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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

直感礼賛(3)それが具体的にどうなったか? 



ネットのニュースでクルム伊達公子さんがウインブルドンの3回戦進出が決まった記事を読みました、ボクはテニスの事はよく分からないけどこれは彼女の42歳と云う年齢を考えると大変な快挙らしいのです。
ボクは彼女がテニスを引退したばかりの時、スポーツ誌の取材で彼女にお会いしました、その時、彼女をよく知るライターさんが彼女の引退がまだ信じられない様子で「伊達公子が引退なんかできるわけがない、そのうち必ずまた戻ってくるんじゃないか?」とハッキリ云いました。
普通スポーツの世界で一回引退した人がまた戻って来るなんてマイケルジョーダン以外聞いた事がないです。でも現実はライターさんの予言は的中して彼女は戻って来たのです、ボクは復活のニュースを聞いた時、いささか唖然としました。

今の彼女の活躍にボクは確信を持ってこう思います、彼女が戦っている相手は対戦相手と戦っているのではなく、間違いなく自分を相手に自分の心の限界と戦っているのだと思います。
だからそこに名誉とか野心とかではなく恥を忍んででも彼女は戦うと思います。彼女はそれくらいに切実な思いで戦う動機を見つけたのだと思います。
多分、以前の若かったころと意識は相当に変わったハズです、仮に負けたとして敗戦に悔しいより、自分の内面の葛藤に対しての悔しさではないか?と思うのです。これは崖っぷちに立った者しか分からない境地だと思います。
なぜならボクもいったん写真家として終わってしまったと思ったくらい仕事を失いました。たまに仕事をしても、バイトしながら喰い繋いだり精神的にはボロボロどん底でした。でもなぜ自分が仕事を失って行ったかもその理由が何となく察しが付きました。
だから、写真展をやってみないかと十文字さんから声をかけてもらった時、どうせやるなら、徹底的にその後悔に対し自分の直感の限界に挑戦してみたくなったのです。果たして直感でどこまで行けるのかの挑戦だったのです。
作品を作って見せたかった相手は自分自身に対して写真展をしました、だから、これでどうしようと云う野心もさほどなければ、これで何が得られるかの結果を期待をしていなかったのです。
それまで自分にとって広告で写真を撮るとは仕事を取ることで自分のポジションを得るためにいつも内心葛藤で苦心していました。
今思えばあの当時の自分は自分に向き合って写真が撮れていませんでした、自分が何をして良いのかが分からなくなって写真はダメになっていたと思います。
そもそもボク自身広告の仕事が取れるようになってから、これから自分は何に向って頑張って行けば良いのか、本当に分からなくなってしまいました。
ボクは一旦は大半の仕事を失なって崖っぷちに立たされ、自分が今後写真を撮って生きて行く事を篩にかけられた時でした。それが越えられなければそれまでだろうし、そこで起死回生で本気で向き合えるモチベーションになんとか出会ったのです。
多分伊達さんは試合に勝つ負けるより自身の内側との戦いを、今の彼女の年齢から前より強く見いだせたのだとボクは思います。多分その思いは彼女にしか分からない切実な気持ちだとい思います。
ボクの場合、その意識の変化は一旦は落ちぶれて終わった写真家が再び広告大賞をまとめて3本も取れてしまった要因の一つじゃないかとボクは感じています。

ボクは自分の直感めがけ的を絞って写真を撮り始めそれがどういう事だったかと云えば、自分の心から描きたい衝動を見つけ出し、それを時間をかけて根気よくカタチにして行ったのです。
一旦、個展を終了させた材題であろうが、まだ心に残る何かがあるなら、それは終わった事ではなくまた踏み込んでその次を作って行くのです。その時に何かを発見しその発見がまた次のテーマを引き出してくれる事があるのです。
でも以前のボクなら一回終わった個展テーマをまだ納得が行かないから、また撮るなんてことはあり得ない事でした、ではどうして今はそれが出来るかと云えば、内に見え隠れしたものは納得が行くまで撮らないければ気に入らなくなったからです。
今のボクには作品を作るとは人に作品を見せるためだけに作るのではないのです、自分の内面との交流であり、自分自身が持って生まれた個性が現実に存在する意味をかけた問題なのです。
もうこの時点で作品作りの軸とその動機をやっと自分に取り戻しました、要するに動機が自分である事に出会えた瞬間に自分と写真が再結できたわけです。
表現する者の真偽の決定的な違いは表現の出発の軸が自分なのか、自分以外なのかこれはとんでもなく大きな違いです。もうそこで見える世界、感じる世界、出て来る世界はそれ以前と180度違ったと云って良いくらいです。
もし仮に写真を撮っていてもこの切実な動機に出会えなければこれを感じるのはむずかしいと思います、でもそこが感じ集中して作品が出来たなら、ボクは自分が知らなかったもう一つの自分世界を発見しました。
自分が知らない自分世界とは現実的な自分ではなくどこか少し霊的な感覚の実感です、それは魚が生まれた川に戻る帰巣本応に通じるような自分が戻るべき場所の存在をうっすらと感じる感覚です。
それらが見えて来ると伊達さんのように戦い方が一変するだろうし作品に対する意識は確実に変わったと思います。
多分、それをひと言で括ってしまえば、自分がここに存在することをかけて戦ったり、表現しているのです。そのナビゲーターが直感なのです。つまり次に自分は何をすべきかを示すのはすべて直感です。