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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

小技の扱い方 

昨日の続きです、今日は昨日書いた「小技」について書きます。
こういう話をご存知でしょうか?「ろくろとひねり」これは陶芸家から聞いた話ですが、陶芸は土をこね、火を扱い、ろくろを回してカタチ作る作業です、陶芸にとってろくろの熟練度が大きな見せ所だそうです。
ところがろくろとは別に陶芸にはひねり技もあります、ひねりとはろくろが完成間近になったところで、ヒョイっと土をひねって歪ませる技ですが、この歪みはろくろにはない斬新さ、手っ取り早い見せ場を作り、地味なろくろよりひねり技に頼りたがる人が結構いるそうです。
そこでろくろ修練にはまだ未熟な人が手っ取り早いひねり技にハマった作家がわりに多くいる話を以前、ある陶芸家から聞きました、これに似た傾向は陶芸だけに限らず、写真にも他ごとでもよくあると思います。
書道にも絵にも楽器演奏にも同じような話を聞きます、書道では楷書修練を延々にします、楷書とは文字一句一句をきちんと角が立つ箇所は角を立てる、跳ねる箇所はきちんと跳ねる、まっすぐ線を書いたり基本的な文字です、それに対して行書は文字を柔らかくくねくねと崩し、特にひらがななんかは文字と文字を連なって流れるように書く文字で美しい文字は情緒文学を感じさせる印象があり、短歌、和歌、俳句には行書文字がよく使われています。
また崩し文字ですが見た目は楷書より芸術的でみんなが好んで書きます、でもこういう文字はやはりまだ造詣が浅い修練を積まれていない未熟な人が安易に手出しするものじゃないなと時々見て思います。
やはりそこに物を見る目の実力、描ける実力が伴っていない人の文字は外見のカタチだけをマネたものが多く、そういう作品は見る目のない人たちを相手にはたしかに受けが良く、フェイスブックではいいねをたくさんもらっています、でも見る目がある人にはそれはあまり通用はしません。
写真でもよく見ます、特にフェイスブックでよく見られるのが、フォトショップで過剰な色調整とか合成とかその手の小技を駆使した作品、またある程度写真をやってる人ではポートレートに8x10カメラを使いたがります、8x10カメラはフィルムサイズが大きいだけ絞り開放で撮るとボケが構造上出ます、それが通常サイズのカメラで撮ったものに比べて不思議な雰囲気を醸し出し新しいもの好きな写真家の間では人気があります。
写真家の中には作品の印象は8x10が特に効果的だという気はしないんですが、カメラ自体、見た目大げさで立派そうなのでその演出効果を狙いたいのか使う人はこの時代でも意外にまだ多いです。僕の印象ではわりと作品の中身が薄い人の方がよく使いたがると感じます。
ここまで書いたので、ついでにある思い出話しを追記します、昔、インドの旅で出会った人の話です、その時、旅から旅の移動生活ではなく南インドの浜辺のコテージに長期間停泊していた時のことでした、同じコテージで一緒になった間柄でしたが、彼とは毎晩夕食時にテーブルを一緒に、これからの自分たちの生き方など、いろんな雑談をした間柄でした。
彼は音大を卒業したばかりでした、クラシック音楽、オーケストラのフルート奏者を目指していました、彼の話では音大卒程度ではクラシック奏者になるのはかなり至難の技だそうです、彼の話によればクラシック音楽の世界では感性がどうのこうのではなくとにかく機械的に一定のフレーズを徹底して体に教え込む訓練を理屈抜きに来る日も来る日も欠かすことなく続けること、これがクラシック音楽の世界だと教えてくれました。
彼に話を聞いていろんなことを考えさせられましたが、機械的な鍛錬と感性によるアドリブ、今日のブログで書きたかったのは本筋とはやや離れた枝葉のテクニックを小技と書きましたが、究極を言えば、ジャズみたいに小技であろうがなんであろうがアドリブこそがジャズなんだと言う考え、でもそのジャズですら安易にやたらに楽器をブレークさせるのは上品な演奏ではないみたいですが、、、。
時々思うのは、そういう小技使も演出としては重要です、そういう軽い演出もない表現では肩が凝り導入口として作品理解のきっかけになる場合もあるんで、あまり頑固になりすぎるのも良くないと僕ですら思いますが、そのさじ加減がなかなか難しいです。だいたいそういう小技で支持層を増やすと作品は高い域にまで進化しない傾向があります。