奇心だけ、世の中、なんでもそうだけど、これでいいやと思えば、得られる物は月並みしか手に入らない、これじゃいやだ、もっと違うものが欲しいと思った瞬間、そこから葛藤が始まる、世の中の普通とは違う趣向になる、壁にもぶち当たるだろうけどやがて欲しい物は手に入る、それを実行するか、実行しないか、それだけの話だ。
冒頭に書いた玉子焼きソーセージ炒めにくらべたら多分5〜6倍の手間、料理に対する格闘と作業が求められる。それは面倒、食べられたらそれでいいと思うか、インドカレーが家庭で食べたいと思うかだ。僕は自分で作ることには手間をかけるが、行列のできる店で1時間並んでまで食べたいとは思わない。逆にまったく料理は作らないが並ぶことは苦にならない人の気持ちが僕にはどうしてか、よく分からない。
最後に、僕の場合は1日の終わり、台所でカレー作りに格闘する行為はどちらかと言えば好きな方です、性格が基本的にエネルギーを持て余しネチッこい性格です、インドカレーに向かって一人黙々と格闘し、料理しながらタラタラと酒を飲む、酔いが入って悦に入って料理を楽しんでる、その趣味がないとインドカレーは面倒な料理で作れないんじゃないかな、、、。

インディカ米の指南 

僕はアジアをある時期、頻繁に周ったのでアジアの米は多分散々食べてきたと思う。
それで当然の如くそこで語られるのは、世界に誇る日本の米の味とアジアの米の味の違いについです。
あまり外に出ない方々、特にアジアを旅したことがないお年寄りの方々にしたらアジアの米であるインディカ米は口に合わない方が多い、今から20年くらい前のこと、日本は記録的冷害で米が採れず緊急支援としてタイから大量な米が日本に送られた、それはプレゼントだったのか、安く買ったのかはまでは知らないが、とにかく今のコロナ自粛みたいに日本中が普段口に慣れた日本米ではなくタイ米を止むなく食べることになった。
その時、日本人の間で口を揃えてタイの米はマズいと悪口を叩き、タイ人の間で「せっかく親切に送ってやったのにその言い草は一体何なんだ!」とタイ世論をかなり怒らせてしまった。
確かにタイ米を日本米と同じ電気釜で炊いて普段の食事で日本米と味くらべしたらタイ米は舌に合わない、日本米に劣るのは始めから分かり切った話だ、そもそも食文化が違うし、それに所詮、付け合わせだってすべて違うんだからタイ米は日本米の代わりになんかなるわけがない、でもあの時は国産米がなかったんだから外米だろうが食べるしかなかった。
本当を言えば、タイ米はタイ米に合った料理を選ぶべきだし、タイ米はやはりタイの炊き方で食べるべきなんだけど、そんなこと一般日本人は知るわけがない、これはどこまで行っても食文化の平行線でしかない、誰か有名人がテレビを通じてその辺を上手く丁寧に食べ方のイロハを教えるしかないし文化の違いはそう易々と乗り越えられない。これじゃあタイ人に大変失礼だと僕はやや怒りさえ感じた。

僕は先に書いたように散々アジアを旅してきた、炊き方も普通に知ってるし、食べ合わせも馴染み深いし、要するに僕ら夫婦にとってタイ米、タイの食事は特別ではなくごく普通の食べ慣れた食事でしかない。というかむしろ近所のスーパーかちょっと大きなスーパーでインディカ米が普通に買えないこと自体が悔しいくらいだ。
僕個人的に言えば、僕は日本人が普通に日常家庭で食べている食事自体が多分僕の家庭ではあまり食べないんじゃないかと思う、もちろんサンマの塩焼きだってトンカツだって食べるけど、僕にはカレーと来たらインドカレーが普通で、ハウスのカレーは作ったことがない、外で出れば食べる、うちの家内だって時々作るから食べ慣れた味ではあるがあのカレー味覚は僕にとっては決して美味しくない、中華にしても我が家は本場中華になってしまう、アジア食がわりと普通食だから要するに我が家は、少なくとも僕は日本米よりパラパラのインディカ米の方が口に合ってるかも知れない。
日本米はインディカ米にくらべてデンプン質が豊富で食感がネトネトとしていて、それにくらべて外米はもっと軽くパラパラとして独特の匂いがある、これがそもそも多くの日本人はそれをクサイと言う、でも僕にとってその匂いはタイを思い出させる匂いだと思ってる、もうこれはどこまで行っても食文化概念の違いとしか言いようがなく埋め難い認識のズレでしかない。
いっ時は日本は政策で外米輸入は出来なかった、インディカ米は欲しくてもあまり気軽に買えなかった、今はアマゾンからタイ米は通販で気軽な価格で買える、それで僕がお勧めなのがジャスミンライス、これはインディカ米(タイ米とか多くの外米種)の中でもなかなか美味しい米で僕はとても好きです、気がつけば我が家の日常食はインディカ米が普通になって1〜2年が経つ、口が慣れれば和食、刺身丼にも問題なく食べられる。
炊き方ですが、日本の炊飯器の炊き方ではあのパラパラ感がなくなるからできれば鍋にお湯を張って沸かし、そこに分量は関係なしにタイ米を入れる、鍋底にくっつくから入れたらすぐかき混ぜる、それで数分煮立て少し芯が柔らかくなったら蓋をしたまま鍋をひっくり返して湯を可能な限り捨てる、その時、米が落ちるので蓋はきちんと決してズラさないで湯を捨てる、水を捨て終わったら10分くらい余熱のまま置いておけば勝手に出来上がる。
これは現地の炊き方です、you tubeにも出てくるのでそちらを参考して欲しい、まず炒飯はこれじゃないと美味しくないし、インドカレーも同様に日本米は合わないと僕は思ってる、あとは自分自身で合うものを探してください。