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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

免税店で買ったお酒とタバコの話 

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前回からの続きです。
ボッタクリのリキシャーを追い払ってアンドレとバスに乗ってなんとか無事に街に着き、まずその日の宿を探した、正直言ってパトナの街はネパールに比べて暑いし街の雑踏のパワーはネパールなんかとは比較にならない、でもいっぱい歩くまでもなくすぐ手頃な宿を見つけ、荷物を下ろしまず晩御飯を食べに行くことにした、街を歩くなら当然、酒タバコの免税店袋はこれ見ようがしに目につくようにして持って歩く、インドとはおもしろい国だ、街中、みんながポン引きなのか、ヒマなのか、宿から一歩出ればたちまち、あっという間に、それいくらで売る?って次々に聞いてくる、適当な金額を言うと、あれこれと値段交渉を言うがあまりにもその差は遠すぎるのか、相手の買値を断るとぽん引きたちはトボトボ帰って行った。
アンドレも噂に聞いたほど高値で売れない現実を感じ始めたのか弱気発言をし始めた、でも気を取り直して、裏路地にあったいかがわしそうな中華を見つけて二人でまずはそこに入った、ビール1本を空け二人で乾杯してその日は終わった。
翌日、アンドレと僕はそれぞれの行き先に向けて別れた、僕はそのままお釈迦様の悟りの村、仏教の最大聖地ブッダガヤに向かった、途中列車の中でもインド人たちは酒とタバコの見えるビニール袋をジロジロ見ては、あんたこれ自分で飲むの?または売るのか?と聞いてくるヒマなおっさんもいたり、インドってとにかく日本と違ってケッタイなおかしな国だと思った。
体が元気な時はそれはおもしろく感じるけど、ネパールから来たばかりでとにかく5月のインドは暑い、どうしようもないくらい暑かった、エアコンなんて高級なところ以外はなかった、もう体がぐったり来てる時に、その酒タバコはいくらか、、、と1時間おきに聞かれると、もういい加減にまいった「うるさい!あっちに行け!」と怒鳴りたくなってくる。

飛行機代を浮かせるつもりで酒タバコを買い込んだけど、噂ほど良い取引は期待できそうにもない現実が薄々見えてきた。 そしてなんとかやっと目的地のブッダガヤに着いた、ブッダガヤとは世にも不思議な田舎だった、そこにいる若い男たちはほぼ全員と言って良いくらい流暢な日本語をしゃべる、話には聞いていたけど、、、いったいこれは何なのか?
バスでちょうど夕方ころ、ブッダガヤに着いたら、僕のところに一人の男が寄って来て、これからどこに行くの?と聞く、宿に行くと言いながら無視しようとしたら、そっちには泊まるとこはないよ、、、今のあんた顔色が悪い、すごく疲れるんでしょう?ここでチャイでも飲んでゆっくりしなさい、あとでこの子があんたの泊まるところに連れて行ってくれるから、、、、と小学校1〜2年くらいの男の子を指さした。
ところで、その酒タバコどうするの?売る気があるなら僕が買ってあげるから僕に売りなさいと言った、僕は希望金額を言うと、相手はそんなの売れないよ、誰も買わないよ、、、、と言って、彼の値段はパトナの街よりかなり叩かれたけど、これ以上持って歩くのが、もううんざりだった、彼の言い値で手放すように売っぱらった、さらに他に何か売れる物ある?
僕はインドに行く前に友人からインドに行くならこれを持って行くと高値で売れるよ、、、と教えてもらえたのが、電卓、100円ライター、ボールペン、だった、数は細かく覚えていないけど、秋葉原で電卓は2個、買った、ライターとボールペンは多分30個くらいづつ買い込んだ、今ならそんな大量のライターを持って飛行機は絶対に乗れないけどあの当時は乗れた。
結局はボールペンにしてもライターにしてもたいした高値では売れずムダに持って歩いた荷物で終わった、これ以上持って歩くのもうんざりして来た、彼にそのまま言い値で処分するように売っぱらった。
次回はどうしてここでみんなが日本語を話すのか、ブッダガヤの秘密について書きます。

インドであったリキシャーのタダ乗り 

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これは40年くらい前、、、ずいぶん昔の話で今思うと笑える話です。
初めてインドを旅した時のことです、先に書いたようにインドではボッタクリが普通で日常茶飯事のことでしたが、当時僕はまだ22歳と若く今みたいにボッタクリに対して強く抵抗できなかった、でも西洋人旅行者たちはそこはガンと意思を貫いていたのを羨ましく見てたころの話です。
ネパールの安宿に泊まっていた時、同じ宿の旅行者でアンドレというヤツがいた、彼がネパールからインドに行くには絶対に飛行機を使うべきと僕に言った、大した距離でもないしバスの方が安く妥当な選択だと思っていたが、彼はおもしろい策を僕に話した、彼の言い分は魅力があったし、当時のインド、ネパールのバス、道路事情は相当ひどく、それに350キロも1泊2日で移動するのは体力的にかなり消耗するのは目に見えていた。
飛行機に乗ればネパール(カトマンズ)ーインド(パトナ)はいくら最短距離(400キロくらい)であっても一応は国際線だから免税で酒タバコが買える、それをインドで売れば高く売れるから飛行機代が浮かせられるぜ、、、、と僕に言った。
当時インドは外国製品、輸入酒タバコには厳しい規制がかけられ、酒タバコの闇取引はいい値段で売れた、それを免税で買って街中で売る、人気銘柄はたしか記憶によればジョニーウォーカーとタバコ(555)
インドでは外国人を見つけたらあれこれとしつこいくらい言ってきた、腕時計売ってくれ、ドルの闇両替しないか、酒タバコは持っていないか、街中を歩けばそこらで相当しつこ言ってくる奇妙な国だったから、街を歩けば売る相手を探すには困らなかったが、なかなか値段が折り合わない。

アンドレと意気投合し飛行機に乗ってネパールからインド北部の街パトナまで飛んだ、空港では案の定たくさんのポン引きがまず僕らが手にした酒タバコを見て売ってくれと声をかけて来た、彼らの提示した金額はまったく折り合わずパスして街で売ることにしリキシャーで街までアンドレと二人で同乗した。
街までこんな情けない自転車で漕ぐリキシャーで果たして行けるかどうか何も知らなかったけど値段交渉して乗った、それからどれだけ走っただろうか、、、、街までまだ遥か遠そうと思えた畑のど真ん中でリキシャーのオヤジが交渉価格に上乗せを言い出した、これは毎度のことなので何も驚かないがアンドレはそれをガンと拒んだ、お前何言ってるんだ?と厳しく睨んだ、しかしリキシャーのオヤジはそこで引かずゴチャゴチャと言い続けた。
その時、アンドレは僕に「降りようぜ!」とキッパリ言って僕も降りた、二人はテクテクと畑の中の自動車道を歩き始めた、オヤジは後ろから追っかけて来て、じゃあ最初の10ルピーでいいから乗れよ、、と弱々しい声で言ったが、アンドレはまったく相手にしなかった、オヤジはしつこく乗ってくれと懇願したが、NOは変わりはなかった、これ以上付き纏うとパンチ喰らわすぞ!とアンドレは言った。
それでオヤジは情けない後ろ姿でトボトボ帰って行った、僕はその時思ったのは、これがもし僕一人だったら、こんな態度には絶対に出られなかった、でも彼といたからこんな態度が取れた、さてこれからどうするのか、、、と思ったがアテがなく歩くしかない。こんな事、日本人ならまずやらないな、、、、って考えながら歩いたが、、なんだか楽しかった。
それから30分くらい歩いた場所にバスが止まっていた、バスはどこまで行くのか?と聞くと街まで行くと聞いてそれに乗った。渡りに船だった、結局街まで払ったバス代はわずか50パイサだった、50パイサとは1ルピーの半分、当時のレートで15円くらいかな?
西洋人旅行者はこういう時は絶対に曖昧に払ったりはしない、当時の僕にはそんなことは全く出来なかった、インドを初めてきたような日本人にはそんな態度は誰もできず、インド人にいいようにカモにされていた、僕はそれ以来、アジアの旅行では絶対に相手の言いなりにお金は払わない態度をそこで覚えた。
それで、、、、免税で買った酒タバコはどうなったか?は後日書く。

バリの買い物は戦いでした 

バリ島について書いていたら、バリを旅してたころの記憶がさーっと蘇って来た。
アジアは散々旅していたけど、意外にバリに初めて行ったのはずいぶん遅くだった、タイ、マレーシア、ミャンマーはインドの途中に気まぐれで気楽に立ち寄れるがバリはそうじゃない、あの当時はタイ〜ジャカルタのフライトは案外安くなかった、タイからインドネシア経由でオーストラリアに行くか、バリを目的に行くか、よほどのことがない限りフラッと立ち寄ることはない位置にある、名の知れた観光地でありながらバリには長い間、縁がなかったけど、イリアンジャヤ(ニューギニア島の左側はインドネシア領)に行く用ができて、最後はインドネシア〜日本フライトする事情でバリに立ち寄る機会がついに来た。
せっかくだからとバリに1ヶ月くらい滞在日数を費やしたが、バリ滞在の印象はこれまでのアジアの経験からすると一筋縄ではない土地だった、これまであの過酷なインドを散々旅したから、もうどこに行っても戸惑ったり、驚かない、ビビらないとタカを括っていた、でもそこはやはりバリであってインドではないことをあらためて実感させられた。
ここがこんなに多くの観光客を呼び寄せられるワケがやっと分かった、一言で言えば他とは比較にならない個性的な土地だった、バリはインドネシアではあってもインドネシアとは宗教も文化も言葉も違う独立国家のような強い個性を持っていた、それが合う人は好きになるだろうけど、僕は始めはどうもバリ人とは相性が良くないのかバリは好きにはなれない独特な個性を持った土地に感じた。
まず最初に洗礼を受けたのが、異常なボッタクリに連日遇うハメに陥った、インドでも散々遭ってきたから、ボッタクリに対して鍛えられてる自負があったし、少々のことでは驚かないつもりでいたけどインドとはやはり別だった、インドでもボッタクリはすごく横行している、インドの旅に慣れたころはボッタクリには絶対に相手の言いなりに払わないポリシーを貫いていた、例えばタクシーに乗る、現地に着いたら、約束した値段ではまず普通は下ろしてくれない、必ずあれこれ言って値段を上げてくる、インドに不慣れな日本人のほとんどは相手の言いなりの金額を払ってしまう。
僕はあっさり払わなかった、旅の始めは言いなりになっていたが、西洋人と一緒に旅したら、彼らは絶対に払わない、払うヤツはバカだと思っている、インド人が何を言おうが相手にしない、タクシーに乗って現地についてインド人があれこれ言ったところでまったく相手にしないで約束金額を座席に置いてそのまま黙って去る、ひどい例はビタ一文払わずその場を去るヤツすらいた。
日本円にしたら50円〜100円の話だから妙に揉め事を起こしたくない、たかが50円だろ?と言って日本人はどうしても相手の言いなりに払ってしまうが、長く旅をして分かったのは、これは50〜100円の問題じゃない、相手と自分の駆け引きのプライドの問題だ、そこで根負けして払えば相手の思うツボになる。アジアでは日本人の人気は高いのはマナーがあるのも一因だけど、面倒な相手じゃないも理由の一つ。
インドで散々この修羅場を潜り抜け自分のプライドを守れる自負が身に付いた、バリなんかインドに比べて格下と少々舐めていた、でもバリにはバリ独自のボッタクリがあった、駆け引きはインドとは違って嵌められるツボがインドとは違った、うかうかしていると、まさかこんなことまでボルのか?って唖然とした。
一番ウンザリしたのが乗り合いのミニバスは地元民と僕らでは料金が違っていた、また普段何気に通った雑貨屋のコーヒーの値段が日によってまちまちだった、こんなコーヒーくらいでいちいち文句を言って戦い続ける毎日はもうヘトヘトになった。一体何のためにバリにいるんだろう?ってボッタクリにウンザリしてしまった、こんなことなら相手の言いなりに払って楽しく過ごした方がよっぽど良いかなって後で思った。
インドはどんなにやり合いをしようが、暴力さえ出なければいくら言い合いをしても良いという空気がインドにはある、ボッタクリとの駆け引き、この戦いは一種のゲーム、遊び感覚さえあったが、バリはそうではない、インドのつもりで大声でやると相手に恨みを買わせる空気が間違いなくあった、インド人はその辺、カラッとしているけど、バリ人は日本人に近く、あまりハデにやり合うと相手のネチネチした感情を引き出しかねない。僕にとってそこがバリとの付き合いの難しいことだった。
何かちょっと値の張る買い物をする時は2〜3日かけて値段交渉をして買う気力があった方が良いとは思う、でもバリはそこら辺の引きどころ、押しどころが、僕にはよく見えないままでバリの旅は終わった。とにかくツーリストプライス、相手の言うがままに買い物をしたくなければ、できるだけをインドネシア語を流暢に使うようにする、バリ語ができたら言うことなし、語学力が最大の武器かな?
相手にはまず何も知らないただの観光客だと思われたらダメだ、言葉さえ話せたら駆け引きなんかしなくても値段は勝手に落ちる、僕が行く先々で言葉を覚えるのはそう言う事情だからです。
それともう一つ付け加えたいのは、当時のアジアは観光客と見たら、どうしても現地人より高い料金でものを買わされるハメに陥る傾向があった、少なくとも僕のころは先進国とアジアとの物価の格差はまだあったのが、理由の一つだと思うけど、もう一つ大きな理由はアジアには定価販売という概念が先進国に比べてまったくない、価格なんてあってないようなもので、言われた価格で払ったなら、それがプライスであって、ボッタクられたと被害者感覚になるのは、彼らにしたらちょっと感覚が違うらしい。でも今はアジアもずいぶんグローバルになったから、どうなのかな?

バリの正月の話 

ブログは少し間が空いてしまいました、前にも書いたように今後少し旅のいろんな思い出、旅で見たもの、旅で考えたこと、旅で考えが変わったことについて思い出しては書いてみたいと思います。
僕はこの通り会社勤めをしていません、しなかった理由は多分したくても出来なかったと思いますが、理由の一つに 旅が自由にできる環境ではないからだと思います。僕にとって旅がない人生なんてまったく考えられません、会社に入ると長い旅なんて人生で不要なもの扱いされているようですが、会社に入って10年も働いたなら、数ヶ月くらい旅がしたいと言っても当たり前に行ける環境ってあって当然のような気がします、でも現実はそうじゃない。
やはり旅とは日本を出たのがはるか遠い過去になるくらいじゃないと本当の旅気分ではないと思います、いくらそれが難しいとは言え、せめて少なくとも2〜3週間くらいの期間は旅は許されるべきだと思います、そうじゃなければ旅世界に十分に浸かり切っていないし、いくら会社員であってもそれくらいの権利はあるべきです。
旅とはガイドブックに書かれた知らない国の有名なところばかりあちこちまわるのも旅ですが、それ以外は買い物をするか、高級レストランに入って何かを食べる、それくらいしかすることがないのもなんだか寂しい話ですね、、、、僕の場合、買いたいものなんて特にないし、むしろ欲しいものは旅先で現地の人と同じ空気を吸って同じことをやってみたい、有名とか有名じゃないに関わらず、ただの街をアテもなくふらふら歩くことの方がよほど好きです、そこで普通の食べ物屋で普通の食べ物を現地の人のように食べて適当にお酒も飲んで、普通の代金を払って、普通に酔っ払って知らない街を歩き、その土地の言葉をできるだけ使うようにします。
多分、僕は異邦人のままではなく、出来るだけその土地の人になり切ってみたい願望があり、多分それが僕にとっての旅です。歩けば見慣れない珍しい出来事、おもしろいハプニングに出います、ガイドブックに書かれたものより偶然に出会った物事の方が遥かにおもしろいし考えさせられるしその方が心に残ります。これから僕がびっくりした出来事を思い出して書いてみたいと思います。

前に書いたサルの話、ゾウの話だっておもしろかったんですが、今日はバリで出会った正月の話を上げます、これは過去にも書きましたが、今日また書き直します。
バリには2回行きましたがどう言うわけか、狙ったわけではなんですが2回ともバリ正月に当ってしまいました、バリの正月はちょっと個性的で肌に合う人、合わない人に分かれるでしょうが、僕ならバリ正月日は知っていたらその時はバリを外します。
バリの正月のニョピと言います、その日は家から一歩も出ては行けません、家の中で大声を上げるのもダメです、当然歌を歌ってもダメですし、電気を点けるのもダメですし、せいぜい小さな明かりを点けるくらいです、もちろん全ての店は閉まりますから買い物だって出来ません、大きなホテルの事情は知りませんが、多分観光国ですから外国人向けのホテルはそこら辺は上手くやってるとは思いますが基本は外出はダメだと思います。
なので、バリ正月の前に食料品を買い込んでそれを食べて凌ぐしかなかった、もちろん宿によっては食事を出す宿もあるだろうけど、僕の場合は食事サービスはない宿でしたから、やや紐じい思いをした記憶、とにかくニュピはいかなる事情があっても徹底して静かにするしかない、この決まりを破ると警察が来るだとか、地元の人に石を投げられるだとか 宿の人たちは言っていました。
とにかくこの日ばかりはバリの空港も飛行機がまったく動かなく空港は完全停止状態になる、もちろんタクシーだって動かないわけです。とにかく旅人にとっては非常に不便極まりなく不満を感じる人も多くいました。
でも僕らが子供の時は日本の正月だってお店はすべて閉まっていたし、しっかりした正月らしさはありましたが、今はそういう風情はなくなり、正月からコンビニは当たり前のように開いています。
旅人の間ではニョピについて賛否両論ありました、初めてバリに行った時、それを前日に初めて聞いてやや面食らった気がしましたが、2回目に出会った時は事情はもう知っていたので面食らった気はしませんでした、むしろ前日には街のメイストリートに盛大な山車の行列が次々に出てきた祭りがおもしろかった記憶があります。

旅は日常生活から離れること 

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旅についてお話をしたいと思います。
考えたら僕は自分の人生、旅ばかりしていました、今64年の人生を生きていますが、そのうち旅をしていた時間といえば、自分の家以外の生活、海外の生活、それも旅に一部です、要はガイドブックに書かれたことだけが旅ではない、日常の気分から離れた環境生活だって旅です、それらすべての旅総日数として合算すると多分5〜7年くらいの日数を旅していたと思います。
ガイドブックに書かれた名所、パリで言えばエッフェル塔、セーヌ川、ベルサイユ宮殿などがそうです、でもそれはごく一般の旅視点です、確かにエッフェル塔もセーヌ川は魅力がありますが、パリをもっと知りパリ視点が増えたらもっといろんな楽しみ方があります、例えばパリの旧市街地6区はあたりはパリに中でも歴史が古く、裏道の様子は他とは違います、道は少しクネクネして真っ直ぐじゃない、パリの中でも典型的なパリらしい街はやはりサンミッシェル通り、サンジェルマン通り、またはマレ地区でしょう、ぶらぶら歩くだけでもパリらしい気分に浸れて楽しい、毎回感じるのは街に優雅を感じます。
その手の優雅、、、、日本でこの感覚はあまり縁がないのかなって何か考えさせられます。
ガイドブックは時間がない一般旅行者に向けて書かれています、僕らからすれば観光客が多い所は俗っぽくつまらないので観光客がいないところを探します、観光客がいなければつまらない土産物屋はないし、観光客相手ビジネスもないし、気分は落ち着くし旅気分に浸れます、土地の人も僕らを相手にしてくれ出会いがあって楽しい。
旅に出る目的は旅が好きだからだけではなく、日常生活から離れた目線が持てることが好きです、前回書いたようにゾウに乗って街を歩いたり、ラクダに乗って砂漠を旅したり、サルがヤシの実を落としたり、日本にはないものを見たり、僕にとってた旅とは日常感覚から離れることに尽きます、だから外国の方が珍しいものに出逢いインパクトが強く、日本語は通じないところ、日本食がないところ、日本人がいないところ、日本の環境から出来るだけ離れたところに行きます。
観光地ならわざわざ来た意味がないし、まず観光客がいない場所に行くことが多く、最近では特にその傾向が強く、昨年は初めて行ったアイルランドでは、ほんとんど観光客のいない島に長く滞在していました。
島にあるのはたいして有名じゃない遺跡がいくつか、連なる絶壁と島一面に広がる野原、島の端から端までは車で30分くらいの小さな島でしたが、2週間くらい滞在してドローンを飛ばし絶壁と野原を撮影していました、その季節は特に風が強くてなかなか自由に飛ばせられなかったけど非日常感覚満載で僕は楽しかったです、たまにそんな時間が止まった島に行きたくなります。
旅が多いと、みんなから聞かれる質問は今まで旅してどこが一番良かったですか?
この質問は答えに困る。一回行ってすごく良かった島に2〜3年経って再び行ったら、かつての時間の流れはすっかり消え開発された島に変わり始め失望したことがあった、どうやらおもしろいのは場所ではなく面白い出来事に遭遇することの方が多く、その土地の人の暮らしぶりがおもしろいとか、その土地の時間感覚がおもしろいとか、習慣がおもしろいとか、何もないことは案外おもしろい、そんなわけで行った季節、タイミングはとても重要、たまたまそこで出会った人が良かったとか、たまたま珍しい出来事に遭遇したとか、旅とはそんなものです。