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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

魔法植物園(9)ガーデニングの心 

植物園と云うテーマで作品を撮っていますが、特に植物だけ的を絞って植物図鑑を作っている気はありません、ここで何度もしつこいほど書いたように、植物のある空間を描こうと思っています、そこに何らかの魔法がかかっていたら良いなと思って作っています、その魔法に触れた方が少しでも癒されたり夢を感じるファンタジー作品になることを目標に作っています。
植物にまつわる心、それは考えて見れば日本文化の基本ではないかと思います、過去の文人たちが名作をたくさん残しています、その業績を思えばなにも知らない無知な私が安易な作品で自己満足するわけには行かず、冷静に考えれば途方もないテーマを選んでしまったとやり始めてその大きさに気がついたようなものです。
しかしやはり私はどこまで行っても私でしかなく、自分の感性のまま素直に自分が選んだテーマを淡々と描く行くしかありません。それで特に尻込んだりもしないし、私は私でしかないと思っています。

まず植物園についてです、植物園とは先日書いたように植物、動物、と云う区分け考え方には私にはない、植物にたいして学術的な考え、図鑑、博物館、のような考えもない、英語でボタニカルガーデンと言うように、植物園の根底はガーデンであって、ガーデニングされていない、その意識が低い植物園には再び行かないと云うことです。
モネの睡蓮の池は、池に睡蓮がただ咲けば良かったのでないのです、睡蓮があって、池があって、日本風の太鼓橋までおき、京都の日本庭園ように睡蓮が咲く雅な池空間がモネは欲しかった、それはモネの絵からも察することが出来ます、一つの睡蓮の群落はどれくらいが妥当か、群落と群落の間隔はどれくらいが妥当か、池の周りはどんな植物を植えるべきなのか、そこまでちゃんと計算され尽くして庭作りがされています。

びっしり隙間なく無造作に睡蓮の球根を植えるのではなく、適当な優雅さ、水面と睡蓮の配置バランスが考えられ、池の中でポツポツと点在していますが、これが当たり前のようで実はここまで考えられた睡蓮のある池は今の日本ではめったに見られない。
今、睡蓮の季節です 、見どころと聞けば、何カ所か訪ね歩きました、しかしその多くは池の実態は、まるで蓮根畑のように水面が見えなくなるほどびっしりと無造作に植え込まれています。ところどころ葉と葉は重なり合い跳ね返ってあまりキレイではなく、とても睡蓮の名所とは呼べない状態ですが、これがほとんどです。
日本人だから、フランス人だから、ではないのです。その心に近づこうとしたした者だけが、その心の心随が分かるわけです。それにしても、日本人はいつの間にか先人が残した文化、「風流、風情、雅」と言うことばをどこかに置き忘れてしまったと思います。