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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

ボクの写真はここから始まった。 



前にも書いたけどカメラマンになって行くためにボクの下積み時代はスタジオから始まりカメラマンアシスタント、
小さなプロダクションに入ったがこのままやっていても自分には合わないしラチがあかないと思い日本を出た。
カメラマンになって行く方法はその人がどういうカメラマンになって行きたいか?で、まったく違う気がする。

当時を振り返る意味も含めてここに書いてみたい。
そもそも広告の写真と言うのはボクの主観では大きく分けて2つの考えがある気がする。
その2つを自由に行き来できる人もいるかも知れないが、基本的に双方は出発点の考えは水と油のような気がする。
つまりまったく主観を入れることが出来ない広告と作り手の思いを入れ込むことが出来る広告があるわけです。
大半の不動産広告はある意味主観を入れられない広告の典型だと思う。
ひどい環境にマンションが建っていようが、建物がなんであろうが、そこに疑問を挟んでは行けない。
日本の住宅事情を考えれば大方の物件はまあそんなモノなのだ。修正を加えて素晴らしい物件に仕立て上げるしかない。
某不動産のCMは「世界で一番の時間へ」と大げさなコピーを掲げて、ちょっとあり得ない最高のロケーションシーンから広告は始まり、
そこから一気にそこらのバタ臭い現実のマンションシーンに映像は移る。始まりが豪勢な分、却ってマンションがださく写ってしまう。
ちょっと信じられない過剰広告とも言える、始まりの最高のシーンから現実に戻る時のギャップ感。
ちょっとマトモな神経の持ち主なら誰だって、あの広告のあり方はおかしいと思う。
でもやはり制作会社としてはスポンサーがそう言うビジネス感覚で来るなら、それに従って作るしかないわけだ。
それに従事する広告制作スタッフは個人的な疑問とか考えはただの邪魔でしかないと思う。
この例はちょっと過激な例だけど、どうも広告界とはこの感覚がわりと普通なのが実態なのだ。
ボクはその実態は自分が進みたい方向とはちょっと違う気がしていた。
しかし、それ以外に道があるとも思えずズルズルそのままその場所に甘んじていたわけだけど。
でもそこで自分のスタンスが分からなくなってしまい日本を出るハメになってしまった。

今思えば常識的な考えをする人からすればメチャクチャな選択だったと思う。
また家内の実家を始め周囲はよくまあ好きにさせてくれたモノだと思った。
別にインドに行ったって何か考えがあったわけでもなく、今後自分の写真をいったいどうすれば良いのか?だった。
そんなあやふやな目的もアテも何もないインドの旅の途中にボンベイに着いてボクの中で何かがはじけた。
街がグチャグチャで混沌としていて、人がメチャクチャ多くて、建物がメチャクチャで、あらゆる事象がハチャメチャだった。
要するにここボンベイのハチャメチャは妙に美しく写真に納めてみたくなったのだ。
コトバではメチャクチャで美しいとはとても説明がつかないので写真を見て欲しい。
こんな具合なのだ。美しいハチャメチャとはこのように写真的に整った混沌を言うのだ。
こういう感覚は日本にはほとんどなかった感覚だった。

でも実はボクはここに着いた時、ここを撮ってみようとはまるで思っていなかった。
たまたまうちの奥さんが何気に「ここの街はフォトジェニックだね、」と言ったのだ。
そのコトバにハッと気がついたのだ。「一体オレは何を見ていたのだ?」だった。
今思うと当時はまだ目の前で出会った物事を写真に置き換える事が心の中には距離があって物が見えていなかったのだと思う。

それで最初の話に戻そう。
日本で写真の下積みをしっかりやってると、写真に対してハメを外す感覚が鈍ると言うか疎くなりやすい気がする。
とにかくきちんと撮ることばかりが叩き込まれるから、こんなボンベイの街をいきなり見せ付けらてさっと撮れるだろうか?
こういうのは思考で撮るのではなく、スポーツするみたいに体と感覚が一致したところで撮るのだ。
要するに単純なカタログ撮影みたいな感覚が身に付いてしまうと、体で撮るようなライブな感覚が鈍ってしまうのだ。
ここではキチンと撮るなんてどうだって良いことなのだ。要はそこに繰り広げられてる事象を、まずはどう解釈するのか?
迫った撮り方をするのか、覚めた撮り方をするのか、ネガエィブに捉えるのか、ファンタジーに捉えるのか?
ボクは写真を撮ると言うことは、その基礎はここで始まりここで育てたと思っている。
それが今になって思えばコマツの新聞広告に生きて来てるわけだ。

日本を出て写真的には何を覚えたと言ういよりもハメを外すことばかり覚えて帰って来た。
いささかヒッピー的な人間になって帰ってきたが良いとか、悪いとかは横に置いてボクの写真はここら始まったのだ。