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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

作品展 儚い夢の作品について 直感 

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前回書いたコラムでは、作品作りで大切にしていることについて書きました、今日は2つ目です。
表現された作品を見る時、一番つまらない作品と感じることはアタマで作った作品です。見るからに感覚ではなくアタマしか使っていない、閃きとか直感とか官能がまったく感じられない作品は見ていて辟易とします。表現する者はアタマと感覚は別次元であることをしっかり認識、使い分けができないようでは失格だと思う。
いつも製作中、感覚1本に集中します、アタマ思考が入り込むと作品は理屈ぽくなり鮮度を失います。

閃きとか直感はアタマで考えることとはまったく別の説明がつかない不思議な力を持っています、心に伝わる力があります、引き出す力、呼び出す力があり、それらの作品は人の心を捉え魔法に通じる力です。
ところがこれは人の思うようにが動いてくれず人はアタマを選びアタマで表現するようになります、そして感覚は力を失います、では閃き感覚をどうやっていつも自分の良きツールとして確保できるかと云えば、感覚は実に気まぐれでこれと云った確かな方法はない。
云えることは、本物をたくさん見て心が動く体験をすること、感覚的に自由な人、確かな表現力を持った人に出会い生き方を学ぶこと、退屈な環境だけに留まらず旅をすること、この環境でできることは作品に対して時間をかけて湧き上る思いに敏感になること。
時間をかけるについてですが、これについてはある程度表現力がないと意味はないが、一連の作品を額に入れ時間をかけて見続ける、時々配置を入れ換えたり、違う作品を隣に置く、場所を変える、とにかくあらゆることをやって感じ方を変えます、そのうちにダメなものは淘汰されグッと来るものが次第に見えて来ます。
その時、そこで感じた感覚を拾いカタチにする、繰り返せば気がつくといろんな思いに気がつく。アタマより、自然に湧き上る思い、それを見つけて拾い集めそれらが寄せ集まって自然に世界が出来る。アタマで作った作品が如何につまらないかカラダで知り、やがてアタマで考えることは作品の中で居場所を失って行く。
多分芸術世界で結果を出した人たちはほとんどこんな非生産的なやり方で自分を探して行ったと思います、でも本当に直感的で良い作品は最初からぐっと心に来る存在感を放っています、しかし、時間をかけて見続ける、これもまた何かが見えて来ます。