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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

モノクロプリントのあり方 

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今新しいモノクロ中心のファイルを作ろうといろいと思案中で、過去から今まで撮ったモノクロプリントの作業を始めた、そこでどうしても見つけ出さなければならないのが自分に合ったモノクロの色調です。
ファイルを作り始める前に、その作品全体のトーンを充分見つける前に作業しても、せっかく高い印画紙を買い、面倒な作業をして作っても後ですぐ気に入らなくなって来る。
これまでに何度も何度も実験を繰り返して来たが、まだ充分満足が行く結果に出会えていなく、今回リセットしてチェックし直す事にした。

まず印画紙をどれで行くか?これまで良しとした印画紙を根本的にリセットしもう一度考え直す事にした。
薬品と印画紙の組み合わせ相性はどうか?そして同じ薬品でも薬品希釈でも見え方が変わる。黒の色調も変わる、そしてそこでどんな調色方法がベストか?僅かな違いを一からチェックし直した。
そして最後に軽くブラウン調色して見る、その調色の現れ方、印画紙との相性、それらを面倒がらずひと通りやって見てどの感じが今の自分の感じにマッチしてるか探し出す作業をした。

やはり何だかんだと云ってアナログモノクロは写真の聖域なんだと奥が深いと実感する。
多分アナログ写真が最後まで生き残れるのは結局はこれだろう、こればかりはデジタルとは根本的に違いがあり、アナログへの太刀打ちはまず不可能と感じている。

ボクがプロに入門し本格的に写真を学び始めた頃、モノクロ写真の究極はやはりアンセルアダムスとかアーヴィングペンの優秀なプリントを良しとした風潮が周囲にはあった。
ボクも多分に漏れずそこを目標にしてモノクロ写真についてそれらを真剣に見るように勤めたし、多分それらからは多くの影響うけたと思う。
アンセルアダムス、アーヴィングペンの高級なオリジナルのプリントを目にするとまったくスキがなく緻密でコトバが出ない完成度の高さ、写真の品格の高さに腰を抜かした。
そして当時のボクらにとっては、これが一流の写真家のプリントなんだと目指す頂点ではあったがいつしか、時間が経って自分の世界が見え始めた時、徐々にそれはボクの目標ではなくなって行った。
むしろサラームーンみたいに大雑把な写真から伝わって来るメッセージはペンとかアダムスにはない自由奔放さ、大胆さがあって、ボクの関心はそちらに向いて行った。
要するにそこでボクが感じ取った事は、写真の究極の目標は優秀さ、スキのない緻密さ、美しいトーンだけにあるのではないと云う事だった。

あれから20年くらい経ったが、結局自分はいったいどこに着地したいのかは、今になってもまだハッキリとは判らない、でもアダムスとかペンを仰ぎ見て、あのプリントが作りたいと云う考えはない。
ボクにとって完成度の高いプリントを求めるより多少荒っぽくズレた仕上がりの方が魅力を感じる、それは例えば、優秀な学級委員タイプより、少々不良気味な孤独感を持ったヤツの方が良いみたいな感覚です。
そんな学級委員タイプの写真なんかボクが撮ったところで仕方がないし、ボクが描きたい感覚はもっと違う世界観だと気がついた。

さてそこでずーっと以前20年くらい前、少数民族の作品、彼らをどう表現し仕上げて行くか、ボクなりにいろいろ考えた、しかしただの白黒写真にだけはする気はとてもなれなかった。
そこで当時ボクが選び取ったのはセピア写真だった、しかしただ安易にモノクロをセピアにしただけでは、それは黒が茶色になっただけで何も感じられない。
実家の古いアルバムの古い写真をじっくり見て「なんでこれがこんなにも惹かれるのか?」とじっくり見てああだこうだと試行錯誤し、いろいろやって見て考え、その当時に高価な薬品グリシンを探し出した。

そして今再び今の自分のとっての新たなトーンとは何なのか?このデジタルの時代にまた探し始め、再びセピア調色を研究し始め出した。
同じ写真を何枚も焼き、そこであらゆる試みをしている、その事については明日また書きます。