FC2ブログ

アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

ほとんどが無意味だったけどね 

_MG_1056.jpg

11月にボクの個展「白い魔法」は終わりましたが、ボクの中では終わったのは今年の展示が終わっただけで、すぐ次が始まっています、次、何をすべきなのか日々心を転がせて遊んでいます。
「心を転がせて遊ぶ」とはちょっとひねくった表現に聞こえるかも知れないけどそうではありません。そうしか言えなくて敢えてそう言う表現を使ったのです。
イメージは「考える」のではなく湧いて来なくては意味がないのです、まるで酒を醸造させるみたいにイーストを仕込んで時間をかけて意識を寝かせます、時おり発酵を促すように心を振ってみたり、ぎゅーっと絞ってみたり、ああだこうだと上手く発酵するように転がして遊んでいます。
その遊びの一旦を紹介すれば心が刺激するような本を読みます。今読み始めたのは「古代への情熱、シュリーマン自伝」です、彼は1800年末頃、あの当時誰もがそれが本当の話とは思わない伝説化したトロイアの遺跡を発掘し夢を現実にした人です。
シュリーマンは牧師の子で幼いころから父親から古代の神秘的な話を聞かされて育ちました、彼には幼いころ見た古代遺跡への憧れと夢を大人になってもずーっと忘れない人でした、そして大人になってシュリーマンは大商人となって成功します、また語学の天才で自由に話せる語学数が10以上もあったそうです。
そして晩年、順風満帆に成功していた商売をある時点でピタリと辞め莫大な財産を誰もが空想と思っていた遺跡の発掘につぎ込みトロイアの遺跡を出現させたのです。
また飛行機を飛ばしたライト兄弟の人生からどうやって飛行機を彼らが飛ばせたのか?その秘訣を見つけ自分の作品のヒントに繋げて行きます。ボクが心を転がして遊ぶとはそんなことを考えては自分に当てハメてまた考えることがボクの心を転がす遊びです。
そこから読み取れるのは決して上手く進んだ話ばかりではなくむしろ落胆の現実をどうやって夢を実現させたかの方が遥かに興味深い気がしました。
話題は一気に変わり別の「心を転がせて遊ぶ」についてです。作品を作り出すことで重要な事は空想世界を舞台にどれだけ遊べるのかです。
物事を突き詰めて行く上で重要なプロセスの一つに「イメージを上手く放置できる」があります、先に書いたようにイメージは時間をかけ寝かせておく事が案外重要なプロセスではないかと感じています。
イメージは寝かすべき時に寝かさないで安易に人のエゴで手出しをすると、そこに人の現実的なエゴの思考が入り込みせっかくの感覚は壊されてしまいます。
多分思いを引き出す事でここがもっともむずかしいとこではないかと思います、多分ボク自身、今回の作品作りはここをもっと深く学ぶことが今回のテーマではないかとうすうす感じています。
村上春樹さんが何かで語った話ですが、詳しい言い回しは忘れましたがこんな内容だった記憶があります。 「上手く書く時間より、充実した書かない時間の方が重要です」と云うような事を以前読んだことがあります。
ボクみたいな輩がそれが何を意味するのか詳しく解らないのですが、まるでさっぱり解らないわけでもありません、ただどこまで自分がそれをやったとこでそこをしっかり持ち堪えられるかが勝負の気がします。
いずれにしてもそれを実行しそこから出て来るものは現実的な事ではなく心の奥にポ〜ンと石のような物を放り込まれたような魔法にかかったような「心の余韻」には間違いはなさそうです。
特に今感じるのは「白い魔法」が終わり、これまでの価値観、考えをそのまま次回に引き継いで作品を作って行く事にボクなりにちょっと戸惑いを感じています。
それがいくら今回好評だったとしても、同じ事を同じ発想で繰り返す事に抵抗を感じます、ただ言える事は今回の個展で出品した作品がまだ出し切っていないと感じる物を次回また引き継ぐ考えはあり得ます。でもそれにしてもまったく同じような事はやらないつもりでいます。
正直、次の作品にまだ着手しないで心を転がしてばかりいる現実的にやや焦りみたいなのがあるのですが、ここが重要な分かれ道を感じます、ここで安易に手出ししても、新しい物が出て来る気はしなく作品は一気にカタチ化してしまうのが見え隠れするのです。
そんな時に十文字さんが以前ボクに話してくれたコトバが心に響きます、十文字さんが思いつく限りの実験を繰り返した挙げ句に出て来たコトバが「あの実験のほとんどは無意味だったけどね」でした。
でもボクは今の状況をスランプとは思ってはいません、自分でうすうす分かるのは、自分はそろそろ知らなかった新たな世界を探す時に今立っていると直感しています。今後どこに行くかここが重要な分岐点で大事にしたい一瞬なのです。
それでまずは前回展示した作品の中で気になった作品をもう一回、同じ作品をトーンコントラスト調色具合サイズを換えてプリントし3枚額装して並べて毎日眺めています。
ちょっとした違いを眺めています、そこから感じる物がやや違います、特にこれと云った大きく感じることの違いはないのですが、ちょっとした違いは確かにあります。このちょっとした違いがいったい自分にとって何なのか見逃さないで次に繋げられるか、そのまま見逃して終わるか、ここはちょっと見逃せない気が何となくするのです。
でも再び十文字さんのコトバがまたエコーします、「あれはほとんどが無意味だったけどね」です。
作品を作るとは方法論ではないのです、無意味なムダの繰り返しです。そこからやっと何とか出て来るものなのです。