FC2ブログ

アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

久々にコーヒーについて 

今日は久々にコーヒーについて話をします。
コーヒーというのはごくありふれた当たり前な物だけど、こんなに知られていない飲み物は他にあるのか?って思う。
今ではセブンイレブンですら豆から挽いたコーヒーがたった100円程度で飲めるけど、本物を分かってる人が焙煎して淹れたコーヒーとセブンイレブンコーヒーでは大きな世界観の違いがやはりある。
かと言ってコーヒーはどこまで行ってもただの飲み物の域を出ない、7〜800円のラーメンより高いなんておかしな話だと思う、僕だってそんなのは好感が持てない、コーヒーはどこまで行っても所詮ただのコーヒー、飲み物でしかない、必要以上に高級存在になるのはおかしな話でナンセンスだ。
とは言えこれは難しい話だ、物事の価値、品位が分かっている人が作るコーヒーと、何も分かっていない人が作るコーヒーは同じ次元で語れない、作り手次第でそこに醸し出される品位がまったく違う、たかがコーヒーだけどされどコーヒー、だから本物のコーヒーはやはりある価値観を知った人じゃなければ扱えない厄介で面倒なものがコーヒーです。

昔、僕がまだ十代だったころ、夜、学校に行きながら昼間働いていた、縁あって自家焙煎のコーヒー店で働く機会に出会った。あの時代は郷ひろみとか山口百恵とか西城秀樹が活躍していた1970年代の半ば、喫茶店の多い名古屋でコーヒー店といえば、いわゆるただの喫茶店だった、しかしその店はコーヒーの味一本で真剣勝負して店を切り盛りし、コーヒー以外は紅茶もケーキも一切ない店だった。
名古屋の栄のど真ん中の好立地条件で場所が良かったせいもあってコーヒーだけの店でも繁盛していた、マスターは独学で試行錯誤し自家焙煎を習得しコーヒーだけの店を経営していた。もともと親が作った喫茶店を引き継いだからあんな場所に店が持てたんだと思う、今思うとあの時代に先駆けの生き方をしていた人だ。
当時だって自家焙煎の店は出始めていたけど、でもはっきり言って、あの時代のお客さんはそんなリッチなコーヒーなんかほとんど分からない、多くは焙煎機を店の片隅に置いて工房風の演出でやっているだけでブームが去れば、そんな店なんてあっけなく鞍替えする中身のない自家焙煎ばかりだった、実際今でも変わらず続けている店なんて僕がいた「びぎん」しか残っていない、マスターは本気でコーヒーに人生を捧げ、時代が変わろうと、苦労しようが、ひたすら不器用にコーヒーだけで生きて行くことに覚悟を持った人だった。
まだ若い年ごろにそんな店で働くのはいろいろな意味で勉強になった、場所柄からも知的で洗練されたお客さん、おもしろいお客さん、にいっぱい出会えたし、マスターの人生観も見せてもらった、これから自分はどんな生き方をすれば良いのか模索していた僕にとってはそこでの経験は大きな出会いだったし、それが後の生き方に大きな影響を与えた、またそんなコーヒーはそこらのコーヒーとはまるで違って、それ以来、気軽に巷でコーヒーは飲めなくなった。
これは大げさに言ってるのではない、本当に飲めなくなった、飲んだとしても、味に不満が残るばかりでも喫茶店に入ってもコーヒーは頼まなくなった、市販豆だって買わなくなった、でもまともな豆は値段が高くて手が出ない、それじゃあ、、、仕方がない、まともなコーヒーが飲みたければ自分で炒るしかなくなった。
自分で焙煎を始めた理由はいくつかある、まず、生豆をストックして自分で炒ればいつだって新鮮なコーヒーが気軽に確保できる、市販豆が気に入らないのは焙煎日を公表しないから賞味期限切れのひどい豆を買うことがとにかく多く普通に流通している。
焙煎直後なんて滅多に手に入らない、焙煎日を知るのは消費者の権利だと思うが、実態はそうじゃない、卵だって牛乳だってパンだって期限を公表してる時代でもコーヒーはそうではない、業者体質が古いのと消費者の舌が肥えていないからそうなる。
それと僕は自分の焙煎の好みと頃合がハッキリしている、世の中一般基準は浅すぎる、浅い焙煎はざらつきが残って飲めない、みんなはそれを酸味と呼ぶがあれは豆の自体の酸味ではない、ただ火が十分に通っていない豆の雑味で僕はまだ生っぽい味だな、、、、と呼んでいる。
もう一つは、やはり所詮、市販豆はやっぱりどこまで行っても美味しくない、自分の炒り方が特に素晴らしいとは思っていない、ただ単に市販品は美味しくない、どうして美味しくないのか疑問に思う、普通に炒れば美味しくなるはずだけど、市販品は量産してるからなのか、、、、、とにかく美味しくないから飲む気がしない、だから自分で炒るしかない。
前は生豆を一般人に売る業者はほんんどいなかった、仮に売る業者を見つけても、焙煎豆価格と変わらない値段で売る、だから高い豆を何年も買い続けていた、でもインターネット時代になって、やっと解放され生豆も自由に選び放題で当たり前に買える時代になった。
炒り始めてかれこれもう30年くらい経つ、自分なりに上手な炒り方も習得し、多分そこらのコーヒー店には負けないコーヒーが作れるようになっていろんな炒り方を実験したけど、どうしてもあるラインを越えられず、何年もずーっと壁を感じていた、最近になってブレンドを始めたんだけどこれがまたおもしろい。
今までブレンドに何か期待していなかったからやらなかった、でも最近やって気がついたのは、組み合わせ次第、配合率次第で、まさかの味になる、時としてお互いの豆の味がぐんと引き上げられ値段の高い豆の味になることが稀にある、豆の掛け合わせ次第でここまで味がバケるとは夢にも思わなかった。
色彩がそうだ、他の色との組み合わせ次第で色の印象はガラッと変わる、食材だって調理法によって味はガラッと変わる、 コーヒーも個性の強い豆と個性のフラットな豆を組み合わせる、上手く行けば、お互いの豆の味が引き出しあって不思議なハーモニーを作る、逆に相性の悪い組み合わせをすればせっかく良い豆の味も台無しになることがある、これは不思議な体験だった、もっと早くやればよかった、コーヒー焙煎にまた一歩開眼した気がした。
ここまでコーヒーについてあれこれ書いておきながら、こんなことを言うのはいささか甚だしいけど、僕はコーヒーについてあれこれウンチクを語るのはあまり好きじゃない、少なくともコーヒーを知らない人相手にコーヒーを語るのはつまらないし、そんな話なんか聞いたっておもしろくない。だってコーヒーは語るんではなく、飲むものだから、、、、、。