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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

写真センスとは感覚だけでは片付けられない。 

写真家修業時代、広告写真家にとって重要なことは何か?とあれこれと悩み、考え、人の話から考え、とにかくいろいろ悩んで考えた時期がありました。
どんなに考えてもこれは結論に到達できないと、ボクなりに壁に突き当たっていた問題があった、でも今になってそれがハッキリした、ただしこれはボクの答えであって誰にも通用するかどうかは確かではない。

その問題とは写真表現をする上で重要なのは、感性なのか、テクニックなのか、それに対してどっちの考えに自分は立つのかずーっと考えていた、まあ今になって思えばなんだかバカバカしい話にも思えるが、やはり当時の自分には笑えないことで、そこは何としてもシロクロハッキリさせたいところだった。
当時のボクが信じていた考えは、絶対感性で撮って行くべきと思っていた。
その根拠は写真表現とは、描くべきゴールを目指して表現されるべきで、その指針のベースは感覚表現であって、それを実現させるツールがテクニックと固く信じていた。
しかし、他の人の主張は広告写真とはテクニックが表現を成立させる、テクニックが先で感性とはそのテクニックの先にあるもの、とにかくテクニックがなかったら何も始まらない、と云う考えだった。
ボクはその考えは確かに一理ありそうだけど、好きになれなかった、それは例えるなら、人生とはお金だ、お金があって食べて行ける、お金がなかったら何も成立しない、お金の確保がまず先、自分が何をしたいのかはお金の次にあることだ、と云われたみたいでなんだか、この考えに違和感を感じていた。
当時ボクの身の周りの広告写真家は、感性はほとんど感じられない写真家が多かった、彼らのやり方とは技法をハンで押したように技法から始まって終わる、決まりきった撮り方で、そこにキラリと輝くときめきはなく魅力を感じなかった、だからテクニック重視の考えはボクは抵抗を感じていた。
しかし一方、感性が重要とか云っても、テクニックがなければ表現はやはり成立しない、とどつまり右とか左との問題ではなく、要はそのサジ加減、バランス問題であって、どこに着地点があるのか、それについてどのような見解を持っているか、何も決まらないまま時が過ぎた、現実はそんな議論はどっちでも良いことだと思った。

あれから30年近く年月が経った、今はそんなこと考える前にまずカラダが動く、そんなことはもうどっちでも良いと思えるようになった。
でも最近、そのことについて再び考えた、それは自分のためではなく、若手にそこをどう教えるか、それについて考えるうちに何十年ぶりにこの問題について再び考えた、そこで出た結論はまずこの問題自体が今思えば稚拙な考えだったと気がついた。
テクニックに対してあまりにも浅い見方しか出来なかった当時の自分の浅はかさを実感した。
ひと言にテクニックと云うが、テクニック自体そんなに単純にシロクロ区別できる物ではない。
光の捉え方は単にテクニックではなく、美意識の感性があって描けるわけで、光の描き方はテクニックであり、感性です、さらに云えば光の描き方一つでその被写体の存在感に関る重要な問題です。
イメージさえあれば、単純な技法で優れた複雑なテクニックと同等の存在感を放てることもあり、この場合はテクニックは不要と判断出来ること自体がテクニックと解釈出来るし、テクニックと感性は重なり合い表裏一体の関係でどっちがどっち、単純に分別出来るものではない。
現状のボクの考えはテクニックを引き出しと考えそれをいくつか揃えます、現実的には表現するとはその引き出しの使い分けで成り立ちます、その引き出しの使い分け、扱い方がセンスそのものであり感性だと考える方が現実的だと思います。
つまり、テクニックか感性か、どっちかを取ると云う考えは、今思えばそれは非現実的な考えだったとボクは思います。