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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

才能とはいったい何なのか?(2) 

才能にはランクがあり、本当にこの人は天からの啓示、常識では考えられない天賦の才としか云いようがない人が稀にいます、そこまで神懸かり的ではなくともそれに近い能力、ボクは身近にそんな人に何人か会って来ました、今日も引き続きその話です。

才能とは、写真で云えば一般人がなかなか撮れない良い写真をカメラを始めたばかりで次々に撮ってしまう人と世の中では思っています、以前はボクもそう思っていました、でも最初はそんなにキラリとした才能開花はしていなくても、じりじりと頭角を徐々に表し時間をかけて大きく開花するタイプも中にはいます。
こんなタイプもいます、写真を撮る動機付けが、表面的ではなく、心の深いところから、まるで別次元から直感的にメッセージを受け取っているような感じで写真を撮るタイプです。
表現は幼少期からずーっと抱えていたはるか遠い思いを表現を通してカタチ化している、忘れていた遠い記憶がそこに写っていてその表現を見た人は埋もれていた記憶を次々に引き出されてしまう作品。
そんな時空を超えた立体次元の表現が出来たなら、それはまさに啓示としか云いようがない表現ではないかとボクは思います。そしてこう言うタイプは往々にして開花に時間がかかり、あまり世の中一般に受け入れられないようなどちらかと云えば、サブカルタイプが多い気がします。
どうやら人間の行動原理とは日常的な現実的な感覚で物事を表現する人と、心の深いところから来る思いを動機付けとして動く人がいます、往々にして人の記憶に残る業績を残した人は後者の方だと思います。
例えばイチローのモチベーションは多分、ただ負けたくない、勝ちたい、お金を稼ぎたい、それだけの動機だけではあんな仕事はできないと思います、多分凡人には理解できない動機だと思います、でもそれは実は至ってシンプルな動機、例えば、子どもたちに夢を与えたいとか、、、、。
偉人はシンプルな動機に途方もない神秘性が隠されています、凡人ではそこまで思えない動機、神より選ばれし者たちだけが持てる思い、それはやはり才能だからです。ちょっと宗教的な胡散臭い話になったけど、これはそんな珍しい話ではなくボク自身もこれに似た体験をしています。
心の奥から来る潜在的な動機と表面的な小手先の動機は明らかに表現そのものが違います、その表現動機が心の奥から疼いたなら、それはまさに才能だと思います。
でも何度も書きましたが、多くは才能があれば何だって出来てしまうように思いがちですが、才能があったからプラスばかりではないのです、才能があるが故の苦しみもあるし、その苦しみの根拠は実は才能だったことに気がつけないことだってあります。
また優れた才能を持ちながらまったく違う環境に生まれたなら、才能に恵まれていながら充分発揮する環境に恵まれなかった、時代背景、生まれた環境の壁、これらの条件で才能を充分発揮するどころか、それすら気がつけず一生を終わってしまう人、持て余した情念の苦しみだけが残ったなら、これは明らかに悲劇です、でも昔はそんな環境下で埋もれて終わった人はいっぱいいた気はします。
実際ボクの父がそうだったと思います、父が残した遺品を見て感じるのは当時としては相当な才能を持った人だったと思います、育った環境が裕福で戦前に東京芸術大学にまで入学して、戦争で体を壊しボロボロで帰国し、当時は時代が時代です、働きの場は限られていました、そして戦争による病の後遺症で才能を発揮しまいまま早死にした人生でした。