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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

作品作りのエッセンス 

今日は適した画像がないので文章だけで許して下さい。
ボクにとって意外だったのは広告の写真家は熱心に自分の作品を制作をしない人がわりとたくさんいた現実に気がついたことでした。多分する人よりしない人の方が多いと思います。
「あなたは広告より作家です、広告は合っていないです、あなたは間違ったところにいます」と駆け出し時代からずーっと云われ続けました、時にはボクの作品を見て広告とはこう云う物とは違うんだよ、と諭されたこともありました、また作品を見てポカ〜ンとされたこともありました、ボクには最近まで、なんでそんな風に思われるのかその意味がよく分かりませんでした。
プロの写真家なら自分自身の作品を撮るのは当然のことで誰だってそうだと思っていました、もしそれをしないのは何らかの事情でやれない、またはやってもお金にならないからやらないだけだ、とずーっと考えていましたが、現実はそうではなく、作家性は当たり前ではないと最近になってやっと認識しました。
そしてボクは作家気質が広告写真家になったのだと、だからあなたには合っていませんから考え直しなさいと云われていた意味がつい最近になってなんとなく気がつきました。
じゃあ、作家、作家ではない人の違いっていったい何か?と云えば、作風が作家的で一般的な広告ではない、作品制作を通して自分の歓びを感じられる人、でも写真家はみな誰しもそうではなく、普通は職業広告写真家として成立しているのです、でも冷静に考えて見れば広告で収入を得るならそれが正しいのかも知れません。

さて、ボクの作品活動についてお話します、数年前に20年ぶりくらいに写真展を開き、その時以来作品作りをすることはボクにとって重要な柱になりました、それで作品を制作する上で、どう作品を作って行くかその時にまじめに考えました。
ボクにとって作品を作るとは、その目標とは、そのコンセプトとは、いったい何だろうか?そこに重要なカギがあると目を付けて考えました。作品制作でそこが甘ければ出るものは甘く曖昧で薄っぺらなわけです。そこがしっかりしていれば奥行きのあるものになります。
まず、人の心を感動させる作品について考えました。その教材は写真ではなく写真以外からボクは学びました、その方がより自由な気がしたことと、結果的にその方が自分にとって刺激を与えてくれたからでした。
「良い作品はどうして人の心を動かせるのか?人の心を捉えるのか?」自分はそこから何を学ぶべきのか?そこに隠された秘密をずーっと考え続けました。答えはカンタンには出ません、それは作品を作りながら時間を掛けて試行錯誤しながら見つけて行くものです。
でも、そのことの探求がボクにとってはもっともおもしろいのです、作品を作る行為よりも、目に見えなかった心の世界の謎が作品を作ることによって深まり開示されることが歓びとして作品作りをしていると云って良いくらいです。
感じたのは人の心を掴む作品には必ず「確かな世界観」「奥の深い物語」が必ずあります、作り手は描く時には必ず様々なことに目が向けられそこに物語の背景が存在します、深くものごとが考え練り上げられ、描きたい世界が物語になって表に現れるために相当な時間とエネルギーが費やされ試行錯誤されています、心に浮かんだ世界観を物語化するための執念が見えて来ます。
それをカンタンに表現すれば、「作品に命が宿っている」逆に云えば「命のない作品」は人の心を捉えない、それが結論です、仮に一時、捉えたとしてもすぐ廃れます、そこがハッキリボクに開示されました。
描かれる作品には世界観がなければ作品は命を持たない、命がない作品は次に繋がらない、命があれば繋がる力、伝わる力を持っている。

ボクにとって写真の表面的な技法はたいした問題ではなくなりました、技法に興味はなくなりました。もちろん世界を描くために技術は使います、でもそれは世界を描くためのモノであって、必要の最少限で良いわけです、それが表になることはまずないと云うことです。
つまりはボクは「良い作品が、すなわち良い写真ではない」のです、作品とは世界観を描き出すフィールドだと感じています、でもその目線がハッキリした時から、作品作りは楽しく楽(らく)になったと思います。少なくともボクにとって世界観を持たない状態で作品を作る方が遥かにしんどい気がします。