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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

作品作りについて(8)まとめ編 

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一連のコラムで書き続けて来たことは、作品を通してていろんな出会いを果たし雑誌の仕事からなんとか写真家としての足場を固めた、そこから次、広告の仕事に辿り着き人目に付く仕事に出会い、それを繰り返して今日まで無事にやって来た、決して楽ではなかったけど、ボクが辿って来た事は端から見たら充分、御の字に映るかも知れない。
でも助手を辞めてカメラマンになれるまで日本を出て撮影旅行をするか、帰国後はバイトの日々か、何年もその生活の繰り返しを続け、アシスタント時代の仲間たちはボクは完全に脱落した、もう写真界には戻れないと誰もがそう思っていたらしい、しかしある日、写真界にボクが復帰した時はみんなはビックリしたらしい。
でもボク自身、自分に強い信念があったより過去にいくつか仕事に就いて来たが、どれも自分の出来そうな仕事は見つからず写真しか出来そうになかった、しかも年齢もそれなりで、ここで結果を出すしか逃げ場は残されていなかった、それが現実でした。
長く潜伏したことに終止符を打って仕事をもらって晴れてカメラマンとしてスタジオに立てた時、その時の感動と云ったらなく、胸の底から激しい感情が込み上げて来ましたが、あの気持ちはずーと忘れない。
ボクが在籍したスタジオのアシスタントの間で、スタジオを辞めてから13年経ってなんとか広告の仕事に辿り着いたことが彼らの伝説だったと聞いたけど、撮影旅行とバイト生活の繰り返しがなんとか奇跡的にやって来れました。

第一回目の冒頭に書いた通り広告カメラマンにとってプライベート作品とはどう位置付けするか、そこにどういう意味があるか?それはいつもボクにとっての重要なテーマで、それが書きたくて今回これを書き始めたくらいです。
ひと言で広告写真と云っても、そのあり方は人によって様々です、ボクはいろんな場で自分の作品を「これは広告じゃないな〜、あなたは広告が基本的に分かっていないね、広告とはこう云うのじゃないんだよ。」と、行く先々で説教に近い感じで聞かされました。
最初に就いたカメラマンにも、「ワタライ君は広告じゃないね、作家先生のところに行きなさい、うちでは勉強にならないから」と云われた、早い話がウチでは合わないから辞めてほしい、と云われたも同じでした。
たしかに冷静に考えれば一般に広告写真とは何か、商品があって販売促進が目的なのが広告で、その写真が広告写真です、とすれば、広告写真家を目指してインドに行く、中国の山岳民族を作品にする考えはまったくマト外れも良いところです、「オマエは一体何を考えているのか?」と云われても仕方がない。
しかし、ひと言で広告と云っても、単純な商品カタログから、ここに挙げた花畑の戦車まで、実態は広く何でもアリなのが広告のフトコロの深さです。そんなものはほんの一握りの写真家の仕事だ、それで食べて行けるのか?とも云えるし、それが出来るから広告写真家になるんだ、とも云えます、さてそこをどう考えるか?です。
でも少なくとも、今ボクにとって、そう云うものは広告じゃない、広告とはこう云うモノなんだ、と考える広告ADと写真家に、この手の花畑の戦車の広告は決して出来ないと思う。
要はこれが広告か、広告じゃないかと無意味な議論をするより、つまり自分が写真家になって何がしたいか、そこが重要じゃないかと思います、またこう云う云い方も出来ます、芸術家タイプの写真家が広告をする考え方と現実的写真家が広告をする考え方生き方の違いかも知れません。
それで、普段から作品をライフワークとして撮っていると写真はどうなのか?なんですが、お願いされた事を感情移入はなくきっちり仕上げる写真家にくらべて作家性の写真家の持ち味は尖った表現性だと思います。
特に企業広告は現実的な広告ではなく企業の品格を描きたい場合に叙情的表現力が期待されることが多くプライベート作品をどれだけ本気か問われます。でも現実はそんな仕事は広告の中でもたくさんあるワケでもなく、またそれに就ける写真家はごく一握りに限られるから、食べて行く事と夢を追う事は別勘定にしておく考えも分からないではない。ただボクは別勘定の生き方が出来なかっただけです。
最後に書いておきたいのは、作品とは実に不思議な力があります、作品があるおかげでこれが自分だと思っていた自分とまったく違う自分の人生に出会うことが出来、ボクは作品があったおかげで助けられたことを感じます、だから今後も作品活動を飽きずに続けたいと思います。