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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

ふれる旅、ひたる旅、 

ふれる旅、ひたる旅、

先日、この写真のガラスを作っているトップノッチの田中福男くんがここまで来てくれて、5月ゴールデンウィークにアトリエ水平線での共同イベントの打ち合わせと雑談をした。(雑談の方が多かったけど)
この写真はペンダントだそうだけど、物として見ていてとてもおもしろい物だと思う、この品はファンが多いらしく、並べればすぐに売れてしまうらしい。
思うように物が売れない時代に、そう言う物があるとこにはちゃんとあるのだなと感心する、そしてこれを5月までにボクが写真を撮り終えてDM用とここで展示する写真を撮るのでいくつか預かった。

さて話は変わり、彼との雑談の中で彼がボクに云った、「海外に行く時は、ボクらは現地に触れる旅、ワタライさんは現地に浸る旅」と云うのです。
なるほどおもしろ事を言うなあと当時を思い起こし聞いていた、まさにおっしゃる通りでそう云う事だったなと思った、ボクは旅をする時は二つの旅の方法を持っていた。
一つは短期間、気分転換がてらあっさりと旅行者としてふらりと「触れる旅」をする旅、そしてもう一つはそこにじっくり腰を据えて土地の人になり切ってしまう「浸る旅」として、突っ込んで旅をして来ました。
そんなたった数ヶ月いたくらいで、現地人になるなんて無理に決まっています、でもその土地のリズムを出来るだけ吸収しその土地の人に迫って「成り切りゴッコ」をするのです。
例えばわれわれ関東人には関西のリズムは独特なリズムを感じます、慣れないからか関西に着いた始めは何らかの違和感を感じます。
数日滞在するだけなら、ただのよそ者の立場で帰る時に、「あー、珍しかった、おもしろかった」で終わらせる事が出来るけど、ボクにとってこれが長期間の滞在になって来ると話が別です。
出来るだけ、彼らのコトバをオウムの様にマネたくなります、仮に関西に長期間、行ったなら出来るだけ関西弁を話すようにします、恥ずかしがらずおかしな関西弁を話そうがそんなの構わないのです。
ここで関西を例に持ち出したのは、関西弁はただの方言としてではなく、多分誰もが解ると思うけど関西は関西弁が絶対リズムだと思います。関西で関西弁をしゃべらなくなったらもうそこは関西でなくなってしまいます。
関西弁あって関西であってお笑いがあって大阪で、コトバとは単なる言語ではなく土地の文化であり、その土地の人と人とのリズムでありコミュニケーションだと思ってます。

中国でも関西弁みたいに中国語を出来るだけ覚えて話します。中国で英語なんか例え通じたとしても、ボクは使う気がまったくしません。中国語を出来るだけ覚えて使っています。
イタリアはイタリア語、フランスはフランス語なんです、あのパリで英語なんて使う気になれません、そうしないとせっかくフランスまで行ってフランスの感覚がこっちに入って来なく、なにかもったない気がします。
これがボクの旅の感覚なのです。
もちろん話せないコトバは仕方ないから持ち合わせのコトバで間に合わせるしかないのですが、それにそんなに自由に使える程、語学力が長けているわけでもないのですが。
もちろん最低限は出来なければ話にならないけど、これは語学力があるとかないとかではなく、こっちからあっち側へ近寄ろうとすればそれで良いのです。
コトバを使う事で、彼らとコミュニケーションをおもしろがっていれば良いのです。そうするだけでその世界の見え方は相当変わって来ます。
そのうちに外人として遠くで見ていた気分から、終いにその土地の人間になって見てるような気がして来て、そこでの感じ方が変わって来ます。
感じ方が変わって来ると、何かが変わって来て行動が大胆になって来ます、またその土地の理解は深くなるしより興味が出て来ます。そうなると旅がさらに楽しくなって来ます。旅の楽しみ方の秘訣かもしれません。

でもその事の始まりは、以前アジアでは物価感覚が違う観光客に対して現地人価格では物は売ってもらえませんでした、タクシーに乗る、物を買う、何でも現地価格以上の値段で吹っかけられます。
それがもっとも酷かったのはバリ島でした、あそこで英語でやり取りする観光客みたいな顔してたらもう現地人の倍以上は絶対吹っかけれられます、それがバスですら吹っかけられるのです。凄まじいところでした。
バリ島に長くいるならインドネシア語は必須です、しかもインドネシア語はわりとカンタンですから。欲を言うと バリ語が出来たらもっと理想ですが。
ボクが現地語を必死になって覚えた理由は始まりはそんな必然から始まりました。

そんな現地人との戦いに明け暮れた旅が一ヶ月二ヶ月と続くうちに、いつの間にか現地の服を買ってそれを着て歩くようになり現地人と同じ物を同じように食べ始め、彼らが話す事、聞いて来る事とかが体に同化し始めて来ます。
なるほど!確かにこれは浸っている旅でした。
その頃にはもう吹っかけられる事が一気に減って来て現地価格でパスするようになり、ずいぶん吹っかけられていたのだなと気がつきます。
そうやってボクは20年前中国を旅して来た時、まだ外人が入れない区域に何カ所か中国人に成り済ましてバレずに行って来ました。でも時々、身分証提示の場でバレて追い返された事もありましたが。