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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

トークショーで話しそびれた話の補足(感覚の自立) 

トークショーで話しそびれた話の補足3(自立した感覚)

過去2回にかけて書いた事の続きです。
この時代社会は複雑化し物事の透明性は失ってしまい感覚的に生きるとはよほど突出した才能を持っていないと苦労多い人生になると思います。
本来ならもっと感覚的に捉えられても良いはずの物事まで形式化されて、そこに隠された本来の姿は埋没してしまい命を失っている事が多いと思います。
生産性の高い価値観ばかりが幅を利かせてしまい生産性の低い感覚的思考は夢想家に見られがちで、それを職業にする人たちすらも現実主義な人が案外多いと思います。

この時代、写真を志す人たちもその例に漏れず方法論ばかりに偏った考えの人が多く専門学校は充分にそこが教えられず生徒達の多くが技術と感覚のさじ加減が掴めていない。
それは広告の現場でも大半の仕事は現実的な仕事ばかりで広告写真家はもはや写真家とは呼べず、写真で職人が多い。
カメラ雑誌の多くも写真を捉えるメンタルな記事はほとんど扱う事がなくその多くが巻頭には作家の作品を載せあとは表面的な撮影法の紹介と新機種テストリポートばかりな陳腐な企画が目立つ。
カメラ機材の話題中心じゃなければ本が売れないせいか、込み入ったメンタル企画は扱えず、どうでも良いような話ばかりになってレベルの低い雑誌になっています。
ほとんどはカタチばかりで、この環境の中で自分自身の感覚を信じられる人はよほど直感の優れた一握りの人ばかりで周囲を見回せばそれは仕方がない現実だなと思います。

物作りの基本、自分の目で、見て、感じ、撮る、その結果は?心の奥の思いと表面の思い、この二つの思いは同じ自分の中にあっていながら双方は疎遠な関係になってしまっています。
自分自身ですら自分の心を掴み取れず自分の感覚すら信じ切れない悲しい現実です、それくらいに今の時代は多すぎる物と情報が自分を信じる事を阻む時代にさせてしまいました。

その理由は基準は外にあって意識が外しか向かない時代になってしまいました。意識は内側に基準がなくすべての基準は外に存在し外から仕入れるものになっています。
これに対して「これはおかしい、これは違うんじゃないのか?」と思う人が想像以上に少なく、これに埋没している現実が普通になってしまいました。
巷で云われる「隣の芝生は青い」と云う言葉通り自分より隣が確かになってしまい基準は外にあって自分自身の中から基準を引き出せない生き方になってしまいました。。
でも考えればこんな感覚は特に特別でもなんでもなく、ごくありふれた身近な当たり前な感覚なのです、子供時代に時間を忘れるくらい真剣に遊んだ人なら誰もが味わった事のある誰もが知っている感覚です。
それが大人になって物事が複雑化し情報が多すぎて、ただの一個人の感覚は信じるに足る物ではなくなってしまい、それは心の奥に埋もれてしまいました。
気が付けば外に「確かそうな物事」が多く外からの外圧に心が奪われて基準を失ってしまいます。
それらは参考になり大切な指針にはなっても、自分の基準ではなく最後に決めるのは自分自身です、自分の感覚をどれだけ信頼出来るかが最後の基準ではないかと思います。

宮大工鵤工舎代表の小川三夫氏はこんなおもしろい事をご自身の著書で云っていた。「(寺社建築について)文化の継承とは技術を手取り足取り教えるのではなく本物を見せればそれで良い」。
つまりそれは本物に出会った時に人はすべてを本物から学び取ることが出来る、それは本物から内側に響く心がすべてを学び、それこそが基準だ、その直感を信じよと小川氏は云いたいとボクは解釈しています。

ボクが思うに、今のようにまだ物がなかった時代の過去の文化はもっとこの感性に頼っていた、この感性を人はもっと信じていた、感覚から引き出し活用していたことをしていたと旅をしていた時に強く感じました。
思えば、この直感から来る感覚を見失って何かを作り出す事なんて、あり得ないとボクは思います。
現代の日本の高度な社会は在りすぎる物質と情報に依存する生き方が当たり前になってしまい、社会を維持して行く価値観は一律既成下されてしまいました。
この状況下では感覚的思考は日常の表舞台では認知された立場がなく、、感覚とは芸術か?ジャンクか?のような正体不明なものになってしまいました。
でも何か表現がしたいなら、その環境の中でまず自分の感覚を軸にして、混乱した状況を一旦整理し、価値観を見直し、分別し自分は何を先にすべきで、何を先に習得して行くのか、それら優先順位を付ける必要があるでしょう。
カタチから入って感覚が不在なら、目先の事は何とか上手く出来たとしても、そこから多分後々には何も生まれて来ないとボクは思います。なぜなら自分の感性が軸である事がどれだけ重要か?です。
むずかしい話はここらで横に置き、要するに写真を撮るとは自分が感じた物をただそのまま突き詰めて撮り続ける行為に他ならないと云う事です。
このカラクリに人はなかなか気がつかなく、これがトークショーでボクがお話したかったコンセプトの一つだったのです。