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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

発達障害が内省力を鍛える 

ここ最近になって「大人の発達障害」ADHDとかアスペルガー症候群と云うのが世の中でもやっと広く知られるようになったみたいだ。
この問題は当事者のボクには大変シリアスな問題で、これでボク自身これまで人生、コトバにならないくらいキズ付いて来たしこれに翻弄され続けて来たし、今も相変わらず振り回されていることにはたいして変わりない。
ボクのブログを前から読んで下さった方なら、過去にもボクはアスペルガーについて何度か書いて来たけど、どうも自分をより詳しくチェックするとアスペルガーと云うよりADHDの症状に適合すると最近感じている。
この脳障害についてざーっとカンタンに説明すると、授業では落ち着きがなかったり集中力がないことが多い、物を置き忘れることが多い、物を頻繁に失ない探すことが多い、約束の時間が守れない、事務的な能力が劣る、突発的な行動が多い、片付け整理が出来ない、書き出せばまだまだキリがないくらい書き上げられるけどざっとカンタンに書けばこんなとこです。
これを他人から見れば理解に苦しむようだ、ただの不注意で意識が散漫だとか、単にだらしないと思われるのがオチで自分自身ですらずーっとそう思い込んで来たから、第三者がそう思うのはまあ仕方がない。でもこれでずいぶん損をして来たし、これでずいぶん辛い人生を送って来たし、人からもあまり信用されないことが多く、さらに辛いのは多くはこれに鬱とか、不安症とかの合併症を抱えてしまうらしい。
カンタンに云えばみんなが普通に出来ることが出来ないわけだから、自分自身に対して信頼感が持てず自己不信、自己卑下に陥りやすいから、不安症になるのは当然の成り行きだ。
ここで具体例を上げれば、セロテープが必要になって、隣の部屋に取りに行く、ところが隣の部屋でテープを取りに行ったはずが、コーヒーカップを見て急にコーヒーが飲みたくなり、コーヒーを作って始め飲んでもとの部屋に帰るが、肝心なセロテープのことはすっかり忘れて帰る。
空港で搭乗券とかパスポートを出したりしまったり繰り返すうちにそれをどこにしまったか忘れいつも探し回る、時にはバックの中をすべてひっくり返したこともあってやっと出て来たのは服のポケットの中とか。一緒に行動する周りからはイライラされる、しまうところを一定に決めれば良いじゃないかと云われるが、カンタンには上手く行かない。そんなわけでクレジットカードとか家鍵とか免許証とかサイフは無くしやすいタチだ。
学校の授業にしてもそうだったけど、とにかく聞き漏らすまいと結構真剣になって聞いていても、授業とか話にさっぱりついて行けないことが多く当番役割分担の時、話の内容がよく理解できていなくてよく怒られたり先生からもボクはただのバカと思われていた。
映画を見に行っても話について行けないことが多く、入り込める本と入り込めない本があって、読める本は限られている、これじゃあ学校生活は当然楽しくないし学校が苦痛でもおかしくない、でも自分でずーっと感じたのは本当に周りが云うように「本当に自分はバカなのか?」と子供のころから自分自身で考えて来た、この問題に関して深く自問自答する習慣が身についた。
そのうちに先生が云うことに対し疑問とか不信感のような感情も湧き始めた、それらの厄介な問題は誰にも相談はできず、結局、自分で考え自分で答えを出さざるを得ない、人に相談したところで、その答えは「お前は注意力が散漫だからそうなるんだから、もっとよく注意すれば良いんだよ」と返って来る答えはほぼ決まっているから聞いたところで仕方がない。
確かに注意すれば何とかなることはいくつかあるのは分るが、やはりそうするには人の2倍以上注意力が必要で、話しに付いて行けないのは、自分でもそのワケが分からず、その原因についていろいろと考え子供のくせにちょっと変わった内省的な子どもになってしまったと思う。でもそうならなければ自分自身が保てなかったのだ。
子供時代はそんな環境条件を背負ってしまったから子供のうちから妙な内省的な考察力を鍛えさせられてしまった。それは多分家系的資質もあっただろうけど、自分が抱えた問題は少なくとも学校の先生たちが安易にレッテルを貼るようなものではなく、もっと根深い何らかの障害から起因しているのではないか?と子どもながらに薄々気がついていた。
しかし当時、まだアスペルガー症候群とか、ADHDの発達障害とかディスレクシアの概念なんてまったくない時代だったけど、これは何らかの症候群ではないかとボクは感じていた。
この問題がさらに厄介なのはただ社会不適合者で終わるのではなく、多くは合併症を抱えるケースが大半で鬱とか不安症とか様々な合併症を抱えるのが現実らしい、不安症については自分がそうだったから他人事じゃなく理解できる。

これらこれらについての世の中でやっと最近知られるようになって、イギリスでは大学入試はディスレクシアが認知されると試験時間を延長されていると聞いた。 またそれらについて書かれた本は最近いくつか出廻りいくつかを読んでみたけど、ある現場の医師の対談本によれば、この問題の認識は精神科の医師ですらまだ低いのが実態らしい、一般の精神科の医者レベルではアスペルガー症候群、ディスレクシア、ADHDなどの的確な診断が出来ないのが実態らしく、小児発達障害と大人発達障害も医師の専門分野が違うと書かれてあった。

こんな状態だから、現実的な人はボクを「こんな人に仕事をお願いしても大丈夫なの?」と多くは思う、だからボクはやれる仕事はずいぶん限られ現実的な仕事はまず来ない、起用される時は遊び性があるかイメージ重視しを要求される。カメラマンは誰だってこんな仕事がしたいのだろうけど、ボクの場合これしか出来ないのだ。
この問題はこの年になってやっと思えるのは、これは悪いことばかりではなかった、おかげで自分は先にも書いたように若いうちから内省力を鍛えることが出来たと感じている。この内省力はボクの財産と云って良いくらいだ。
時々、写真を若い子たちに教える時に、いつも感じるのが、彼らのアタマの構造は表面的な情報収集には長けているけど、カタチが見えないものごとを掴み取る、感じ取る、内側を観察する感性が鍛えられていない人が多い、これじゃあ、物事を掴み取ったり描くことは出来ない、でも本人たちはその重要性にあまり気がついていない。
もしボクがこの発達障害と云うこの厄介な障害を抱えていなかったら自分は現実的な人間な生き方だったただろし、今のように感性を鍛えられなかったと思う。