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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

白い魔法 神様のいたずら 

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今の世代の子たちにはどうかは分からないけれど、ボクらが若かったころは、学生から社会人になる時、特に男子で髪が長かった人は髪を切って、「もう若くはないよ」と云って大方は会社に就職して行きました。つまり学生から社会に出る時にはこれまでとは違い生き方をすると云う意味なんですが。
食べて行くことと、好きなことをやって行くことの矛盾みたいな話題が今日のお話なんですが、どうも神様は生きて行くとは物事の裏表の矛盾を探りながら歩きなさいと我々に命じている気がしてなりません。
生きて行く上で何か物事を突き詰めて行くと必ずこの問題に行き当たるように出来ているとしか思えないのです。
言換えれば、この矛盾があるから物事は不思議であって、その奥に隠された謎があってその深みに入って行けるように仕組まれています。例えば何かよろこびに出会うには必ずそれと同じくらい苦しみを味わって差し引きゼロになるように出来ています。
商業簿記を高校の時に学んだことがありました、その原理感覚がまさに今書いていることでその基本的な考えは何かを得れば必ず何かが減ると云う原理です、それが貸借対照表の原理なのですが、いつも思うのは人生って結局この貸借対照表なんだなと思います、まさに商業簿記とはボクにとっては哲学的発想ものです。

さてここで書きたいのは、ここ数日ずーっとボクが今回個展を一つ終えてその回想的な作品にまつわる諸々を書いたわけですが、自分の作品を作るとはそこでどうしても通過せざるを得ない葛藤があります。
それはここで何度も書いたのですが、夢を描くこととは同時に自分の不安に向き合いブレる痛みと不安を味わいブレる自分の弱さを知ること、つまり夢に出会うとは同じ分だけの不安に出会うことだと思います。
これを通過しない内面的な表現はほとんど薄い気がします、逆にこれをきちん通過した作品は人の心を掴む力を持っていると思います。

しかし誰だって作品を作るとはそれなりにお金とエネルギーを掛けるので良い結果を欲しいわけですが、結果欲しさにそこでブレて自分を見失ってしまいます。でも誰だって腰を据えて作品に向き合わないと大切なものが出て来ないくらいみんな知っています。でもそれが出来ません。
それはどうしてかと云えば、その先が見えないからです、ここで踏ん張って腰を据えたところでその先にいったい何が来るのか分からないのです、ましてやこの時代感覚はどうしても不安定な移り気の激しさに翻弄されます。
それを続けるうちにいつしか良い結果のネタ探しは自分より外から探した方が手っ取り早く気がついたらブレて行きます。
表現するとは先が見えない現実不安との葛藤をせざるを得ないことです、ボクが思うにはどうも写真が上手い下手より、この不安の中でどう現実を受け止められるかの方が遥かに重要な気がします。
ここで試されるのが動物的であって現実的な不安定な直感力なのかも知れません、動物たちは何もないところで自分が行くべきところにほぼ正確に行くわけですが、どうやら作品を作るとはこれに似た原始的な感覚を現実に置き換える力が要求されているとボクは思います。
そう云う意味ではエジソンとかライト兄弟の生き方はとても参考になると思います。