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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

落書き感覚の写真(2) 

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今日は6月5日から始まったお茶の水バウハウスの個展の最終日です。2ヶ月間はたしかにロングランでした、鎌倉からはさすがに遠く毎日通っていたら大変なのでお客さんが集中する土曜日だけにしました。
でもきょうは最後なので午後から顔を出します、もしボクと話がしたい方はどうぞよろしくお願いします。

写真展会場には写真を勉強中の人たちもよく来てくれます、これまで写真展が縁で何人かがボクのワークショップを受けてくれました。講座を受講してくれる彼らの現状を見ると共通した壁に立ち止まっている何かを感じます、それは、昨日書いた壁とはまた別の壁なのです。
その別の壁とは、、、、、。写真は具体的に手に取って確認出来るようなモノではなく掴みどころが見えなく何をどうしたら良いのか、いったいどこから手出ししたら良いのか分からずみなさん混乱しそこが壁になっています。
こういう感覚にはボクらは本当に不慣れなんだなと実感します、さらにその混乱に対し拍車を掛けるのがあまり実態のない価値観がみんなの間で広がっていてそれが拍車をかけ多くがそれで混乱しています。

こういう感覚は学校で学んで来た学習感覚とか、一般世間で通用する感覚は役には立たず違う概念を必要としていることを実感します。
ボクはワークショップの基本的な考えは、それに対し彼らの個々の現状を判断し混乱を整理し何を今着手すべき課題の順位を付け「今はまずこれに集中して取り組みなさい」と助言します。
人が成長するのは自分がやるべきポイントが見えた時に成長します、逆に物事のポイントがバラバラなときにはいくらあがいても目に見えた成長はあるハズがないと思います、その優先順番の整理をします。
例えば、明らかにフィルムじゃないと表現出来ない表現がありますが、でも彼らには明解な根拠よりフィルムの方が良いと云う単純な憧れに似た崇拝を感じるわけです。こう云う曖昧な感覚ばかりで写真を撮り続けていても微妙な物事を見極める判断力に足を引っ張ります。
写真を撮るとは、要するに何かに出会った瞬間、まずは何を切り取って何を捨てるのか、何をどう云う表現で捉えるのか、それを瞬時に決め組み立てて行く直感にも似た能力を必要とします。それが見えずに自分の写真の価値観は把握出来ないわけです。
つまりそれは物事を瞬時に自分自身で判断出来る心の目が求められて来ます、まず早急に養わなければならないのが「感覚の自立」でボクは彼らにその必要性を説明し勧めます、それは手取り足取りで教えられるものではなく各自で養うしかないものですがこれが意外に自分の判断基準に曖昧な方が目につきます。
つまり逆に言えばこれが整って来たら写真が上達するのはそれほどむずかしい物ではないのではとボクは思います。

ボクのワークショップで必ずレクチャーするもう1つの重要な点は、画像の階調について徹底してレクチャーします、それは美大に入学する人がデッサンを習得するように、音楽をやる人は音階を鍛えるように写真でそれに値するのが画像の階調に対する鍛錬です。
ところがこれに対して案外無自覚なのが実態です、写真学校も階調に関して意外に無防備です、多分写真が上手く撮れる人は必ず例外なく階調に関してセンスがあるハズです。ボクは階調に対し意識的に鍛錬しそれが無意識に使えるようにならないと写真は力のある物にはならないと考えています。
何が重要で何が後回しかその混乱した価値観を整理してシンプルな考えになればそれだけ撮影時には絵作りに対し集中力がアップするとみなさんにレクチャーしています。