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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

月の光の散歩道 

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これも前に一度書きました、2011、7、14、(ちょうどパリ祭です)あの時と今とでは文表現がかなり違うからここでもう一度書き直します。

これは一切電灯がない月の光だけでネパールの田舎村の野原をおよそ30分くらい歩いた体験です、言葉で30分月夜の散歩体験と云えばそれだけの話で終わってしまいます。
でもこの「たったこんなことすら」がボクらの住んでいる環境ではどこかに行かなければ体験ができなく、たったこんな単純な事すら知らないでボクらは生きているのです。
毎日多すぎる情報の中で生きています、そんなことなど現実的な感覚で見たならたいした問題ではないのですが素朴な人間の感性から見たならそれは重大な「感覚の危機」ではないかとボクは思います。

25年くらい前、ネパールのポカラでボクと妻の宿から歩けば30分くらいの食堂でご飯を食べた時の話です、そこで日本の本、日本の食事を出しているで日本人の間で知られた食堂でした。
久しぶりに日本の本にハマってしまい結構な時間をそこで過ごし気がつけば外は思っていたよりも真っ暗でした。
懐中電灯は用意して来なかった、でもボクらの宿まで歩こうと思えば歩けないワケでもないけど微妙なところです、でも躊躇しても仕方がありません、歩くしかなく歩き始めました。
そこは日本のように街ではなく道は舗装ではなく曲がくねり、ただの野原です、時折、木が生えていたり家が建っていたりでした。

次第に目が慣れて来て先ほどまであまり楽しい散歩ではなかったハズが風景を楽しめるようになり、よくよく見ると、その月夜の風景にただ呆然とし始めました。
遠くにはヒマラヤの白い稜線が月の光でうっすらと見えました、野原や家や木が草が静かにそこに在り、これまで見た事がない風景がそこに在ったのです。
そこは何度も見慣れた風景だけに月夜の光の不思議さに「これはいったい何?」と云う風景が在りました、見るもの、見るものがファンタジー世界で驚きました。
アタマが飛んじゃいました、でも自然に飛んだのです。
仕業は「月の光」です、電灯のない純粋な月の光が見せる風景が見た事がない世界になってショックを受けました。
これまで自分が月夜の風景と思っていた物は実は電灯と月の混ぜ合わせの風景だったことに事に初めて気がついたのです、またこのネパールのヒマラヤの田舎の風景がそうさせたのかも知れません。

ここに突然タヌキやキツネが出て来て、「道に迷ったそのお二方さん私が案内して差し上げましょう」と悪さをしそうな気がして、これが昔の人たちの感覚なんだなと理解出来ました。

この体験で一つ学びました、「何かを知る」とは自分が知らないむずかしい事を一つでも理解し、それを積み重ねる事だと思っていました。でもそれは違うと思ったのです。
そうではない、単純な事をより深く感じられる事、そう云う理解があると云う事を実感しました、何かを表現する人にはこれは必要ではないかと感じました。