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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

才能とはいったい何なのか? 

写真を撮ることを仕事にして30年くらいの月日が経ちました。(助手時代も含む)
いつも目の前をちらついたのは「才能」と云うキーワードです、才能と云う単語に今と昔では受け止め方が変わったと思います。
あの当時は才能がある人をたしかに羨んだ時期もありました、でも今になって思うのは自分でいうのも相当オコガマシイ感じに聞こえると思いますが、やはりボクは生まれ持ったものがありました、それは良い意味でも、良くない意味でもしっかり生まれつき才能を持っていました。
それは今になってハッキリ自覚出来ます、考えて見たらボクは始めから写真が撮れていました、その後も何のたいした努力もなく、カメラで遊んで、ふっと気がついたら上手く写真が撮れる自分が始めからいたのです。
それは才能と云うよりも、何なんでしょうか?鋭い感覚なのでしょうか?好奇心でしょうか?とにかくしっかりしたイメージがきちんと始めから備わっていました。

では、才能っていったい何のか?今日はボクなりにそれを話しします。
世の中でいう典型的な才能とはこうでしょう、ボクの記憶ではこんな話でした、幼少時のモーツアルトがある教会の門外不出の楽譜を彼は演奏を一瞬、聴いてその場で即興で楽譜を書き出したのです、帰る時、事情を知らない教会の人に呼び止められ「こらこら、教会の楽譜の無断持ち出しはダメですよ!」とたしなめられた、そこに書かれた物は完璧な楽譜だったと云う逸話です。
明らかにこれは典型的な天から授かった神がかった才能ですが、巷には彼はこれをするために生まれて来たような才能を持った人はゴロゴロいます。例えば、人を纏めるのが上手い人、料理がうまい人、スポーツが万能な人、写真が上手い人、、、、。
才能とは云うなれば、どこの学校にもいる運動神経抜群、スポーツ万能のようなものだと思えば話が早いです、肉体に宿る能力、センスとでも云いましょうか?写真もそれに似たようなモノだと思います。
世の中には生まれつき数学的な思考が得意な人、苦手な人がいます、ボクは苦手な人でした、数学的な思考はゼロでした、ボクにとって数字とはただの記号でしかなく、数字の羅列はただの暗号でした。まったく攻略する意欲はなく、学校で数学のテストは難解な古文書の解読を迫られたようなものでした。
仮に攻略法が少し分かったとしても、数字の羅列に何の意味を感じなかったので、数式を解き明かしたい気はなく、いくらテスト前に勉強にヤッ気になっても吸収力がまったくないのです。子ども心に自分はダメなヤツ、無能なヤツだと思ってずいぶん傷つきました。
ところが本格的なカメラを初めて手にした時、さあここから何かが始まる、立派な写真が撮れるぞと云う、強い意欲とワクワク感と怖いモノがない感覚、根拠のない直感と自信が始めから自然に備わっていました。
そこに壁はまったくなく吸い込まれて行くような感覚でしょうか?多分モーツアルトも音の感覚には始めから直感的な閃きと絶対音感があったと思います。
あたかも自分の心の奥底にある魂のふるさとに戻る帰巣本能、それをすることで自分らしさを取り戻すような感覚です、だから仮に行く先に障害とか不足があったとしても、それを必ず払い除け乗り越えてしまう強烈な潜在力が生まれ持って備わっている、そんな感じです。
もちろん、どんな才能を持とうが人はそこに現実的な表現スキルを身につけなければ表現は成立しません、でも動機が他の人と出所がまったく違います、凡人がいくら努力をしたところで彼らには敵うわけないのです、彼らはもっと根源的な天の啓示によって動いている節すらあり、凡人にとって努力を努力と感じないのです。
凡人の目には血の出るような努力を人知れず重ねます、努力を努力と感じているようではそもそもたいした才能がないと云うことです、彼らは魂のふるさとに戻る行為は血の出るような努力はただの遊び感覚なのです、ここまで来たら、それはまさに正真正銘のピカピカの才能と云って良いと思います。

でも才能とは人が羨むほど良いものではない面を持っているのです、あったがゆえの苦しみがあります、才能とは世間常識の間に軋轢を生じさせます、時にして才能のおかげで人生をぶち壊しにもなります。途方もない才能は凡人には理解が出来ない悲惨さを引き出す危険を孕んでいます。
世の中からすれば協調性のないバランス感覚がとても悪い人として扱われます、そう云う人にとってその能力に合った働きの場がなければこれは悲劇そのものです。
仮にピカソ級の才能を持った人が単純労働の働きの場しかなかったならば、絵を描く環境にまったく恵まれなく絵を描くなんてまったく知らなかった、その人はどんな気持ちになるでしょうか?ボクの想像では余り余る感情を発散できないで、激しい感情を持て余すでしょう、逆にそれが引き金で凶悪犯罪に走ることもあり得ます。
これは笑い話のようですが、その人生を余儀なく送った人が世の中にどれほど多くいたでしょう?これは才能があるばかりの悲劇ですが充分にあり得ます。