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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

もしタイムマシーンがあったとしてもあのころには勝てないだろう、 

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ちょっと前、ボクが高校生のころに撮った蒸気機関車の写真をフェイスブックにアップさせていました。
キッカケは夢から始まりました、最近眠りが浅いのか、滅多に夢を見ることがなくなりました、でもその晩久しぶりにこんこんと深い眠りがやって来て夢を見ました、まず夢の話の前にボクは中高校生の頃、機関車を撮りに行く事に夢中な少年でした、それはどこかに遠足に行くようなワクワクした気分でした。

夢の話、その日、機関車を撮りに行った帰りの夕方、駅で帰宅の列車を待っていました、すると突然、予期しなかった前2両重連の蒸気機関車が客車を引いてドドドーっとホームに転がり込むように入って来ました、まさかの重連機関車が客車を引いて登場です、びっくりするやら嬉しいやらの感動的な気分でした。
その瞬間、とっくの昔に記憶から消えていたあのころの気持ちがハッキリと克明に再現されワクワクしていた気持ちがリアルに甦って来ました。当時はこんな気持ちで写真が撮れていたんだなと思いました。
夢とは不思議なものです、消えたはずの記憶、当時の思い、興奮がそのまま40年以上の歳月を越えて、やって来たのです、生きているとこんな不思議な事も体験するんだなと思いました。
その夢を見た時は、実は重たい気持ちに支配され行き場のない気持ちを抱え続けていた毎日でした、でもその夢の中の自分はまったく屈託がなかったのです、ただ蒸気機関車に夢中になって追っかけていた時の少年の気持ちのそのままでした。あの頃の自分はこんな気持ちだったのか?とタイムマシーンに乗って当時に戻った気分でした。
そんなたわいもない夢でしたが、ボクにはその夢から相当に癒されました、心配事で毎日眠りも浅かったのでしょう、でも久々に見た夢から救われたような気持ちになりました、こんな事もあるんだなと思いました、これは初めての体験です。

その夢を見たことがキッカケで当時撮っていた機関車のネガをもう一度引っ張り出してすべてに目を通してみました。中には印象に残っていた重要なカットのネガを紛失したりいくつかは紛失していました。
でもほとんどの良いネガは無事残っていました、そのネガから写された写真をあらためてよく見るみると、当時の自分の写真からボクは衝撃が走りました、あのころの自分がここまでしっかり表現して撮っていました、少なくとも一生懸命表現に挑戦していた自分がいました、まさかこんなころから写真をここまでやっていたのです。
これを見た時、自分のことでありながら40年の歳月の隔たりがありました、まるで遺跡発掘調査隊が過去の人類の生活ぶり、当時の人類の文化水準の高さに驚愕した感じだった、と云えば良いのでしょうか。

ボクは機関車を撮ることで初めてカメラを手にし写真が始まりました、あれから40年と云う歳月が経ちました、自分が消費したこの40年の本質とはいったい何だったのか?そこから何を学んだのだろう?と考えざるを得ない気になりました、この発見はボクの写真のあり方について衝撃的な思いとして受け止めました。
ある意味では自分はそこからほとんど進歩していないと云って良いくらいでした。今これを越えてみろと云われても、ハッキリ云って経験と技術だけの進歩で安々とこれを越えらるか疑問です。

当時のボクは少なくとも表現するとは具体的に何をするのか分かっていなかった、何も考えていなかったと思います、ただカッコ良く撮れたら良いなと思う事だけに夢中になってしていただけでした。でも見方によってはそれで充分なこともあります。
もちろん今はあのころとは比較にならない技術と確実に仕留める的中率は進歩したのは云うまでもありません、でも撮ることの最もカンジンなカンの使い方、落としどころは今とたいして変わらないのです。
もし今、タイムマシーンに乗ってあのころに再び行けるとしたら、ボクはもう一度あのころに戻って蒸気機関車の写真をまた撮ると思います。今とあのころとどっちが良い写真を撮るのだろうか?そこがとても知りたいからです。
でも、多分それは勝負する前からすでに勝負あった、結果はもう見えたような気がします。
多分、今のボクがどんなに逆立ちしても当時の自分には敵わないだろうとうすうす感じます。
なぜなら、今の自分があの当時のように機関車を見て同じように興奮をすることはもう出来ないだろうと思うからです。
いくら何でも40年以上の経験を持った自分がまだカメラを手にしたばかりの少年に勝ち目がないなんておかしな言い分な気がするけど多分それが結論だと思います。
あのころは無条件に機関車が好きだった、機関車が煙を吐きながら、激しい音と共に走ってくる姿を見ているだけで興奮して写真を撮っていました、あの頃はそれしか楽しみがなかった、それしか知らなかった、それしか出来なかった、当時のボクにはそれしか他に選びようがなったのです、「それしか知らないこと」に大変な歓びを感じていたのです。
今の自分はあれからいろんな体験をしました、憧れていた海外に長く滞在し、世界中いろんなところを自分の足で見て歩いて来ました、大きな広告の撮影も体験しました、大きな賞もいくつか取りました。もうあの頃のようなただの少年ではないのです、良い意味でも、そうじゃない意味でもです。
そこで積み重ねた経験とか、技術とか、40年かけて吸収したことのすべてを仮に投入できたとしても当時の自分のあの夢中になっていた好奇心には多分勝てないだろうと思います。写真とは強い好奇心を持って撮っているヤツが所詮は勝ちなんです、むずかしい写真論とかなんてたいして役に立たないのです。
あのころのボクの機関車を撮る楽しみ、歓びは多分あのころのだけの一瞬のモノなのです、今いくらタイムマシーンであの時代に戻って同じ物が撮れる環境に立てたとしても今と云う何かを知ってしまった者が当時と同じ自分にはもう戻れないことを感じます。それはいささか悲しい気もしますが、これが多分「一期一会」と云う感覚なのでしょう。
だから今の自分は今の自分が出会ったモノを「一期一会」で撮るしかないんだと思います。