アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

衆愚政治とは何を指すのか? 

今日は選挙、今回はどうしてか、都知事の小池さんが国政選挙の中心人物になっています。
都知事がどうして国政選挙にここまで顔を突っ込めるのか?しかも新しい党を立ち上げて自民党と真っ向から戦っていますがその根拠と目的が今ひとつよくわかりません。
今日は政治の話題にしたいと思っています、でも僕は政治のことは何も分かりません、選挙も正直な話、どこに入れればいいいのか困ってしまいます。
日本は今言わずと知れた民主制国家です、封建制度、独裁制から見たら国民が自分の意思でその国のトップを選ぶことができるこの制度は確かに素晴らしいには変わりはないんですが、どうもそうカンタンに喜べないものも同時に抱えてしまいます。もし仮に本当に素晴らしい人格で有能な政治家が独裁国家のトップになったなら未熟な民主政治よりも独裁政治の方が国にとって良い政治ができるんじゃないかと思います。
だって思うんですが果たして国民の1票1票がきちんと熟考の下に選ばれた票なのかと言えば、それは果てしなく疑問です、衆愚政治って言葉があります、いわゆる民衆が愚かなら政治家も愚かな人が選ばれると言うことです、今の日本がそうだとは言わないけど、この前のアメリカの大統領選はまさに衆愚政治の見本のような気もしました。
フェイスブックなんか見てると今の安倍政権とか自民党の批判記事をよく目にします、あなたたちは気がついていないだけで、この政権は国民を欺いているだとか、安倍さんはバカだとか、ウソつきだとか、トランプの言いなりだとか激しい批判をそこらで目にします。
それを書く人って、果たして本当に政治を批判できるくらい知識があって批判を書いてるのかちょっと首をかしげます、僕は自民を応援してるわけではないけど、それを読むたびに、誰かの言い分から引っ張ってきた受け売りとか単なる感情的な批判ならやめてほしい気はして見ている、本当のことって一体なんだろう?て思います。
数年前に鳩山さん民主党政治になって自分の政治の無知の実態を思いました、あのころまでは僕は自民党は日本人的保守的な体質な気がして自民党を嫌っていました、民主党なら自民党より新しい時代が来そうで希望がある、自民党より良い政治になるだろうと大した根拠もなく期待して民主党政権の誕生を心から喜びました。
しかし、実際に民主党がやった政治はどこかお粗末な結果に終わった気がします、僕は民主党の政治、改革実現力、これらをちゃんと理解して支持してたわけではないのです。たんなるなんとなく希望的憶測でしかなかったのです、まそれが世の中の現実だとは思うんですが、、、、、。
今、みんなが安倍政権についてフェイスブックとかマスコミでいろんなこと言っています、じゃあみなさん一体どこまでその中身を知って批判したり、支持したりしてるんですか?もちろん無知なら発言するな、とは思わない、ただ軽薄に言ってるのか、分かって行ってるのか、ただ無責任に言ってるのかが僕には読めない、多分、みんな何も分かっていなく無責任に発言してる気がします。
さらに、よく政治ですぐに「辞めろ、辞任しろ」と騒ぐ傾向があります、昨年韓国では確か30万人くらい?大変な数の民衆がソウル中央に集まってデモがありました、あれって要するに一体なんだったのか?と思います、新しい大統領に変わって韓国は本当に良くなったのでしょうか?そのまま前の方がいいとも言わないけど、結局はああして騒ぐしか手はなかったのか?と思います。見方によってはただ騒いでお終いな気もします。
韓国の政治歴史を見ると、だいたい大統領経験者は退陣した後、権力乱用、収賄、様々なスキャンダルが勃発し逮捕され死刑判決を受けたり、あまりいい話を聞かないけどそれが多い国です、それはあの国の政治体質には根深いしがらみ、民衆と権力の間に埋めがたい溝があって、民衆感情にはそれを暴いて白昼に晒したい感情、怒りがどこかに渦巻いてる負の連鎖が働いてる気がします。
それはあくまでも僕の憶測にすぎませんが、、、、、、。
話は衆愚政治に戻しますが、昔日露戦争で日本がロシアに勝利し(果たしてあれを勝利と言えるか?)当時のアメリカの大統領の仲介で終戦調停が持たれた、その時、日本はこれと言った戦勝賠償請求をロシアから引き出せずサインをして、時の外務大臣の小村寿太郎は帰国後、世論から非難轟々の嵐だったそうです。
その嵐はどんどん激化しやがて日比谷の街では相当数の民衆が暴徒化し焼き討ち行為をした大事件に発展したと聞きます、でもこの事件を表面的に見ても事件本質が見えません、この日露戦争については当時の明治政府の財政状態、国力の実態を知らなければ多分何も想像ができないと思います。
まず戦費がない財政状態でほとんどは国債発行による海外からの借金でかき集めたお金で戦争をした、もしあともう1年も戦争が伸びたら日本政府自体がパンク状態に追い込まれていた無謀な戦争だった、その上多数の戦死者を出しそれなりに国民には上手く説明しないと国民から反発が出た状況だった、それにはナショナリズムの高揚に持ち込むしかなかった、そんな気がします。
早い話が始めから無茶な戦争を始めてしまった、開戦時からアメリカに仲裁調停を入ってもらいそのまま逃げ切れればと考えていた、開戦前からアメリカのルーズベルト大統領に仲介役の根回しをしていたそうです。
でも事情なんか何も知らない国民への負担は大きく、戦死者が出た家族はたくさんいた、国民にも大きな負担をかけたはず、そのためにはなんらかの説明材料を調達しなくてはなりませんし、なんとか負けずに済んだ戦争を国民には大々的に「日露戦争大勝利」とプロパガンダを掲げてナショナリズム高揚させていたのは想像できます。
国民としても日清戦争勝利の台湾のように今度はロシアから千島列島、樺太全土、満州の一部をもらえて当然と、そう思う国民はたくさんいただろうしい、そう考えても不思議はない。
太平洋戦争前も、日本が世界中からバッシングを受け国際連盟を脱退した時がそうでした、意外にもそれを後押ししたのが世論だったそうです、意外にも日米開戦の機運を後押ししたのは、なんと当時の世論も一役買っていたそうです。
政府のプロパガンダにそのまま乗りすぎるのは非常に困る、僕らが一体政治の何を知ることができるんでしょうか?せいぜいできるのは小池百合子が何を企んでいるのか?を想像するくらいです。
巷に溢れる根拠のなさそうな噂を信じるしか手はないのか?と思います、一説には民主党政権が国民の期待通り機能しなかった理由の一つに民主党の政治家たちでは官僚を上手く扱え切れなかった、官僚体質が彼らではまるで理解できなかったからだ、と言う説も聞きます。
そんなことまで私たち有権者が分かるわけがない、分かろうとしても分かるわけがない、じゃあ私たちは何を指針にして選挙に1票を投ずれば良いのか?なんとなく曖昧で無知で無責任な1票を入れるしか手がないのか?その曖昧な票の寄せ集めに国の運命を託すしかないのかな、、、、と思います。これが世論なんでしょうか?

暗い中で真っ黒な機関車をシズル感たっぷりに撮ること 

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山陰線の旅はおもしろかったけど正直なところ路線はこれといった見所には欠ける気がした。
でも名古屋にはこんなローカル線はないからまあ贅沢は言えない、これでよしとしたところだなと思った。
マニアがずらっと並ぶ路線のポイントより自分の目で探したポイントで撮ることを決めて旅に出た、そこで何らかの結果を出したいからあれこれと考えた、現実はそうは上手くはいかないからみんな手取り早い方法を選ぶ、と言うか多くはあまり何も考えていなく人と同じ場所で撮ってもさほど気にならないみたい、でも僕にはそれが信じられなかった。
浜田のユースホステルに宿を取って晩ご飯の後、カメラ三脚を持って夜の機関区をフラフラ見に行った、このころは機関区に無断で入り込んで勝手にカメラ三脚を立てて撮っても、特に職員に叱られたり追い出される雰囲気はまるでなかった、勝手に好き勝手にどこに入って撮ってもお咎めなんかなかったし「無断立入禁止」の張り紙もなかった、むしろどこから来た?と聞かれるくらいのいい時代だった、こんなことは今ならまず考えられない。
でも、あのころ勝手に入り込んでも叱られなかったけど、無茶なことをする人も当時はいなく、そこそこにマナーをみんなわきまえていた、例えば機関車の上に上がり込んで写真を撮るとか、運転席に入り込むとか、あのころは管理が野放しだったけどそれなりにみんな暗黙の常識は子供だって理解してた、そう思うと今のマナー感覚はひどすぎる気はする。
浜田機関区は機関車の数は多くはなかった、たったこれだけ?って感じがした、機関車はC56、C57、D51の数台だった、でも明治のレンガ作りの機関庫はすごく味があった、今なら保存される建物かもしれない、そこで撮った写真を後で見て感じたのは、この時、初めて写真のシズル感を体感した。もちろんシズル感って単語は知らなかったけど、写真に雰囲気を写し込むことは重要な見せ方だとこの時に知った。
シズル感というのはもともと広告の写真用語で料理写真に使われていた写真用語だそうだ、ステーキ肉を撮るとき肉から肉汁がギトギトと吹き出す感じを逃さないように美味しそうに撮らないとステーキの広告写真として失格、他にもビールを撮る時、グラスに注いで泡を溢れるくらいに撮る、もちろんグラスに水滴が滴るように撮らないと美味しそうな写真じゃない、そういう手法全般をシズルが写ってるって言います。
でもこれは何も食べ物だけではない、始まりは料理用語だったけど写真全般に言える。例えばビキニのオネーチャンを撮るならムチムチボディーをムチムチ感たっぷりに撮らないと色気が伝わってこない、やはりギラギラな雰囲気を演出するんだけどこれだってシズル感だと思う。
写真を撮るとはすべてのシュチュエーションにシズル感を写すくらいの気持ちで撮らないと写真が生き生きしない、逆に言えば、撮る写真にニュアンス、シズル感だけに集中しても構わないくらいと思ってる。
機関区で夜景の機関車を撮った時、どう撮ったら雰囲気がかっこよく写るのかその場で考えた、でも何をどうするればいいのか分からないからその場は思いつくまま撮った、現場ではマニアが他にいないから、時間をかけて考えながら自由に撮った、自分で考えて撮るのが楽しいんだと言うことをこの時に少し分かった。
暗い中で真っ黒な機関車を撮るとは?現場でどう撮ろうか考えたけどあの頃は何も上がりが読めなかった、上がった写真を見て、もう少し明る目に撮らないと黒い機関車は黒く潰れてしまう、天井から下がった電灯がこんなにも雰囲気を醸し出すんだ、、この電灯が場のシズル感を引き出すんだな、、、とこの場で新しい何かを掴んだ。
自分の写真を撮りたいと思い始めて、それまでのマニアの集まるポイントから自分で自分の場所を探す考えに切り替えた、思うように上手くいかないことの方が多いけど、時々新しい発見があったり高校生ながらワクワクしながら撮っていた。

初めての撮影遠征の旅 

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昨日書いたのは、蒸気機関車の写真を撮ることから写真に夢中になったけど、みんなと同じ場所で同じような写真を撮ることを繰り返す現実にいや気を感じ新たに自分の写真追求を始めたところまで書きました。
最初に始めたのは冬休みに山陰線を旅しました、そこは運行本数もわりと多い路線です、せっかく遠くまで遠征してもあまりにもローカル線で1日わずか1〜2本、往復4本程度では充実感が乏しい、でも地方に行くとはそういうことも覚悟しなくてはならない。
山陰線の松江を皮切りに西に西に移動する旅をしました。これが初めて名古屋から遠く旅した体験だったと思います、もし僕が蒸気機関車を撮らなかったら、こういう旅もしなかっただろうし、写真にも出会わなかったと思います。
生まれて初めての日本海沿線を旅して感じたのは、この沿線上にはこれといった大きな街がほとんどなく特に冬の山陰地方の寂れた風景を目の当たりにして、これが日本で最も過疎な地域だな、これでは何もすることがなく街に出て働くことしか選択肢はないんだなと高校生ながらに感じた。
当時の山陰線は京都から始まって下関まで続く有数な長距離路線でしたが、過疎地ばかりを走るがゆえ最後の最後まで蒸気機関車が残った路線でした。
僕が撮ろうとした風景は結果的にそんな山陰らしい寂れた風景を機関車が走る海岸沿い風景が狙い目でした、やはりこんな寂れた場所で、これといった見せどころがないからか、この路線はあまり人気がなかったのか、都会からここまで機関車を撮りに来る物好きなマニア姿はほとんど見かけず有名ポイントもあまりない、でもその代わり自分のセンス次第で良いと思った場所で自由に好き放題に撮れる。
当時の僕は名古屋近辺のマニアの集まる路線で場所の取り合い、みんなが決まりの場所に群がって撮ってる現実に辟易してたストレスをここで発散したいと思っていた、とは言えやはり長い線路を闇雲に探し歩いても仕方がない、わずか数日旅でそんなことしてら話にならず、まずは鉄道雑誌で最低限の目星をつけた、その結果、波根、田儀間の線路沿いはその中でも風光明媚らしく、そこを集中して足で歩いて探しました。
駅との間は6〜7キロですが、歩くにはそんなに遠くもなくちょうど良い距離です。事前に5万分の1の地図も用意し線路に沿った道を隅々まで調べトンネルがある場合は迂回できる道も事前に調べ、時には線路に沿って歩いたり、もちろん機関車の時刻表は用意しています、場所を探しながらそろそろこっちから1本走って来るな、、、と考えながら場所探しをします。
このカットは特に気に入った場所でもなかったんですが、まあ探した末、そろそろ走って来る時間都合でここで田んぼと漁港と海を入れて山陰らしく撮れるな、、、と狙いましたが、まったくマニアが一人もいない中で自分の目とカンで探した場所で周囲を気遣わずに撮ることを初めて体験しそれがこんなに気分のいいものかと痛感した。
マニアが集まるポイントは数え切れない無数の三脚がズラッと立ち並びます、僕は三脚を使って撮らなかった、その理由は機関車撮影は煙のカタチは絵柄の重要なポイントです、実際に機関車が来るまで煙はどんなカタチで来るのか分かりません、横に流れるのか、まっすぐ上に登るのか、その時の煙の姿カタチに合わせながらフレーミングを決めていたので、フレーミングはその瞬間に決めていたから三脚は使いたくても使えず、おかげでその場その場でフレーミングを正確に水平をきちんと手持ちで決めて撮ることはワケなく出来るようになった。
ただこの時は最後までどこで立ち位置をどこにするか迷った、もっと前に出過ぎれば漁港が入らない、もっと下がれば斜面に隠れる、もう少し探したかったけどもう時間切れで機関車が走って来る時間になった、思い切ってこの塀に登って手持ちで撮りました。
やって来た機関車はD51、正直な話この機関車は名古屋近辺にだっていくらでも見かける機関車で珍しくもない機種です、コアな鉄道マニアなならわざわざ遠くまで出かけて行って撮るような機関車ではないけど、そんなことよりも僕には カッコ良い写真が撮りたいから、ここまで来てとっていました、今思うと楽しかったな〜。

SLブーム 

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僕が中学生から高校生にかけて、国鉄は数年以内に全国の蒸気機関車を一斉に廃止し代わりにディーゼルまたは電化にすると発表し、機関車が消えることを惜しむ大人たちから始まってやがて世の中ではSLブームは大きく爆発的なブームにまで発展した。
やはり国鉄の象徴だった蒸気機関車が世の中の路線からすべて消えてしまうんだからなんだか寂しい気分が広がったんだと思う、今のうちに煙を吐きながらシュシュポッポと喘ぎながら走る機関車を写真に撮っておこうと世の中のオヤジたちはにわかカメラマンになって機関車が走る有名ポイントに集まった、都会から近い撮影ポイントの日曜日なら100人近くのカメラマンの三脚がずらっと並んだけど、当時の国鉄は線路近くでカメラを並べる行為をあれこれうるさく規制せずほぼ野放し状態でマニアの好き勝手を黙認してくれた。
ちょうどあのころ国鉄はディスカバージャパン(日本を知ろう)キャンペーンの時期で雑誌アンアンノンノでも旅特集がヒットした時期で、時代はちょっとした旅気分、ローカル線の蒸気機関車追っかけブームだった。
聞くとこによれば、あの時期、SLブームのおかげでカメラは売れに売れたそうだ、SLブームが日本のカメラ産業の底上げに一役買ったくらい、SLブームはカメラ売り上げに大変な貢献した。
僕が住んでいた名古屋周辺では列車で1時間くらいで機関車が走ってるローカル線に行けたから毎月のように機関車を撮りに行ってた。そしてそこで僕は写真を撮ること、それを自分で現像して自分でプリントすることを覚えた。
機関車の撮影ポイントの探し方は鉄道雑誌や機関車写真集に地図とポイントが載っていたからカメラマンのほとんどは同じ撮影ポイントに自動的に集結する。ポイントはまず登り坂で機関車はパワーアップのため石炭を燃やし煙をいっぱい吐き散らしながら走る、そこが橋だったり背景が山だったり、写真にしてカッコいい絵が撮れる場所にみんな集まる、あとは駅で出発瞬間も煙を吐き出すから絵になる。
そのうちに同じ場所で何枚も同じようなカットを見て思い始めたのが、誰が撮ったところで所詮は同じような場所を撮ってるに過ぎず、そのうち同じ場所で撮ることに疑問を感じ始めた。「みんなで同じ場所で同じ機関車を一斉に撮ったって、そこでいくらいい写真が撮れたところで面白くない」と、そう思った。
それは中学生のころまではまだそんなに気にならなかったけど高校生になってだんだんそれを繰り返すのが嫌になった、でも相変わらず撮影ポイントでは立派なカメラバックにカメラを何台か持った大人たちが、決まった場所に三脚をずらっと並べて撮ってる姿をみて、まだ高校生だったけど、僕はここで撮ってる大人たちがどこかアホな大人たちに見えた。
撮影会も同じ気がした、大きな公園で花が咲く花壇の前でモデルがポーズ取ってるところを大勢のカメラマンが取り囲んでみんなでパシャパシャ撮ってる光景、これもどこか滑稽に感じた。どうせ撮るならモデルと差しで向き合って撮りたい、そうじゃなければつまらないと思った。
そこから自分の場所探しを始めた、でもなかなかそんないい場所なんて見つからない、有名ポイントに引けを取らない誰も知らない場所なんて、そうやたらにあるものじゃないことにも気がついた、いろんな試みをしたけど、やはりポイントには勝てない葛藤も同時に感じた、このころから僕にとって写真とは鉄道写真がきっかけだった、でも同じ撮るなら写真家を意識して撮っていた、鉄道マニアであるよりもやっぱり写真家でありたいとこのころから思い始めていた。
そして考えたのがあまりマニアがいっぱいいない遠くに行って撮ることにした。例えば九州に行って撮る、島根県のローカル線山陰線に行って撮るとか、北海道のローカル線に行って撮るとか、その方がマニアに囲まれず、場所取りの戦いをしなくても済むし自由気ままに、好きに撮れると思った。
でも今になって、この考えとこだわりは写真家には重要な資質だった、逆にそういう気持ちがない人はたいした写真家にはなれないと思う。
ここに上げた写真は九州の直方という駅近辺で撮ったものだけど、もう夕方過ぎで暗くなりかけたころだったけど、撮れるまで撮ってやろうと撮ったけど、もう暗くてシャッター速度が遅く手ブレしてるけど、高校生にしてはなかなかその時の気分とか濡れたシズル感が上手く撮れてると思う。

目に見えない世界を撮る 

これから書く文はどう書いたら言いたいことが伝わるのか少々アタマを悩ませました、それで書いてはダメ出しだったけどそろそろ書いてアップしてみようと思いながら仕上げました。
写真とは不思議なもので、写った風景とはちょっと違う心が映ることがパラパラあります。
忘れ去っていた遠い記憶とか、心のどこかに蓋をしてた感情がよみがってきたとか、先日僕が開いた魔法植物園という作品もちょっとそんなことが起きました。
作品に話があって、それは魔女たちが魔法の薬の研究で植物栽培していました、それは植物園にまで広がって、そこで育てられた花々はちょっと怪しげな花々だった、その魔法がかかった花を表現したいと模索しながら時間をかけて撮りました、僕にすれば必要以上に怪しげにしたつもりもなかったんですが、見た人の中には写真を見てクラクラしたという声もパラパラありました。
撮り方の表現展開は、、、、実際の花はそんなに怪しげではないし、そもそも花に魔法なんかかかっていない魔法を仕掛けなくてはなりません、それをどうしたら魔法がかけられるか、試行錯誤しながら魔法をかけていきます。
写真に対する人の感じ方はそれぞれですが、少なくとも技術的に撮られた写真でそんな花に魔法がかかったり、遠い記憶がよみがえるようなことはまずありませんが、写真を感覚を集中して撮れば写真には時としてそういう不思議な感覚が写ることがあります。

これから書くことは僕の偏った考えとして受け止めていただいて結構ですが、写真を趣味で撮る方の大半はカタチから入ってカタチに終始しています、例えば夕景を撮るとか、紅葉を撮るとか、祭りを撮るとか、これらをカタチで撮ることだけに終始しても結局は、やれることは人より上手く撮るか、変わったアングルやレンズで奇をてらうか、ソフトを使って奇抜な演出効果を狙うか、そんなことする以外にすることってないほとんど気がします。
もちろん上手く撮るだってそう優しいものではない、でもやはりまあまあ上手く撮ることなんか最初から当たり前で、ある程度上手く撮れたらそこから表現をもう一捻りしてもう一歩踏み込んだ表現を探すべきです、そうしないとつまらないし多分撮っていつかあきると思います。あきてしまえば、同じことを繰り返したところで、楽しいわけないし多くはカタチを変えます。でもそれは所詮カタチはどこまでいってもカタチでしかなくそれはいたちごっこです。
そうなった時、メンタルを撮る、これはかなり難しいことです、多分これまでカタチばかり追っかけてきた人には何から手をつけていいやらさっぱり分からないと思います、でも探した末にもしメンタルの糸口が見えてきたら、そこから写真はすごく気配を帯び始めます。
一つ一つ撮る物に対して、そこに目には見えないどう世界観を描くのか、具体的に見えない世界を描くとはどういうことをすることなのか?それを真剣に考え取り組み始めると写真に対する考え、その捉え方の世界観が広がると思います。
それで最後に余談ですが、ずいぶん前にある写真家が恐怖心を写真に捉えました、経緯は毎晩悪夢にうなされ続けました、それは言葉にならない恐怖心だったようです、ある日、写真家はその夢に見たシーンを克明に覚えていたので、それを写真にそのまま撮ろうと試みました。
散々探した末、やっと見つけた場所で夢で見た通りに首のない男を撮った、僕は初めてそれを見た時、説明を読む前だったけど、なんだか血なまぐさいような、得も言われない恐怖感のようなものが写ってると思った、後日をれについて説明文を読んで驚いたのは、そういう恐怖感って目には見えないけど写るものなんだなと思った。その時以来、目には見えないものを描くことに興味を持った。