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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

旅で体験した話22麻薬の村、メイサロン 

旅で体験した話22 タイの小雲南

タイへ来た理由のもう一つは数日前このブログで書いた、中国のハ二族とタイのアカ族は同胞で、国境線によって国籍が分断されてしまったタイ側のアカ族に出会いたかったからだった。
このブログで何度か書いたが陸路の国では同じ民族が複数の国に在住する事が多くある。実際アイヌの人達も樺太にも在住する話を聞いた、ボクはそう言う事に何か地球は一つみたいなおかしなロマンを感じてしまう。

でも一方,こんな話も聞いた、ジョンレノンのヒット曲「イマージン」に国境がない事が平和の象徴として彼は歌っていたが、チベット亡命者がテレビでジョンレノンの曲についてこんな意見をしていた。
「国境なんてない事が平和なんて感覚は私たちには冗談じゃない」我々は国境のおかげで中国人民解放軍の追っ手から逃れられたんだ、国境がなかったら我々は打たれていたんだ、それを聞いてなるほどなと思った。

さて、国境の入り乱れるタイ最北部、かつての黄金のトライアングル地帯中心にメイサロンと云う村がある。
世界的に有名な英文の旅行ガイドブック、ロンリープラネット、サバイバルキッド、タイ編にメイサロンをこのように紹介していた。
かつて中国で国民党と共産党が内戦し、負けた国民党兵士たちが雲南省から国境を逃れてタイ北部に住み着いた村、リトルユンナン(小雲南)と書いてあった。
KMT(旧国民党軍)はここでアヘン栽培して生計を立てた彼らは豊かになった。村の入り口に銃を持った兵士が何人か立っている、ここは彼ら独自で自衛武装している、その周辺にはアヘン栽培していた少数民族の村がいくつかある。
映画「イヤーオブザドラゴン」でジョンローンが北部タイのアカ族の村に馬で来てアヘンを買い付けにやって来た、その時アカ族のジャラジャラの衣装をまとった女の子達がずらりと並んでジョンローンを出迎えたシーンは心に焼き付いている。
今思えばその村がこのメイサロンだったわけだ。かつて麻薬王クンサーがここに存在した時、ここでタイ政府とメイサロン村が銃撃戦をしたと聞いた。
ここら 周辺はラオスビルマの国境が近く、少数民族達はこの地域に彼ら独自のネットワークを持っていて、それは国家の手が届かない裏社会であり、ここが麻薬の拠点、黄金のトライアングル地帯と呼ばれ恐れられていた。

そう言う時代を経て今では密かな「観光地メイサロン村」になった。ここの住民の大半は雲南人なので中国語が通じる、しかもその周辺のアカ族やヤオ族たちも中国語が通じる、タイ語が出来ないボクにしてみれば打ってつけであって興味津々な気分でメイサロンに来た。
村には数件ゲストハウスがあった。もちろん看板は中国語で書かれていた。村にある商店も当然中国人がやっていて中国語で通じる。なんだか不思議な気分がした。
ボクは村に来た時、中国人民解放軍のジャケットと帽子を被っていたのである店の主人に「その格好の印象は良くないな~。」と云われた。しかし云われた時は今一つ相手の言い分が理解出来なかった。
一緒にいたアメリカ人(中国語が出来る)が「君にしてみれば冗談でも,相手にしてみれば冗談ではないよ。」と云われてやっと理解が出来始めた。
中国で買った単なる最安値のミリタリージャケットのつもりだったが,彼らには冗談として通用しないようだった。
考えてみれば、彼らはこのジャケットを着た人民解放軍と交戦して国を捨てて逃げて来た人達の気持ちに対して無神経だったと云う事を改めて知った。

さて、そんな中メイサロンにもう二人中国を捨てて移り住んだ若いカップルが居た。
彼らは先述した北京天安門事件の時に雲南省の山を越えてここメイサロンに逃げ込み土産店と彼らの絵を売る店を開いた。
彼らは北京にいた時,美術大学の学生だったと聞いた。
ここには中国を捨てて暮らす人たちのタイの山の村だった。