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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

要は楽しいから追求をする、 

僕は自分の新しい作品をこれから撮ろうとする時、始めから上手く撮れるなんて考えません、まだ何も掴めていないんだから撮れないのは仕方がないところから始めます。
まず手始めに撮った物を見て、さてこれからどうしようか考えます、仮に一発で良いものが撮れたとしても、その後、何度も繰り返せば、その一発目は必ず色褪せて見えて来ます、だから一発目に撮れたものなんて仮に良くてもあまり信じません。
撮り方を変えたり、目線を変えたり、物の見え方が変ったら、結果はどう変わるのかもっと深く知りたいし、何度も撮って上がりを見て考えます、それを繰り返すうちにそのテーマ自体がより深く理解できるし捉え方も多角的な視点で見えるようになるし、第一モノに対する目線の深まりは始めよりも出てきます。でも広告写真の場合、現場でそんな悠長なことはできないから、なおさらプライベートで時間をじっくりかけます。
被写体が人の場合はまた撮らせてください、、そう何度も頼めないからやはり慎重に撮ります、でも気に入らなくてまたお願いして撮らせてもらったことも何度もありました。
人の作品を見ればどれだけ腰を据えて撮ったものか見えます、ホントに良いものを撮りたいなら撮り直しを何度も繰り返えせば誰だって必ず進歩するはずだし、それはむずかしいことだとは思わない、でも人の話を聞くとどうやら人はそんな風に考えられないらしく、やはりこの考え方、やり方は僕のやり方のようです。
先日ある人に僕の代表作のビン作品を初期から最後までをズラリと見せたところ、その人は僕の初期作品を見て「僕ならばこのあたりでもう納得して終わっちゃうだろね、、、」と言いました。それを聞いた瞬間、「えっ、、、、、どうして?」と思いました、そこに人と自分の感覚のズレを見たようでややショックでした。
その方はプロじゃないから、、まあ分かる気もしますが、でもここで納得して終わる感覚がまさか意外でした、、、、、僕には第一歩として受け止める、人にはここで納得して終わる、この意識のズレ、でも実はプロで飯を食っている人ですら案外これが多いかも知れません。
正直言ってこの辺で良いかな、、、それ以上突っ込まない人の気持ちが僕にはよく分かりません、前に写真を教えた人(プロを目指す人でした)もやはりそうでした、花をあれこれ撮ってフェイスブックに何回か載せていましたが僕からすれば少しも良くない写真でした、でも彼はわずか数カットで止めてしまった、多分それ以後、撮っていなかったと思います、どうして根気よく撮り続けないのか気持ちが理解できなかったです。
彼の作品に対して前から理解し難かったのは、どうしてもっと完成度を上げようとしないのか、そこが僕には信じられない気持ちで彼を見ていましたが、今になってそれが少しわかる気がしてきました。それをする人としない人がやはりいるんです、それが例えこれからプロでもそうなんです。
じゃあどうして僕は執拗にそこにこだわるのか。
答えはカンタンです、すごい物を撮って評価されたいし、それが撮れれば良い仕事が取れるし、それをしないなんて考えられない、想像がつかない、どうしたらハッとする写真が撮れるかいつもそこにアタマがいっぱいです、これはある種のトラウマのような感情かも知れません。
でもそれを繰り返すことによって言葉にならない何かが身につきます、それは写真に限った話ではなく物を見る目も内面的に鍛えられます、それは広告の現場でもその目は助けになります、それにこれまで知らなかった未知の自分の世界に出会います、それが楽しいから撮るんです。
まあ、それが好きだからそうするんです、そこに理屈なんかないです。