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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

ラテンの悦楽 

作品とは遊び心

20年くらい前、ヒマとお金があれば頻繁に日本を出ていた時があった。行き先は近くて物価の安いアジアばかりだった。
当時、一ヶ月くらいの旅なら航空券合わせて10万円あれば充分旅は出来た。
旅自体はもちろん楽しい、しかし意外におもしろいのが旅先で日本人や他の国のバックパッカー達との出会いが楽しかった。
みんなヒマを持て余していたからいくらでも英語会話が練習出来た。
日本人の旅人でラテンヨーロッパを長期間旅した話が今でも強く印象に残っている。
彼は「やっぱ、ラテンの連中は人生2倍得していますよ!だって彼らはとにかく自分にとっておもしろい事を何より大事にしますからね」と話してくれた。
それに対して、是非の議論はまあ横に置いたとして、そこに忘れてはならない「真実のかけら」は確かに見え隠れする気がする。

その話題を昨日の話に繋げれば、こう云う事じゃないか。
自分が撮る作品に対して作家性があるとかどうだとかは要は作品作りに対して「遊び心」または「悦楽」があるか、ないか、に話は尽きると思う。
魅力のある作品は例外なく、遊び心とか悦楽が必ず潜んでいるとボクは思っている。
それがまったく感じられない作品はただの退屈な作品だと思っている。
ボクは自分の作品は退屈な作品だけはイヤだ、難しい芸術の哲学も理屈もない。

今ボクは9月に開催する個展の準備をやっています。額を作ったり、暗室でいろんなタイプの現像液を作ってプリントしたり。
その結果、出来上がった作品を額に納めて、壁にかけたり置いて何度も飽きるまで見る。良い作品が出来ていれば楽しい。
嘘くさが見え隠れする作品は長い時間の鑑賞には耐えない、結果的に「これは展示はできないな」と外される。
ちゃんとした作品はいろんな見え方がする、まったく違う気持ちが引き出されたり、自分で作った作品から大事な事を学びます。
額のサイズの相性、マットの色の相性、濃度や諧調チェック、別の技法の試み、次のアイデアなどいろいろと考えます。
とにかく、自分が鑑賞者になって徹底的に遊びます、そこで重要な基準は「作品がおもしろいか、おもしろくないか、作品に惹き込まれるかどうか」ただそれだけです。
ややこしい話、難しい話は一切ない、楽しめるか、惹かれるか、悦楽があるか、ないか、の話です。
見ているうちに「つまらない物」は見えて来ます。そう言う物は外すか考え直すかします。
作品だとか、ファインアートだとか、ポップアートダとかなんかもうどうだって良い話です、最後は作品に魅力があるか、ないかです。

これら一連の行為が楽しいと感じられるかそうでないかが、作品を作る資質があるかないかの分かれ道じゃないかとボクは思っている。作品を作れる人はみんなこんな感じだと思う。