FC2ブログ

アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

心の不思議さを描く 

前回書いたコラム内容を読み返しました、書いた自分ですら分かりにくいので噛み砕いてもう一度書き直します。
作品とはいろんな段階があります、多分その多くは心の表層表現だと思います。
表層表現とはつまり日常生活の周りにあるものを材題にする、時代感覚、価値観、つまり時代の先端の感覚を材題にしたりです。もちろん一概には決めつけられないが、時代感覚を材題にすればほとんどは時代感覚のコピペーで作品はだいたい終始しそれがほとんどです。あとはそのコピペーする箇所の目の付けどころセンスとどれくらいコピペーに表現力があるか?それくらいです。

それとは別に人には心の奥にはいろんな思いがあります、それが単なる一個人の思いなら、わざわざそれを作品に描いても仕方がないのですが、思いのある部分には不思議な事に人と人に共通性と云うのか不思議な繋がりがたしかにあります。
その共通性は日常生活では感じることが出来ない神秘性があります。それは現実生活にはない神秘感覚です、それが「絆」なのかも知れないし、それが奇跡的に共有出来た人と人との関係は「深い関わり」なのかも知れないし、いずれにしても日常の感覚とはまったく別です、それが人間存在の面白味であり、心の不思議さであり、どこかで心と心は繋がっているのかも知れない。
それを上手く描いたものが文学性芸術性の高い作品と云うことになるのかも知れません。そのつかみどころのない深層心理の欠片(かけら)を描くこと、これがボクが云う表現であり、内界と現実界を繋ぐ役目が表現作品だと言いたいわけです。ただ云える事はここで書くほどその表現はやさしい事ではないし、純度の高い表現はそうやたらにある物ではない。だいたいは、それっぽく似せて作られた作品が大半じゃないかと思います。
ボクにとって深層を描く重要なカギはアタマで考えたことは使わない、そして湧き上がる思い、閃く思い、思い出すような感覚、この感覚から来たものは不思議な事に人の心を捉えます。そこに内面を描くことの面白味と醍醐味があります、この面白味にくらべたらアタマで考えたことはおもしろくないです。
この湧き上がる意識をくみ出すと云うのは小手先のコピペー感覚はほとんど使い物にならず、別の思考回路を必要とします。これがこの表現のおもしろさなんですが。