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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

感覚は完成されたもの 

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最近ボクはこのブログで感覚とは遊ばせておけば良いと書きました。今日はその事について一言。
世の中には「感覚を磨く」と言うコトバがあります、多分たいしてコトバには深い意味はなく「感覚を育てる」と云う意味で使っているのでしょう。
感覚が掴み取れないのは感覚に対して認識が誤解しています、感覚は磨くものでは絶対なく感覚は感情と同じで心の中で始めからすでに完成されたものです。
人が何かを吸収し身につけて行くには2つあると思う、それは外から吸収して行くやり方と自分の内から引き出す、自分の心から思い出すように発掘するやり方。
学校で習った方法は勉強して覚えて身につける、数学の解き方を覚える、化学の理屈を学ぶ、社会科では世の中のシステムを学ぶ外から教科を覚えて行く方法、学校はそう云う学習のやり方です。
学校で何かについて洞察し何かを発見して行くような価値観をほとんど教えていません、理科で夏休みの宿題程度にアサガオの絵日記なんかありましたが擦った程度です。

余談ですがエジソンの生き方にはかなり興味を持っています、それは彼が発明王だった事より、むしろ本当のところは類い稀な洞察家だった、心の中でまだカタチに現れず埋もれていた物を洞察し引き出しカタチに現す達人だった気がしてならないのです。
世の中では自分の内側から何かを引き出すと云っても何の事かよく分からない人が多いと思います、この時代は心の事がそれくらいに解き明かされず引き出されていないのです。
遥かアトランティスとはまったく逆の生き方をしています、現代の思考のほとんどは物質思考の考え方です、物事の中心は内ではなく外に実態があると云う考えです。

思うに感覚とは少なくともそう言う物ではないと思います、感覚とはもっと直感的でありインスピレーションなのです、それは学ぶのではなく、発掘または引き出すのであって自分の内側から掘り起こします。
こういう感覚は現実思考の生活ではほとんど親しみがない感覚でしょう。
ボクは美術の教育は一切受けなかったけどほとんど美大卒の人と仕事をします、また高卒の人がなんと美大の教授をやっている人も知っています。これが感覚世界の不思議でおもしろいところです。
医療の世界では大学で専門教育を受けなかった人が医者をするわけには行きません、または理科系の大学に行かなかった人が直感だけでその分野の仕事をする事は出来ませんが、ボクらの分野では普通のことです。
それは感覚的な事は外からではなく、自分の内から発掘すると云う事の証拠です。つまり感覚はすでに完成されたものとして存在します。あとはそれをいかに引き出せるかだけです。
感覚は以前ここで書いたように思うように覚えたり学んだりのコントロールは出来ません、だから感覚がどう働くのか感覚の扱い方は、感覚自体を知るしか手立てはないのです。
感覚を引き出すのに必要な力は洞察力です、心を洞察してそこに隠された謎を読み解いて行く感覚、それをどうすれば表現活動に利用出来るかです。
ちょうどヨット乗りが風をどうセイルに取り込めばヨットは快調に走るのか、風向きとセイルの関係を読み込む感覚によく似ています。