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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

美大ゼミの課題 

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美大教授であり広告アートディレクターAさんからある日、大学のゼミの教材用に写真を撮ってほしいお願いをされた。
内容はAさんがウチの近くの浜で拾ったゴミを撮ってほしいから始まり、後日20人くらいの学生たちをここに連れて来るから、撮った作品を学生たちに見せてトークしてほしい」
「数日後、学生たちはここに集合し、Aさんが拾ったゴミとその写真を彼らに見せ、学生たちはそれを参考にして、今度は彼らが浜でゴミを拾いここに戻って来る、彼らのゴミをボクが6月の半ばくらいまでに撮って仕上げてゼミで発表する、つまり彼らの拾ったゴミを写真家に撮ってもらう、それが作品としてどうバケるかが表現のおもしろさであり、彼らにアートディレクター体験をさせる」これがゼミの主旨です。
もらった課題はこんな感じです、「マトモに払えるような予算がないからデジタル出力で良いよ」とAさんは云ってくれた。何人か学生たちのゴミを撮るとは聞いていたけど、まさか19人も撮らなければならないとは実は当日になって初めて気がついてボクは正直、気が遠くなった。
でも今さらここで引き返すわけにも行かないし、仮に始めから19人と分かっていたとしても引き受けていただろう。
彼らは浜で拾ったオブジェ(ゴミ)を拾って帰って来た、いくつかは素直にイメージが読めるモノもパラパラあったが、大半はボクの想像範疇を越えたモノばかりだった、覚悟はしていたがやはりそうなったか、これらを一体どう扱ったらマトモな絵になるのか手に負えそうにないモノが半分以上だった。
これまでボクが過去撮った作品は、自分にとって扱いやすそうなモノが中心で、つまりこれがどうバケるかが先が見えるモノばかり選んで来たけど、今回はそうじゃない、自分なら絶対に選ばない、拾わない、それらのモノから結果を出さなければならない。これは帰納法と演繹法の違いと解釈すべきなのか、、、、、、、?

差し出されたモノは何を意図して拾ったのかボクには分からない、人の発想とはホントに数限りなくあるものと妙に感心した、まずその攻略として彼らにその意図、どうして拾ったのか、それをどう撮って欲しいのか、イメージラフをざっくり描いてもらいコメントも添えてもらった。またどう撮っても構わない人にはただひと言「おまかせ」と書いてくれれば良いと伝えた。
あらためて彼ら彼女らが拾ったゴミ?オブジェ?を机の上に並べて見た、決められた条件はモノクロで6月半ばまでに撮る。あとは何をしても構わない。
さて、これをいったいどうしようか?19人が拾ったオブジェ(ゴミ)と、どう戦うか?手間ヒマ掛ければいくらでも掛けられる、逆に手を抜こうと思えばいくらでも抜ける、並べてパッパと撮ってインクジェット出力すればそれで終わる。でもそれなりの一定以上の作品に上げられる自信はあるが、それではつまらない。
それをするくらいなら始めから受けない方がまだマシだ、手を入れる入れないはたいした問題ではない、要はこの作業自体が愛せるのか、楽しめるのか、拒絶したり楽しめないか、そこが大きな分かれ道だ。いい結果を出すには如何にしてこの作業を楽しめるか?問題はそこだ。
でも新ためてゴミを見ると何をしようがやはりボクにはただのゴミにしか見えないモノが多かった、自分なら拾わない、そんなモノばかりに見えた、でもだからこそどうするか?攻略のやり甲斐がある気がする。
それについてはあまりアタマで考えすぎないこと、まずはとにかく撮って判断することに考えを切り替えた、撮った物が仮に悪ければまた撮り直せば良いだけの話、見えなくなった時の最大のコツは、まず撮れるモノから撮る、そして撮った作品をじっくり見る、答えは必ずそこにある、そうすれば良い、アタマで考えたところで無意味だ。
ここ数年、何度も作品展をやって身に付いたことは自分のスイッチが入っていれば、少々の枠にハメられようが、必ず目を引く作品にまで持って行ける自信がある。要はスイッチが入るか入らないかだ、最近そこに気が付いた。
予算面ではデジタルの方がずーっと安いが、あえてフィルムで撮ることにした、理由はモノクロはまだ薬品と印画紙の画像は暗室スキルさえあればずーっと深い表現が無数に出来る、ただきれいを求めるならデジタル出力の方が昨今はきれいかも知れない。
デジタルではどうあがいてもとても出来ないことが印画紙で出来る、また今回のテーマはデジタル表現よりもフィルムの方がボクには合っている。またフィルムをほとんど知らないデジタル世代の学生たちに「こんなことは出来ないでしょう?」と、彼らに一泡吹かせたい企みも少しある。
まずフィルムで撮った画像をネガスキャンしてパソコンで見た、だいたいの見通しはそこで立てられるが具体的な処理法は暗室で判断するにして何枚かプリントした、まあまあかな?〜と思いつつ、でもやはりモノ足らない?そんな気持ちを抱えながら暗室作業を開始した。
19点中、半分くらい作業し終わった辺りだった、思い切って、感極まってまったく違うプリントを試し上がった画像を見て衝撃が走った、流れがガラリと変った、「これだ!」とハッとした。作品作りとはこの閃きがすべてだと思う。逆に「ハッとする」感覚がない作品は、得てして理屈っぽく退屈なことが多い。
それがここに上げた電球画像です、このプリントを見た瞬間、ほぼ1日中現像したプリントはすべて捨てた。これは決してきれいではないけど、この方がゴミの表現には合っていると思う、ボクはきれいに仕上げるよりカッコ良さを選んだ。
上がった作品をギガファイル便でまずはAさんに送った、Aさんは非常に気に入ってくれた、この諸々の制作過程とその考えなどを大学のゼミでトークする事になりました。
今回の宿題を通して感じたのは、自分なら拾わないモノからも意外な発見と出会いがあることを感じた、とは云え大半はどうカタチにしたら良いか、先が見えず苦労する事が多いのも確かで、でもこう言う課題をもらえるのはやはり楽しいと思う。
最後に、アート世界のおもしろさは、閃きとか直感に頼る要素が多く、理数系、文化系では大学に行かなかった人が大学の教鞭を取ることはまずあり得ないが、アート分野ではこんなことは少しも珍しくない、要するに「感覚的なことについては学校で学べることがすべてではない」と云うことの証です。