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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

あのころは何も考えていなかったけど今ならもっと考えられる。 

去年のちょうど今頃から剣道を再び始めました。
以前やっていたのは小学校のころで、今になって当時を振り返ると「あのころは本当に何も考えていなかったんだな、、、」って思います。要するにただ親に言われてやっていただけで自分がやりたいからやっていたとは違い、そこに剣道に対してイメージはまったくなかった。
なんだってそうですが、人に云われてやる、自分がしたいからやる、実現させたいイメージを持って何かに向かうか、そうではない、では物事の結果は天と地ほどの違いが出ます。
剣道を再び始めて思ったことは、それは格闘技である前に、美学としての武道です、勝つ剣道である前に、いかにシャープに素早く美しく竹刀をピシッと振れるかに気持ちが集中しています、昔は竹刀の素振り練習の意味がまったく分かっていなかった、ただ力任せに竹刀を振っていただけです。今はまったく違って、素振りに明確なイメージを持っています、そのために自分は何をすべきか、何に注意すべきか、如何にきれいな一本が取れるかイメージを持って練習をしています。
昔は勢いだけで竹刀を振って突っ込んでいただけですが、今はどうすべきか常に考えます、それにそんな剣道をやっても第一つまらないし、体力だって持たないし、すぐに息が切れゼーゼーするのが関の山です、それが如何に愚かしいことか今なら分かってきました、でも幼いころに体に染み付いた悪しきクセは簡単には抜けず、力を抜いたシャープな素振りをイメージし、それを自分の体に一個一個丁寧に教え込んでいます。
思えば昔にくらべていい時代になったと思うのは、you tubeで手本が簡単に見られます、達人たちはどんな感じで竹刀を振っているのか見ると目から鱗です、竹刀裁きが実に素晴らしく美しい、、、こんな風に竹刀が振れたらいいなあって思いながら右手に力を抜いて左だけに意識を集中させて日々練習しています。
それさえ明確にイメージできれば目標は必然的に浮上します、まず左手首だけで竹刀がしっかり振れるように左腕素振りトレーニングを日々しています、小学校の頃なら、どんなに逆立ちしようがそんな認識はまったくなかった、つまり物事が上達する最大のカギはその認識があるかないかその一点だけです。もっと突っ込んで言えば、その物事に才能があるかないかは、その認識が始めからあるのか、ないのか、、、、そこです。
写真をやって人に教えて分かったのは、分かる人は教えなくても始めから分かってる、分からない人はいくら教えても分からない、でした。分かること、見えていること、感じていること、これが本当に大事なことなんだって思います。

話は少し変わって、もう少し年齢が成長した10代から20代にハマっていたことを、もう一度やり直して気がついた事ですが、あの当時は今にくらべてやはりまだ物事がしっかり見えなかった、考えられなかったことをしみじみと感じます、でも自分が成長して物事の向き合い方が分かって同じことに再び向き合い直すと、そこで見える世界がガラッと変わることに気がつきます。
ここ最近、頻繁にイギリスやアイルランドを旅行しているのはその理由です。あのころは語学力もなかったし、旅の能力がまだ幼く物事に対して見たり、感じたり、そこで考えたりが若く、ただ体力任せでイギリス全土を自転車で走り回っていただけですが、もっと見るべきことたくさんあったけど、それらが何も見えていなかったことに今旅をして気がつきます。
今ならそんなことしないな、、、もっと考えるな、、、とか、当時では見えなかったことが、今ならこれが見えるし理解できるし、もっと奥の深い中身のあることが考えられるな、、、、とか思いながら旅ができて、若い頃にした旅を再び歳を取ってやり直す旅は感慨深いものがあってなかなかいいものです。
さて、剣道に話は戻りますが、僕もう60代になりました、世の中で言えば、老人の入り口ですし、同年代では定年の年ごろですが、自分の実感では、まだまだ体力はあるし、思っていた以上に体は動くし、アタマだってまだ退化はしていないし、むしろ若かった頃よりもアタマが働くこともあるし、まだなんでもできる可能性があると思います。
やろうと思うならまだなんだってできそうなのに60代を定年にするのはどこか間違っています、使い方次第ではいくらでも活用ができる頭脳資源なのに定年してブラブラしている60代がたくさんいると聞きます、僕は来年くらいには有段者になってやろうと日々練習をしています。

ハンコで押した思考回路 

何年か前、精神心理の専門家と話す機会があり、そこでなるほどと思う、おもしろい話を聞けた。
心理学の先生が僕に「いくつかある人間の負の感情の中で、この感情は一番厄介でこればかりは手が付けようがない、その思いは一体何だか分かります?」と聞かれた、僕は、、、、、と少し考えた。多分そんな類の質問は月並みじゃない、意外な答えなのは薄々感じた、でもさっと答えられず、「それは何ですか?」と降参した。
「それはね、、、普通なら怒りとか、恨みとか、そう思うでしょう、、、、?そうじゃないんですよ、、、、ホントにたちが悪いのは無関心の心なんですよ、、、怒りとか恨みの感情はまだ気持ちにどこかに救いがあるんです、感情の出所が分かって、それを癒せば、感情は何とかなるし、そもそも怒るとはそこに心があるから怒るんです、まだそこに希望があるんですよ、でも無関心、こればっかりはダメですね、これはどうにもならないんです、心がもう閉ざし冷え切ってるんで相手するのにものすごい忍耐力がいるんです。」
僕が昨日、ヤフオク評価コメントに対しやや苛立ちめいた話を書いたのは、ああ言うヤフオク評価コメントは人の気持ちや感情がどこかで麻痺してるし、そのコメントにはどこか空虚な感情を僕は感じて仕方がない、ここ20年くらいの日本人は気持ちの体温がやや下がったような、無関心になっている気がして仕方がない、そう思うのは僕だけなのか。

最近、日本人社会は、道で出会った知らない人とはあまり話したがらない、関わりたがらない、そんな空気がかつてにくらべてすごく増えた気がします、でも昔は北海道とか九州に行って列車に乗れば席に向かい合った人と気軽に雑談したりいろんな交流が普通にあった、昭和とはどこかそんなだらしない時代の空気だったけど今はもうそう言う時代ではない。
たしかに昭和にくらべたら今は豊かになった、地方から都会にまとめて集団就職する中卒者もいなくなった、家も昔にくらべてキレイになったし、生活水準があのころにくらべたら遥かにまともになった、でもその分、生産性とその効率性は昔とはくらべようもないほど上がった、当然、機械化システムもすこぶる進化した、職人の手で作る物から工場で一括生産された物に変わった、その結果、我々が得たものは、豊かさと引き換えに人はシステムに管理されて生きることを余儀なくされる羽目に陥った。
今の風潮はかつてにくらべて各自の部屋、プライベート性を持つようになった、パーソナリティーが個室化し、ネコを飼うにしても、場所にもよるが、もはや昔のように気楽に外飼いは出来なくなった、自分と他人の境界線がハッキリ線引き化された。それはある一面ではとても良いことであり、ある一面では何かを失なって、かつてにくらべたら知らない人とは気軽に話せない雰囲気になったと思う。
海外に行けば、少なくとも僕が行く国では、道を聞いてそのまま気軽に立ち話しになる雰囲気がまだ普通に残ってるところばかり、昨今のイギリスと40年前に旅した時代とは、その空気はたいして変わっていない。そう思うと日本は一気に世の中が変わり人間の関係が変わったと言うか、結果として関係は白々しくなった気がしてならない。
一昨年、ロンドン周辺の名庭園を毎日あちこち訪ねる旅をした、名庭園とは、つまりかつての貴族たちが狩猟を嗜む野山だったり、別荘の庭園だったり、それらは決まって都会から離れた辺鄙な所にあるのが普通、ロンドンから電車で1〜2時間の各駅停車しか停まらない辺鄙な田舎駅からさらに5〜6キロ離れたところにあるのが普通、そんな駅にタクシーなんかないし、仮にあっても高くて乗らない、バスもあまり多くはない、片道6〜7キロくらいまでなら普通に歩いてしまう、それくらいの歩きは楽しみの一つだった。
イギリスの田舎道をひたすら1〜2時間歩いて目的地まで行くのは僕にとって気が楽で楽しい、なんせ自転車でイギリス全土を旅した経験があるし、イギリスの辺鄙なところはわりと好きだ、どこに行こうが全く心配はなく風景を見て歩くのはただ楽しい、また道の途中で出会う人がいれば、声をかけて道を聞たり、ちょっと話をする、聞くのは道だけではなく、周辺事情もついでに聞く、相手も話すのはイヤじゃない人が多い。
そもそも異国人が辺鄙なところを歩いてるんだから相手も好奇心は少しはある。あんた何人で、どこから何をしにここに来たのか?から会話は始まる、目的を話すと納得してさらに話してくれることが多く、この近くに雑貨屋があるか?とかも聞いておく、話が弾めばさらに貴重な情報も聞けたりする。
イギリス人はそもそもこの手の立ち話はわりと好きな国民性です、時には、時間があれば、ちょっとお茶でもして行くか?と誘われて、ティーとスコーンを出してもらったこともある、こっちも小さなちょっとしたお土産くらい用意して行く、多少ずうずうしくても構わない、もしイヤなら相手だって始めから誘わないし、必要以上に遠慮することはない、せっかくイギリスに英語を話しに来たんだからチャンスがあればジャンジャン話さないともったいない。
もしこれが日本の英会話学校ならば、講師相手にマンツーマンで1時間も話せば4〜5千円払わなきゃならない、しかも相手は好きで話すのではなく、仕事で話し相手になってくれる会話です、もし旅先で話し相手がいたらどんどん話せばいい、ヨーロッパはフランスもイタリアもイギリスも都会じゃなければ、みなヒマ人で話し好きだからいくらでも会話練習のチャンスがある。
40年前、イギリスを自転車で旅した時とその風潮は今も少しも変わっていない、あの頃は語学力がなく突っ込んで話せなかったけど今なら話せるチャンスがあればいくらでも話がしたい。日本だって実は同じだと思うけど、でもいつの間にか知らない人とは気軽に話さなくなった風潮は増えた気がする。
これは、時代の流れで、システムの変化で仕方がないことなのか、昭和の日本はもっとざっくばらんで大雑把な世の中だったけど、今は付き合い方のスタイルが変わっただけなのか、かつてにくらべて人と人の関係体温はやはり下がった気がしてならない。その結果として昭和にくらべて離婚率は比較にならないほど上がった。
この一連の流れ、社会現象は、昨日ハンコの話に繋がるかは不確かだけど、どうもヤフオクの場で自分の気持ちや感想を文字にして率直に表すことは下手になった、画一的で、機械的で、自分の感情を素直に表すことは退化した気がする、人間の感情が昔にくらべて全体的に無関心になった、そう思うのは僕だけか?またはみんなもそう感じているのか?この風潮は日本だけの流れではなく、ひょっとして中国でも上海とか北京など、大都会は日本みたいになったかもしれない。
その社会が旧来のカタチから新しいカタチに一瞬にして変化する時に、どうしても避けられない通過せざるを得ない不可避の流れなのか、社会システムが急激に変化をするとは、つまり旧体制下では物事の管理は人間の手によって管理されていたが、新しい体制下ではシステムが人間を管理する、物作りも同様、人間によって管理生産から機械やシステムによる管理に変わり、その人間の役割りはマニュアル下で管理されて働くしかない、とすれば、どうしても思考は機械化せざるを得なく、その意識はハンコで押した思考回路を受け入れざるを得ないことなのか、と僕は考えてしまうが。
そう思えば、今時、自己表現でお金がもらえる生き方ができることは何とも幸せな立場だろうか?

ハンコで押した言葉 

 2020-02

ヤフーオークションとは僕にはとても便利なシステムです、要らなくなった不用品を売ったり、欲しいものを格安で買ったり、絶版になったデッドストック品が見つけられるとても便利なマーケットシステムです、それは正規取引にはないどこかいい意味での裏取引ぽいところもまた僕の好みです。
実際に品が手元に届かないことには一体どんな品が来るのか、そこが正体不明な若干バクチ的な、また蚤の市に似たスリル感、僕の解釈で言えば当たり外れが前提の取引、でもリスクもまたスリル、面白さとして受け止めています。
僕が思う最大のメリットは正規市場ではとっくに販売終了し、もうカンタンに探せなくなった品、倉庫や家庭の押入れに長年眠っていていたデッドストック品が日本中から探せる、しかもヤフオクならなかなかの確率で見つけられる、これは僕にとってこの手の裏市場が一般化したことは本当に嬉しい限りです。
そんな便利なヤフオク様様ですが、、、、、一つだけ気になることがある、それはつまらないことで、さして騒ぐほどではないし、普通の人なら誰も気にもしないで、あっさりスルーしちゃう事なんだろうけど、僕にはこれがどうにも居心地が悪い。
上の画像を見て欲しい、見事に同じ言葉が並んでいる、特に同じとこばかり選んで加工したわけではない、それぞれ別の取引で、それぞれ別の人が書いたコメント欄ですがこれが事実です、ここまで同じ言葉が並ぶとちょっと気味が悪く違和感を感じませんか?どうして、皆、判子で押したように同じ言葉を無神経に書けるんでしょう?その神経は僕にはわからない。
世の中にはそんな人があまりにも多すぎる、それは僕には違和感があるし、僕はこの手のことには花粉症みたいなややアレルギー気味で過剰反応します、もうコメントする気すら失せます、同じ言葉でコメントするくらいなら書いてくれなくてもいいと僕は思ってしまう、多分相手に評価ポイントを付けてあげるのがマナーなんだろうけど、そう言うつまらないコメントはやはり書きたくない、書くなら自分の言葉で書くことがマナーだと僕は思う。
また別件として、人が何か断る時によく使う常套句ですが、「今回は残念ながらお願いするまでに至れませんでしたが、次回、また機会がありましたらその時は是非よろしくお願いします。」こんなつまらない日和見ことばは使わないでほしい、これで次の機会があった人なんて過去一度も出会ってない、ならばそう言う無意味で空虚な言葉は使わない方がいい、そう言う言葉を無意識に使うことはむしろ相手に対して無神経に傷つけるし第一失礼だと僕は感じる、でもこれが当たりさわりのない付き合いを好む日本人社会なんだなって思うけど、果たして海外でもこんな言葉を無意識に使うことが当たり前なんだろうか?
多分ヤフオクには評価のコメントサンプルがあって皆さんそれをコピペーしているんだろうか?もしそうなら、正に「判で押したコメント」でしかない、よくまあそんな陳腐でつまらない言葉を平気で使えるものだと思う、その人の品格に関わる問題だと僕なら思うが、もう少し気の利いたことって言えないのか?信じられないことです。
ヤフオクとは店取引ではない、画像で見るだけで実物確認して買うわけじゃない、届いた品を手にして良いか、悪いかが分かる取引なんです、そこには何らかの感想があるハズです、値段のわりになかなか良い品だった、思ったよりは酷かったな、梱包が丁寧で相手に人柄を感じた、とか、、、、八百屋で大根を買うとは違うタイプの取引なんだから、それなりのコメントが少しはあると思うが、皆さんどうしてこんなにも無感動なんだろう。
そもそもヤフオクとはネット上の蚤の市みたいなものです、当たりもあれば、外れもあって当然が前提で取引しているじゃないのか?丁寧で良い人もいれば、マナーのない人もいるだろうし、届いた品を見てがっかり期待外れもあるし、すごい超掘り出し物もあるし、大げさに言えば多少なりバクチめいた取引なんじゃないのかな?
アジアの旅で楽しめるドロボーマーケットとまでは言わないにしても、それに似た買い物が楽しめる場なんです、今時の店では絶対に味わえないスリルを楽しめる場です、だからハズレ品とかヤバイ相手に出会ったりも楽しみのひとつ、始めから納得してる事だから仮に何かあってもそんなにひどい落胆とか怒りは僕にはない、仮にひどい目に遭ったなら、それは自分の読みが甘かったな、、、でだいたいは終わる。
話は脱線したけど、要するに言いたいことは、判子で押した死んだ言葉を平気で使うことに慣れっ子な無神経さ、無自覚さは、自分の言葉に命を失うこと、自分の言葉を放棄しているも同然だし、それはその人の生き方の問題でもあって、それがその人にとって日常茶飯事ならば、それは知らぬ間に心がダメな方向に向かっていると思う、絶対にそう言う言葉は僕は使いたくはない。
そう言う人に感性に優れた素晴らしい表現はとてもむずかしい、普通の人の目には止まらない些細なちょっとした違和感とか出来事とか素敵なことに人には感じられない思いが持てる人にこそ表現は生まれるものです。もしなんらかの表現がしたいなら僕みたいにならなくても、、、些細なことに目がさっと止められる感性は持って欲しい。

山口小夜子さんについて 

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1970年代から80年代にかけて世界で活躍されたトップモデル、資生堂のCMが最盛期だったアイコン的存在の山口小夜子さんのことを今の人たちは知っているでしょうか?もし興味があればyou tubeでいくらでも見られるから見てください。
最近、山口小夜子さんについてテレビ番組で放送があって久々に思い出したが、もっと深く知りたくなって調べるうちに、自身が書いた著作物があることが分かった、著作物と言っても雑誌に連載されたエッセイーをまとめたものだけどご本人の考えとか人となりは十分に伝わって来た、昭和50年代出版だからなかなか見つからず散々探した挙げ句やっとヤフオクで見つけた、1万円もしたが迷わず買った。
その他にいろんなカメラマンの寄せ集め写真集をAmazonで買ったが、それはさして響くものがなくまだ新しいうちにあっさりオークションで転売処分した。あくまで興味の対象は彼女の生き方、その考え、モデルとしての葛藤、どんな人生を生きた方だったのかが知りたかった。

その前に山口小夜子さんを知らない人のために軽く語れば、1970年代から80年代にかけて資生堂契約モデルだったが当時の資生堂は全盛期と言っても過言ではなくベネフィークのCMの彼女はまさに、飛び抜けて高貴で美しかった、しかも独特な存在感があって、そんな彼女には生活臭さがまるで感じられずただ夢の世界に引き込まれた魔法的な存在だった。
世の中で広く知られたモデル山口小夜子さんの始まりは山本寛斎(ファッションデザイナー)に見出されカンサイさんのショーに出演し、その後、海外のトップデザイナーたちからも次々に声がかかり、当時の日本人モデルでは遥か遠い存在だったパリコレにも出演し世界のトップモデルにまでなり、日本人女性の美しさを世界に最初に知らしめたモデルだった。
資生堂のテレビCMの山口小夜子さんの印象は先に書いたようにスーパーで買い物してる姿はまったく想像できず、生活から浮き出る生活臭がまったく感じられない、まるで生きたお人形さんがそのままあるだけで、ただ美しい存在だった、それはあの世とこの世の間を彷徨う能舞台のような、魔法のようで、女神であり、おとぎ話であり、清流のような透明感があって、それはただ見ているだけで夢心地気分にさせてくれる、「女性の美しさってすごい、、、」って気にさせてくれた方でした。

そんな山口小夜子さんですが、実はどんな人生を歩かれたのか、どんな背景と経緯からモデルになったのか、そこに挫折はあったのか、あの時代で普通では経験できない稀有な世界を歩まれた方です、それはただ生まれ持った美貌だけではあり得ない、山口小夜子さんの美学、その考え、生き方があったからこそ彼女の人生があるんじゃないかと思い、その秘密に少しでも近づきたく本を取り寄せてみましたが、読んでみてなるほどやはりそうだったか、、、と思った部分がいくつかありました。
横浜の山手のフェリス女学院あたりで彼女は育ちました、お洒落な洋裁をしていた母親からとても愛され母親の影響を大きく受けて育ちました、あの辺りの山手は今でも洋館が建ち並ぶ特別な雰囲気が街中に溢れています、かと言って特に豪邸街って言うわけでもなく、でも庶民の街でもない住宅街って感じで散歩にはとても良いところです。
率直に言って、そんな横浜の山手で生まれ育つか、地方の田舎で優雅とは縁がなく育つかではその後の人生観はどうひいき目に見ても山手育ちの方が確実に優雅さは生まれ持って身に付くでしょう。でもそんな山口小夜子さんですら通った学校は普通の公立高校だったから、山口小夜子さんにとっても山手のお嬢様学校、フェリス女学院の制服姿は眩しく憧れだったと書いてありました。
モデルになった経緯は洋裁学校に通っていた当時、身長と美貌があったがゆえに洋裁学校でモデルを任されたのがきっかけだったとありましたが、いざプロモデルになっても当時は外人、ハーフモデルが全盛時代で彼女は黒髪、オカッパ頭を変えようとはせず茶髪のカツラを拒否し仕事はさっぱり来なくモデルとしてはそれなりに受難な時期があったそうです、もうモデルを止めようかと思っていた矢先、山本寛斎に見いたされ人生がそこから一気に変わったと本には書いています。
もう一つ印象的だったのは、やはりなんだかんだと言って今の人ではなく昭和の人なんだなって思わせる箇所もいくつかありましたが、でもそれと同時にずいぶん時代を超越した考えだったと思いました、今でも十分に通用しそうな、当時から見たら相当新しい考えで生きていた気がします、そこで思ったのは時代の価値観、考え、生き方、それらの実態は一体何なんだろう?ってあらためて考えさせられました。
山口小夜子さんは資生堂のCMを通して多くの人たちにその存在は知られ、庶民では考えられない美意識で世の中にインパクトを与えた方ではありましたが、ご本人の著作から感じたのは意外にも素朴な方、まったくギラギラした印象がない、自身の美学をしっかり持っておられ、考えに合わないことはきちんと拒み自分が良いと思うことを静かに信じた方だってことを感じました。
そこには派手な世界とは真逆な、東洋的で静寂な茶道とか禅に通じる美意識を大事にしておられた知的な方だったと僕は思います、それは着物の着こなしからもよく伝わって来ます。とは言え著作の中には着物の着崩し方にも少し触れていて、彼女にとってつまらない価値観は服を無意識に着ることはやや批判的でした。
そんな彼女は海外のファッションデザイナーたちから愛され、これこそ日本人女性の美しさだと世界に認めさせた最初の方だったと思います。
山口小夜子さんは生涯独身のまま、今から10年ちょっと前にひっそりと自宅で誰にも見取られず静かに亡くなられたそうです。とにかく山口小夜子さんと言う方は今は亡くなったけど多くの人たちの記憶の中には今も生き残っている方だと思います。ああいう伝説的な方には時々登場してもらいたいものです、享年57歳。

原告の請求を棄却する。 

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原告とは訴えた人を指し、訴えの言い分は認められないと言う意味です。
まず、この訴訟が始まった時、僕は始めに2人の弁護士に相談し、こんなの放っておきなさいと言った弁護士を選ぶことにした。この方が言うには、「000さんからの紹介だから相談料はいらない、それでいよいよ裁判で困ったら相談には乗るけど裁判のすべて一切は自分でやりなさい」って僕に言った。
裁判ではどう戦うか、その戦い方についてを示してくれた、まず撮った画像のサムネールを全部出力して代表的なカットをA4に何枚か出力して、こんなにキチンを仕事をしたと裁判所に訴えなさい、また相手方とのメール記録も出力して提出しなさい、でも撮影後の修正のやり取り部分は話がゴチャゴチャしているから出さない方がいい、これは基本的に委任契約だからそこを強く主張しなさいってアドバイスしてくれた。
契約とは2種類ある、包括契約と委任契約、包括契約は約束したことを最後まで責任持って納品する契約、委任契約はやらないことには結果がどう出るか分からない、今回のように撮影は撮らないことには結果はわからない、その最終結果についての責任までは問われない。例えば分かりやすいのは医者と患者の関係、手術したがダメだった場合は委任契約にあたるから責任は問われない。
でも相手弁護人の突っ込みどころを聞いていると、委任契約主張だけでは説得力がどうも弱い気が僕はした、相手は契約時に画像修正にチェックがちゃんとあるから僕は最後まで依頼人が納得する画像修正義務があるがそれを放棄した、そのため別の業者に修正依頼をし直して再び高いお金を払った、その代償金は僕に払えと主張している。
それに対して僕は、確かに画像修正義務は認めるが、通常の修正なら難なくやる、原告側の修正要求は通常の修正ではなく、もはや画像加工の領域、そんな約束は始めからしていない、しかも感情的に一方的に取引を終了させたのは原告の側であって、僕は作業放棄はしていない、最後まで責任を果たす気でいた、それでお金を返せ、そんな都合の良い話はあるもんか、むしろ最も重要な争点はここと考えて、相手側にそれはおかしな主張だと、こちら側の反論主張を書いて提出した。
しかし、こちら側の弁護人はそもそもこの訴訟は、分は絶対にこっちにある、手出ししなくても勝てるだろうと見ていた、そして僕にこう言った、「裁判では調停委員の人が別室で必ず和解を勧めますが絶対に乗ってはダメですよ、拒否してください」と僕に言った。
その通り、毎回の裁判の度に別室で調停委員から和解を強く勧められた、毎回、拒否態度を取った、相手弁護人はそれを聞いて、がっかりした態度で「そう、、、、」と、大きくため息を吐いた、多分、うまく脅して和解に持ち込めたら、半分は取り戻せると狙っていたと大きなため息から察した。

夏に始まった裁判だった、そもそも簡易裁判所だからたかが知れていると甘く見ていたらそうでもない、なかなか立派な法廷だ、そんな法廷の被告席に座らされたら普通はまず精神的に参るハズ、相手弁護人はそこが狙いで突っ込みどころの魂胆だってよく分かった。
イヤらし〜い手を使うケチな考えの人間だなって思った、まるでヤクザ同然の手口だって思った、弁護士って、一般人より立派な職業と思っていたが、こんな手を使うことが日常、当たり前な生き方ってつまらないヤツらだなって心底思った。
正直な話、この裁判、仮に負けたところで20万ちょっとで済む話だ、こうなったらお金の問題じゃないプライドの問題だ、僕みたいな生き方は人生一回や二回これは避けられないと思った、ならば真正面から戦ってやろうと思った。仮にこれが100万円単位の裁判ならこんな悠長な戦いは絶対にできない、もっと勝つために必死になる、ならば安いもんだと思った。
話は飛ぶ、、、、、昔、アジアをバックパッカーしていた時、毎日のように当たり前にあったのが「ボッタクリ」だった 、タクシーに乗る、10ルピーで駅までと話がついた、あのころインドではメーターがなかった、仮にあっても何らかのカラクリを使って必ず僕らを騙す、目的地に着いた途端、必ずあれこれ言って5〜10ルピーくらい上乗せ請求する、彼らには悪気なんかない、始めはノーと言っても相手は絶対に引かない、すごく真っ当にウソをいっぱい並べる、終いに面倒になって根負けして払うのが日本人のほとんど。
その時の普通の日本人思考は「10ルピー余分に払っても、日本円にしたらたかが120円だからね、、、、」でも西洋人たちはたかが120円だろうが、10円でも絶対に払わない、頑として戦う、何を言われても払わない、あまり話が長引けばそれ以上相手にしなく車の座席に約束代金を置いてそのまま立ち去る、西洋人と何回かそれについて話したことがあるが、逆に払う日本人が信じられないと彼らは言う。それ以来僕も彼らに習ってボッタクリは絶対に払わなくなった。
アジアを長く旅して身に付いたのは意味不明の請求は絶対に払わなくなった、日本ではそれを貫くのは難しいこともあるが、この裁判の場合は相手の魂胆はだいたい見え透いていた、相手弁護士もまともにぶつかり合ったら、勝訴は難しいことくらい多分、分かっていたと思う、相手を法廷に引きずり出して不安な気分に煽っておいて、、、、適当なところを見計らって和解調停でお金を取ろうと考えているがよ〜く分かった。その手には乗らない。
しかし裁判の半ば、先行きが一番見えなかったころ、始めに相談した弁護士の言葉を何度も思い出した、この相手は面倒な人だから、そこそこ払って引き下がってもらった方が多分、長引かず、楽で良いよと、その言葉を何度も思い出した、それくらい相手弁護人の言い分、資料を目を通したり、裁判所に行ったり、そのストレスを感じた時、「後々が面倒ですよ、、、」これが裁判中何度も思い出された。もし当方弁護士が「和解調停に乗ってはダメですよ」これがなかったらどうなっていたか、、、。
まあそんな法廷バトルを半年もかけて戦った末に画像にある通り、「原告の請求を棄却する」その判決をもらった。
この裁判を通して感じたのは、弁護士のアドバイスは受けたが、提出の必要はないと言った証拠に、僕はこれこそ重要証拠考え、その主張文をA4、5枚書いて、相手弁護士と戦って勝ったわけだからちょっとした自信を持った。訴訟とはやはり最後は自分の言葉で主張をすべき、弁護人に何から何まで丸投げはしてはならないと改めて思った。
終わって見たら日本では滅多にできない「アジアのボッタクリの戦い」みたいな駆け引きとスリルを久々に感じたちょっとしたゲームだった、また訴えた相手に悪い感情はほとんど持っていない、相手には相手の感情があっただろう、お互いの立場と認識と感覚のズレが事件になっただけと受け止めている、でも姑息な手を使う相手弁護士には今も腹が立つ、ただもし僕が負けていたら違う感情になっていたかもしれない。