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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

落書き感覚の写真 

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ボクは今現在、アトリエ水平線で定期的にワークショップを開きこれからプロをめざす若い子たちに写真を教えています。
それで写真を勉強中の若い子たちの写真を見せてもらいますが、そこで感じることがみなさん同じような問題に越えられずに苦労しているいることを感じます、それは素直な気持ちが上手く描かれていなくカタチに振り回され心のエネルギーがそこに奪われ自分の感覚を写真に写し込めないわけです。そうじゃなければ、捉えどころが上手くまとまらず、伝わって来ない作品かこのどちらかです。
サーフィンに例えれば必死になってパドリングするのですがパドル力と波のタイミングがチグハグで噛み合っていないため、波が上手く取れず波乗りが出来ない状態に似ています。

彼らは写真をどう描きたいのか?より何をしなくてはならないか?どう撮らなければならないか?このことばかりに心は執われてしまい自由にモノを捉え撮ると云う感覚が今ひとつ掴めていないようです。それは音楽に例えたら 演奏と歌が合っていないにも似ています。
要するに写真を撮ることは難しく考えてはダメです、もっと体でスイングするように捉えて行きます、そこにこれと云った答えなんかなく、なんだってアリだし、やったもの勝ちだし、スイングした者、勝ちみたいなところがあって、決してアタマで捉えてはダメです。
もちろんそこにきちんとした技術、セオリー、隠しワザは確かにあります、でもその技術を上手く使いこなせること自体が技術なわけでワザの扱い方そのものがセンスと云うことです。彼らの作品を見て感じるのはそれが見極められないから逆にワザに振り回されてしまうわけです。
つまりワザが自分のモノではなくワザと気持ちが一体になっていないからチグハグになってしまっているわけです。

ボクの娘は親が言うのはフェアーではないけど客観的に見て写真が上手いです。写真をマジメにやってるワケでもなく気が向いたときだけ適当にチャカチャカと撮るのですが、その写真が不思議と上手く撮れているのが多いです。やるなコイツと感心することが時々あります。
その点きちんと写真をやっている人の方がかえってダメで、軽くいい加減に撮った写真の方がまだ上手いと感じてしまうわけです。その秘密は何なのか?要するに感覚的に捉えているからだと思うのです。
彼女は今美術系高校3年生、美大受験の予備校に通う身分です、たしかに家庭環境から云っても幼い頃から美術には通じていますが、ボクは彼女に写真を教えたことは一度もない、でもツボを心得て撮ります。
時々意図してタイミングをずらせたり、構図もセンターをやや意図して外すとか、きちんとファインダーを見て意識して撮っています。何も教えていないけど何でそんなことが出来るのか?

理由はなんとなく分かります、でもそこを具体的にどうしてか?もう一歩踏み込んでその秘密をワークショップできちんと具体的に説明するのがボクの講座内容です。
ある日娘とそのことについて少し話し合いました。すると彼女曰く「私のはただの落書き写真だからね」と云いました。「落書き写真」とはとても上手い云い方だと思った、娘にとっての落書きとは物心がついたときから、多分3歳の頃には落書き始めそれをずーっと今まで描いている。
彼女は一人っ子だったからヒマさえあれば一人世界にハマっていつまでも落書きで時間が過ごせるような子でした。これは写真を撮って行く上で案外バカにならない重要な基礎訓練だと思ったのです。
落書きとは適当なお絵描きだけど自由気ままに自分の思いを好きに絵に乗せて描く遊びだと思う、特に良いのは落書きを頑張って苦しんで描く人はいなく、みんな落書きを楽しんで描く、そこで自分の感覚を発見し難しい技術論はなくそこが良いと思う。
言い換えればこの落書きを子供時代にいっぱいやったか、やらなかったか、はその後の表現世界の重要なツボを学び、そのやった、やらなかった、の差はまるで違うモノになって来ると思います。

大人になって写真家になりたいと思い、写真をしっかり学ぼうと写真学校で技術を学びます、しかしその技術がかえって写真を難しくしてしまい遊び心を台無しにしてしまいます、写真をアタマで考え何が正解で何が正しくてどうすれば良いか、と「悪い捉え方」のクセを作ってしまいます。
技術重視の考えとか写真は機材だと云う考えがまだ巷では流行っていますが、それで写真をやればやるほど写真は却っておかしくなってしまう落とし穴があります、そう云うとき落書き感覚は重要だと思う。
ボクはワークショップでいつも徹底して話すのはカタチから入ってモノを捉えて行くのは止めなさい、感覚から入って行きなさいと徹底して説明しています。