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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

いつのまにこんな技を身につけたのか?(2) 

たかが生きて行く事が、、、。

何か問題に行き当たり、その問題の重さゆえにアタマの中が混乱し、それをどうやって解き明かし道筋を付けるべきか、やはりそこには解き方があると思います。
もちろんボクが特に問題解決の達人ではありません、自分なりのこの問題に行き当たったらアタマがフリ—ズしてしまい、どうにも手も足も出なくなることはボクなりに抱えています。
と云うかボクは問題を人より多く抱えているからこそこんなことが書けるようになったとさえ言えます。
問題に対してこうすればこうなる特効薬みたいな物はなくそれは理屈を越えた厄介なものです、でもそうであるにしてもやはりそこには解き方と云う物があるのは確かなようです。
昨年いろんな発明家の人生について書かれた書物を読んでみました、そこに彼らの問題解明に対するいくつかのおもしろいヒントをボクなりに見つけました。
彼ら共通の才能とは、それがいつかは完成させられる確信と直感、絡んだ問題に対し仮説と実験を繰り返しやがてはそれを解き明かす感覚、物事に対する抜群な目の付けどころの感覚。そして躊躇しない決断力。

前回書いたようにその問題は突き詰めた先に解明できる問題なのか結論は出ない問題なのか?そこを見極めます。つまりどうあがいたところで答えが出ない問題は必要以上に深追いしないで見極めなくてはなりません。これがハッキリするだけでずいぶん気が楽になるはずです。
そして解明出来そうな問題はどこから解決して行くか優先順位を付けることも重要だと思います。
厄介な問題とはまず例外なくいろんな複数の問題と問題が複雑に絡み合って問題自体の元の姿が見えなくなってしまい、問題はさらに肥大化した問題になって解明出来なくなっています。
絡み合った問題が引き起こす重圧に押し潰され問題に立ち向かう気持ちが萎えて結局は問題は結論が出ないまま問題の先送り状態になってしまいます。これが多くの厄介な問題の現状なのです。
それはちょうど難解な数学問題は複雑な数式をまずシンプルな姿に置き換え最後はカンタンな数式にするように絡んだ問題を眺めそれがいったいどう云う問題なのか俯瞰し把握して行きます。
問題の元の姿を見つけ出しそれが他とどのように絡み合って問題は肥大化しているのか、その問題にやられた時、自分はどう云う拒否反応が出てしまうのかも知っておく必要があると思います。
その問題にやられた時、自分はただ不安にやられ固まってしまうのか?怯えてしまうのか?問題を先送りにして逃げ出してしまうのか?怒りっぽくなるのか?自分を人前で背伸びしたり大きく見せたくなるのか?そわそわするのか?
まずは肥大化した問題を等身大の問題として見ることから始まるのかなと思います。