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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

恩師、有田泰而 

僕の下積みは有田泰而と言う写真家の助手につきました、有田さんは本当に才能が豊かな方でした、油絵も描き個展をしたり、晩年は日本が合わなかったのか、広告写真がストレスだったのか、日本での仕事をわりと早く引退しアメリカ西海岸に夫婦で移住し2年くらい前アメリカで亡くなりました。
僕が有田さんについたのはスタジオ時代の友人が有田さんにつき、僕は別のカメラマンにつきました、でもそのカメラマンと方向性には合わなくなり有田さんのところに友人のセカンドとして採ってもらいました。
僕が有田さんに惹かれたのは写真がとてもしっとりとした哀愁がありました、今振り返ると広告写真で自分の作家性を表現して成り立たせられることは至難の技でどうしても仕事数が限られます、その道の第一人者じゃないと成り立ちません、でも当時の広告は今より夢の需要がずーっと多かったのかも知れません。
有田さんの作風は広告であろうが、いつも有田さんでした、それが僕にはマジックでした、スタジオでライトを作るのは僕らにはデーターとその仕組みはちゃんと分かっていました、でも僕らにそれができるかといえば、もちろんマネて作ることはできたとしても、やはり有田さんには歯が立ちません、スタジオであろうがロケであろうが条件が変わっても、環境が変わっても有田ワールドがちゃんとありました、それが僕には不思議でした。
今になって自分にも自分なりにできるようになって思うのは、要するにデーターとかパソコン後処理とかスキルで撮る写真ではどうしても表現が出来ないテイストがある、そんなものは本当の意味では何の役にも立たないことを有田さんは証明するように体で見せてくれました。

こんなことが一番印象に残っています、infasという雑誌からの巻頭ページの依頼でした、多分旅に関することなのか?どんなテーマだったかはわからないけど、A3サイズくらいの紙に旅で拾い集めたガラクタ小物、錆びたキャップ、ゆがんだ古い釘、錆びたネジ、古びた金具、古びた海外のチケット、貝殻、木辺、古い紙マッチ、古い絵葉書(だいたいこんな記憶でした)。
見方によっては本当に下らないただのガラクタばかりでしたが、有田泰而はそれを紙の上にさっさと並べて濃いめのアンバーフィルターを掛けてあっさり撮りました。上がりを見て驚愕しました、まだものを観る目線の幼い僕にとって、「こんなことってあるのだろうか?」目で見ただけならただの紙の上にガラクタを並べただけです、写真にするとどうしてここまで世界が描けるんだろう?そのワケを知りたくて上がりをじっくり見て考えました。どうしてこうなったのか?を考える習慣をこの時から身につけました。
写っているマテリアルはすべて海外で拾い集めたものばかりでした、買って集めたものではなく、旅で出会って拾い集めた物ばかりです、出会った時からファンタジーを感じ捨てないで取っておいたんだろうと思います。仮にこれを日本の雑貨屋で買い集めて撮ったとします、仮にこのガラクタを他のカメラマンが撮ったとします、でもこの空気感は有田さん以外には出せないだろうと思います。
要するに、旅があって、出会いがあって、生活があって、実態があるんです、買った物とか、アタマで考えて撮った物では、これは出来ないことを見せつけられました。でもそれをより深く理解したのは旅で同じ経験を踏んで、それが撮れるようになった時からでした。
それが有田さんの下で働く助手生活でしたが、でも現実の助手生活はそんな夢ばかりではありません、有田さんは相当神経質なところもあって有田さんとの関係はあまり長く続かず終いにギクシャクし始め、僕はある時、突然解雇させられました。まあ仕方がなかったです、もう少し有田さんから吸収したかった気はしましたが。

それから僕もそろそろカメラマンとしてデビューしなくてはなりません、そのためにはまず作品を作らなくてはならないのですが、作っても作ってもまともな作品は思うようには出来ません、どれもこれも自分の写真じゃないし、どうにもしっくり来ません、有田さんから学んだことの意味は辞めた後により深く気がつきました。
でも有田さんの作風を安易にマネて作品を作ろうとはさすがに思いませんでした、マネたところでどうしようもないし、仮にマネたところでマネにならない気もしましたし、どのボタンを押せば作品が自分が思うように動きだすのか、自分に何が足らないのか、糸口はどこか、撮っても撮ってもロクな写真は撮れず、悶々とした日々を送りました。
あの時期が一番きつい時期でした、でもカメラマンになろうとする助手さんたちにとってそこが越えられるか越えられないで終わるか、まさにフルイに掛けられた時期でした、僕は日本に留まって空回りしながらこれ以上撮っても仕方がない気がしました、環境を変えた方が良いと判断し、家内と二人でインド、アジアに向けて長期の旅に出ました、とにかくアタマを一回リセットしたかったのです、旅で写真を撮って、そこで考えれば良いと思いました。
僕は常々感じていたのは、有田さんの世界観は豊富な海外生活から来てると思いました、だから仮に日本しか知らない人が 有田さんのガラクタコレクションで同じように撮ったところで、有田さんのようには絶対に撮れないと思っていました。
有田さんが雑誌で撮ったマジックはデーターを残せられるものではなく、イメージや気分があって、それが写るようにイメージして撮ったから写ったのだと思います、多分何かの映画のシーンとか、何かの印象だったり、広告で通常やっている撮り方とはまったく違うイメージから撮ったものだと思います。
それが僕が旅を続け、旅で出会った物を撮って有田さんの作品を思い出し重ね合わせてまた撮って、それを繰り返すうちに僕なりに見えてきました、こういうことはやはり実態があまりない日本より海外の方が分かりやすい気がします。
ただライティングは別です、ライティングは具体的な論理があります、有田さんは雰囲気で撮るばかりではなく具体的に有田ライトの論理をきちんとありました、それを時々僕に丁寧に説明してくれました。
でもそれとて話に聞いて理解したところでどうにもなりません、自分で実際にやって考える必要があります、いろいろバランスを変えたり自分にしっくり来るまで散々試してやっと自分の物になります。
時々若い子たちに、そこを教えるんですが、「聞いただけでは自分の物にならない」これがわからない人があまりにも多く聞いたことを自分で実際に自分自身に置き換えてやらないで話を聞いただけで終わる人が大半でした。
僕は有田さんが日常使っていたライトを自分の撮影に取り込んだことは一度もありませんでした、拒否したのではなく自分は自分のトーンを探したかったからでした、でもすべては有田さんのライトの考えか方から出発して自分のライトを作った、撮影は光を軸に写真を仕上げる考え方は、間違いなく有田さんから学びました、もし有田さんに出会っていなかったら自分は今ごろどうなっていただろうか?と最近思います。