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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

インドで出会った写真家 

インドで出会った写真家

今思えばこの方に出会うか出会わなかったかで、その後のボクのカメラマン人生は大きく変わっていたかも知れない。
ひょっとするとカメラマンになれていなかったかも知れなかったのだ、それを思うとこの方との出会いはその後の自分のカメラマンへの大きな分岐点だった。
あれから30年以上経った今だから実感できる、出会いの不思議さを思わずにはいられない出来事だった気がする。
その方はちょうどボクが麻布スタジオに勤務していたころサザンオールスターズのジャケットなどを撮っていて
大変な人気があった大御所カメラマン、半沢克夫さんです。

半沢さんがスタジオの予約が入ると、ボクはスタジオマネージャーに希望して、そこに入れてもらえるように組んでもらった。
当時からボクは半沢さんが生み出す独特な写真の世界観に惹かれていた。
広告界の絶対数は保守的な考えで作られてる広告の流れに対して、真っ向からベルリンの壁をハンマーで叩き壊すがごとく
自分のスタイルを全面に出して行く半沢さんの姿が理屈抜きに好きだった。
また、そのカメラマンへのデビューの仕方がインドを撮り集めた作品で出て来たことがボクには希望だった。
とにかく写真の表現スタイルが独特で変っていて滑稽だった。「まさかこんな手があったとは!」と思わせる
人を喰ったようなチェンジアップを投げて来たかと思えば、こんどは一気に投げて来るストレートは豪速球なのだ。
失礼な言い方だけど「へ~っ、半沢さんがこんな写真を撮るんだ?」と言う気にさせられてしまう。
とにかく他に例を見ない写真家スタイルでボクには当時半沢さんの存在は希望だったんだと思う。
それから2~3年くらい経ったであろうか?いよいよカメラマンへの道を探り始め、ボクはやっぱり日本を出ることを選び、取りあえずインドに道を求めた。
今思えば半沢さんが辿った道を後から辿ったような物で、それは偶然とは思えないくらい必然的な流れだった気がする。

インドを旅していた時、カルカッタのパラゴンホテルと言うバックパッカーの安宿で半沢さんとバッタリ再開したのだ。
そんなまさか半沢さんがインドに来る情報は一切なく、ただただ縁のタイミングが合ってしまったのだ。
今になってあれは出会いをいただいたとしか言いようのない出会いだった。
ボクは人生の中で決定的な出会いの体験を幾度か経験して来た。
それが一度や二度くらいならただの偶然で片付いてしまうが、自分の大きな分岐点の時に何人もの方に決定的な出会いをいただいて来たのだ。

カルカッタで毎晩、半沢さんには「おい!チャイ飲みに行くぞ!」と誘ってもらい、いろんな写真の話をしていただいた。
今思えば、その話の中身がどうだったか?それがいったい何になったかではない。
当時のボクにとって、カリスマ的な存在だった半沢さんと日本ではなくインドで話し相手になってもらえたことが大きなことだった。
日本に帰ってインドで撮った写真を半沢さんの事務所に見せに行った。
もっとも大きな助言はエルンスケンの心を教えてもらったことだった。
多分その後のボクの写真の基本的な軸はそこで教えていただいたエルンスケンの心だと思う。
そしてボクはその後、インドから中国の少数民族をテーマに絞って作品を作った。
その少数民族の作品は雑誌カットに掲載されてボクは晴れてデビューできたわけです。

人が何かをして行く上で、影響力がある人が関わってくれることは勇気をもらい精神的にとても大きい。
今思えばボクが選択した道はとてもあやふやな道だった。しかし不思議なモノで集中してるときは何らかの助力の手が差し伸べられる物である。
そういう不思議な縁によって導かれてボクはなんとかカメラマンになれたような気がする。