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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

自分に対する嘘 

多分これは写真に限らず、何にでも共通すると思うんですが感性を駆使する表現活動で欠かせないのは、ささいな嘘、自分への嘘を見抜く心の目を鍛えることは大切かと思います。
「自分には嘘はつけない」と云うことばがありますが、それは実に疑わしいことだとボクは思います。自分への嘘の使い手は世の中にはたくさんいる気がします。
身近な例では、自分が本当に迷った時、どっちを取れば良いのか迷った時、本当はこっちを選びたいけど、いろんな事情を考え、こちらを選べば周りからどう思われるか?そう思うと不安になりあっちを取った、これを毎回繰り返していると、自分の気持ちがそのうちによく分からなくなり、その違和感が気にならなくなります、仮にそれが苦渋の選択だったのではなく、わりとその選択があっさりできてしまうようです。
現実はホンネとタテマエはあって当然と云う風潮があります、まあたしかにそうなんですが、でもそのさじ加減はむずかしいところで、これが普段の生活であたりまえ化すると、そのズレの違和感に慣れっ子になって何がホントで何が嘘なのか分からなくなります。

今回、新しい作品を取り掛かる時、始めに思ったのは、過去の作品展に感じた嘘くさい違和感は今回は決別したいと思いました、でも決してこれまでの作品展が嘘くさくて不満だったと思っていません、我ながらまあそこまでよくやったと思っています、でも自分の気持ちをよく見るとまた同じことを繰り返す気にはなれない何かことばにならない違和感はたしかに感じています。
今回の作品制作の動機は心の奥に埋もれた、気になる何かを見つけ出してリセットしたい、今になってそんな気持ちで始まった気がします、自分はまだ自分に出会って作品を作っていない気がしました、実際に今回その作業をやって強く感じます。
なんで今までそこに気がつけなかったのか、こんな単純なことなですが、多分作品展を作ることに精一杯でカタチを美しく作るとか、結果のことを考えたり、そんな雑ごとに心は奪われ自分はホントは何がしたかったか、そこに耳が傾けられていなかった、例えそこが見えていてもしっかりと見ない自分を感じます。
結果的に自分に対してどこかで嘘をついていたように思います、自分に対してもっとベストな選択ができなかったのか。この些細な嘘の違和感を見抜ける目、自分が何を感じているのか、そこを正しく観察できる目、これが大切です、作品作りの出来の良し悪しはこれがあるかないかでほぼ決まると思います、ここがしっかりすればスキルなんて自然に付いて来る気がします。

表現活動でそれができる人が感性の優れた人と思います。
人間のモノの見え方とは実にいい加減なモノです、その時はすごく良いと思っていた作品が時間が経って別の作品を作った後にそれを見直すと見え方はガラリと違った感じ方をします、その時はこれが一番良いと信じて疑わなかった、でも今になって過去の作品を見るとそれは自分の作品であるような誰かの影響も強く感じつつ、そこは否定できないと思います、でもあくまでも影響は受けたけど、それを盗み取ったわけじゃない、だからあれはやはり自分の作品ともいえます。
でもあの時よくあんな気持ちでいられたものだと今になって、その違和感を感じます、でもあの時はあれしか持ち札がなかったから他に選びようがなかったけど、作品というものはやはり自分の心のファンタジーで作るべきで、今ならもう誰かの影響を受けた作品は絶対に作りたくはないと思っています。なぜならそんなつならないことに膨大なエネルギーとお金を消費することはあまりにもバカらしくてやってられないからです。

まだ自分が未熟だったからからそうだったのか、またはまだ自分がよく見えていなかったからか、または自分を見ようとしなかったのか、あの時でもそこはうっすら見えていたけど、立ち止まりたくないから自分をごまかしていたのか?
ここでシロクロと結論の出し急ぎをする気はないけど、ボクとしてはこの辺の微妙な心の機微、シビアな目とまっすぐな感性を持っていないと、作品作りはそこそこ止まりで、それ以上の奥の奥へ作品は深まって行かない気がします。