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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

表現のリズム感 

今、次の作品の試みとして写真の背景にもっと物語性を描きたいと思い、ならば物語をそのまま平行して書こうと思いました。
いつかは文章も僕自身で書きたいと思っていたんですが、なかなか思うように自由に書けない物です、やはり写真家ですから気軽に文は書けませんでした。
でも今回は写真を考えながら物語も同時に考えています、それが結果的にどうなるのかがよくわからないんですが、これがやっていて新鮮で作品物語をあれこれ考えることにワクワクします。

それで現実にいざ物語を書き始めると、どうしたことか舞台で上がってセリフが出てこないに似て思うように文がスラスラと書けない、もちろん書くには書けるのですが、文がぎこちない、文になっていない、思いが文に乗ってこない。
これには正直な話、驚きました、まさかこんなことになるとは。
文を書くには、文の骨格部分のストーリーを書くと同時に、文に弾み、感情、リズム感を乗せることが必要です、スートーリーを書くのは比較的アタマで書けますが、文の色気はアタマで考えて書く物ではなく、文にのめり込み、自分の感情を文に移入させて書くものです。
ブログを書く時は、何も考えず誰かに語りかけるように、気持ちを文に乗せて、書きたいことを遊び気分と感情的気分を、文とそれらの気持ちがピタリと合わさって書けます。

ところが、自分が物語を書こうとする時、どうしたことか、どこか意識をしすぎで肩に力が入り込んでいるのか、感情が思うように出てこない、下品な話ですがいざやろうとしても立たないような状態で妙にぎこちない。
僕はおとぎ話を書くことが念願でしたが、そのためにブログをせっせと書いて来たつもりでしたが、いざとなったら思うように文が書けない、これには驚きました。

気にしないで書くうちに、そのうちに書けると思うので、まじめに真剣に気にはしていないけどこんなことは写真を始めた頃の気持ちを思い出しました。
僕が上京して写真を本格的に学び始めたころ、当時、撮っていた写真はちょうどこんな感じだったことを思い出します。
写真を具体的に撮ることと写真に色気をつけることを同時にしなくてはならない、それを意識しないでジャズ演奏するみたいにスイングしながら写真を撮る、これは初心者にはなかなか思うように出来ない。
どれくらいの脚色で撮れば良いか、そのさじ加減が掴みにくい、その存在感が圧倒的なら何もしなくても上手くいく、逆に存在感がないものをなんとか、脚色であるように変に力んで表現する、これは何かがおかしくなる。所詮ない物はどうあがいてもない。
そのさじ加減が上手い人がセンスがある人と思うのですが。