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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

切実な思いがなければ奥の深いものは描けない 

自分の作品を展示してる時、思うことですが、作品とは結構な時間とエネルギーを掛けて作ってきました。
いつも感じるのは写真が好きっていう人は本当に多いです、僕も写真が好きで、写真を十代で始めて、今日までずーっと好きでやって来て、なんとかプロとして今もこうして写真を撮って僕はいます。
写真が好きだから撮ってると言えば、それだけではないと思います、これまで続けて思うのは、好きだからやっていることは、そんなに奥の深いところまで行けないと僕は思います。深いとこまで行けるものは好きだけでは浅い気がします、もっと別の何か、逃げ道のない突き切るしかない、やらないわけにはいかない必然がないと、物事の核心をついた奥の深い表現まで行けないと思います。
深いところ、このことばに抵抗があるなら、厚みがある、見応えがある、中身がある、深みがある、やはりどうやら深いに通じる単語になります、、、単なる好きでやってるものはどうしても広がりや奥行きがないんですが、自分の存在をかけたものにはそれがあります。
逆に言えばもし誰かがそれなりの結果を出しているならば、それは好きだから、才能がるからだけではなくて、それをしないわけにはいかない、その人だけの秘密が必ず隠されていると僕は思います。
僕の場合、写真家には好きだからなったとは違います、ほかにできることがなかったから選んだんです、ほかの仕事では僕は何もできません、実際過去いろんな職業を経て来ましたが、何をやっても人並み以下しかできません、ならば写真なら何とかできるんでは?ともっと必死だった、もしほかでも自分は何かができたなら僕は写真家は選ばなかったと思います。

話は変わりジャックニコルソンの映画で「恋愛小説家」という作品があります、主人公は精神的に問題を抱えていて病院通いしています、そこらで些細なトラブルを頻繁に起こします、そんな彼にある時、女の子が聞きました、「私、あなたの小説のファンです、どうしたらあんな素敵な作品が書けるんですが?」と聞きます、彼はいろいろあれこれ言いますが、最後に「そんなのむずかしい話じゃない、最低の男になれば誰だって書けるさ」と言ってその場を去っていきます。
そう、僕はまったくそう思います、作品の最高の調味料はこれしかないと思います、「どうしようもない心の欠落感、不充足感、」この欠落がそこに奥行感を描けさせてくれます、そういうのは好きだからではどうにもならない、心に痛みを抱えないと描けないものです。
でもその心の痛みはそんな表現するための飾り物ではない激しい逃げ場のない悶え苦しむ心の痛みです、その痛みのを抱えながら自分の存在を掛けて描きます、自分の夢も、自分の痛みも、どうにもならないもどかしさも、忸怩たる思いも、とにかくそんな感情のすべてが渾然一体になって、自分はこれしかないからこれに自分のすべてをかける、そんな気持ちで描いたものがやっと人に深く伝わる気がします、そうじゃなければ、月並みなものだと思います。