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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

歴史の年号丸暗記 

最近、自分は年を取ったからか歴史のおもしろ味がやっと理解出来るようになりました。
NHKのBS番組「英雄たちの選択」と云う歴史番組は毎回興味深く見て感じることは、歴史とはある程度下地教養がなければ心に深く入って来ないと思います。
下地の教養とは、ある意味人生を一回りし年齢を重ねたころ身に付くものかも知れないと思います。もちろん年をいくら取ろうがそれにあまり縁のない人もたくさんいますが。
日本の歴史とはまず朝廷とは何だったのか?武家たちにとって朝廷とはどんな存在だったのか?それを少しでも知らなければ歴史のリアリティーはないのではないかと思います、もちろんボクだって、そこを深く知っているわけではないのですが、少しでもその下地が身に付けば難解だった話は生々しいドラマに変貌し見えて来ます。

なぜ、源頼朝は京都から遠い鎌倉を選んで幕府を開いたのか?どんな狙いだったのか?頼朝は朝廷に対しどんな関わりだったのか?頼朝亡き後、北条政子が後鳥羽上皇に兵を挙げた承久の乱とは何だったのか?あの時代においてそれがどれだけ稀な事だったのか?
織田信長は足利義昭将軍を奉じて京都に上洛した、あの信長が兵力を持たない足利義昭にどうしてこだわったのか、信長は将軍に敬意すら持って上洛したが、あの独裁者の信長のイメージとは遠い気がします、信長にとって足利将軍は何だったのか?あの時代が少しでも理解出来ていないとついて行けない話です。
また徳川家康は信長、秀吉とはどこがどう違ったのか?関ヶ原の合戦とは何だったのか?なぜ徳川幕府は250年も続いたのか?なぜ吉田松陰は死罪を覚悟してペリーの黒船に行ったのか?歴史を嗜むとはまずその時代の背景、最低限の知識がなければ何も入って来ない、逆にそこが見えると歴史は遠い話ではなくなります、政治的な駆け引き、戦略、勢力の栄枯盛衰、権力の成れの果てが見えて来ます。
まだ若く田舎侍にしかすぎなかった織田信長が10倍の兵力を持っていた今川義元との桶狭間の合戦を見れば、この合戦はどうしても避けられない信長にとっては、如何に命をかけた苦渋の選択だったか、信長の戦略が見えて来ます、これは決して単なる過去の話ではなく現代にも充分通用すると思います。

学校の歴史授業では、歴史に対し基礎教養もない生徒たちには好きとか嫌いとか苦痛であろうがやはり教えないわけには行かない、ならば理屈抜きに年号丸暗記させるしか手はないのかも知れない。
何にでも言えると思うが何かを学ぶためのカギは下地だと思います。下地がない相手にいくら熱心に教えたところで物事は効果的に身につかないが、下地がある人は一瞬にそれを身につける、つまりここでの下地とは素質と云うことです、つまり才能があるとは下地があると云うことです。