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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

6月に開く写真展 

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3年前鎌倉のギャラリーBにて十文字さんからお声をかけてもらって個展を開かせてもらった。あれから3年ちょっとが経って今のボクにとって個展でプリント販売はもう絶対に欠かせない重要な仕事になった。
あの当時確か20年ぶりくらいの久々の個展だった、今だから云える事で正直な話、いくら十文字さんの素晴らしいギャラリーとは言え、ボク自身は個展で写真を発表する事に、しかも鎌倉でやったところでたいして期待は出来ないと思っていた。
だからせっかくお声をかけてもらっても、その場で即、返事が出来ず数ヶ月経ってからやっと「ギャラリーで個展をやらせて下さい」とお願いしたくらいだった。
多分東京の広告関係の人はわざわざ鎌倉まで足を運んで見に来ないと思ったしそれが仕事に繋がるなんて思わなかった、一生懸命になってお金をかけて作品を作ったところで期待なんかほとんど出来ないと思っていた。
でもそれがやれたのは十文字さんが声をかけてくれた事と、それくらいに当時のボクには他にする事とかこれと云った希望すら持ち合わせていなかったからやれただけの事だと思った。
それが今では作品を作って展示してプリントを販売するのがボクにとって重要なことになった。一体何が何に繋がって行くなんて本当に分かった物じゃない、ナマじっか現実的な見通しが利くとそう云うバカな事には手を出さないから、人間なんて時には少々無茶なやり方の方がおもしろい出会いがあると思う。

今年は6月~7月に東京お茶の水ギャラリ―バウハウスで個展を開き同時に7月にフランスに作品を持って行く、11月にも鎌倉で新作展を開く。とにかく個展づいている。本当こんな日が現実に来るとは思っていなかった。
今の時点では何とも云えないけど、何とはなくボクのプリントは売れる気がしている、想像してるよりは売れて収支が取れる気がする。現実はやって見なければ何とも云えないけど。多分大丈夫です。
でもどうして売れそうな気がするかと云えば自分で云うのは少々おこがましいけど、写真は今風な軽い感じではなく日本にはあまりない絵画的な作品だからです。
このデジタル全盛の時代には銀塩のモノクロファインプリントは一定以上のきちんとしたクオリティーさえ持っていれば却ってその本物の深みが輝き、価値は跳ね上がる気がしてる、デジタルのおかげでむしろアナログ写真の存在はチャンスなのかも知れないと最近感じる。
自分の作品は人とくらべるとどうやら絵画的な雰囲気を持っているみたいです、これはこれまでにもうすうす感じていたけど、ここまでカタチにハッキリそれが表れて来るとは自分でも思ってもいなかった。
ボクの周りのカメラマンは作品を作るネチっこい執着をあまり持っていないみたい、だからボクが作品作りに執着してる事を時々羨ましいと云われる、特にボクの絵画的な作品には感心される事が多い。
ボクにとっては自然なことだからそんな事で感心されても仕方がない気もする、これは敢えて狙ってそうしたのではなく、自由に好きにやりたいように撮っていればそれが勝手に出て来るだけの事。
むしろこれと同じ心がもたらす偏屈さ、ネチっこさ、融通の利かなさ、それらは弊害であって世の中に対し適応力はあまりなく自分が持って生まれた個性にはずいぶん苦しめられた。要するに良い事も良くない事もある。
でもやはり一般に写真家にとっての最後の憧れは広告活動だけで終わるのではなく自分の作品が売れるアーチスト活動がみなさんの夢だからボクのしてることは人から羨ましいと云われる。
でも果たしてどうなんだろう?本当にそれがそんなにしたいなら見ていないで自分自身でやれば良いだけの気がする。でもボクの場合は十文字さんとの出会いがそう云う流れになったのは確かな話ですが。やっぱりカギは何らかの出会いなのかな?
あれを取ったらこれがない、これはないけどあれがある、物事とはそう言う物なのです、それがこの世の摂理である事をみなさん分かっていない、あれもこれも何でもカンでも揃っているバイキング料理みたいには世の中は行かない。
例えはちょっと悪いから名前までは控えるけど音楽でも美人で生まれるよりブスで生まれた方が圧倒的に引き込まれるような世界のある音楽を作る。表現のカラクリとはそう云う物で切なさとか心の痛みと表現は無関係ではない。
痛みがあったから美しい花が咲く、逃げ場のない苦しみがあったから深い夢が見えて来る、この世の中を程々に上手く乗り切れた人にみんなを惹き付けられる夢なんてそうカンタンには描けない。
多分ボクが広告の仕事がバンバン入って来たらこんな悠長に作品なんか撮っていられなかったと思う。実際、東京に事務所を持ってやっていたあの当時もボクは作品をそれなりに必死になって撮っていたけどそれらはみな空振でみんなハズレていた。
多分ボクは今広告の仕事があまり思うように取れないから余計必死になって作品を撮っているのです。その心の痛みが人の心を掴む作品に結果的になってしまうだけの話で、人の運命とは本当に皮肉な物です。

ボクはこのブログに何度も書いて来たけど、この世には一方通行の夢とか幸せなんて存在しない、夢とか幸せは人を幸せにもするけど同じ力が人をドン底まで蹴落とす。

ボクはこれまでプロでやって来てそろそろ20年近く経った。みんなからは始めからボクは作家タイプだとか広告は無理だとかいろいろ言われた、でもまさかプリント売りが現実になるなんて本気で思っていなかった、当時そんなプリントが売れるなんて夢みたいな話はハナっから考えていなかった。
でも今はそれが極めて現実味をおびて広がって来たからこれまで生きていて良かったと思った。それくらいの思い入れを持っているからそこらの画材店で売っている安っぽい額なんか入れる気がしない。
そういうボクの時として強い思いが出ている作品に共感してくれた人がボクのプリントを買ってくれるわけです。でも不特定多数を相手にする広告の場合、そう云う強い個性の扱いはかなり難しいみたいです。
それがしっかり計算ができる力のあるアートディレクターはボクを上手く活用して広告賞を取ってくれるけど、そんな力のあるディレクターは広告界広しと云えどほんの一握りしかいない。

さて、ちなみにこの画像だけど、これは今から20年近く前、インドネシアのイリアンジャヤの空港近くで撮ったもの、ペニスケースを付けている非文明の人とその後ろに走り行く飛行機の存在
ちなみにこの方はこんな格好でサングラスをしていた。こういう人たちは普通はペニスケースを捨てて洋服化したがるけど、この人はこの古典の格好でサングラスをしてオシャレをしていた。
今はもうこんな人はいないだろう、いたとしても観光客相手にお金をもらってる人ばかりじゃないかな?