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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

音楽を使った撮り方、面白い結果が出ます。 

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写真を捉えることで、もう一つ違うちょっとおもしろい捉え方があります、今日の話はちょっと個人的な話になりますが、それは自分の好みの音楽を使って気分を乗せて撮る撮り方です、早い話、先日書いたように感覚的に撮る、これに今ひとつ気分が乗らない時に感覚を高揚させる方法ですが、これが意外に効果があります。
これを初めてした時、写真というのは如何にその時の気分が写るものなのか思い知った経験です、自分にとって何度、聞いても飽きない、その世界観にしっかりハマる大好きな曲を使わないとこれはあまり意味がないと思います、そして写真を撮る時に必ず聴きながら気分を盛り上げて撮ります。

ある方から「うちのギャラリーで写真展をしないか?」と、滅多にない方から声をかけていただきました、僕は当時撮っていたビン作品で展覧会をやろうと考えましたが、数が足らないからもう少し撮ろうしたけど、気持ちが今ひとつ乗ってくれません、この気分のまま撮り続けても仕方がないな、、、、、気持ちが乗ってこないし、、、、じゃあどうしたら良いか、、、、先が見えない悶々とした時でした。
せっかく久しぶりに、しかもあんな方から声かけてもらうんだし、、、、やるなら充実した写真展がしたいと迷っていた時、偶然に十代にハマっていたフレンチポップスをyou tubeを開きました、その時、なんと言うかまるで神様から啓示を受けたような、アタマに雷が落ちたような、とんでもない気分、心に激震が起きたような気分でした。
こういうことは文でこの気持ちはどうにも上手く説明が僕にはできません、でもそこで感じていたのは、フレンチポップス独特の夢感です、これは英語世界にはない、フランス語世界の夢感です、ちょっとダサい感じもあったり、でもフランス女子のオシャレ感やパリのオシャレ感はここから来ています。

昔、僕が十代のころ、フレンチポップスに激しい恋をするようにハマっていた、フレンチポップスの世界観にすごい夢を感じていた時期でした、その世界観は日本にはないフランスならではの独特の夢、僕はマジメにフランス語を真剣に勉強していたくらいでした。
フランス映画が英米のクールな世界と違うのは、ちょっとフレンチ世界は独特のネトネト感とかエロっぽさ、色彩感がありました、デザインにしても、フランスの感覚とイギリス、アメリカ感覚は何から何まで世界が違います、十代のころそれに出会ってしまい、英米感覚にはないねっとり濃いフレンチの世界観にハマっていた自分を思い出して撮ってみたい気になりました。
それがある日、you tubeで久しぶりにフレンチポップスを聞いた途端、十代の気持ちが一気に蘇って来て、ハッとしました、そうか、この気持ちを写真に撮ればいいのか?これまでどうしても撮れなかった面白い写真が撮れるんじゃないか?仮にただの幻想だったとしても、今の気分で撮るよりはずーっとマシな気がしました。
それまで撮っていたビンを止めて、これといったものに決めこまないで、気になったものは片端から撮ってみることにしました、正直言って何でもアリでした、どうせ個展まであと1年はあるんだ、これまでの考えから一回、完全にリセットしたかった気持ちもあったと思います。
よく聴いた曲はショパン、ドビッシーのピアノ曲「月の光」とか静かなフレンチポップスでした、アンニュイな感傷的な曲が多く、音楽を徹底して聴きながらの撮り方は理屈はさておき気分重視で撮ることに変化しました、例えば冬の植物園をカメラを持って歩いた時、ヘッドホンをして音楽を聴きながら傘をさし誰もいない植物園を歩いた時、フランス語の音楽が見事にアンニュイな気分にさせてくれました、風がわずかに吹いて植物を揺らしたのを見て、その風の揺らめきが撮りたくなりました。
これまでそんなことはあまり考えたこともありません、今度は静かで清らかな水の流れが撮りたくなり、フレンチの静かな音楽が水草の揺れを撮らせてくれました。音楽を聴きながらその世界にハマってしまうと見える風景は確実に変わります。
その時に感じたのは、自分がいくら背伸びして頑張ったところで、やはり自分に見える風景世界には限りがあります、 そういう時に音楽を聴きながら、見える世界にわずかでも風を吹き込ませると、ちょっと異変が起きて、目に映る世界にも何か変化が起きます。
その後、せっかくだからとパリに場を変えて撮りたくなって一ヶ月くらいそこで撮っていました、ここにあげた池の写真はパリ郊外の公園の池です、場所と気分は写真を撮る上でとても大事なことです、写真の上手さとは必ずしも捉え方とかスキルだけではなく、ちょっと気分を変えるだけで映る世界が変わることも知っておくと便利です。
またイメージや概念ばかりに偏ることなく絵柄の表現力はやはり何と言っても重要です、それがあってここに書いたことが生きてきます。もしそれがなかったらここに書いたことは、ただの絵に描いたぼた餅にしか過ぎないことを念頭に入れて欲しいです。