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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

広告写真とそうでない写真 

以前、ある広告写真家が僕の作品を買ってくれた、作品を渡す時、彼はこんなことを言ってくれた、「オレは広告の写真家だけど渡会はアーチストだ」「オレだって広告だよ」「イヤお前はアーチストだ」、、、、、、、、、。
よくまあそんなこと同業者に素直に言えるなと彼の人間の懐の深さに感心した、それを聞いた時、なんとなく評価されたと感じたけど、彼の言う意味が何を指すのかあまりよく分からなかった、なんとなくは分かる、でもよく分からない、彼は僕を過大に評価しすぎじゃないの?と言う気持ちもあったけど今ならその意味がよくわかる。
要するにその話は、広告の写真家とは、クライアントが何を作りたいかほぼ理解できて、時代のセンスがあって、クライアント要求の写真がムラなく上手く撮れるフォーマット(スキル)を持っている、言い換えれば特に奥の深い芸術的な写真を求められているわけでもなくそれが撮れなくても良い、それが一般に言う広告写真家だと思う。
一方、アーチスト写真家とは何かといえば、アートの資質を持っているのはもちろんだけど、アートの資質と時代センスは別物でそんな小賢しいセンスなんかむしろ持っていない方がアーチストとしては良いかも知れない、さらにクライアント要求にあれこれ応えなければならない広告と違って、あれもこれもできる必要はない、代わりに自分の表現に対しては、行くところまで行く、開きそうな扉はすべてこじ開けてでも開いてやる、この野心を持っていることがアーチストの資質だと僕は思う、それが今になって前より深く理解できたと思う。

ある大御所写真家が以前僕の作品を指して「これはインテリアだ」と言った、いわんとすることは分かるけど、ではインテリアじゃどうしてダメなのか、とその時本気で思った、僕の作品を買って部屋に掛けたら、場の空気がガラリと変わってくれたなら、写真家として申し分がないと思っていたし、それのどこが問題なのか、その意味がわからなかった。

でも作品展を試行錯誤しながら何回もやると、作品について、ああでもないこうでもないとグルグル無駄なことも考える、時には人に意見を言われて考えることもある、果たしてこれでいいのか、自分は本当は何がしたいのか?これから自分はどこに向かいたいのか?それについて考えたり、側から見たらどっちでも良いような事をあれこれイヤでも考えざるを得ない、それをしないと地図にない道を探りながら歩く事はそうカンタンにはできない。
そんなことばかり、朝から晩まで考えては作品作りを続けていると写真の考えが年とともに変わる、否が応でも変わらないと前に進まない、前はとにかくいい写真さえ撮れば目的は達成していた、それで満足だと思っていたが、今はその考えは変わった、ただ良い写真だけ追う考え方ははっきり言ってもう飽きた。
多分、そんな考えだけでやっていたら作品活動は壁に突き当たって長く続かないと思う、それにいい写真なんて撮り方のフォーマットさえ出来てしまえば撮ることはさほどむずかしいことではないと思う、広告写真家はそうやって結果を出し続けているワケだし。
また良い写真とは、その時、その時、の気持ち次第でそれが良い写真かその見え方はどうにでも変わる、問題はその良い写真の奥に何があるのか?そこでどれだけ読み手の心を動かすことが出来るか、それを手出しする方がよほどおもしろい気がする。
今は作品がズラリと並んだ時に、その作品全体から何か言いたい事が伝わって来るような作品が作りたい考えに変わった、逆に言えば作品全体に中味があるなら一枚一枚の写真はさほど良い写真ではなくても良いという考えに変わった、だから前みたいに作品の販売はしずらくなったのかも知れない。
前の作品の考え方は作品全体よりは、額に納められた1枚の写真が、どこまで強い存在感を放てるかが重要だったけど、今はそれだけで終わらない考えに変わった、そう思うと、たしかに僕の写真は以前はただのインテリアだったと今になって思う、やっとそこに気がついた。こういう事はもし自分が真剣に作品活動をしていなかったら、いつまでたっても気がつかなかった事かも知れない。
冒頭の話題を戻します、広告写真か、アート写真か、この考えははっきりした、ただ単に良い写真だけの追求ならそれはただの広告写真なのかも知れない、それがいくら純粋な個人作品だとしても考えが広告写真のままならどこまで行っても、それは広告写真かも知れない。
その、広告か、アートか、それはどうやら生まれ持った資質で決まるようだ、広告の器を持った人がいくらアートがしたくても、どうあがいても、どこまで行ってもその人は所詮は広告でしかない、なぜなら価値観の優先順位は現実的なことがまず先に来る、これが広告写真家の生き方だから。
逆に生まれ持った器がアートならば、思考の構造はアーチストであるから作品は世俗的な現実性はあまりないことが多々ある、また小賢しいセンスで作品を作らないし思考も直感的だ、冒頭の広告写真家はそこらが僕に言いたかったと思う、みんながみんな、必ずしもそうとは言えないにしても、広告写真に対してならば、こういう言い方になる。
しかし生まれ持ったアーチストといえば広告写真家と言うより良さそうに聞こえるが、中途半端にアーチストに生まれてしまうと、できる仕事は限らててしまうから仕事は少ない、これはハタが思うほどそんな幸せな人生ではなく結構しんどい、とにかく経済的に生活が大変だけど、生まれ持った体質だからこれはもうどうにもならない。