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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

世界観のある写真 

c0222662_843573.jpg サラムーン dead roses

この画像はネット上から拝借しました。
昨日から「力のある写真」と云う題で感じていることを書いています、このブログをきっかけに何か参考になったら嬉しいことです、さて今日はサラームーンです、この方の存在は僕の写真家人生にとってどれほど大きな影響を受けたか計り知れないものがあります。
名前から察しがつくと思いますが、サラムーンは女性写真家です、元々モデルから写真家に転向したそうです、初めて彼女を知ったのは今から40年近く前、僕がこれから写真家になろうと志始めたころ、名古屋のデパートでサラムーン展があって見に行きました、しかしあの当時の名古屋のデパートで海外の写真家展をやっていたことはちょっと不思議です、そんな一般人を相手にサラムーンがどれほど知られていたのか?そもそも集客できたんでしょうか?
僕がサラムーンに大きく影響を受けたのは、なんとえばいいのでしょう、直接絵柄に影響を受けたんではなく彼女のマジックに影響を受けました。
初めて彼女のオリジナルを見た時、絵画的で幻想的な写真を撮る人だな、、、、すごいな、、、、あんな写真が撮れたらいいな、、、それくらいに感じていたくらいでした、でもそれ以上食い入るような教科書的な存在でもなかったんですが、それから数年後、再び彼女の写真に出会いました、彼女の作風は大きく激変しそれにショックを受けました。
以前の写真はなんというのでしょうか?まだ十分現実的な表現でした、それが激変した後の彼女の作風は現実的な雰囲気が もうどこか消えてしまった気がしました。それは何と言えばいいのでしょう?言葉を失うとはこのことでしょうか、「こんなのが本当に通用するのか?こんなのアリか?」という気持ちでした、ちょうど僕はそのころ、アシスタント修行も終盤を迎えたころでした、さてこれから自分はカメラマンにデビューするころです、僕らが仕事を取っていくためにどんな作品を撮って行けばいいのか?どういう出方をすべきなのか、僕ら駆け出しは業界に対してどう受け止めるべきか悩んでいたころです。
つまり、自分の出方の主導権は自分に選択肢があるんではなく何をすれば受け入れてもらえるのか、そう考えていたころ、彼女の姿勢は完全に挑発的に見えました。それは良い意味で言えば相手なんか関係ない表現とは自己中心的で十分だ、と宣言してる気すらしました。
まだ駆け出しの僕らが最初から表現出来る仕事にありつけるなんてまさか思ってません、またまだまだ自分表現が未熟な時、まったく指針になるものがほとんど見当たらない時、一体どこに腰を落ち着けて考えればいいのか?先が見えない時、果たして自分表現なんか可能なんだろうか?そんなことを考えていたころにサラムーンのあの型破りなセピアモノクロ写真に出会ったんです、「こんなのが本当に通用するのか?」これはショッキングな出来事でした。
よくよく見ると、、、、それはまるで魔法がかけられた気分でした、何てことのない写真に不思議と意味不明な世界があるんです、それを言葉でうまく説明できる自信がないんですが、彼女独特の世界がしっかりあるんです、それに僕は完全にやられました。
それまでの写真の概念と常識を完全にひっくり返された気分でした、それ以来僕の中ではっきりした価値観は、どんなに完璧なスキルで撮られた写真よりも世界観がある写真にくらべたらたいした意味なんかない、むしろ写真が多少大雑把なくらいが余計にやられてしまうということにも気がつきました。
じゃあ、その世界観って何なのか?ですが、一言で、はい、これが世界観ですよ、、なんて言えるわけがありません、それは誰かから提示されるものではなく自分の世界は自分の心を介して自分で探すしかないんです。
僕はそれ以来ずーっと彼女の写真集を教科書同然に時あるごとにつらつら見ては次の自分を模索してきました、ところが自分なりに自分の世界が見えてきた時、ふっと思いました、もうこれ以上、彼女の後ろ姿を追い続けるのはつまらないことだ。
これは彼女の世界であって、僕の世界じゃない、彼女の世界は彼女の生きている環境から出るものであって、僕はフランス人でもなく、日本人です、ならば僕は僕の世界があってしかるべきで、僕は僕の世界を探しそれを写真に表現することだけを考えていればいいんだとあっさり思った瞬間、もうサラムーンに以前ほど興味は感じなくなりました。
でも言えることはこれまでいろんな写真を見てきましたが世界観がしっかり表現された写真はそう滅多矢鱈にありません、でも僕はサラムーンにやられて以来、ずーっと写真とは世界観を擦り込む事を軸として考えています。