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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

夢の世界をカタチに著す 

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ボクはこの通りほぼ毎日に近いくらいブログを熱心に書き続けています。
それについて人は「あれだけの文章をよくマメに書き続けられるねー、感心するよ」と半ばあきれ顔で云う人が時々います。
ボクからすればそれは感心される事でもないと思います、それは自分のイメージを熟成させるために好きで書いているからです。
いろんな人から時々意見を直接もらいます。大方は好意です、でも考えてみれば好感を持たない人は読まないし、わざわざボクに向っては云って来ません。
ボクは自分の考えを文章にするのが大好きで、それが心のバランスでもありお風呂で鼻歌を歌うような物です。
仮に写真家じゃなかったら文書きも良いなと思っていますが、現実はむずかしいでしょうね、でもいつか写真と文を絡ませた何かを作りたいと感じています。

さて話は変わり、先日ここで書いた村上春樹氏の著作「夢を見るために毎朝ボクは目覚めるのです」について再び登場ですが村上氏が小説家カフカについておもしろいエピソードを語っていて紹介したいと思います。
カフカがベルリン時代に恋人と公園を散歩していた時、小さな女の子が泣いているところに出喰わしました。
女の子に「どうしたの?」と聞くと「お人形をなくしちゃった」と女の子は云います。それでカフカは女の子のために毎日毎日本物のフリをして手紙を書き続けました。
「私は毎日同じ生活をしていて退屈になったので旅に出ます、でもあなたの事は好きだから毎日手紙を書きます」とこんな調子で彼は毎日一生懸命手紙を書き続けました。
「今日はこんなことをしてこんな人と知り合いになって、こうなって、、、。」これを3週間くらい続けたのです、そして女の子はその手紙で徐々に癒されて行きます。
そしてお人形はある青年と知り合いになって結婚しちゃいます。と事情を書き「だからもうあなたには手紙は書けませんがあなたの事は好きだから一生忘れません」それが最後の手紙です、女の子はそれで納得します。

全然知らない女の子にそんなことは普通は出来ないけど、カフカにとっては面倒でもなく、夢、架空の世界の細密さに対する異常なこだわりがある、その具象性を毎日描写する事に飽きなかったと村上氏は説明します。

ボクはこれを読んで毎日ブログを書いていて、その気持ちは分かる気がしました、ボクなら女の子のためにこんな手紙は書けないと思いますが、何だか夢があって良いなと思う。
ボクの心の中にあるイメージ、思い、考え、ハッキリしない心のヒダの部分をなんであれ手触り感がある現実に現し、それを眺めてみたくなるのです。それが写真であり文章なのです。
そうしない事にはそれがハッキリ見える日と霞んで見えない日があり、まずはカタチにしない事にはカタチにする前に消えてしまう事がよくあるからです。
実際に文章や写真にして現して見ると実感するのですが、アタマの中に留まっていた思いが現実になって、それは命を持ったリアルなカタチに変わり、それが自分目がけてまた問いかけて来ます。
もちろん、上手く行かない場合もあります、上手く行っている場合はそれが作品のヒントを呼び出しそれは連鎖して行きます。
時々ワークショップなどで若手の方々に写真をレクチャーしますが、みなさん多分このまだ架空の世界と現実の自分の間で意識のキャッチボール遊びが活発に出来ないのでは、と思います。
まとまった作品展作品を作る事とは作品1点を作るのとは意味が違って来ます、それは一つの物語を作り出すような感覚になって来ます、少なくともボクの場合はそうです。
多分これは常識の感覚で生きている人からすれば理解しがたい感覚だと思います、そのスイッチを入れると心の中はおもちゃ箱をひっくり返したような状態になって行きます。
つまりボクは心の中で、現実的な人から見たらガラクタ事に夢を感じそれを転がしてブログに書き写真にして生きています。
世の中がこんな人ばかりだったなら、多分街中が大混乱してしまうかも知れないけど、街中が現実的なことばかり考えている人が多いからボクのような人も時には出番があります。
ボクにはカフカが女の子に手紙を書いた気持ちは何となく分かる気がします。