FC2ブログ

アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

異端的表現 

img1317.jpg

僕は写真というものの捉え方、撮り方、表現の目指すところは、自分の理想を基にして写真を撮っています。早い話自分が良いと思う撮りたい個人的世界を追求しています、そして誰もだいたい同じような気持ちでいい写真を撮りたい、同じような感性で写真は撮られているものだとてっきり長年、思っていました。
ところが自分がプロになっていろんな人と出会って、人の写真を見るうちに、多少の違いはあれど最終目標は誰もそれほど変わらないと思っていたものが実はそうじゃなかったという現実を見ました。
要するに僕からすれば、現実的な思考でモノを捉えモノを撮っています、これには驚きました。
この世界を目指しそこで仕事をするとは、誰もそれなりに鍛えられた感性を持ち、それは当然必要とされ、仕事をする場だと思っていたけど、現実を見てその考えは崩れてしまった。
もちろんそれに気がつくまでにずいぶん時間がかかったし、自分も自分の理想とする表現力を実現して、その現実に気がつきました、そして自分は大多数からからすればかなり異端で少数派的な考えだったことに気がつきました。。
大多数の方々にはそんな時間の止まった感覚、風流人のようなモチベーションなど始めから持っていないのか、それはごく一部の選ばれし才能だけが持てる物なのか、そんな遊びではなくもっとビジネスライクにお金を稼ぐことが重要課題であって、そんなのは分かってはいても現実に忠実に誠実に人生を選びとっているのか、そこらは良く分からないとして、実態は夢と懸け離れた現実感覚でモノは作られています。
僕にとっての感性がみんなの思っている感性と同じなかったし、感性とはもっと混沌としていろんなタイプの感性があって、いろんなカメラマンがそれぞれの感性と考えでそれぞれの夢を持って写真を撮っています、言い換えれば僕が感じていた直感的でストレートな感性で写真を撮っている人、同じような考えは思ってるほど多くはないことを痛感しました。
その理由は、広告制作の現場ではいくらクリエーティブとはいえ現実的な思考で物は作られています、そうじゃないと仕事は成り立ちません、スポンサーさんに企画を出して合意をもらいすべては約束の上で制作は動きます。
広告制作のシンプルな目的とは広告物が投資に見合っただけの商品の売り上げを実現してくれるかどうかです、ならば優先順位は美術的な価値観とか感性ではなく、約束通りに決められた予算と枠内であるレベルの物が出来て売り上げ効果があるかないかです、それが感性とか芸術性のような非効率生産性など無視してもスムーズに効率よく売り上げが達成出来るならば感性なんて必要がないわけです、実際そう真面目に思っている人はたくさんいると思います。
だからローカルのチラシには芸術性とは無縁で、ただ大きく安売り商品の写真と値段を載せれば広告の役割は果たすワケです、この発想は実を言うと結構大きな広告界でも十分健在です。
つまり広告とは現実的な効率追求の部分と非効率で感性的な部分、この二つの矛盾した価値観で成り立っています、よってそこで求められている才能とは純粋な芸術的な才能ではなく、その両方を発揮できる才能、現実と感覚のバランスが取れている才能が一番必要とされ重宝がられそういう人材が成功します、この業界では。
写真とは本来、説明はあまり多くは必要ではないと思います、でも説明をあれこれ必要とする写真はやはりありますが、説明をどうしても必要とするくらいなら僕は物語を添えたいくらいです。
僕自身、写真とはパッと見た瞬間、心が奪われないようではダメだと思っていました、写真とは絵画的で直感的あるのは疑うようのない当然と思っていました、絵柄から何かが伝わって来るべき物であって、そこに説明文を添えるとか、作家の思想性を説明文を理解して成り立つようではまだ完成されていない作品だと以前は思っていました。
写真になんらかの気配とか説明なんかなくたって、絵柄からじわじわ伝わってくるシズル感があって当然だと思っていました。写真とはそもそも言葉がないだけとても直感的だと思っていましたが、でも現実、みんながみんなそれが写真だと捉えていないのが現状だということに驚きました。
まあ今にして思えば、それは単に自分の了見が狭いだけのことなんですが、それにしてもやはり文章まで引っ張り込むだけの牽引力、すなわち作品の完成度がないとダメです。
世の中のコミュニケーションとは現実的な会話で大半は成り立っています、具体的に誰でもが理解できる言葉を使うとか分かりやすい写真の方が圧倒的に需要が多いのは当たり前です、もちろんん中には、そんな世の中だからこそ、言葉を必要としない沈黙な直感表現を重んじる人もいますが、大多数は直感に馴染みがなく理解ができないことが多いワケです。
要するに表現するには、例えばビンを作品として撮るにしても、浜で拾った無名のビンよりも、誰もが知るコカコーラのビンを選ぶ方が見る側に対し作品理解のきっかけとして圧倒的に有利です、知名度が高ければ高いほどアドバンテージが高く成功率が上がるのは誰だって理解できます。だから人はそれを選び、それが何度も度重なると作品はどんどん劣化し俗化します。
広告とはそんな狭間の中で作られていて、有能なディレクターの下ではなんとか命は破壊させず死守して作られますが、そうでないディレクターにかかれば、もはやクリエーティブとはとても呼べない生産になります。
僕が感じた直感的な表現とは、僕一人、ただのコミュニケーション下手で個人的で独りよがりで異端だったのかもしれないし、または芸術本来のあるべき姿にとても忠実だったのかもしれないし、しかし写真家業を商業写真をベースとして考えるなら直感的な表現法はむずかしいやり方に間違いはないでしょう、そんな環境で直感表現をするには今後どこに向かって表現すべきかは、現状、道なき道を行く気持ちです。