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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

茶人の夢 

「茶人は茶道具に凝る」と云うことを聞いたけどその気持ちは分かる。
茶の世界にハマると器とか茶器に凝りお金を惜しまず買い集め一心にその世界に入り込んでしまうが、この感覚は現実的な価値観で生きている人には、どうしてそうなっちゃうのかピンと来ない感覚かも知れない。
ボクはコーヒーを求め自家焙煎をずーっとやって来た、かれこれ20年くらいはやっていると思う、今はネットで生豆は楽に買えるようになって自家焙煎家は増えそこら辺りで自家焙煎珈琲という看板を見るようになった。
ボクが始めたころは生豆を売ってくれるところがなく、ずいぶん高い値段で生豆を買って自分で煎っていた、そこまでして自分で煎らなくてはならなかった根拠は市販の豆があまりにもヒドかったからです。
でも最近コーヒーに対して感じたことはいくら焙煎が良くて美味しいコーヒーが作れるようになったとしても、その器が安物では話しにならないと感じ始めた。やはり良質のコーヒーとは美味しく、かつ品があって美しくないとセブンイレブンで飲めるコーヒーと変わらなくなってしまう。
書き出せば延々に書けてしまう、とにかく器もコーヒーのうちとばかりに器を探し買い求めるようになって気がつけば次々におもしろそうな器を見つけた、気がつけば器を次々に買い足すことがもう止らなくなってちょっとした、依存症、器症候群になってしまった。

始めに買い始めたころは、特に思い入れもなくオークションで2〜3千円程度で落札出来る日本の器から始めた、ところがそれが他を見るとどうも品に欠けるというか品物の品位と云うか、なんだかモノ足らない、気に入らない。
それで予算をアップしてヨーロッパ物に手を出した、たしかにヨーロッパ物は日本モノにくらべて多少、品があることに気がついた。
ブランド名にはこだわらず、とにかく自分が気に入った物を買うようにして気がつけばロイヤルコペンハーゲンが手元に最も多い。反対にマイセンは興味がない、またデンマーク以外、北欧カップにはまったく興味を感じない。
それとイギリスの花柄カップがわりと好きだ、それらをいくつか買いコレクションが増えるにつれて、目がどんどん肥えて、カップに対する合格ラインの基準がどんどん上がる、始めは良いと思っていた器がどんどん安っぽく感じるようになった。今になって思うと前はこんな物を良しと感じていたんだと思うようになった。
オークションだから市場相場から考えるとかなり安く気楽に買えるから、気になった品を見つけ次第どんどん落札させる。そのうちに新しい現行商品はあまり気がそそられなく廃版になった物ばかり結果的に探している、やはり今風の器デザインは興味の対象ではなく、興味の対象はどんどん古い時代のものになって行く。
今は1900年初頭1800年末期の品に興味がそそられる。先日落札したカップは1800年末期の品で、その感触は実に素晴らしい、カップの白地が象牙のような白地、手描きのバラの絵柄は何とも云えない絵柄でした。
じーっと見て感じるのは当時のヨーロッパ人たちが夢見ていた世界観と優雅な気分がそこに凝縮されている気がした。
これを見て感じたのは、100年の年月は確かにいろんなモノを生み出した、飛行機が飛びパソコンが登場し、携帯電話が登場した、しかしこの100年の間にわれわれは途方もない夢をどこかに置き忘れて来たようだ。