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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

自転車で北へ出発した。 

ロンドン生活を始めてアテもなく、フラフラと毎日お金と時間を浪費していた、どこかでバイトをしようと試みたが英語がほとんどできない、僕らにできることは限られている、しかも不法就労の立場だから余計にそうだ。
イギリス家庭にホームステイして主婦の手伝いをしながら英語学校に通い、わずかなお小遣いをもらうのか、生活費がタダになるのか詳しく知らないけどオーペアー制度が当時はあった、それは日本から手続きするらしく一般に女子に限られていた。
アールズ コートと云う街のスーパー入り口ボードにたくさんの貼り込み情報があり、雑多な情報目当てにヒマになると情報探しによく来ていた、英語学校紹介、英語個人レッスン、日本語本販売、不要になった航空券売ります、不用品売ります買います、バイト情報、部屋探し相談、バカンス期間部屋貸し、帰国します不用品放出、これらは日本人向け、日本語で書かれてあった。
もちろん日本人向けばかりじゃなく、英語、フランス語、ドイツ語、アラブ語、意味不明の言語もあった、バイトするなら出来るだけ英語環境に入らないとここに来た意味がない、もし日本料理店で皿洗いでも良いならあの当時はいくらでもあった、しかし給料は安い。
毎日掲示板を眺めて暮らして意外に思ったのは、想像していた以上にロンドンには日本人社会がありました、ロンドン在住5年とか言っても必ずしもみんなが英語堪能ではないわけです、日本人社会がここまで確立していたから、日本語だけでも部屋探しからほとんどの生活は足りてしまう、それと日本時同士で固まって英語での関わりをしない人が案外多い事実にもびっくりしました。
そんな環境なので、本気で英語を学びたいなら日本人が住まない田舎町を選んでのんびり英語を勉強する人が結構たくさんいることも知りました。

定期的に見ていた情報板でアラブ人経営の安宿バイトを見つけ、すぐ近くなのでその足で行った、そこでは面接も何もあったものじゃない、会ったその場で今から働けと云われた、給料は週10ポンド(1ポンド500円くらい)夜、受付の床に布団を敷いて夜中客のためにドアー鍵を開けること、真夜中ひっきりなしに客は来る、それと朝食の手伝い、それで仕事は終わり。
帰る時、主人から帰ったら部屋を引き払って今日からここで生活しろと云われたが感覚が違いすぎて労働条件もへったくれもない、あまりにもひどい労働条件、とても続ける気にはなれず、そこに二度と戻らなかった。
ついでにロンドンで探した部屋について、アールスコートのスーパー掲示板は頻繁に見に来ていた、そこで見つけたエージェント(日本人向け)に部屋紹介があった。
場所はシェパーズブッシュ駅から徒歩5分くらい、ロンドン中心のやや東寄り、交通はわりに良いが、街の奥にはアラブ系かインド系か分からなかったけど、見慣れない顔を隠したアラブ風の女性がいっぱい歩いている街だった、さらに路上で生活雑貨も売っている怪しげな街、ここが本当にロンドンか?と思うくらい異様な街に映った。
今ならそんな光景はどってこともないけど、あの当時はアラブ人ばかりの街は僕には異様な街にしか見えなかった、ロンドンとかパリはちょっと中心から外れると、こんなところはちっとも珍しくない、でもあのころの僕にとってはなんだか怖かった。
部屋の建物はアパート形式ではなく一階に家主が住む民家の2階3階を間貸しだった、イギリスではアパートではなくフラットと呼ぶがこの手の小さな1部屋間借りはフラットではなくベッドシッターと呼んでいた。
部屋代は週10ポンド毎週前払い、部屋は6畳くらい、部屋の隅に奇妙なガスストーブがあった、キッチントイレは間借り人の共同使用、水道、コンロ、冷蔵庫、鍋、フライパン、ガスコンロ、お皿、スプーン、フォークまで揃っていた、ベットも毛布もタンスも机もすべて揃っていた、週一回、家主がベットを直し、シーツも換え、掃除機までかけるからまあり汚くしておけない。これは要するにアパート部屋を借りるのではなく日本の下宿生活みたいなもの。
僕らがエージェントに紹介手数料は払わなくて家主からもらうシステム、しかも礼金もない、ただし1週間分のデポジットは払うが敷金みたいなもので出る時に戻る、コンドミニアムみたいで入った時から生活ができる便利なシステム、ちなみに入る時、何度も何度もデポジットを払ってくれと云われたがその意味がまったく分からなくて辞書を引いてやっと理解した。
ちなみにここの家主もアングロサクソンのイギリス人ではなくスペイン人かアラブ系で顔は朝黒く話す英語もやたらにおかしなアクセントで話すから時々何を云ってるのかさっぱり理解ができないことがあった。
部屋探しで気心が知れたエージェントから「日本料理店の皿洗いやる人を探しているけどやらない?誰か知らない?」と聞かれた、仕事内容は夜、日本料理店で皿洗いの仕事、あまり気乗りしなかった、やっぱりこれしかないのか、、、?と落胆したがでも毎日することはない、毎日持ってきたお金を使うばかり、ここでそろそろバイトすべき時期だな、と相当迷ったけど引き受けることにした。
条件はここも週10ポンド、交通費なし、晩飯付き、労働時間は5時から9時くらい(だったかな?)給料は日本に比べてすごく安い、ハッキリ云ってつまらない仕事だった、わざわざロンドンまで来て一体自分は何をしているんだろう?と思ったが、でもこれが自分が選んだことの結果、悲しいかなあれこれ文句が云える立場じゃない。
そこで働く日本人女子店員たちからの話がおもしろかった、彼女らは日本で何かの募集でロンドンに夢を持ってやって来た、その契約条件とは空き時間に英語学校の通学可、部屋と食事はすべて支給、具体的な給料は聞かなかったけど、2年契約、その期間を守らないと日本ーロンドン往復の交通費は自己負担。
ロンドンで働ける話を聞いて彼女たちは夢見てやって来た、でも現実、部屋は個人部屋ではなく2人相部屋、毎日日本人に囲まれ英語はほとんど上達しない、学校は行けるには行けるが、わずかな空き時間に強い意志を持って自己管理しないカンタンには行けない、労働時間が長いワリに給料が安い、ほとんどがまさかこんなハズじゃなかったと後悔する、これが彼女たちがこぼしていた不満だった。
そんな彼女たちの少ない楽しみの一つは、僕らのように突然バイトにやって来た自由人からあっちこっちの話が聞けることらしい、そこで働く女店員の中には、ふらりとバイトに来た自由人と恋に落ちて、そのまま一緒に疾走した子もいたらしい。なんとも悲しくもおかしな話に聞こえた。
僕はその日本料理店でどれくらい働いただろうか?多分1ヶ月少々だったかな?季節は8月に入りかけた時だった、このままここでいつまでもくすぶり続けるわけにもいかない、さりとてこれから何をしようか?いろいろと考えた。
ここで何かをするには英語学校に入って語学力を付けるか、上手いことどこかのバイト先を見つけるか、またはこれからどこか旅するか考えた、そう思ったら「よし!今がチャンス、この時期を逃すとスコットランドは寒くなる」そう思ったら翌日には自転車を買ってイギリスを1周する計画が浮かんだ。
もし自転車の旅で持ち金が底を尽きたら、その時はもう日本に帰国しても良いかな?と考えた、たまたま買ったtime out という雑誌(ロンドンの情報雑誌)で知った高級自転車店に行き、そこでちょっと高級な自転車を買った、数日後にバイトも部屋も引き払って出発の準備をした。
ちなみにあの頃、今みたいに「地球の歩き方」とか、情報というものがほとんどない時代だった、あったのは団体旅行者が買いそうな使いものにならないガイドブックしかった、ほとんど情報も持たないまま自転車でスコットランドに向けて出発した。