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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

魔法植物園 本当に来ちゃった 

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先週の金曜日、雨降る中、傘をさしながら日光の植物園に行ってきました。
わざわざ雨の中を選んで写真を撮りに植物園に日光まで行く、、、事情を知らない人からすれば偏屈で奇異な話に聞こえるかも知れません。
今回は曇りならまだしも、さすがに雨は少し迷いました、雨の中、傘をさしてのレンズ交換は機材にも良くないし、やりにくい、雨の風景が撮りたい時はいいけど、今回は雨を望んでいなかった。
ただ晴れの日はとにかくダメ、直射光は好みではない、曇りのアンニュイで陰鬱な光が自分に合っている。でも当分の天気予報は今日くらいに行かないとダメだ、、、、と思って敢えて始発電車に乗って日光に向かった。
バスは植物園からちょっと手前で降りてコンビニでサンドイッチと缶ビール1〜2本を調達した、缶ビールで傘をさし園内をほろ酔い気分でタラタラ散策する。品のある行為ではないのは分かってる、でも公園の桜花見よりまだマシだと思う、ゴミは持ち帰るし、騒がないし、誰にも迷惑なんてかけない。雨の植物園なんて所詮、誰もいないし静かでいい、僕は花見よりこういうビールの方が好きだ。
たかが植物園にわざわざ日光まで来る理由って一体なんなのか、、、、そこは一風変わった植物園で園内にはいわゆるベットと呼ばれる一段高く土盛りされた花壇はまったくない、雑草か、植えたものか、その境界線がない、花は好き勝手に雑草のように生えている、温室もない、花壇もない、あまり鑑賞させる御膳立てはほんとんどなく実に素っ気ない。
この植物園は東京大学小石川植物園の日光分園で基本的にアカデミックな植物園です、植物園の楽しみ方は各自の認識次第で訪問者を楽しませる趣旨はなく素っ気なく子供連れ家族が来る場ではない、そこは植物園と言うより樹々が生えたただの森空間でしかない。
とは言え、園内には何ヶ所か池があって、池には水芭蕉とか水生植物もちゃんとある、季節の花だってちゃんとあるから植物園の条件は満たしている、でも一般人がどう評価するかはわからない、森空間は不思議な雰囲気があるし、変に商業主義的な花壇中心の植物園に比べたらずーっと楽しい場で、わざわざ鎌倉から日光まで足を運ぶ価値のある場に変わりはない。
そんな雨の日に傘をさして、素っ気ない植物園を訪ねる物好きは僕以外他はいなかった、そんな日の植物園は僕一人の貸切り独占ができる、傘と缶ビール片手にほろ酔い気分でカメラを持って園内散策するのは結構贅沢な話だ、自分の悦楽世界に入り込める絶好のチャンスに変わりない、写真を撮るとは心の状態を演出し、贅沢な気分を盛り上げ、自分を酔わせないことには、何も始まらないって僕は思っている。

今年の8月末から長く休止していた魔法植物園は再開して、撮影は一気に加熱した。
ある日、早朝に、「お告げが降りた」みたいに今後を示唆するイメージが突然夢のようにやって来た、そのお告げの後にこれまでの作品を見たら僕が描きたい輝きはそこには感じられなかった。「これじゃあダメだな、、、、この延長線上には何もない」ってはっきり分かった、逆に見えていなかったものが見えて、これから撮れると確信した。
このお告げが被写体を見るまなざしをガラッと変え意識ステージを1段階引き上げてくれた、作品をマジに良いものにしたいと思うなら、自分の作品に必要以上に可愛がらないで厳しく突き放せる目が必要だと思う、ダメなものはダメって判断する目をしっかり持つ。さらに意識のステージを1段階、2段階上げられるように仕向ける、それができるか、できないか、そこがいい写真を撮れるのか、どうかの分かれ道だ。

その日、傘をさして園に入った瞬間、いきなりアタマの中がパーンと来た、雑草を見ても感じたり、、ヤバイ、、もう何だって絵になっちゃう。
あれ?今日はどうしたんだろう。
まるで魔法使いが降りて来て、よく遠くから雨の中をやって来たね、、、じゃあ御褒美をあげよう、魔法をかけて上げるからいい写真を撮ってごらん、って言われた気がした。
これまでの壁が1枚取り払われたような、あっちの世界に入った気がした、アルコールの助けはあるにしても、なんだかあっちの世界に入っちゃったな、マジに魔法植物園に来ちゃったよ、、、、
そもそもこのテーマはその感覚が目標だった、でもなかなか自分が思うような魔法はかからず、、、むずかしいテーマに手出ししたな、って、やりながらずーっと思っていた。
何度も来た勝手知ったる場所だけど、あまりに足下ばかりに意識が行って、、、、時々、周りを見回すと、あれ?ここはどこだっけ?と思った。
普段は帰りのバス、電車の時間がアタマにあって行動するんだけど、その日はそうではなく時間感覚も消えていた。
いつも、こんな季節の終わりに来ても、花はほんとんどなく何も撮れずに帰ったことは、過去何度もあった、今回だって、こんな日は何も撮れないかも、、、、そう思ったけど、実際はそうではなかった。
雑草ですらじーっと見入っちゃったくらいだから、、、マトモなことを考えるヒマはなく、時間の感覚、位置感覚は消えていた。
やっぱりモノが見えなかったらカタチでしか写らない、でもモノが見えるとマジックが写る、人間はいつだってモノが見えてはいらるワケではない、見えては、見失い、また見えては、また見失う、その繰り返しをしながら探すしかない。

最初が肝心、 

ヨシキさんの話題にまた触れます、どうしてこんなにもヨシキさん生き方が僕の心を捉えて離さないのか、、、、ちょっと考えた。
それで、、、ある時、ふっとアタマの中で閃いた、「ああ、、、そういうことだったのか、なるほど、、、思春期に養っておくべきことってこんなに重要で、その後の人生にこんなにも大きな影響を与えるんだな、、、ここに僕は引っかかっていたのか、と思った。」
YOSHIKI /林佳樹 の本を読んで僕の中で興味深かった部分は、本の前半部分、中学生から世の中に出るまでの彼の生き方と彼の感覚、もう一つ心に止まったのは X JAPANが絶頂期を迎え、これからアメリカ進出を目論んでいた時に、幼馴染の盟友トシと次第に心が通わなくなりトシはついに脱退宣言した、Xはそのまま何かが壊れるようにして解散した、さらに追い討ちをかけるようにヒデが不慮の死を遂げた。
ヨシキさんの心はボロボロでどん底に陥った、彼の心はXがすべてだったがゆえに、彼はメンバーを家族のように思っていたし、それが壊れた時、彼はボロボロになったみたいだけど、あのクールそうなヨシキさんが、こんなにまでハートフルな心を持っていたことにちょっと驚いた。
彼の青春期の話に戻るけど、中学校の頃から、反抗精神は芽生え、頭髪が長ければ、校則に反する理由で、職員室で強引に複数の先生たちから押さえ込まれ、バリカンでアタマを刈られた、でも彼はそんな先生たちに対して一向に怯まず反抗的態度を繰り返し髪を染めたり、引かなかった。しかし彼は不良ではあっても学業は疎かにはせず、県下有数の進学校を選び、スベり止めは敢えて受けないで志望校一本受験して合格した、さらに彼は大学受験の時、音大の入学内定していたけど、幼馴染みのトシと話し合って、卒業後は音大進学ではなく上京してX活動を始めた。
そのあたりを読んで強く思ったのは、彼はただの反抗的な悪ガキだったんではなく、ものすごい芯の通った生き様とも言える軸があって反抗を繰り返してた、学業だって、ピアノレッスンだって、幼い頃からきちんと積んで、やるべきことはきちんとやっていて、その結果が後のXの生き方に繋がって行ったと思った、これはとても大事な事実じゃないかと僕は思う。この話を、受け止められるのか、素通りで終わるか、その差は大きいと思う。

デビューの前から持っていた、優れた人生選択眼、自分の潜在能力を信じていたこと、研ぎ澄まされた感性、まだ何も実績のない、音楽才能だって何の保証もない、何の後ろ盾がない、信じるのは自分しかない時のチャレンジは精神的に不安定な時期です、心はワラにもすがる思いです、普通ならわずかな誘いがあれば、さっと飛びつきたがる時期ですが、彼はそう言う誘いに安易に乗らなかった。
自分の能力との葛藤、自分を信じるか、信じきれず既存勢力に負けるか、そこを突き抜けられるか、若いころ、この葛藤体験をするか、しないか、その差はその後の人生ではものすごく大きな差が出る気がします。
評論家たちは、オレの言うことを聞くなら、メジャーレコード会社に話をつけやってもいい、オレが話しをつけたらメジャーレコード会社から一つや二つくらい、誘いはあると思う、そうすればメジャーデビューできるぞ、、、 そんな話はいくつかあったようですがヨシキさんはそんな誘い話には一切関心を示さず、X の実力があれば、必ずファンを獲得できるはずだ、、、と自分たちの力を信じていたし、自分たちだけで必ず大きくなってみせると覚悟を決めていた。

これは表現者だけの話ではなく誰にでも共通する重要な教訓がここにはあると思う。
僕だって些細ながら自分の才能を信じ、信じたことをカタチにして、それを持って人に会いに行き、作品を見てもらってカメラマンになんとかなりました。大御所の助手経験はしたけど、コネとか横の繋がりで仕事をもらった事は一切なく、すべては作品だけでのし上がって来ました。
その時、すごく感じたのは、コネとか紹介とか下積み時代に顔を売って誰かの紹介で道を付けるか、それとは違う自分自身の作品を作って、見てくれる人を探し評価されて道を付けるのか、、、、これはキレイごとを言ってるんではなく、大きな生き方の違いがあって、それがその後の人生にカタチになって来ます。これは僕自身、その違いがどんな人生の違いを作るのか、今になって気がつきました。
結局は、デビューの時にどんな作品を用意して、どんな人にそれを見せて、どんな出方をするのかって、これは僕が想像していた以上に、多分みんなが思ってる以上に、その時の価値観とかその姿勢がその後の人生を決めてしまうと、この本を読んで改めて思ったし、それを考えるのにいい機会だった。
僕はコネとか紹介がすべて悪いとは言わない、それでやって行けるなら、幸せになれるなら、合ってるならやればいい、お金は重要だし仕事はないよりあった方がいいに決まってる、僕だってそれで上手く行ったならいくらでも飛びついた、でも僕は結果的にコネには悲しいほど縁がなかったから、やらなかっただけの話だ。
でも今になって結果的にそうではなくて本当に良かったと思う、コネとか口利きからもらえる仕事は、早い話がほとんどはそう言うモノでしかない、人生にシガラミが増えるだけで、誰がやっても良い程度の仕事がとにかく多く、あまりカメラマンの資質を求められたような仕事ではない、そう言う仕事はもっと違うルートから出る、相手はそれに合った人を探すし口利きとかコネとかではない、それは才能と才能がしっかり出会って成立するし、だいたい能力のある人は、誰が紹介しようが自分自身の目で判断する。
それに、一回コネとか紹介で仕事のベースが回り始めると、人間というのはそういう体質になって、ずーっとシガラミの轍を生き続け、コネとか横の繋がりばかり重視した生き方になって、さらに作品性よりシガラミの人脈作りに専念する体質になって、気がつくとシガラミの中で生きるようになって、何かに蝕まれるようにすべての自由を失うようになる。
悲しいかな、それを両立できるほど人間は有能ではなくどっちかを取るしかない、これはアート業界だけではなく一般社会人にも同じことが言える気がします、社会人になってから自分の自由を探す、どんな生き方をしたいのか?何が大事で何がつまらないか、何が本当で何が嘘か、大人たちの主張はどこまで本当で、どこからが嘘なのか、これは社会人になって、どこかに所属しながら、自分の人生をもう一度見つめ直し、自分を変えるなんてまず無理だ。どうしても変えるなら、そこを辞めて出直すしかない。
そういうことの準備は、下積み時代、思春期にしっかり、迷い、苦しんで、自分のアタマで考えて、自分の信じたものを選んで、それで失敗して、選択眼が成長して、大人たち、社会の唱える話に潜む矛盾や嘘をちゃんと自分の目で見破って、自分の立ち位置を自分で見据え、自分の精神力を、若いころに鍛えておくのは重要なことだと思う、これを若いころにしっかりやらないで大人の言いなりになって、そのまま大人になるとその後どうなるのか想像がつく。
さてどうなるのか?
自分の目で見たものを信じる目がない、誰かの意見ではなく自分自身のアタマで考える判断能力が育たない、誰か偉い人の評価、権威ある意見に寄りかかるしかできなくなってしまう、地名度の高いもの、ブランド物に弱くなる、そう言うものを買い漁る、その分かれ道がこの本に書いてある気が僕はした。
ヨシキさんは先生から執拗な抑え込みにもめげず自分の美学を貫き通した、音大入学が内定していながら蹴って大人たちの説得にもめげず自分らの信じる生き方を選んだ、でもそれがXの全てに繋がったって思った、もしヨシキさんが、思春期に反抗的な少年じゃなかったら果たして、あのXは存在しただろうか?評論家たちを跳ね返せただろうか?
人は人生で何か挑戦をしたいなら、その運命の大半はデビューのあり方、思春期で決まるんじゃないか、、、って「YOSHOKI/林佳樹」を読んで感じた。
世の中には「最初が肝心」って格言があった。

魔法植物園 今後の考え 

プラトンかソクラテスか忘れたけど面白い話を過去読んだ事だあります。
とりあえず、プラトンにしておこう、ある人がプラトンのところにやって来て「ねえプラトンさん、どうして人は悪いことをするんですか?」と尋ねた。
プラトンはこう答えた、「それは悪というものを知らないからだよ、、、、」
「そんな事ないでしょう、誰だって悪いこと、良いことくらい分別がつくでしょう?」
プラトンは「誰だってそれくらいはわかるよ、でも人は悪をわかってるつもりで、その悪がどうなって、それが何を引き起こし、結果どうなるのか、、、、そこまで人は分かっていない、だから人は悪を悪だと知らず悪をなすのだ」と答えた。
このやり取りを若いころ読んで、なるほど、そういうことか、、、ちょっと見た目には大したことがなさそうな悪は、それが案外人の心を蝕む悪ってこの世にはたくさんある、でも人はそれを知らず結構無神経に、みんながやってるから自分もやっちゃう、みたいな軽そうな悪は世の中にゴロゴロある。でも人はそれがどんなことに繋がるのかって分かっていない。それをプラトンは言いたかったのか?
それとここにはもう一つの示唆があって、、、そんなことはとっくに分かっているつもりでも、実はそこにはもっと奥があるって、何も分かっていなかったんだなと思うことが多々ある。
これは歳を取った今まで頻繁に感じることだけど、よく知っていたつもりのことをもう一度、あらためてもう一歩実感するたびにこのやり取りを思い出す、知ってたつもりが、分かっていなかったんだよね、どうしてこんな単純なことすら気がついていなかったのか、、、、って思うことがよくある。
物事なんて、むずかしいことをたくさん知るよりも、数は少なくとも単純なことをより深く心の奥深くに落とし込むことの方がよほど重要なんではないか、、、、って思う、、、、特に写真を撮るとはそう言うことだ、、、って毎回思う、そしてだから僕はスマフォ文化がどうしても好きになれないんだな、、、、、って毛嫌いするけど、そこは冷静に見れば両者を同じ土俵に置いて優劣を争ってもつまらないことだ、、、って自分を戒める。

さて、最近、ここで書いた通り、スピルバーグの映画、大谷吉継の生き方、ヨシキさんの生き方、これらに刺激をうけた、特にヨシキさんの生きざまは僕にとってとりわけ刺激的で生々しく、先日読んだYOSHIKI/林佳樹 から受けたヨシキさんの生き方、選択、実績、これは正真正銘の不出世の逸材だって思った。この人はこんな生き方をして今があるのか、、、これはまさに衝撃だった。
まずあれだけの過激なファッションと過激なパフォーマンス、反体制ロックを前面に打ち出していながら結果を出し、やがては一流クラッシックオーケストラを指揮し、天皇陛下の在位10周年記念行事に自ら曲を献上した正統派音楽家であること自体が常識を叩き壊した逸材だと僕は思う。少なくとも彼らの姿格好とその過激なパフォーマンスを見ただけで X japanを判断するのはよろしくない。
とにかくヨシキさんは、志、目標が高く、大変な勉強家で、その人間力は尋常じゃない、ロスを拠点に活動する彼は当然、英語力は相当なレベルらしい、またマイナー時代はメジャーには媚を売らず、自己資金でレコードを発売しアウトサイダーから這い上がって地位を勝ち取った生き方こそがロックそのものだと思う、もちろん本は誰かが書いたものだから誇大な描写がたくさんあるかも知れない、彼だって駆け引きを重ねた結果の名声かも知れない、仮にそうだとしても彼の行った実績は大変な偉業に間違いないと僕は思った。
とにかくヨシキさんのあり方は半端じゃない、ぶっ倒れるか、叩き壊すか、静かなメロディーを演奏するか、生半可じゃない姿が個人的に好きだからここまで書いてしまう。何かを描くってことは、、、そんな悠長なものではなくてこいうことなんだと思う。
ヨシキさんが若いころから一貫して選んで行動してきたことは、、、、これは僕の想像ですが、ここじゃないかなって気がします、彼はまず始めに自分は何がしたいのか、そこがハッキリしていた、すべてはそこを出発点として物事を考えてきた、自分は何をすべきか、今は何を準備すべきか、X japanはこれからどこに向かうのか?彼には真っ直ぐな希望とビジョンが見えていたんだと思います。そこに迷いがない時は感覚は研ぎ澄まされているはずです、周囲は、そのエネルギーに希望を感じて巻き込まれて行ったんだと思います。
逆に、自分が何がしたいのか、明解じゃない、ハッキリしない、そう言う時は上手くいかないはずです、突き抜けた世界が撮れるとは、突き抜けた世界が見えているから撮れるんであって、見えていない人は逆立ちしたって撮れないわけです。

さて、人の話はこれくらいにして、自分のことを書きます、止まっていた魔法植物園を再開するに当たって思うのは、自分自身の集中力を現実的に少し上に引き上げないといくら必死になっても、行ける世界に限界を薄々感じます。
冒頭に書いたように、自分はそれはもうすでに分かっているつもりでも、実に頼りのないもので、ちょっと目線とか意識が変われば、見える世界、感じる世界、写せる世界はガラッと違ったものになります。
思ったのは、要するに自分とはどこまで行っても自分であって、自分の美学に集中するしかない、そこに生きていたいと思いました。自分に集中するってことは、周りの人がどんなに成功しようが、自分がどんなに惨めだろうが、きつい孤独感を感じようが、自分は自分であって、そこに集中するってことです。つまりジェラシーの感情とか自分と他人を比べる感情、これはかなり厄介です、とにかくそういう感情に呑み込まれないで自分に集中すること、それしかないな、、、、て思いました。
でも人の意識っておもしろいものです、さあ集中するぞって、と言って集中できることも稀にあるけど、できないことの方が絶対に多い、そう言うのは、、、実はこうなんです。
集中するぞって、、、実はこれは曲者で、都合主義の自我が叫んでることが多く、そう言うのはダメです、返って混乱にハマるばかりです、僕の場合は自分がしたいことをするんです、関係ないようなことでも躊躇しないでするんです、そうすると、それが何かのキッカケを引き出し、さらにそれがまた次のキッカケを引き出して、気がつくとそれが繋がって、一個のビジョンを見せます。それが見えた時に、普通では語れない世界が見え始めると僕は信じています。
多分ヨシキさんはそんなタイプのビジョンがあったんじゃないかな?って感じます。

スピルバーグの「ペンタゴンペーパーズ最高機密文章」の感想 

昨日、スピルバーグ監督のペンタゴンペーパーズ最高機密文章という映画を観て感じた事です。
この映画はベトナム戦争末期 のアメリカ社会を描いた映画です。
1960年代から70年代に掛けてアメリカはベトナム戦争介入します、しかし北ベトナム攻めは予想を反して難航し戦況はどんどん悪くなるばかりでした、これ以上戦争を続ける意味を見失っていた状況ですが、撤退選択はアメリカは北ベトナムに敗北したも同然で国の威信に関わる問題です、と言って続けるにも続けられない戦争でアメリカは泥沼戦争から抜け出せなくなっていた時代でした。
しかしアメリカ政府は国民に対し戦況は良好とベトナム戦争の正当性を国民に訴え続けますが実体はそうではなくベトナムに送りこまれた大勢の兵士達は無駄な戦死、負傷を続けているのが実体で、これ以上黙視ができない状況に政府のある男が心を痛め表に出せない最高機密文章のコピーを新聞社に流しました。
新聞社は大変なスクープですが、それを表に出すには社の存続に関わる危険な賭けでもあり、出すか、出さないか、新聞社が公表するなら、政府は国家機密スパイ活動容疑として逮捕する脅しを仕掛けます、会社存続を取るか、新聞の使命を取るか、ワシントンポストの女性社主は圧力を振り切って世の中にそれを一面公表し民主主義を勝ち取った実話映画化です。
この映画を見て二つの事を思ったわけです、一つは戦争とは日本の太平洋戦争も同様、国は国民に対して偽りの事実を国民に伝え洗脳し若い兵士たちを戦地に送り込んで無駄死同然の戦争を続けました、アメリカも同様ベトナム戦争で多くの若者兵士たちをベトナムに送り込み無意味な戦死者を多く出すドロ沼の戦争を続けました。
戦争とは侵略され国を守る国防戦争と侵略をする側の侵略戦争があります、ベトナム戦争はインドシナ半島全体が社会主義化しソ連の支配下から守るためのベトナム内戦の介入でした、それはどう考えてもアメリカの国防戦争ではない無意味な侵略の戦いだったと思います。そのために戦死した多くの兵士たちの命を思うと国家権力とは一体なんなのか?一体何のための国家なのか?どうにもならない憤りを感じました。

当たり前の話をしますが、私たちは生きていくとは、自分ひとりでは生きて行けず、国、社会の器の中で生かしてもらって生きています、時代を生きるとは時代に生かしてもらっています、でもこの生かしてくれる社会と国との関わり方、そのさじ加減の感覚がその人の生き方の価値観であり、その人の生き様になるわけです。
これは何も国だけの話ではなく、収入を保障してくれる会社との関わり方も同じ事が言えます、その社会と自分の関わり方はとてもナイーブななもので慎重に選ばないと私たちは自分の生き方を見失ってしまいます、そこで何も考えず選択肢はない受け身の生き方をするのか、自分の選択肢を模索し自主的な生き方、世の中との関係を考えながら生きるのでは、そこから見える世界感、関わり方、生き方の選択肢はまるで違うものになると思います。

先日、NHKbs放送でやっていた「英雄たちの選択」という番組の中で磯田道史氏こんな事を言いました、「大谷吉継」の番組の終わりで言っていたことですが、徳川家康はとても現実的な人で、相手にどんな褒美を差し出せば、自分の味方になるか、人の心を掴み方を知っている人だった、でも大谷吉継は家康が差し出した褒美では動かず、勝ち目のない関が原の合戦では石田側に付いて最後を遂げました。
磯田氏はさらに、あの戦国時代はほとんどの武将たちは武士としての誇りより現実に差し出された領地を取って徳川家康の誘いに乗った武士は多かった、大谷吉継は勝目の薄い石田の西軍に付くより徳川の東軍に付いた方が身は安泰なわけですがそれを大谷吉継は選ばなかった。何がそうさせたかのか?そこは疑問です、少なくとも大谷吉継は目先の損得だけでは動かなかった。

先の話に戻りますが、最高機密を手にした新聞社は政府から「もし掲載したなら、、、、」と圧力と脅しを掛けられます、機密文書公開は読み間違えれば会社存続の危機に陥る重大な判断だったわけです、映画はその心の葛藤がよく描かれていましたが、最後は新聞掲載を決断し、政府のベトナム戦争戦況ドロ沼の事実隠蔽工作を新聞に暴いたわけです。
結局は陪審員裁判でも6:3で彼等は勝ちを取ったところで話は終わりますが、もしあの時、ワシントンポストは公表を見送っていたなら、戦争はもっと長引き戦死者の数はさらに何千人もいたかも知れない。日本でもそうでしたが、大義名分は天皇陛下万歳の名の下で特攻隊で死んだ兵士たちは一体何だったのか?子どもを死なせた親の気持ちは一体なんだったのか?と思います。
そもそもあの戦争は天皇陛下ご自身がお望みになった戦争とはとても思えない戦争です、何も知らない兵士たちを天皇陛下の名を大義名分に掲げた戦争だったように思います。
ワシントンポスト社主、大谷吉継たちと私たちの生き方にはどんな価値観と人生観の違いがあるのか?彼らは聖人君子で特別な人達だからそれが出来たのでしょうか、仮にそうだとしても、それだけで片付けたくない、いろいろ考えて、それが結論ならまだしも、、、、ああすごい人達ですね、この一言で終わりにしたくない感情が僕にはあります。
少なくとも、ボクが感じたのは、彼らだってそんな特別な発想と勇気だけでそうしたんではなくて、いろいろ考えていくうちに、ワシントンポストの場合、表に出さない選択肢と表に出す選択肢の未来をしっかりと見据えた時、もしそれを出さないままなんとか会社存続を続けた時、会社はどうなるのか見つめた気がするんです。
出さなければ社員は職を失わずに済むかも知れない、、、、、でも出さないで守りになった場合の新聞社って一体なんなのか?考えたと思う、それは勇気があったとかよりも、出さない選択肢を思った時、出すのは恐ろしい選択だけど、出すしか選択肢はなかった、それが事実じゃなかったのかな?と僕は思います、大谷吉継も徳川についたところでその後の未来像はあまり魅力があるとは思えなかったから家康の誘いには乗らなかった、そんな気が僕にはします。

魔法植物園 作品との関係性 

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昨日の続きです、
昨日書いた通り挫折を味わいこれをなんとかカタチに仕上げないことには話にならないと目の前の問題解決の思案に明け暮れた、写真を撮ること、作品に取り組むこと、イメージをカタチにすることを考え学んだ。
話は僕の十代に戻るが、、、当時国鉄は全国のSL廃止計画を発表して世の中は空前のSLブームになって、にわか鉄道カメラマンがたくさん出現しカメラは飛ぶように売れた時期で僕もブームに便乗して写真を始めた、SLが走る姿をとにかくカッコよく撮りたい一心で自分でもびっくりするほど写真に夢中になった。でも僕のスタンスはSLマニアではなくてあくまでも写真が主体だった。
物事は夢中になって集中するか、なんとなくやるかで出る結果は天と地ほど違う、本気でやるヤツは、目の付け所が違う、アタマの働きも違う、追求の質も違う、閃きも違う、何から何まで違う、自分を超えた自分に出会い、直感力を発揮する、世の中は結果の原因を才能があるなしで結論付けたがるけど、要はそれに、集中してるか、集中していないか、それだけだと思う。 集中していなければどんな素晴らしい知恵とスキルがあったところで、それを上手く自分のものにして使いこなせないからネコに小判でしかない。
僕は学校が苦手だった、どう逆立ちしても学校の雰囲気とか先生たちが好きになれなかった、だから子供時代は集中力とはあまり縁のない時間を過ごした、ところがSLを撮っている時、アタマが活性化し、集中力が高い自分を発見し、写真をやっている自分と学校にいる自分とはまるで違う人格を感じた。
SLに夢中になってかっこいい写真を撮ることが楽しかった、雑誌に紹介された決まった場所ではなく自分で探して発見した場所でかっこいい写真を撮るのは至上の悦びで十代で写真の悦びを知った、でも悲しいことにSLが消えて自分のモチーフを失って自分は写真とどう付き合って行けば良いのか分からなくなって僕は写真から離れた、それから何年かして僕は再び写真を撮り始めた。
でも、再び始めた写真はSLのころのように無条件に撮って楽しかったわけではない、撮りたいから撮るんではなく、撮りたいテーマを探して撮って上手くなっていくスタイルになっていった、逆に探さなければ何も撮れなかった。
自分で自分のとるべき対象を探せない人、出会えない人たちは撮りたいものに出会えないで止まった人をよく見る、これは表現センス、その感性を持っていないとなかなか撮りたいものを自分では出会えない、多くは何も撮れないまま写真を楽しむ前に終わる人が圧倒的に多い気がする、、、、。

つまり、、、、良い写真が撮れない理由とは、被写体といい関係までにたどり着けず、被写体にのめり込むように集中出来ないから撮れないだけの話だと僕は思う。
撮ることに悦びを感じつつ、純粋に被写体に集中して向き合える人は実は意外に少ない、撮ることに目的とイメージを持っているなら、仮に思うように撮れなければ、それなりに自分で考えるし、考えが浮かばない、自分の撮り方が分からないのは、集中していないか、被写体と自分との関係に密度がないからそうなる、それに効く特効薬とか方法論なんかない、自分で探して出会うしかない。

さて前置きはこれくらいにして、魔法植物園をずーっと取り組んで来ていろいろと壁に突き当たっていろいろと考えた。
撮り始めた当初はもっとカンタンに結果が出るものと軽く考えていた、これまではモノクロで撮っていた時は、スキルさえあれば変わった古風な手法でそれっぽく撮れば、それなりの雰囲気が出すのはたいしてむずかしくなかった、わりとスムーズに作品は仕上がって、雰囲気のある額に納めて、それを会場に並べればだいたい自分のイメージする展示になったと自負している。
ところが個展を何度か繰り返すうちに、そんな個展にあきてしまった、今度は写真集を前提にカラーで撮ろうと考えた、さて写真集になれば今までの小技はもう通用はしない、新しい写真の作り方を模索しないと少しも前に進まないのがよく分かった。
撮っても撮っても作品のカタチが仕上がらず、しっかりした手ごたえがない、どうしたものか、、、、、えらいテーマに手出しをしたな、、、と悩んだ、そんなことを考えつつ、自分を励ましながら続けていたらついに撮れなくなった。撮れないんではなく同じことを繰り返すことにイヤ気が差した、何かキーが合っていない気がして、モチベーションが湧かなくなって立ち止まった。
結局、作品についてこれまでの考えは一旦白紙にして一から考えざるを得ないところに立った、作品を通して自分はどこに向かいたいのか?自分はどういう思いでこの作品をやっているのか、その必然性はいったい何か、、、?
考えることは大切だけど答えを急いだって仕方がない。考えることでまず問題意識と作品に対する切実な気持ち、自分自身にしっかり教え込み、自分と作品の関係性の密度を作る、それを自分に浸透させる。でも自分に対して強引にケツを叩いて、無意味に頑張れって激励するのは無意味だけど、時にはそれが役に立つ時もある、、、、。
心の中の試行錯誤はとても重要な儀式だ、雨乞いの祈りみたいなもので、これをやらなければ次のヒントとか直感の閃きの期待なんかあり得ない、こういう問題意識を常に抱えていたら、ある時、突然、閃いたり、撮る時、日常の何気ない時に新たなきっかけがやってくる。
それで思うのは、作品を撮るとは、自分と作品の関係をどれだけしっかりしたものにするのか、カンタンに言えば作品に対する自分の思いがどれだけしっかり強いのか、要はそこにかかっている。
自分と作品との間にしっかりした関係があれば、それは理屈抜きにその関係性がそのまま写真になって現れる、それが絶対原則だと思う、深い愛情があれば写真に愛情が写る、アタマで考えて撮ったものはそれしか写らない、でも関係性がないからダメだとは思わない、そこは考えればいい、あれこれやれば関係性に目覚めるかも知れないし、要は強い思い次第でカタチになる。
僕は植物に対してどういうスタンスを取れるのか?僕と植物に特別な関係なんてないと思う、ただ植物を通して自分の美意識をカタチにしたい、これならできる自信がある、だから今後は美意識の低いものはセレクトに選ばない、それだけの話だ。