FC2ブログ

アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

やっと遠くまでよく見える空気。 

_MG_0252.jpg

8月の前半はずーっと空気がガスっていました、富士山全景を撮影する仕事を抱えていたボクにとって撮影出来るチャンスは限られていてなんとか無事に撮影し終えました。でも今日の空気を見るとスカッとした空気でまた撮り直ししたくなります。
そんな8月半ばの空気がウソのようにすっきりし気温も一時の猛暑はなりをひそめすっかり秋らしくなって稲村では赤とんぼがたくさん飛んでいます。

さて、ちょっと最近目にしたフランス観光局が国別性格の違いをパンフレットに記載し注意するようにと呼びかけたそうです、そこでは日本人は「その場で問題を指摘しないがあとになってからカゲで文句を言う」と書かれていたそうです。
ハッキリ口に出来ない日本人の特徴だなと感じました。それが日本人の美徳でもあるけど、弱いところと云う見方も出来ます。それは日本人のボクですら「曖昧にしないでハッキリしてくれよ」と云いたくなることは多々あります。
余談だけど、ボクがアジアをバックパッカーしていたころ、痛感したのはアジアでは定価の概念がほんとんどなく 値段は半ば交渉で決まるとこがあります、交渉下手で言われるがままに払う日本人はこう云う時は、欧米人にくらべて現地人の良いカモで、毎回ボクはなんとも歯がゆい気持ちで日本人を見ていました。
相手はいつも足下を見てスキを見つけて、いくらでも呆れるくらいに値段を吹っかけて来ます、でもヨーロッパ人は徹底して納得が行くまでやり合います、接点がなければ決裂するか、その意地くらべを飽きずにします。でも日本人でそこで交渉が出来る人はよほど旅慣れた人しかいませんでした。このギャップには心底おどろきました。

さて話題を戻します、ボクは写真表現をする上で心にしっかり意識していることがあります、それは表現は出来るだけ曖昧にしないで明解にすることを心がけています。ボクは撮る時からこれをどう撮ってどう見せたらストレートに伝わるか?常に考えます。
ちょっと前に写真家の十文字美信さんのカフェに遊びに行った時、ちょうどカメラ女子が作品を十文字さんに見てもらっている場面でした、十文字さんの意見は「あなたが何にこだわっているか、そこをもっと見る側に分かりやすく撮って編集した方が良い。その方が作品に対しての取っ掛かり、導入口が出来る」と云っていました。
ボクはその作品は見ていないので何とも云えませんが、さすがに十文字さんは分かりやすい明解なアドバイスだと思いました。ただでさえ写真はなにが云いたいか分かりにくいものになりがちです、さらにその認識が甘かったら分かりにくいものはさらに分かりにくくなってしまいます。でもその考えが成熟している人は滅多にいません。
どう撮って見せたらこの写真はストレートに相手の心に飛び込んで行くか、言い換えれば意味が分かりにくい写真、目を止めさせない作品は良い作品でないとボクは思っていますが、その考えが誰に対しても当てハマるとは思わないけど、それがボクの基本的な考えです。
作品の組み方編集も可能な限り分かりやすいよう考えます、それが上手く出来たならば個人的な作品も表現も相手に伝えやすくなります、もし曖昧なままで難解な作品表現をしてしまったら、相手には何も伝わらなくなってしまいます。つまり表現が伝わらないのは意味がないのです。
要するに表現とは基本的には独りよがり解読しづらい表現はある意味では失格だとボクは思っています、でも写真を勉強中の人たちの間では、上手いヘタ以前に、まず、見せ方、どう見せるか、どう組み合わせれば作品が相手側にダイレクトに語り出すか、その視点がない人をよく見かけます。
これは、一つには自分の考えを相手に伝える、主張する文化習慣のない日本の国民性なのかと時々感じます、でも、やはり表現は曖昧にしないで明解にしないと通じるものすら通じなくなる気がしますが。

「主張すべき時にハッキリ云う、伝えるべき時にハッキリ伝える」これを曖昧にしないではっきりやらないと何も伝わらないまま終わることがあると思います。