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アトリエ水平線より

渡会審二の写真日記

夢なんかで食べて行けないって言う大人はいなくなった。 

自分が歳を取ったのか60年も人生を生きて、辿った人生を振り返ると歳を取った者じゃないと分からない物事をしみじみと感じる昨今です、さて今日はすこし年寄りくさい話で始まったけど、やはりそこはひしひし感じているから書かずにはいられない内容です。
このブログにもし取り柄があるならば、、、、良いにしろ、悪いにしろ、自分が感じたことは包み隠さず、歪んだ嘘くさいことは書かないで、まずは見たまま明け透けに書こうと思ってるし、自分ではそれが美学だと自負しています。みんなには見えないことを僕の眼を通して見えたことを正直にズバズバと書きたいと思っています、でもそれは時にして人の気持ちにカンに触ることもあるだろうけど、世の中は遠回ししか言わない、核心をついたことを言わない、だからこそ一つくらいそういうものがあっても良いんじゃないか、と自分で勝手に思って書いています。

僕らがまだ10代から20代のころ、自分がこれからどんな大人になるのか決めなくてはならないころ、僕の場合、はっきり言って学習障害者だった、特に知能が低いんではなく検査では平均値よりやや高いくらいだけど僕の学力はクラスで真ん中から最低の間をウロついていた、そんなに重度学習障害者じゃなかったけど、先生やクラスメートたちからはだたアホなヤツで片付けられていたと思う。
でも自分はそれがどうしても腑に落ちなかった、どうして自分はそうなのか?いくら足掻いても成績不良から出られなかった、家族はみんな世の中的に言えばまあまあの優秀揃いだった、じゃあなんで僕だけがそうなのか?兄貴は成績表を見せる度にすごく叱る日々だったし、僕なりにそれに結構傷ついていて、子供時代は学校ではまるで居場所がない子だった。
どうしてそうなのか?その理由は僕は退屈なことにはすごく苦手な子だった、退屈な授業はいくら足掻いても意識は散漫になるばかりで窓の外を見たり、席の前の女子の髪留めをじーっと見たり、授業にどうしても意識が集まらずついて行けなかった、でも自分自身ではそれに相当危機感を感じていたから何度も何度も自分のケツを叩いて頑張ろうとしたけど、こればかりはどうにもならなかった。
でも不思議なことに勉強はすべて嫌いではなかった、むしろ自分は勉強は好きな方かも知れないとすら思う、とにかく学校という場所が自分にとってダメだった、でも何か別なことで興味さえあれば人よりも際立った集中力を持っていた。これは要するに個人的な脳の体質問題で、その構造が人とは少し違っていたからそうなった、つまり最近やっと言われ始めた発達障害です。
そんな発達障害を抱えた子供時代を過ごすとこれは結構キツイことです、今では小児発達障害としてそれは一つの個性として扱ってもらえるケースも増えたけど僕らのころは、そんな認識とか概念はまったくなくただの異端児、問題児、アホでしかなかった、だから人生に希望なんか持てなかった、こういう僕らのような子供を小児ADHDと言うが、周囲の大人がそれにきちんとしたケアーをしなてあげないと子供は傷つくし、場合によってはそのまま大人になって道を踏み外しかねないし、世の中から受けるストレスとその辛さは僕には痛いほど分かる。
ついでだから書き足すと、そんなADHDの個性はマイナスばかりでもなく、僕らのような感性を売り物の職業には返ってプラスになることが多く、実際、ADHDのおかげで今があるとすら感じてるし、写真家仲間たちから生まれ持った星印だからすごく羨ましがるヤツだって中にはいるくらいだし、たしかに普通の人たちにはない突出した集中力を持っていることに最近になってやっと自覚し始めた。
でも昔は、そんな感覚なんて才能はごく一部のピカソみたいな人の特権で、僕らみたいなヤツらにはそんな目では見てくれないしそう言う少年時代を送ると、やはりどうしても人生に対してポジティブな見方より不安感に強く支配されたマイナスのトラウマが心に染み付くことが多いと思う、そう言う個性はやはりチームにはあまり向かず、どちらかと言えば、個々の才能発揮の場がないとなかなか行き場はなく、僕の場合、自分の仕事探しには苦労と時間がすごくかかった。
果たして自分は大人になっても本当に自分に向いた仕事があるんだろうか?自分が大人になってもまともな社会人となって自立できるんだろうか?多分世の中の大半の仕事は自分には不向きだな、そう思っていた、ならば思い切って自分の感覚を生かした生き方をすればいいって思ってそういう生き方を模索し始めた、じゃあまずは海外遊学しようって考え、フランス経由してイギリスに渡ってそこで生活を始めた。多分当時の普通の常識人では、そんな考えは理解不能だっただろう。
でもそこに何か説得力のある渡欧の理由なんて何もなかった、あっちで特に何がしたいとか、何かを学ぶとか、何か明白な目的もなかった、少しは英語を覚えようとしたけど、特に集中して勉強したわけでもないし、そんなものは生活していれば勝手に覚えるだろうしか思っていなかった。実際そんな態度でも下手な学校に行ったよりはるかに会話力の収穫はあった。
僕自身あっちでいったい何をしに行ったのか?と問われると答えようがない暮らしぶりだった、でも滅多に体験できない高級住宅地の富裕層家庭で住み込み下働き生活の体験をして、生のイギリス英語に毎日囲まれた生活も出来たし、、、何も考えないで行ったにしてはずいぶん貴重な体験をして帰ってきたものだと今になって思う。
あの体験で得たもの、学んだこと、そこで得た自信、それがのちに写真家で生きていこうと決心できたきっかけなのは間違いない、もしそれがなかったら僕はそんな選択肢は絶対になかったと思う。
あの当時の日本は、英米ポップミュージック全盛の時代で雑誌とかテレビで、ロンドン、パリの情報はいくらでも入ってきたけど、僕はそんな情報なんて絵に描いたぼた餅、程度で、そんな情報なんて実際、何の役に立たないと思っていた。
物事を自分の生き方にするために実際に必要なのは自分の体でそこに立って、自分で英語やフランス語を話して誰かとコミュニケーションを取ることであって、海外だろうが自分の意思で自由に行動ができる、そのスキルを持つこと、自分がしたい生き方をカタチにするには、それはどしても必要なスキルだとあの当時、すでに確信していた。
多分、僕はあの当時の名古屋の時代感覚とか常識からすればかなり先を見据えた進歩的な生き方をしていたんじゃないかと思う、それを大人たちに対して自分の考えをマトモに説明したり、答えたりができなかった、そんな生き方がある程度、世の中に認知されるのは、多分あれから20年以上経ってからじゃないかと思う。
あの当時、大人たちと生き方とか考えについて「お前は今後の進路について何がしたいのか、そこをどう考えているんだ?」と問われる度に、、答えていたのは、、、、具体的に、その時すでに「自分はカメラマンになりたい」とまでは言えなかったけど、、、もっと感覚的な生き方を模索してるようなことを少しでも口に出すと、あっさり否定され、もう大人たちとその手の話はしなくなった。
仮に話をしたしても、僕の考えなんて誰もマジに耳なんか貸さなかったし、誰も真に受けてくれなかったと思う、返ってくる返事は決まった答えで、「そんなもので食っていけるわけないだろう?だいたいお前がそんな夢みたいな生き方なんかできるわけがないだろう?そんな夢みたいな、子供みたいな考えは早く卒業してマトモになれ、現実的な考えをしろ、夢なんかでは食べて行けるわけがない、安定した仕事に就け。」こんなやり取りばかりが常で、僕らがどんなに真剣に説明しても聞いてはくれなかったし、ほとんどアタマごなしに片付けられた。
でも今にして思えば、確かに普通なら絶対に行き詰まっていただろう、辛酸も嘗め尽くした時期もあったけど、幸いにして家族の応援とかみんなの助けで今があるし、まあなんとかやってるんだから不思議と言えば不思議なものだと思う、僕の同期の仲間たちの間ではパラパラ定年退職し始め第2の人生を探し始めているヤツがいる、そんなヤツらに何十年ぶりかに会うと、すごく驚くと同時に空白の40年と言うものはこんなに違いを作るんだと思った。
あの当時多くの女子の憧れの的だったイケメンはいいジジイになっていた、かつてあの歯キレの良かったイケメンの佇まいはどこにもなく、それらはきれいに失せていた、これがあの時のあいつか?同じ人物には見えないな、、、人間60代になるとここまでジジイになってしまうのか?と僕は驚嘆した。
どうやらこれは年齢の問題だけではないな〜、内側の衰えが主な理由だな〜と僕は感じた、結局はあの当時、まともな常識に従ったヤツらの生き方の結論はこれなのかってその結末を見た気がした。もちろん自分だって多くの挫折の度に家族とみんなに助けてもらって今があるんだから偉そうには言えないし、助けの大半は現実的な生き方から得たものばかりだ、、、。
でもこう言ってはなんだけど、、、その同期の彼には悪いけど、人間って言うのは、、、自分が何がしたいのか好奇心とか野心みたいな自発的な発露を基に人生を生きて行かなないと、その人の人生は誰かの役に立つ人生どころか、システムの歯車、システムの部品で消耗されて終わってしまうと思ってしまう、それでは残された人生は一体なんなのか?今までの人生って一体なんだったのか、ついついてそう言う見方をしてしまう。
僕は写真家になりたくてもちろんなったに間違いはないけど、ある意味ではこれくらいしか選べる選択肢はなかった、そんな言い方だってできる、もしこれがなかったら僕はもっと悲惨な人生を送ったのかも知れない。また昨年秋にかつて過ごしたロンドンに半月ほど滞在してすごく楽しい日々だった、予算は超低めで安宿のユースホステル泊まりで毎晩自炊暮らししてたけど、そう言うのなんか、どうでもいいことで素敵な毎日だった。
ロンドンでは植物園巡りして作品を撮った、かつての場所巡りもしたり、ヒマそうなイギリス人に出会って話すチャンスあれば躊躇することなく立ち話しをいっぱいした。昔より、会話力がはるかに上達したから、あの時には出来なかった複雑な会話をいっぱい楽しんだ、この歳になろうがいくらでも意欲的に楽しんだり、考えたり、必要なことは勉強したりしている。
あの当時の大人たちが口を揃えて助言した「そんな考えではやって行けない、夢では食べて行けない」それにマジに耳を傾けなくて本当に良かったと思う。世の中では人の話を聞けないのはダメだと言う風潮がある、でもやっぱり聞かない方が絶対にいいことだって確かにあるって実感した、会社に入って人生を送るのがNGだ、僕らの選択がBETTERだ、そんなつまらないことが言いたいのではない。
大人たちの言い分は確かに正しいと思う、でもそんな常識なんて時代が変われば、きれいに古臭くなってお払い箱になるって現実を見る、かつての花形職業が今ではきれいに消えたり、落ちるとこまで落ちぶれた、そんな物事をたくさん見た、気がつけば普遍的判断力に通じる直感力って、案外にバカにはならないって歳を取るほどより深く実感する。
要は僕があのころ信じたのは、大人の考えとか常識ではなく自分の直感だった、それを唯一の指針にして自分の人生を模索して来たけど、それは決して愚かしい判断ではないって痛感する、むしろアタマで人生を決めた人の方が道を踏み違えている気がする、自分のことは誰かではなく自分のアタマで考える、そんなヤツが充実した人生を送れるのではないかと僕は思ってる。「夢なんかでは食べて行けない」そんなこと大真面目に言うおっさんは最近はもういなくなったな、、、。