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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

宗教的美意識と都市的美意識の違い 

ブログを書いていると何気に書いたことがきっかけに新しい話になることが多々あります、クリエーターはそれぞれの気持ちは一体どこから始まっているのかを最近書いて考えていたら、意外なことにたどり着きそれについて書きたいと思います。
(ただこの話ネタは読み直すと、公表はどうしようか迷った、過去にもそういうことは何度もあって出さずに終わったことは何度もあったけど、やはりせっかく書いたから今回は公表します。)

先日書いた通り、都会的な表現ではなくどちらかと言えば今の時代離れした印象派芸術家たちが描いていた世界観が好きなんだって自分の好みの体質に気がつきました、逆に今風の表現価値観は僕個人的にはあまり好きじゃないと気がつきました。
表現と言うものはそれぞれ各人の美意識をカタチにする行為です、それぞれの美意識って何なのか考えました、これは一体心のどこからくるものなのか、無謀な考えかもしれないけど美意識の根拠とは大きくはこんな分け方があるんではないかと思います、それは宗教的美意識と物質的美意識かと思います。
宗教的美意識で語弊があれば、哲学的美意識と言っても良いかもしれない、自分の内面から来る美意識を意味します、ルネサンス美術のように聖書をそのまま表現にしたものではなく、例えばモネが睡蓮を延々と描いていたこと、これはとどのつまりモネが描きたかったのは自分の心の中の美意識を描いたと解釈すれば、ルネサンスの画家たちの仕事とどこが違うのか?ただ聖書が関わるかの違いだけです。
そもそも自分の心の中の美意識を探すこととは、自分にとって何が最も大切な価値観なのか探すことと近いことです、ならば生き方としてどんな価値観が最も美しいのか、それはそのまま哲学的思考にも、文学的思考にも、宗教的思考にも通じますし、形而上学の概念追求であり芸術作品というのは宗教的感覚に通じるんじゃないかと思います。
しかし都市感覚表現はどうも違う気がします、NYのポップアート、例えばアンディウォーホルはむしろそういう価値観ではなく、そう言う旧来の価値観とは違ってあっさり決別した感じすらします、もっとコマーシャル的であって消費に通じる価値観とでも言うのか人間の内面に訴える感じではないと思います。
ファッションにしてもそう感じます、都市的な美意識であっても当然そこに美意識は存在するけど正統派の美術とはちょっと何か筋が違う感じがします、結局そう言うポップアートと言うのはその時代の商業主義的な時代感覚がベースにあって、人間の内面に訴えるような文学的芸術感覚とは趣が違う、それが都市感覚で生まれたアートだと思います。
そう言うアートは結局のところどこかで商業主義的影響を感じます、でもポップアートだろうがファッションだろうがアーチスト体質としてファインアートの要素を強く感じるモノだってあります、例えば川久保玲さんのファッションは商業ファッションでありながら、なぜか伝わって来る精神性はファッションを超えて日本の禅とか茶道であったりルネッサンスであったり、印象派絵画であったり、正統派の表現を感じます。
広告表現だって一概に単にモノを売るためだけではなく、表現として正統派の精神性を感じさせる広告ビジュアルだって中にはあります。
話がややこしくなりましたが、僕は広告をやっていながら自分で言うのはおかしな話だけど、どうも都市消費追求に繋がる表現、それしか中身がない表現というものはどうも肌が合わないし、そう言う考えにも深くのめり込めないし、表現と言うものはやはり人間の内面性に繋がるものじゃないと、そこに奥行きみたいなものが感じられずやっていても楽しくない。