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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

感じ方受け止め方が違えばその後の人生には差が出る。 

昨日、写真家の十文字美信さんのカフェで飲んだブレンドコーヒーは大変にやられました、もちろん昨日初めてそんな気になったのではなく、昨日が特にそう云う気になりました。
そもそも、十文字さんがコーヒーを焙煎するきっかけはボクが自分で焙煎していたことがきっかけで始まりました。
4年くらい前、十文字さんのギャラリーでボクが個展をしていた時、マネージャーと雑談していた時に、自分でコーヒー焙煎している話題が上がり、その雑談が十文字さんの耳の届いて十文字さんは焙煎を始められたのです。
でもそこはやはりただの人じゃない十文字さんです、たった数年で一般人がどう逆立ちしても辿り着けない域に一瞬で行ってしまい、そこに自分と十文字さんとの生き方の違い、探究心の深さの違い、問題点は見逃さない研ぎ澄まされた感覚の違いを考えさせらてしまいました。

昨日飲んだ十文字さんのブレンドコーヒーはボクには奇跡のような味でした、どうしたらこんな味が作れるのか不思議でたまりませんでした、それは自分でも日々試行錯誤しながら豆を煎っています、自分の煎るコーヒーは決して悪くはありません、でも十文字さんのブレンドのようには自分はどうあがいても出せない限界を感じてしまいました。
ボクが昨日十文字さんのコーヒーで感じたことは自分で煎らない人にはまず分からないと思います、もし自分で煎らない人があの味にすぐ気がついたなら、それは相当研ぎ澄ました味覚感性の持ち主だと思います。
ほんの微かな味の違い、普通なら気がつけないほんの微かな味の違いに途方もない追求が隠されています。

世の中には「人間はみな平等」ということばがあります、でもボクにはこのことばに両手離しでは賛成できない違和感を感じてしまいます、もちろん究極を云えばすべての人間の命の尊厳には優劣はないでしょう、でもこのことばの落とし穴を理解していないと間違った方向に行ってしまうと思います。
人は同じ物を見ても深い眼差しを持って何かを見いだせる人がいます、でも一方同じ物を同じ条件で見ても何も見えない、何も感じられない、目先のことばかり目写りする人もたくさんいます。今日のコーヒーのように同じ物から何かちょっとした違いを見つけられる人と何も見つけられない人がいます。
見える人は単純に才能は天から降って来のたかと云えば、そうではないのです、ほんの微かにしか見えない何かをリスクを背負い大変な努力した結果、見いだしたものです、空から降って湧いたとは違うのです。
それが出来る人と出来ない人がたしかにいます、その差はたいへんな違いです、決して平等なんかではなく生きるステージがまったく違うのです。