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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

今は「うん、そうだね〜」とまず相手に同調するのが常識です。 



以前どこかで読んだ記述でこんな話を思い出した。
それは親鸞と弟子の唯円とのやり取りですが、弟子の唯円が「私に人を殺める事はとても出来ません」と親鸞に告げると親鸞は唯円にこう切り返した、「それはお前の心が清らかだから人を殺められないのではないぞ、ただお前は人を殺める縁にまだ出会っていないだけのことだそ、」と、親鸞は唯円をたしなめた。
親鸞は「誰だって人を殺したくて殺すのではない、ただその縁に出会ってしまい、仕方なく殺すのだ、お前がその縁にもし出会ったならお前だって人を殺す立場になるかも知れないぞ。」と親鸞は云いたかったのだと思いました。

それを初めて読んだときボクは「ふ〜ん、なるほど、そうか、そうかも知れないな〜。」とすごく納得しながら、どこか他人事のような自分とはあまり関係のない遠い話として聞いていた。
もし、今の時代軽い会話での中で唯円のように「私には人は殺せないです〜」と云ったその次に「いいや、それはアンタの心がキレイだから殺せないとはちょっと違うぞ!」切り返したらその場はどうなっちゃうのだろうか?
それは多分「この人は偏屈な変わった人だね〜」と云われてしまうだろう、そう云う時はまずは相手の会話に「うんうん、そうだね」と相づち打って相手に同調するのが今風の常識、一般的な感覚です。

でも話題を巻戻して、人生何十年も生きていると、多分誰しも一回や二回はとてもことばには言い表せないような、身を切られ身悶えするような思いを体験すると思う。
夜は夜でその心配事でいっぱいになって眠れぬ日々を過ごし、たかが生きることでどうしてここまでしんどい思いをするのか?そんな思いをするくらいなら、いっそ死んだ方がまだマシだと思ってしまいます、この生きる辛さがボクもなんとか解るようになりました。

世の中には地獄と云うことばがあります、サラ金地獄、借金地獄、仕事が思うように行かないがゆえのお金が廻らない地獄は世の中には少なくはない。これは収入が少なくて生活が貧しいがゆえのお金の問題とはちょっと違う気がします。
借金とか返済のメドが立たない状態、どうしても必要な出費に対し入るお金のメドが立たない、その先行きがまったく見えない状態で、自分に残された選択肢がまったく見えない不安にどうにも行き場のない心の閉塞的な状態がこの世の「生き地獄」だと思う。
会社勤めじゃない生き方は、自由で羽が伸ばせて気ままでいいね、と人によく云われるが、われわれはこの崖っぷちの恐怖感といつも背中合わせに生きています、ボクにとって仕事は何かと云えばこれと向き合うのが仕事です、と云いたくなるくらい精神的に厳しい状態に立たされる事もあります。
そんな時は、この気持ちを味わい尽くした人じゃなければこの精神的な厳しさ、恐ろしさは、口でいくら上手く語ったところで伝わるものじゃないと思います。
その時、心の中に浮かんだことが、ずいぶん前に読んだ親鸞と唯円のやり取り話でした、ボクはその時に人を殺したいとまでは思わなかったけど、あまり精神的に追い込まれ、その選択肢がないと、強盗をしてでもお金をなんとかする気持ちはボクにも少しは分かる気がしました。こんな苦しみを味わうくらいならまだ刑務所暮しの方がマシに感じる時があります。

親鸞の云いたかった事が昔、初めてその話に出会った時にくらべたらずーっと身に沁みて話の意味する凄まじい思いを感じたものです。
でもこのやり取りは巷のタワイもない会話ではやはり場違いなやり取り話で終わる話題です。