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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

あのころのボクにはサラムーンの作品は魔法そのものでした、 

フランス人女流写真家でサラムーンという方がいます、ボクにとっては写真とはこの方が原点でした、サラムーンの映像の価値観、作品の捉え方はとてもファンタジーで、多分そのテイストはかつてボクが十代のころハマったフレンチポップス、フレンチ耽美、フランス人のセンスそこにあるからだと思います、ボクは彼女を目印にして自分の写真探しを続けてきました。
彼女に出会ったのはずいぶん前からでした、まだ20代の半ばのころ、名古屋のデパートで「サラムーン展」を見た時でした、当時は粒子の粗いカラー作品が印象的でしたが、モノクロ作品はまだ現実的でこれと行った個性的な表現法はなかった、それが何年か経って、突然モノクロ作品にはガラリと異変が起きました、そのインパクトがボクの目に止まり、それからサラムーン崇拝者になりました。

それからずいぶん月日が経ってからの話です、一時、ヤフオクでジャンルを問わず若手から海外の大御所まで目に止まった作家の写真集、アービングペンからヒロミックスまで、ありとあらゆる写真集を片端から落札させていました、多分100冊以上は落札しました、でも落札した写真集のほとんどは目を通したらあまり長く手元に置かないですぐにヤフオクで手放しまた新しい写真集を落札させる、を繰り返していました。
多分、ボクには残しておきたい写真集がなかった、またはボクが写真集を集める趣味がなかった、まるで貸本屋で借りては返すように写真集を集中して見ていた時期がありました、多分これといった写真集を探していたんだろうと思います、そして手元に残った唯一の写真集がサラムーンの「COINCIDENCES」たったこの1冊です。
彼女の作品集に納められた一連の4x5ポラネガからプリントされた現像ムラで荒れたセピア色の作品、最初にこれに出会った時、衝撃を受けました、その後のボクの写真の価値観を示唆するほどの出会いがそこにありました、なんというか圧倒的な雰囲気と云うのでしょうか、他に類を見ない彼女だけのオリジナルな世界がそこにありました。
表現法はたしかに独特でしたが、撮り方に関しては巧みな撮り方ではありません、どちらかと云えば、大雑把というか素っ気ないくらいに感じました、でもそれが並ぶとこれまで見たことがないほど迫って来るものがあります。
見るたびに思うことは、どうしてこんなスッピンで素っ気ない写真にこんなに心が動くのだろう?この魔法にかかったようなインパクトはいったいなんだろうか?小細工ではなく図太く自由奔放に撮られています、でも冷静に見てそこに感じる思いはこんな思いです、「こんなので良いんだ」です。

上手い写真が撮れなければプロとは云えない、この常識と業界の呪縛がありボクらはそこに縛られ生きています、仮にボクらがこんなサラムーンのような奔放な作品を持って営業に行ったとして「これは良いね」と云って歓迎されるとはボクは思いません、現実はこれでは仕事になりません、ではそこにあるカラクリはなんなのか?ボクはずーっと考えそこに横たわる業界の現実に向き合い悩みながら、どうやって自分をカタチにすべきか?悶々とした日々を送っていた、今になってあの当時の気持ちを振り返りながら思い出します。
商業写真家のほとんど、彼らのブック作品を見て感じる印象は業界の呪縛にやられている気配がチラチラと見えます、その暗黙の影響に押しつぶされている現実を感じます、でも大御所じゃなければ、きちんと仕事を取って続け食べていくにはそこは逃れられない宿命で仕方がないことです、ボクが特に強くそれを感じるのかも知れませんが、この呪縛を微塵も感じさせない自由な写真家は若手では残念ですがボクの記憶にはいません。
ところがサラムーンはいったいどうなっているのか圧倒的に自由です、彼女にとって写真表現とはルールもへったくれもないようです、自分がやりたいこと好き放題、勝手気ままにやっているように感じます。それについて本人は現実どうか考えているか知りません、むしろ彼女なりに苦しんで戦った結果、ああなったのかも知れません、でも誰からの目からもサラムーンはとことん自由で奔放な存在に感じるとボクは思います。
でも今になって冷静になって思えば彼女の写真は他の写真家をしのぐほど完成度が高く素晴らしいとは思いません、見方によっては下手な作品、技術面でも、見方によればめちゃくちゃな作品です、これでも商業写真家として通用するのか?と唖然とさせられるくらいです、ここまで来たら写真ではなく美術品です。
それは何ものにも指図影響を受けない個人的な写真と云う見方もできます、でもそんな個人的な作品だからなのか、物語が強く伝わってきます、彼女の作品が評価されるのは写真が良いからとは少し違うような気がします、そこにあるのは自由、奔放、独特な気配とパワー伝わって来ます、彼女の独創性がおもしろいのだと思います。

かつて食べて行く呪縛から手足が出なかったころ、ボクの目にはサラムーンは魔法そのものでした、どうしたらこんな魔法のような表現ができるのか、何も知らなかったころは、それがただ不思議でなりませんでした。
でも今はそんな風にはもう感じません、今はもっと冷めています、何も分からなかったころ、手品師が見せる手品はまるで魔法にでもかけられたように感じたのは、まだ何も知らなかった「うぶだった」からです、自分で作品を作る側に立って、魔法をかける側としてあれこれ魔法のかけ方を考え修練を繰り返すうちに、どうすれば見る側を効果的に魔法にかけられるのか何度も仕掛けを探って行くうちに手の内は自然に分かってきます。

特に意地悪にサラムーンの粗探しをしているのではなく、自分はどんな作品が作れるのか、何ができて何ができないのかを見つけて自分で一つ一つ丁寧に育てるしかないのです、サラムーンにいつまでも憧れ影響を受け続けても仕方がないのです、仮に類似品を作ったところで行き着く結果はもう分かりきっています、そんなことは楽しくないし、もうしたくもありません。それはもう分かりきったことです。
どんなにサラムーンがあのころの自分に大きく影響をした神のような存在であったとしても、それは彼女の生まれた環境文化とか彼女の育った場所はボクとはまったく違います、つまり彼女は彼女であってボクはボクなんです。
作品を作るメリットはここです、つまり昔のボクには魔法に映ったことが、今のボクにとって見たら、それはごく普通のことでしかないのです、心の目は経験によって不思議なくらい成熟させらます。この修練によって得た熟成感覚の方がよほど魔法にかかった気がします。