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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

「魔法植物園」の現状 その10 

魔法植物園は総数37枚で一度完成させた、しかしこれまではただのバーチャルな画面だった作品は、今は物に変わった、この先は画面で見えていた感じではなく物になった、モニターで見た印象はもはや通用しなくなった、それで出来た実物を見てすごくガッカリする場合もある、狂気することだってある。 
今回はアルバムを海外からこのために取り寄せたりきあいが入ってるせいか酷いガッカリはなかった、でもモニター画面で慎重にセレクトし作品を組んだが、物になった作品には今までモニターと向き合っていた時の慎重さはあまり役には立っていない、むしろその慎重さが物を見えなくさせることがよくある、大胆な大雑把な気持ちの方が返って大事で、大胆な気持ちで選ばないと肝心なものが見えないことだってある。
モノを作ったり表現する場合、繊細な感性が必要とよく聞くが、繊細な感性なんて細まやかな表現の場合に役に立つが、そうじゃない時には、返って足を引っ張る事だってある、要はそこら辺を読み取って、その時その時はどうするかの判断力があることの方がずーっと役に立つ。
前置きが長くなったが、今回の場合アルバムは散々の苦労の末に出来た、しかしモノになって作品を見ると、もニターで感じた高揚気分は消えて、なんだか、、、どこか物足らない気がしてきた、作品の雰囲気を壊さないように壊さないように厳選して選んでアルバムを作ったけど、あらためてモノとしてそれを見た時、もっとページ数はあったほうが良いんじゃないのかな?って感じ始めた。
十分に見応えがあるセレクトかなって思い選んだつもりだけど、モノになって見たら物足らないと言うよりももっと行けそうなのに慎重になりすぎてどこかで変に小さくまとめ上げてしまったような気がしてきた。またセレクトを一からし始めた、すべて見るのに2〜3日はかかると思う、また時間をかけて選ばなくてはならない。
この作品の選び方は通常のセレクトとはやや違って拾い出しは手間がかかる、パッと見た感じでは分からない、良さそうだなって感じたらあらゆる色に変えて見て、そこで判断する、今までの色では気がつかなかったけど色を変えた途端、さっと雰囲気が変わる写真も出るので、色調整がカギだ、それで出力されたモノをアルバムに貼って並べて判断する、やれやれ出来たと喜んでいたが、それもつかの間だった。

「魔法植物園」の現状 その9 

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写真はフィルムからほぼデジタルになって久しい。
デジタルを受け入れられず、いつまでもフィルムに執着したカメラマンは世にたくさんいるが、僕もその一人だった、でもデジタルに移行できなかった理由はフィルムの方が好きだからではなく、単にパソコンを扱いこなせなかっただけだ、パソコン、デジタルの概念が生理的に馴染めず、扱うのが好きになれないから簡単に移行できなかっただけの話です。
プライベートで使うならまだしも、仕事の現場で不具合がおきた時、もう完全にお手上げだった、少々の知識があれば誰だって対処できることが出来なければ現場で周りから「こいつ大丈夫かよ?」と思われるのがオチだ、実際にそんなことはたくさんあった、カメラマンじゃない人から「ここをこうすれば良いんじゃないの?」と言われて解決したことだってある。
撮影現場でソフトが開かない、接続がすぐ切れるとか、カメラに不具合がおきても、設定の知識がない、とにかく苦手意識に負けていたから使う気になれなかった、僕にとってデジタルは厄介な機材だったからずーっと避けていた、でもこの時代、もうそんなこと言ってられない、デジタルが分かってる助手さんを雇って連れて行けば良いだけの話だ、デジタルが苦手なカメラマンはみんなそうやって乗り越えて行ったと思う。

時代は変わった、今はもう選択肢はない、使いこなせなきゃ仕事は来ないだけだ、デジタル時代になって思うことはモニターで写真を見ることが多くプリントを見る機会が減った、これは良いのか、ダメなのか一長一短ある、無駄に印画紙や用紙を消費しないで写真を見られるから悦ばしいかも知れないが、やはり写真はプリントで見て判断することから離れたくない、この習慣が減少するのは写真全体として見たらあまり良いことじゃないと思う。
もう一つ、モニター画面では色がカンタンに作れるが出力で思い通りの色が自由に出せるかと言うと、出せない、みんなプリントに対する完成度、意識が低いのか、正確な色表現なんか始めから考えていないのか、、、とにかく、それを厄介な問題とする話題は昨今あまり聞かない。
そもそもインクジェットプリントはまだ発展途上で、これが出力の限界なんだとあっさり諦めているのか、モニター画面色彩と出力色彩の大きな隔たりはどうにも埋めがたいモノなのか、、、僕にはモニターで見た色が出せないのは死活問題です、この色が絶対に出したい時に出てくれない時は本当に悩む、特に緑の葉っぱの色は濁りやすく嫌な色に転ぶことがあまりにも多く、そこが出力の一番悲しいところ。
そんな時は調整し直し延々と出力し直したりを繰り返すがラチが開かないことが多々ある、最後にデーターを始めから作り直しをしたり、それでも出ない場合はもうセレクトから外すしかない、下手をしたら出力はアナログプリントより手間とコストがかかるんではないかと思うこともある。とにかく思う色が出ない事があまりにも多い。
でもこれは解釈次第だと思うこともある、これが理由でアナログが好きで出力を嫌う人は多い、確かにアナログの色の質感が好きなのは分かる、アナログではデジタルの嫌な色転びはない、でも僕がアナログカラープリントに興味を失ったきっかけはコダックがカラー印画紙生産を止めたからだった、フジのカラー印画紙は好きじゃないからそこでネガカラープリントは僕から消えた。
そもそもアナログ印画紙はそんなに美化される程、優れものとも思っていなかった、色と濃度は調整できるが、他はまったく調整できない。単純な構造だから良いのか、デジタルは色調整がいろいろあるおかげで表現幅はグンと広がった、今回の作品だってデジタルだから成立してる部分が何かと多い、フィルムなら拾えなかった作品が色の調整幅のおかげで見事にバケた作品はたくさんある、よって望む色調が出ないと文句は言えないかも知れない。
でもあくまでも言いたいのは、写真の本質はやはりあくまでもプリントあっての写真なんだから、もし写真愛好家でプリント作りに疎くなっているとしたら、それは大事な基本と大切なことが欠如している、と言いたくなる。

「魔法植物園」の現状 その8 

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このテーマについて書くのはもうこの辺でペンは置こうかと思っていたけど、今、出力してアルバムを作っているからいろんな思いが次々に湧いてブログがまだ書きたい衝動が次々に湧くからまた書く。
今回のテーマはここまで時間をかける気はなかったが、掲げたテーマがなかなか思うように到達できず結果としてここまで膨大な時間がかかってしまった、おかげで撮ったストックは呆れるほどの量になった。
今回、作品の洗い直しして撮った物を見直すと明らかに、その場で何を撮ったら良いのか見えず、迷いの森の中にいるなって感じられたカットもたくさんあった、とりあえず撮りには来たが場と気分がまったく一致していない、それらのカットは今後、多分、何かの加減で拾われることはまずないだろう、それで今回を機に整理処分した。
この作品はそんな迷いのスパイラルをクルクル回りながら缶ビール片手に遠い植物園まで出かけて散策した結果の成果物です。
作品を作ることはどうしても時間とエネルギーが要る、長い年月をかけるのは聞こえがいいが、問題は制作モチベーションが終盤まできちんと維持できるかどうかだ、最後まできちんとモチベーションを落とさないで走り続けられるってことは、それだけしっかりした作品テーマがあって、そこに精神的な背景、きちんとした動機があるからできるんだと思う。ほとんどそこまでしっかりしたモチーフすら見出せていないのが世の大半だと思う。

今回の作品の動機、背景は今のうちに一つくらいまともな作品を作りたいと考えたこと、今までの作品に対するまだ出し切っていない物足らなさを一度精算し直したいからだけど、過去に一度も作品に向き合い真剣にやったことがなければ、強いモチベーションはまず見出せない、過去に作品を作ったが、不十分だった、やり直したい、そんな強い気持ちがないとなかなか長い年月をかけて作品と向き合うなんて難しいんじゃないか、、、、、。
そう言う僕でも4〜5年くらいはさすがにうんざりしたと言うか、心が飽きた、撮っても撮っても、見つけたいと思う世界観が見えてこない、写ってくれない、カタチになってくれない、そのもどかしさでだんだんと意欲が萎え始めていた。

そんな紆余曲折を経ながら気分転換を兼ねてイギリスに植物聖地巡りに行ったりして、気を取り直し、作品を撮りためて行ったけど、あらためて過去撮った物をすべて開き直し、拾い出し気になった作品は再び色を作り直したり見え方を変えたりして作品を4〜5日かけてじっくり見直した、実はまだ見直していない作品が残ってるくらい膨大な量がまだある。
そんなに年月をかけるとそこにはあることが発見できた、短い期間で作ったものにはない傾向が写っていたことに気がついた、それは始めたころと後半では考えがどんどん変わっていた事実、作風とか撮り方とか捉え方とか色作りとか作品に対する感覚まで始めたころとは変化していた、制作期間が短い作品は作り方の考えとかスタイルは変わり幅はほんとんどないが、今回の場合はそれらの考えが大きくズレていた、言うならそれが結果的に広い視野で物事を捉えたことになったが、短期間で作ったものは作品に思考の幅が狭くて見ていてやはりつまらない。これを作品の熟成と呼ぶのかな?
作品と言うものは作品から伝わって来る思考の幅、思考の奥行き、これがすごく大事なんだってことをプリントしながらマジマジと感じつつ作業をしていた、そもそもこの作品は始めから具体的な撮り方の考えなんかないところから始めた、すべては成り行きまかせ、試行錯誤の連続、どう撮れば魔法は写るのかは直感まかせ、だから変にアタマで考えて撮り進めがなかった分、返って良かった。
それともう一つ気がついたのは、作品をプリントした時に気がついたことで、撮り方、表現手法に一定のスタイルがないことに我ながら驚いた、しいて言えば、あるのは全体は青色気味トーン、花を平面的にプリント柄みたいに撮ったこと、僕は作品作りはわりとスタイルから入るのがいつものやり方だから、ここまで手法がチグハグなのは制作期間が長くて考えに一貫性がなかったが結果的にこれが返って広がりを見せたとプリント作業をしながら感じた、これは案外モニターでは見落としがちで、プリントでしか見えない感覚は確かにあるのをあらためて感じ、コストがかかるからと言ってプリントを怠ると浅い作品になってしまう。
作品作りとは心の中の旅であり贅沢な遊びだって作業しながら感じた。

「魔法植物園」の現状 その7 

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前回くらいでこのシリーズはもう終了しようと思ったけど、いくらでも書きたいことは出て来ますから書きます。
今回、これまで撮った厖大な撮影成果をセレクト整理して感じたことを書きます。
人間の意識というのは、同じ人間でもその時の意識次第でその結果は明らかに違うと思いました。
今までセレクトして拾わなかった作品は、セレクト落ちとして扱われる、さらに今までじっくり見てセレクトしてきたつもり、選び基準に大きなミス、ズレはないと思い込んできたけど、やはりハッキリそれがあることに気がついた。
まず、これはあくまでも僕の場合の話だけど、確実に意識状態によって選ぶものが変わります、意識が低い場合はまずトータルで選ぼうとするストライクゾーンの基準、志水準が低いと思った。
作品が少しでも良いと思えば捨て切れずセレクトフォルダーに残します、ところが今回はそれはしなかった、要らないものはあっさり捨てました、作品は魔法空間が描ける作品だけを強気で集中して選びましたが、そもそも魔法なんて存在しないわけですから、明解な基準なんて始めから存在しません、心を集中して魔法空間を心にイメージして選ぶわけです、直感的にこれかな?、、、て感じたものだけを選びます。
でもこの直感とは実態がないように見えて案外実態があって侮れません、重要な方向性はまず直感で決めた方がいい結果が出ます、ただハイレベルな直感力をみんなが持ってるわけじゃないから困ったものです。最も良くない選択基準はあざとい心で作品を選ぶ、これをやっちゃうと一瞬にして壊れます。まるでレンガ作りの建物が一瞬に崩壊するようにガラガラって崩壊します。あざとい心って言うのはアタマで考える、アタマで順番を付ける、アタマでこっちの方が受けそうだとか、、、この手の思考はやった途端、意識レベルがドーンと下がり選ぶ基準が崩壊します。
直感と言うものは実に不思議なものです、あくまでも直感に従って選び続けると無作為に選び続けたようで不思議な秩序が存在することが結構あります。しかし冷静ではあってもアタマの思考でそれをやると、何かが違ってきます。
もう一つ感じたのは集中して直感に従って選び続けて行くと、今までなかなか気がつかなかったこと、自分が描きたかった作品の方向性、作品のバランス、世界観が微かに浮上し始めます、そこを的確に見逃さないでそこに浮上したメッセージを読み取らなくてはならないですが、意識が低いとそれがなかなか出来ずに見逃します。
あと最後にもう一つ思うのは、今まで拾えなかったカットを一回拾い出し色を変えて見直すと、今まで見えていなかった 世界や絵柄の感じが変わり、早い話、作品がバケます。あまりこの技に依存しすぎると、先に書いた通りあざとくなります。
10年ちょっと前くらいに大御所アートディレクーの宮田識さんがお出しになられた「デザインするな」って本があります。これは意識してデザインしてるようじゃダメだ、と指摘した内容が書かれた本ですが、要するにそれは無意識になって物を作れと書いてあると僕は受け止めていますが、感覚的な表現では意識して作られたものはやはりどこかあざとくて面白くないと思います。
今回の洗い直し(セレクトし直し)をやって気がついたことですが、デザイナーとカメラマンは上がった作品を組む時、グラフィックデザイナーはどうしてもデザインの目線で選ぶのに対してカメラマンはもう少し次元が違う目線で選ぶみたいで、選ぶポイントがどうも違う気がします。
それで選び直す作業を集中力をかけて真剣にやると写真とは別に自分自身が見えてくることに気が付きましたが大きな発見だったなと思います。

恐るべし15歳の少女たち 

今世の中で結構話題になっているniji projectのオーディション番組がhuluで見られます。
日本人の少女たち15人くらいがK-popの大御所、JY パークさんに審査され、そこで選ばれた子たちは韓国で特訓を受け、最後にユニットとしてデビューまでの過程の番組です。僕はK-popについて何もわからないがJYパークさんはトワイスをプロデュースした方だそうだ、また自身もアーチストとしてもスーパー大御所な方のようです。
僕はそれまでK-popにはまったく興味はなかった、でも家族がその番組に釘付けになって見ている横でチラチラと見るうちにだんだん僕も興味津々に見るようになった。
驚くべきはオーディションを受ける15歳くらいの女子たちのハイレベルな能力です。
歌唱力、ダンス力、ファッションセンス、どれを取っても絶句です。あれを見た後に日本のAKB48,乃木坂48はちょっと見る気がしなくなる、それほど彼女たちのエンターテイメントはすごい。
また随所で彼女たちのパフォーマンスをJYパークさんは指摘し、褒めたり、批判したり、審査する、指摘は厳しいけどそこに愛が確かにある、正直な感想、今まで韓国のカルチャー、エンターテイメント、K-POPを甘く見ていた、甘く見てたもんじゃない、完全に偏見で凝り固まって見ていた、さらに言えば昨今の日韓政治問題で韓国に対して、ある意味で悪い印象すら持っていたけど、その認識をJYパークさんで変わった。ずいぶん単純な偏見だったんだなって我ながら恥ずかしく思う。
JYパークさんは日本語と韓国語を交互に混ぜて彼女たちにコメントする姿に見入ってしまった、JYパークさんの日本語力にも驚くが彼の感性に僕は好意を感じ彼のファンになった、多分僕がレスペクトした初めての韓国人じゃないかな?それまで韓国人で良い印象を持った人に出会ったことがなかった。悲しいかな国民感情っていうのはこうやって出来るんだなって情けなく思った。
審査で選ばれた13人の女の子たちはみんなどれも可愛い、でもただ可愛いだけじゃない、練習風景を見ると高い志でエンターテイメントを日々磨いている、しかも彼女たちは韓国語勉強も怠らず、韓国を始め世界でデビューし、歌って踊ることが目標のようだ、そんな彼女たちのひたむきな姿に刺激をもらう、特に人気ナンバーワンのミイヒ一人で歌った姿は鳥肌レベルだった、これが本当に15歳の少女かよ、、、、と思った。
僕は15歳の女の子の才能を甘く見るくらいしかできないオジサンだった。彼女たちはもうすでにファンがついていてネットで調べれば情報はいくらでも出る、出る、出る、彼女たちは今、韓国で猛特訓を受け、デビューはもう時間の問題、彼女たちは間違いなく日本でも人気スターになるだろう。
恐るべしK-POP エンターテイメント、もうその世界では日本は韓国に先を越されたと僕は感じた、日本人の才能はこれからどんどん韓国に流れて行くだろう、、、、そんな気がした。